守護者と理不尽
「いや~! まさか初日から
紫の髪の男が私の前で喋る。長い足を組み、両手を愉快気に広げ、ケラケラと笑いながら。
最初に会った時とは口調が違い過ぎる。猫を被っていたにしても、というレベルだ。もう詐欺だろ。全て詐欺だろ。目覚めてから今まで起こっている全て嘘であってよ、お願いだから。
「渡り廊下に倒れてたロサ・ハーベストをやったのも君だよね。あぁいいんだ、いいんだ、彼女のことはいいんだよ!」
この男を殴らないといけないのに、罰を与えなくてはいけないのに、今の私は動けない。冷や汗が浮いて、頭痛が治まらなくて、動悸が激しくなるばかりだ。
「君って見た目によらず苛烈だよね。
ガタガタと椅子を揺らすのは私の腕だ。両手両足を肘掛けと足部分に固定され、モーニングスターを没収された私では、優雅にソファに座る男を罰することができない。
教室から連れ出された後、私は紫の絨毯が敷かれた厳かな部屋で、椅子に縛り付けられていた。
しかも縛り付けられた瞬間が分からない。気づけば鎖が手や足に絡み、椅子に座らされていたのだから。
思い返せば、ここにきて説明できないことばかりだ。何なのここ。教室にいた奴らは何。どういう存在。着ぐるみでもコスプレでもない、私とは全く姿形の違う存在がいた。怪物か。化け物か。絵物語に出てきた妖精か? あれは空想上の存在だとばかり思っていたのに。
ここは空想上の何かを集める場所なのか。私が知らなかっただけで、よく分からない研究でも進んでいるのか。
でも、でも、どうしてみんな喋っているの。実験施設なら喋っていいなんて法律、あったっけ。
脈拍に合わせて頭が痛む。考えることが多すぎて、分からないことが溢れていて、呼吸がなんだかしづらいよ。
取り敢えず、もう、喋らないで。
「さっきから凄い暴れようなんだけどさ、今の君じゃあどうしようもできないよ」
喋らないで。
「君だけがまだ説明できてない子だし」
喋らないで。
「ね、ちょっと大人しくしようよ」
――喋らないでよ、大罪人。
体の動きを全て止め、男を正面から見つめる。ジェスチャーもサインも許されない状況なら、今の私が訴えかけられるのは目だけなのだ。
喋らないで、言葉を吐かないで、何も言わないで。
言葉は世界を壊してしまう。言葉は悪だ。会話は罪だ。だから喋ってはいけないと、誰もが知っている道理だろ。
喋れば殴られる。語れば壊される。会話とはそれだけの行為なのだと教えられてきたはずだ。言葉とは、会話とは、世界を壊す諸悪の種なのだから。
だから、喋ってはいけない。
震える拳を固く握り込み、相手を殴れないまま深い呼吸を意識する。
男は口角を上げたまま首を傾け、紫の髪が肩を滑った。
「君の目はとても雄弁だね。俺が喋るたびに許せないって叫んでる。それだけ言葉に過剰反応するようになるなんて、君の世界は残酷だなぁ」
男の意思が汲み取れない。彼がマスクをつける素振りは一向にないし、口を閉じる様子もなくて、ただにこやかにこちらを見続けている。
私は腹立たしさと気持ち悪さで眩暈を覚え、男の口が言葉を吐いた。
「ま、今の君は何もできないから勝手に説明しよう! まずはようこそ、未来創造学園都市・パンデモニウムへ!」
指を鳴らした男の隣に薄紫の炎の渦が現れる。肌を撫でた熱気に顔が痙攣した。目の前には、炎で縁どられた地図が現れる。洒落た手品はもう沢山だよ。
「まず第一に、ここは
――……は?
目を見開いた、自覚がある。
男の言葉が何度も何度も頭の中を回り、巡り、いくら噛み砕いても内容は変わらなかった。
言葉を使う?
普通に、喋る?
そんな大罪が許されている場所があるなんて、聞いてない。
いや違う。コイツは「君がいた異界ではない」とか言った。なんだ、どういう意味だ。ここはどこだ。化け物がいて、怪物がいて、誰もマスクをつけていなくて、あぁ、あぁ、これ以上頭が痛くなることは勘弁して欲しいのに。
男は、私の理解を無視して喋り続けた。
「この世には多くの異界が存在する。君がいた異界を、俺達は
満面の笑みを浮かべた男に鳥肌が立つ。
喋っていいってなんだ。お喋り大歓迎って、そんなの地獄か。そんな場所聞いたことないし、喋らないのが普通だし、喋ったら罰せられるのが常識だろ。
だって私はそう教えられてきた。生まれてこのかた十七年。喋っていいなんて言われたこと、一度もないんだ。
脳裏に綺麗な花がフラッシュバックする。
家族と出掛けた公園で見つけた、白い花。
とても綺麗で、それを教えたくて、でもお母さんもお父さんも遠かったから――
『 』
強烈な痛みを背中が思い出す。全身の毛穴から汗が噴き出し、マスクの中で呼吸が荒れた。
指先が小刻みに震えて視界が歪む。今の状況も相まって、足の先から恐怖が走り、気持ち悪くなる。
痛い、痛い、背中が痛い。
痛い、怖い、耐えられない。
喋ることは悪いこと。
喋ってはいけない。口を開いてはいけない。声を発してはいけない。
それを守らなければ、痛いことが起きるから。
私はそう教えらえてきた。たった一つ。喋ってはいけないという絶対ルールを守って、今日まで生きてきたって言うのに。
ふざけてる、ふざけてる、気持ち悪い。なんで喋ることが許されるんだ。言葉は世界を壊すのに。喋ることは誰かを傷つけるから駄目なのに。
掌にかいた汗を握り締めれば、炎の地図が揺らめいた。
丸い敷地に城のような建物が描かれた地図。一瞬だけ分からなかった文字は瞬きと同時に読めるようになり〈校舎〉だとか〈購買〉だとか記されていた。
「さて次に。ここ、パンデモニウムは、あらゆる異界から
男は長い足を組んで指を立てる。私と同じ五指の中の一本。人差し指と呼ぶそれは、遊ぶように揺れていた。
「
男は両手を軽く上げ、指を一本ずつ立てた。言葉に合わせて、喋りに合わせて。鳥肌が立つ。
「各クラスは、
立てられた一本の指が私をさす。
片目を閉じて笑った男は、醜い言葉を私にかけた。
「
私の喉が一気に締まる。
男はひらりと両手を振り、炎の地図が消え去った。
「この六つのクラスそれぞれで
何言ってんの。
語られるという行為の長さに、吐き気を通り越してじわじわと寒気が広がってくる。もうやめて欲しい。もう何も喋らないで欲しい。
でも、そんな私の視線を無視して、男は軽やかに喋るのだ。
「君以外に十一人の生徒がいただろう? あの子達も憤怒のライラの
立ち上がった男は私の背後に移動して背もたれを回す。椅子は素早く半回転し、重厚な扉が目についた。
「おめでとう、君はライラの
違う、私の行為は暴力だが暴力ではない。してはいけないことをしている相手を罰しているだけだ。罰しなければいけないと教えられたから。罰するべきだと示されて、モーニングスターを渡されたから。
男は扉の取っ手を握る。
開かれた先にあったのは――赤紫色の卵。
大きさにして、私が両腕で軽く抱える程度のもの。
それが保護用のケースだと思われる物に入れられ、柔らかい台座の上に鎮座している。
「紹介しよう、これが君が守る
だから何言ってんの。
「
何言ってんの。
「でもこの卵の状態は不安定でね。君達
何を、言ってんの。
あまりに突飛な話に内臓が震える。喋り続ける男に
こちらが嫌う行為を平然と続ける相手に対し、友好的になれというのがまず無理な話。
私が椅子から立ち上がろうと体を揺らした時、一気に両手足の拘束が解かれた。
男は私の腕を引き、深い紫色の目で笑っている。
「よろしく頼むよ、新しい
足が笑って、逃げ出す気力も霧散する。
その場に膝から崩れた時、両掌が感じたのは温かく滑らかな感触。
見ると私の手の上に、赤紫色の卵が置かれていた。
「あ、君、もう元の世界には帰れないからね? そこんとこよろしく!」
不快な男の発言に、私の体から血の気が引いた。
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