購買と店主

 午後の授業が始まった。


 教えられたのは、この世には数多の世界があるということ。


 各異界はあらゆる進化を遂げ、発展し、その世界特有の歴史を築いてきたのだとか。


 人間とか魔物とか異形とか、生態は様々で、ガイン先生が喋っている種族分類もパンデモニウムを基準としたものだ。


 時には幽霊や妖精と言ったものが主流の世界もあるし、私のような人間に分類される者が主力の世界もある。


 もちろん、人間が主流であっても歴史や進化は千差万別だというのだから、ここに自分の常識を持ち込むのは止めた方がいい。


「って、まぁ普通に馴染もうとする奴は思うけど。守護者ゲネシスになる子にそんな普通は求めてないんだよね」


 ガイン先生は午後も意気揚々と喋っている。内容を書いたプリントだけ渡してくれればいいのにどうして口を動かすのか。なんて考えることは諦めつつあるが、フラストレーションは変わらず溜まった。


「名無しちゃんは人間っていう大まかな枠に分類される子だね。他にも異形とか魔物とか妖精とか大分類が色々あるけど、生活してたらどうでもよくなってくるもんだよ。ここに集められるのはばかりだから」


 眼鏡をかけた女子生徒の歯並びを思い出して肩を竦める。私と似た見た目をしていても、あれだけ歯を鋭くしなければいけない世界に彼女は生まれたわけだ。私がマスクをつけているのと同じように。


「ねぇ名無しちゃん、君は自分の世界に帰りたいとわめかないね」


 ふと、授業中にティータイムが始まった。手品の如くガイン先生は上着からティーポットとティーカップ、ソーサーを出し、浮いたポットが飲み物を注ぐ。私の机と教卓それぞれに置かれたカップは、甘く優しい香りを湯気に乗せた。


 なんだろう、赤に金が混ざったような飲み物。香り的には紅茶かな。


「変わり者の子が選ばれるのは普通だけど、たまにホームシックになったり、理解が追いつかなくて泣いちゃう子とかいるんだよね。帰りたい帰りたいって。まぁそうなったら専属のカウンセラーが対応するんだけど」


 深い紫の瞳が問いかけてくる。元の世界に未練はないのかと。


 だから私は首を横に振った。特に迷うことなく、憂うこともなく。


 元の世界は静かだった。誰も喋らず、みんな必要最低限のコミュニケーションしかとらない。かつて存在した「雑談」を初めて見たのはこの世界で、だ。


 家族はいた。クラスメイトもいた。だがそれだけだ。私の未練に繋がる訳ではない。あの世界に戻りたい欲もない。


 何もないのだ、私には。こうしたい、あぁしたいという欲が、なにも。


 日々考えていたのは、今日の髪型どうしようか、くらいのこと。誰かが声を発した場合は罰する。脊髄反射の元で。それ以外は静寂に満ちた、ありきたりな日々しか過ごしていない。


 私は簪の飾りを触り、他にも髪飾りが欲しいと考えた。


「なら、君はどうして喋らないことに固執するんだい?」


 ガイン先生が軽やかにティーカップを上げる。乾杯の動作にも見えるが、それは木槌を打ち鳴らす前の裁判官とも見て取れた。


 私はマスクを撫で、眉間に皺を寄せながら口を晒す。紅茶っぽい香りをより鮮明に感じた。口にすれば仄かな甘みが鼻を抜け、喉から胃までが温まる。


「ここでは喋ることが許されているのに、君は口を閉ざしたままだ。声が出ない訳じゃないだろう?」


 先生は問いを重ねる。


 なぜ喋らないのか。喋ることを許されているのに。


 そんなの、今まで許されたことがないからですよ。


 喋ることは怖いこと、駄目なこと、悪いこと。


 喋ると怒られる、罰せられる理由を作る。罰してもいい奴だと周りに思われる。


『  』


 耳の奥で木霊する記憶が、私の身を固めた。


 両手で持っていたカップを、音を立ててソーサーに置く。


 膝の上にいるライラに腕を回し、滑らかな殻に額を寄せた。呼吸は徐々に浅くなり、背中に鈍い痛みが広がった。


 血と肉が混ざった音がする。鋭く風を切る音がする。


 噛まされた猿轡さるぐつわは、鉄の味がした。


 謝る言葉を知らなかった。許される方法を知らなかった。許されるためには、痛めつけられるしかなかった。


 だから私は喋らない。二度と、絶対、何があっても。


 そう決めた。決めたんだ。あの日、家族で公園に出かけた、幼い日に。


 ライラを抱き締めたままガイン先生を見上げる。優雅に喋る先生の目には、変わらぬ哀れみが乗っていた。


「焼けるような目だね」


 ***


 学園都市と言われるだけあって、パンデモニウムの設備は整っている。


 購買だと教えられた場所は立派な平屋の施設だし、グラウンドだと教えられた場所は数か所ある。敷地面積どうなってるんだろう。あのハチの巣の中だとは思えないんだけど。


 私はガイン先生から渡された財布を手に、購買の中をぶらついていた。「これで身の回りの物を買ってきたらいいよ」とお金を渡されたのだ。見たことない紙幣とコインだらけだったので一通り教わり、午後の授業は終了した。あまりにも自由過ぎる授業風景である。


 ガイン先生曰く、


『良い意味で予定が前倒しになって、時間に余裕があるんだよ。憤怒の守護者ゲネシス


 らしい。


 語尾の上がった返答を思い出し、ついでのような説明も再生された。


守護者ゲネシスってそれだけで箔のある地位だからね。選ばれたからにはそれなりのお金も出てくるさ。なにせ将来の先導者パラスを育ててくれる大事な存在なんだから!』


 などとおどけた笑みで言われて鳥肌が立った。そういう説明って全部紙面に書き出すだけでいいと思う。どうして喋るの。という概念が固着している私には不平不満しかないわけである。


 私は返されたモーニングスターを担ぎ直し、ライラを入れたウェストポーチにお小遣いも入れた。いるものは着替えと洗面用具と筆記具などなど……なんだけど。


 おかしい。


 この購買、曲がれば曲がるほど別のコーナーに出る。


 さっき隣の陳列棚は絆創膏や消毒液などの医療用品が置かれていたのに、次に覗くと本が並んでいる。おかしい。


 棚には商品説明がない。店内は壁や天井が淡く光っており、灰色のレンガ造りを妖しくするには十分だ。


 私は数秒前まで靴が並べられていた棚を覗いたが、そこにあったのは圧倒的に体格違いの衣類だった。おそらく人間用ではないな。


「お困りかな? 新入生」


 ふと背後から声をかけられ、反射的にモーニングスターを袋から出す。振り向きざまに鈍器を振ったところで微かな警鐘が脳内で鳴ったが、長年染みついた反射を塗り替えるなんてできなかった。


 喋る奴は罰しなさい。


 しかし、今の私は誰も殴らず、床を砕いただけだった。


「これはこれは、刺激的な新入生だ」


 微かにモーニングスターに煙が巻き付いている。白い煙だ。


 モーニングスターから隣へ視線をずらすと、白く大きな煙の溜まり場ができていた。


 かと思えば、煙はゆったりと形を成し、猫とたぬきをかけ合わせたような姿となる。


 大きな顔に三角の耳が二つ。尻尾は太く、毛はしなやか。足は八足、目は黄色。首には黒いリボンが巻かれ、金の鈴が小気味よく鳴った。


「よぉく見れば鞄持ち、噂の一番手だね。憤怒のライラ、その守護者ゲネシス不言の世界パンミーメから来たとガインから聞いているよ」


 猫だぬきが喋った。


 声帯どうなってるのとか、なんで言葉を操れるのとか、魔族ってやつかって疑問はさておき。


 ガイン先生というストッパーがいない私は、喋る存在に対して罰を与えよと、脊髄が命令を下した。


 獅子も殴った。化け物も殴った。だから猫だぬきも殴ろう。そうしないとフェアじゃない。


 相手の姿が私と違おうと、鳴き声ではなく、言葉を発している時点で罰の対象だから。


 私がモーニングスターを振り上げた瞬間、猫だぬきは煙のように消えてしまった。


「ライラの守護者ゲネシスは激しい子が多いが、君はなんだか匂いが違うね」


 嘲笑う声が耳元でする。肩には柔かな肉球の感触があり、白く太い尾が目の前を揺れた。


 床にいた猫だぬきが肩にいる。にやにやとした笑みを浮かべ、私の顔に頬ずりして。


「私はポワゾン・ポイズン・ポワゾナモ。愛を込めてポワポワと呼んでもらえると嬉しいねぇ」


 呼ばないが?


「おっとっと、可愛いレディが眉間に皺を刻むもんじゃないよ。伸ばしておこうねぇ」


 猫だぬき――ポワゾンの尻尾が私の眉間を上下に往復する。あまりの柔らかさに一瞬の眠気を感じつつ、私は軽く首を振った。肩ではケタケタとポワゾンが揺れ、くるりと宙に飛び上がる。


 重力を感じさせないポワゾンは私の目の高さに浮き、「それで?」と猫の目を三日月形に細めた。驚くのも疲れてきたよ。


「君は何が欲しくて購買へ? 私はここの店主も勤めているんだが」


 くるりくるりとポワゾンが宙を舞う。白い毛並みは店内の明かりを受けて滑らかに光り、金の鈴はちりんと鳴った。


 私は制服を指さしてから着替えの意味のジェスチャーを行なう。次に目元を軽く叩き、物を書く仕草もしてみた。しかしポワゾンは笑顔で首を傾げるだけだ。なんならその首は三百六十度回転して元の位置へ戻った。体の造り、謎すぎる。


「君は喋れないのかい?」


 問いには首を横に振る。


「ならば喋らない誓いでも立てているのかい?」


 その問いには間を置いた。


 誓いとか、そんなものではなく。私が喋らないのは「それが正しい」と掲げた世界で成長したからで……。


 何があっても喋らないと、自分で決めたのは、誓いを立てたことになるのだろうか。


 私は小さく首を傾げ、ポワゾンは「ふぅむ?」と意地悪そうに笑った。


 伝える手段を変更することにして、私はポワゾンの背中に指を立てる。さらさらと必要なものを書いていけば、猫だぬきはくすぐったそうに声を上げた。黙って。堪えて。


「分かった分かった、分かったよ。迷子のレディ。私を抱いて歩いてごらん」


 喋るポワゾンを渋々抱き、「まずは隣の棚へ」と誘導される。覗いてみると、先程までは本の棚だった場所に人間用の着替えが陳列されていた。


 少し、驚く。それは目を瞬かせてしまったことでポワゾンにも伝わったのだろう。猫だぬきは喉をゴロゴロと鳴らすので、私は白い顎を撫でてやった。


「うちの購買には迷子の森レストダストっていう魔術をかけていてね。見た目は平屋、中身は無限の商品の森。買いたい物に行きつけるかはお客の運次第なのさ」


 どうしてそんな造りにしたのさ。


 私が視線で訴えれば、ポワゾンは鼻と鈴を同時に鳴らした。


「これは私の趣味だよ。こっちの方が面白いだろう?」


 客からしたら頭が痛いだけだと思うけど。


 私は肩を下げて部屋着を物色し、宙でくるくるしているポワゾンは勝手に喋り続けた。頭が痛くなってきたな。薬もここで買えるといいんだけど。


「購買で私と出会えるのは幸運だよ。私は適当に散歩しているだけだからね。ラッキーアイテム的な私を殴ろうとするなんて、面白いったりゃありゃしない」


 喋ったからだよ、貴方が。


「しかも出会ったのが守護者ゲネシスとは、気分がいいね。だからオマケもあげようね」


 ポワゾンが私の肩に乗り、黄色い舌を覗かせる。そこには黒い紐の付いた金色の鈴があり、私は瞬きを繰り返した。


 ポワゾンは動かないし、私も動かない。暫く黄色の瞳と見つめ合っていれば、受け取れと言われている気がした。


 だから鈴を受け取ると、ポワゾンは機嫌良さそうに鼻を鳴らした。


「それは私を呼び出せる鈴だよ。迷った時は呼ぶといい。守護者ゲネシスの子には渡すようにしているんだ。君達は私達にとって、大事な子だからね」


 袖で鈴を拭く間、説明が耳を通して脳に入ってくる。嫌だな。


 私の気も知らないポワゾンは「特別だよ」とウィンクしたので、軽い会釈をしておいた。


 守護者ゲネシスとは便利な肩書きだ。私はライラを連れて歩いているだけで、守護者ゲネシスという自覚はない。それでもパンデモニウムにとっては守護者ゲネシスが大切で、学ばせ、育てることを重要視しているのだから、不思議だよな。


 その後は迷っていたのが嘘のように欲しい商品の棚へ案内され、無事に買い物をすることができた。予想以上に時間を食ってしまったが、次からはそんなこともないだろう。


 私は金色の鈴をウェストポーチに入れ、「またいらっしゃ~い」と尻尾を揺らすポワゾンに見送られた。

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