食堂と献立
「君ってご飯食べるの?」
校舎内を散策する、という名目でガイン先生に教室を連れ出され、少し早めの昼食となった時。建物の一階にある立派な食堂へ連れてこられた。
校舎はグレーを基調としたレンガ造りになっており、天井全体が発光する魔術のおかげで照明器具などは無い。敷地には青々とした芝が茂り、空は快晴。目に映るものは全て「綺麗」と表現できる空間を形成していた。
歴史ある異国の学校に留学している気分になれたら良かったのだが、そうもいかない。喋ることを禁止されてきた私は、喋る自由のある世界へ誘拐されたのだから。
喋り続けるガイン先生に吐き気を覚えるが、モーニングスターは彼の肩に担がれている。これでは殴れない。今日は全ての髪をお団子にして簪で纏めているが、これで刺しても彼には効かないと知っているしな。
私は不満を抱えたまま、食堂の入口に掲示されたメニュー表を見上げた。腕の中にいるライラは仄かに温かい。
「最初にカウンターでメインの食事を伝えて、追加したいおかずはビュッフェ形式で取るのが食堂のルールなんだ」
ならそう書いて貼り出せば喋って説明しなくてもいいと思う。
話しかけられることに頭痛を覚え、出来る限り聞かないようにしながらメニューを確認する。そこには私が知っている料理もあれば知らない料理もあり、ガイン先生は指をさして説明した。
「この校舎エリアには異界からの子ども達が住んでるからね。最初に来た一期生や、その後の生徒の話を元に、可能な限りその子達の世界の料理を作ってるんだよ」
私は歴代の先輩達が口にしたメニューを視線でなぞる。ここに知っているメニューがあるということは、私と同じ世界から来た人もいたのかな。その人は、いったいどうやって過ごしていたのかな。
過去に思いを馳せる中、目に留まったのは〈オムライス〉
私は腕のライラに視線を向け、もう一度メニューを確認し、オムライスを指さした。
「……俺が言うのもなんだけど、ライラを抱いてよくそのメニューを選ぶよね」
別に関係ないと思う。
空笑いしたガイン先生を無視して食堂に入る。そこには長机がいくつも並び、マスク越しでも食欲を刺激する匂いが漂っていた。
「おや、ガイン先生、今回の憤怒はすぐに決まったって聞いてたけど本当だったんだね!」
「そうなんだよ〜、助かっちゃった! この子をよろしくね~」
食堂のカウンターから顔を出したのは、
髭に見えた触手はうねうねと動き、何本もある袖からは一本ずつ太めの触手が生えている。うねうねと、うねうねと。
「あ、コイツは料理長のシュシュだよ。お腹が空いたらここに来るといい」
ガイン先生に、どこが口か分からない蛸を紹介される。喋らないで。筆談して。
眉間に皺が寄った自覚がある。それでも挨拶として頭を下げれば、料理長――シュシュさんは黒い目玉に弧を描いた。
「いいマスクをした子だ。我らのライラをよろしくね、憤怒の
緑の触手が動いている。うねうねと、うねうねと。
私がライラの殻を指で撫でると、「さぁ、何を食べたい!?」と威勢よく聞かれた。
口が見えない分、喋るタイミングが読めなくて不快ですね。
俯くのを我慢してカウンターのメニューを指し示す。どんなオムライスが出てくるんだろう。不安だ。
色々な感情で気持ち悪くなっている私に対し、一拍置いたシュシュさんの触手は、少しだけ元気がなくなった。
「……
いいでしょ好きなんだから。
***
オムライスが作られている間、ガイン先生から「はい、あげる」と黒い革製のウェストポーチを貰った。
どこから出したのか聞くのは無駄だとこの数時間で学んだので、私はライラを先生に預け、ベルト代わりに腰につける。だからどうして長さがピッタリなのさ。怖いな。
「これは
ライラを返され、私は半信半疑のままウェストポーチに卵を入れる。すると、ライラはすっぽりとポーチに収まってしまった。感覚としては底の見えない袋に落とした気分だ。
え、嘘、どこにいったの。ポーチのサイズは本当に変わってないんだけど。
一抹の不安を覚えてポーチに手を入れると、温かい殻が指に触れた。どうして。見た目は浅いポーチなのに私の腕はどこまでも入る。手品も大概にしてよ。手品じゃない、魔術か。
考えることをやめた私はベルトを回してポーチを背面にし、オムライスのお供としてサラダとスープをビュッフェから頂戴した。サラダはよく分からない野菜で構成され、スープはいくら待ってもぐつぐつと煮立っている。これは人間が口にしてもいいのかな。
不安を募らせていると、カウンターから水色と赤が混ざったオムライスが出てきた。この世界の卵はどうやらカラフルらしい。私は黄色のオムライスを想像していたのに……。
気落ちしたまま隅の席を選ぶと、「俺も早めに食うかね~」とガイン先生もトレイを置いた。先生は私の向かい側に座ったので、ザラザラとした砂粒のような感情が肺を撫でる。
立ち上がった私は、ガイン先生の隣へ移動した。一人分の席を開けて。
食べる勇気が湧かないままマスクを外す。マーブル色のオムライスに、ごぽごぽと煮えたスープ。記憶にある野菜が一つもないサラダ。……胃が壊れませんように。
ガイン先生のお皿に盛られているのはサンドイッチ風のものだ。パンは赤いし、挟まれた具が動いているので視線は逸らすこととする。
「向かいの席は御法度かな?」
からかいを混ぜた声に神経を逆撫でされた。向かい合っての食事は家族や恋人ほど近しい間柄のみですよ。
説明を諦めた私は手を合わせ、スプーンでオムライスをすくう。どんな味がするのか不安だが、パンデモニウムにはこの食事しかないのだ。
意を決して、私は異界の食事を口にした。
……。
…………。
……なにこれ、美味しい。
黒いご飯はふかふかに炊かれて、マーブル色の卵は半熟でとろとろしている。普通に美味しい。お世辞抜きで、こんなに美味しいオムライスは初めて食べた。これが学校で出てくるレベル? 信じられない。
私は口が空になった瞬間に次を運び、顔から力が抜ける心地がした。不安がかき消されていく。嬉しい、よかった、美味しい。
「口に合ったようで何よりだよ」
隣から笑い声がしたので、緩んでいた顔に痙攣が走る。渋々隣を見ると、ガイン先生が齧ったサンドイッチから火花が弾けていた。噛んだ部分が微かに焦げている。それは食材の方にそういった性質があるのか、ガイン先生がそういった体質なのか。分からない。魔族、分からない。
視線で問いかけたが言葉を使う相手には伝わらない。「食べないと冷めちゃうよ」と笑われる始末である。鳥肌。
私は再びオムライスをスプーンに乗せ、しっかりと咀嚼した。やはり美味しい。私の顔から無駄な力が抜けていく。
隣ではガインが勝手に喋っていた。鳥の
「君の世界は食事中の歓談も許さないとは、恐れ入るね。喋ることは悪。でも俺の言葉は理解してるようだし、言葉を忘れて獣になるのは踏みとどまったんだね」
先代達は言葉で世界を滅ぼした。相手を傷つける暴言。誹謗中傷。本音を隠した飾りの雑談。囁く陰口。皮肉と嘲笑。小さな声を潰す大きな声。
傷つけて、傷つけられ過ぎた先代達は、傷から学んで封印した。言葉を、声を、喋る行為を。
喋ってはいけない。喋れば再び悪いことが蔓延する。言葉は教科書の中だけ……教養の為に。
……教養の為の言葉なら、学んでいなければ、獣も同然なのだろうか。
思ってもみなかった終着点に肩が落ちる。
私は思考をやめてしまった時、獣になるのかな。
煮えるスープにスプーンを突っ込む。このまま冷めるのを待たなければ、私の喉は焼けて、喋れない人間になれるかな。
試しに唇を当てたスープは見た目ほど熱くなく、程よく飲めてしまったのだから、私の願いはことごとく叶わないのだ。
「火傷はしないよ。ここは腹を満たす場所だからね」
人の表情を読んだのか、ガイン先生は肩を揺らす。私は鼻から深く息を吐き、カウンター方面から聞こえた注文に耳が震えた。
「ここから、ここまで.......全部ください……」
「お、そんなに食べるのかい?」
「食べます……」
会話というものに鳥肌が立って頭痛を覚える。視線を向けると、制服に橙色のラインが入った女子生徒がいた。
背が高く体躯は細い。ショートパンツから伸びる両足は骨しかないのではないかと疑うレベルであり、黒いストッキングのせいで余計に細くなっている気がした。
爪を噛みながらカウンター前で待機する彼女は、くせ毛のセミロング。くすんだ赤茶色の髪は頭を重たく見せ、眼鏡をかけているのがなんとなく見えた。
人間っぽい。彼女はどんな世界から来たのか。マスクをつけていないから同じ世界ではないな。
少女から視線を外し、胸の中にはザラザラとした感覚が溜まる。オムライスを奥歯で噛むと、余計に息苦しさが増してしまった。
「はい、お待ち〜」
「どうも……」
眼鏡の彼女は山盛りの肉料理が乗ったお皿を両手に持ち、席に置く。しかもそれで終わることなく、料理はどんどん追加され、彼女の席は鮮やかに埋まった。
満漢全席とは言わないが、明らかに一人で食べきれる量ではない。
見入った私がスプーンを握っていると、彼女は肉汁滴るステーキにナイフとフォークを突き刺した。
先程まで爪を噛んでいた口が大きく開き、頬を限界まで膨らませて料理を詰め込む。料理のメインは肉、肉、肉。あとは少しの魚らしきものと、気持ちだけの野菜。
彼女は口元や手が汚れることなどお構い無しで、ただ食事にだけ没頭している。目の前の料理を骨の髄までしゃぶり、その薄い体に落とし込もうとしている。
「彼女は悪食、グルンのクラスの子だな。い〜い食べっぷりだ」
橙色は、悪食のグルン。
そのクラスに選ばれる適性を、細い彼女は獲得している。
記憶に焼き付く光景と共に、食堂には音が増えていく。他の生徒もバラバラとやって来る。足音が、衣擦れが、喋り声が広がっていく。
「ここが食堂」「すげぇな、やっぱ」「まだ夢見てる」「お腹すいた~」「違う色の子もいる……」「邪魔、退けて」「これなんて料理?」「アレルギーあるんだけど……」
雑音が多い。
雑音しかない。
この世界には、雑音ばかりが溢れている。
どうしてみんな喋るのさ。喋ったら誰かを傷つけるかもしれないよ。見えない傷を作るかもしれないよ。それを防ぐ為に、私達は喋る者を罰してきたっていうのに。
どうして、なんで、あぁ、あぁ……気持ち悪い。
喋らないで、喋らないで、喋るんじゃない。
スプーンを離した私はモーニングスターの袋を取る。チャックを開けた。先端のカバーも外した。
誰からやる。誰から黙らせる。黙らせなくては、いけないから。
「はいはいストップ、名無しのパンミーメ」
動きかけた私をガイン先生が掴む。
振り返った私は既に息が荒くなっていると自覚し、どうしようもない憤りを発散できないままとなった。
「
ニコニコ笑うガイン先生がモーニングスターを取り上げる。私の指先は勝手に震え、大きくなる雑音に耳を塞いだ。
「……可哀想な
深い紫色の瞳が細められる。そこに乗った色は軽蔑でも呆れでもなく、憐れむ色だ。
目を見てきた。人の動きを見てきた。そこから相手の意思を汲み取ってきた。だから分かる。ガイン先生は今、私を憐れんでいるのだと。
背中がまた、疼いた。
殴打の音が低く響く。
それは遠く、私の耳の奥で。
唇を噛み締めて、騒音の中で立ち上がる。美味しいと感じた食事を取るのをやめた。これ以上口を開けば吐き気が先にやってくる。
私がマスクをつけた時、隣からぬめりを帯びた声がした。
「それ、残すの……?」
視界に入ったのは、細く骨ばった指。
隣を見れば、先程まで肉に食らいついていた眼鏡の少女が立っていた。
私より頭二つ分は背が高い彼女。満漢全席は完食され、少女の腹部だけが異様に膨らんでいた。
「残すほど、貴方の胃はちっちゃいの……?」
彼女の声はか細く覇気がない。囁くような声色に私は鳥肌を立て、彼女に向かってオムライスのお皿を押し出した。
「小食、なんだね……」
俯き加減の顔に笑みが浮かぶ。
油で光る唇は薄く、弓なりに上がり、鋭い歯が微かに覗く。
その歯列が全て尖っていたから。
私の背中を寒気が撫でたから。
彼女を罰することができない私は、ガイン先生を残してその場を去った。
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