鑑定と属性

 私の夢に音はない。映像だけが流れている。


 かつて通っていた学校。誰も口を開かない教室。家に帰っても生活音だけが響き、食卓に座れば無言で手を合わせた。


 会話なんてない。喋ってはいけないから。


 喋り方なんて知らない。喋るなって教えられてきたから。


 この世界には声がない。ないからこそ、何処かで誰かが喋ればすぐに気づいてしまう。それは不純物と一緒だから。


 無音が良かった。喋らないでいて欲しかった。


 私が気づいてしまう距離で、喋らないで欲しかった。


 気づいたら罰を与えないといけない。


 気づいたのに罰を与えなければ、今度は私が罰を受ける側になってしまう。


 だから、どうか、お願いだから。


 誰も、喋らないで。


 鈍器が振り下ろされる音で、目が覚めた。


 昨日買ったワンピースタイプの部屋着は少しだけ汗を吸い、胸が深く上下する。


 起きた瞬間から頭が痛い。最悪。こんな日は目を開けずに過ごしていたいと思うけど、そんなことが許される訳ないから。


 私はポワゾンの店で買った頭痛薬を飲み、深呼吸してから制服に着替える。まだ朝の早い時間だ。食堂は混んでいなくて静かだろう。


 ショートパンツとニーハイも三日目にして慣れてしまった。ワイシャツは相変わらず肌触りがいいし、上着はいい感じだし。


 今日の髪型は、どうしようか。


 昨日ついでに買った新しい髪飾りたちを前に、私は髪に櫛を通した。


 ***


 今日は編み込みからの三つ編みスタイルに決定した。


 髪をゆっくり編んでいる間に頭痛は治まり、背中に一本の結い髪の出来上がり。ちょっとキツめに結ったからふわふわした雰囲気はなく、きっちりって感じの出来栄えだ。


 今日の髪型に満足して、人がまばらな食堂で出汁巻き卵と焼き魚の定食を注文した。


「やっぱり卵頼むんだ?」


 そうですが何か?


 シュシュさんに悪びれずお盆を受け取る。何も言わずに渡してくれたらいいのに。


 ぐるりと回った気持ち悪さを我慢して席に着き、灰色のマスクを外す。出汁巻き卵は黄緑と紫、土色が混ざっているが、昨日の食事のおかげで不安は少なかった。


 お箸で卵を一口大に切り、口に運ぶとじゅわりと出汁が広がった。噛むごとに溢れる出汁は唇を微かに濡らし、飲み込んだところで息を吐く。一口目からの満足感が凄い。昨日のオムライス同様に黒くふかふかに炊かれたご飯も粒立ってるし、骨の形が全く予想できない魚も油が乗り過ぎていなくて朝に合う。


 気づけばお皿は全て空になり、満足感とちょっとした寂しさにお腹を満たされた。美味しかった。他の生徒が来る前にさっさと去ろう。


 マスクをしてお盆を持った時、ひやりとした視線で背中を撫でられた。


 咄嗟にモーニングスターを抜いて振り返る。いくつかある出入り口の方。私を見ていた誰かを探す。


 しかし、私は誰も見つけられなかった。


 食堂には私しかおらず、音を立てているのは厨房の方だけ。何も殴らなかったモーニングスターを脱力気味に揺らせば、ウェストポーチにいるライラが揺れた気がした。


 ポーチを開けてライラを出すと、輝く少量の文字が鼻をかすめていく。


 〈今のはフィロルドね 相変わらず鋭い視せんの ゲ ね しすを ぉ……〉


 歪んだ文字はすぐに霧散する。欠伸の間に溢れた文章のようだ。


 私はライラの殻を撫で、もう一度だけ出入口方面に視線を向けた。


 フィロルド……っていうのは。


「野心のフィロルド。制服のラインは青のクラスだね。守護者ゲネシスと会ったの?」


 教室でガイン先生に筆談で問いかけると、彼はあっけらかんと教えてくれた。折角ポワゾンの購買で筆談用のホワイトボードを買ったのだから、筆談には筆談で返して欲しかった。そんな願いも叶わないんだなって、三日目にして若干諦めました。


 そっか、フィロルドは野心。青色。


 覚え直した私は、ガイン先生の質問に対して首を横に振る。誰にも会ってません。


 にこやかなガイン先生は指を弾いて小さな火花を出し、私の視線が自然と動く。その一瞬の隙にモーニングスターを没収されてしまった。畜生。


 上機嫌な先生の声は、こちらの耳を叩き続けた。


「それは残念! フィロルドの守護者ゲネシスも決まったらしいから、さっそく交流をしてくれたんだと思ったけど。相手に視察されただけって感じかな」


 あぁ、決まったんだ。


 陽気なガイン先生に適当な頷きを返す。「いや~今年はライラもフィロルドも早くて、幸先順調だね!」という言葉には吐き気を覚えた。喋るのをやめてくれ。


 私はホワイトボードを綺麗にする。新しい問いとして書いた文字は私が学んできた形をしているが、先生に見せれば意味を理解してくれるので、この世界の強い魔術が作用しているのだろう。不思議に思う感覚もなくなってきた。


守護者ゲネシスの決め方、ね。それは単純、各クラスでになるってだけだよ」


 ガイン先生が私を着席させ、机に金属製の板を置く。先生も上着から出した簡易的な椅子に座り、長く余っている足を組んだ。


 板は円形で、六芒星を描いた溝が彫られている。両手で持つ程度の大きさをした板に首を傾けると、先生は再び指を鳴らした。軽く火花が散る。危ない。やめて。うるさい。


 眉間に力が入る。喉を鳴らすガイン先生は私の鼻上から額にかけてを撫で、不快感が増した。


「はーい名無しちゃん、話聞きながらでいいからこの溝のどこかに指先置いてね~」


 聞きながらとか凄く嫌だ。


 なんて視線で訴えてもガイン先生には伝わらない。だから、しぶしぶ六芒星の頂点の一つに人差し指を置き、何をするのかと先生を見上げた。先生は私の背中を何度か叩き、触れられた所から微妙なぬくもりを感じる。なにしてるんだろう。


 同時に、私は指先から、水のようなものが流れ出る感覚を味わった。反射的に指を離そうとしたが、ガイン先生に柔く手を押さえつけられる。


「怖がらなくていいよ。今してるのは、名無しちゃんの魔力要素の鑑定さ。魔力は火・水・木・土・風・空に大きく分類されるんだ」


 私の指先から透明な水が流れ出ている。感覚だけだったそれは徐々に目視できるようになり、六芒星の溝を埋めていった。


「俺は見ての通り火が得意な魔族。二番目に得意なのは空。そうやって自分の得意分野を知ることで、俺達は成長するのさ」


 六芒星の溝が全て水で満たされ、淡く発光し始める。私は瞬きをせずに机上で起こる現象を見つめ、ガイン先生の言葉は続いた。


守護者ゲネシスの決め方だったね。魔術でも体術でも、知識でも運でも何でもいい。そこに属する候補者の中でトップになる。頂点に立つ。クラスにいる他の候補を黙らせる。守護者ゲネシスたるカリスマ性を発現させた子が、我ら先導者パラスを守護する者にふさわしいのさ」


 六芒星が赤に黄色の混ざった、美しい色で発光する。私は光源から視線を上げ、ガイン先生にマスクを軽くつつかれた。


「名無しちゃんは正しく、初日からクラス全員を黙らせた。君とは違う異形もいたし、君とは違う生活をしてきた武闘派だっていたのに。君は誰にも負けず、君が求める静寂の頂点に立ったのさ」


 両目に弧を描いたガイン先生は「鑑定結果も出たね」と私の手を離す。私は六芒星から指を離し、揺らめきながら発光するものを見下ろした。パンデモニウムに来てから、ずっと夢が覚めない心地がする。


「赤と、少しの黄色。第一属性は火、第二属性は土だね。火と土なら風の魔術も苦じゃないだろう。水と木、空は努力次第かな」


 機嫌の良いガイン先生は宙に火で文字を綴る。〈火〉と〈土〉と読める文字を確認した私は、自分の指先を撫でた。どこも怪我をした様子はない。何が出たんだろう、これ。


「ここに出てきたのは名無しちゃんの魔力そのもの。魔力ってのは体の中を循環しているからね、出やすいように俺がちょっと背中を押したってわけ」


 ガイン先生がウインクする。私は背中を叩かれたことを思い出し、自分の中に自分の知らないものが存在したことに身震いした。


「いいかい名無しちゃん。今までのライラの守護者ゲネシスは、ほとんど第一属性が火なんだ。君は生まれてから今日まで魔術だとか魔力だとかは感じずに生きてきただろうが、こうして、君の中には火と土の魔力が備わっていると示されてる」


 深い紫の瞳を輝かせ、ガイン先生の指は六芒星を指す。彼の純粋な瞳が伝えたいことを私は汲み取ったが、彼は相変わらず、言葉にして吐き出してしまった。


「君にはライラの守護者ゲネシスになる素質があった。この教室に君が出会ったことの無い存在がいても、迷うことなく、喋ることを断罪する為に君は武器を振るった。違和感や恐怖よりも先に、君は周りに教え込まれたを優先したんだ」


 ガイン先生は私のマスクをつつく。生まれた時から口を塞ぎ、つけることを普通とし、外すことを禁じられたマスクを笑う。


「分かるかな、言葉を殺した狂戦士ベルセルク。君は。許されないと教えられてきた行為を見た瞬間、君は、前に出ることができる。守りに徹さず、逃走する道を無視して」


 先生がモーニングスターを入れた袋を持ち上げる。出された銀色の武器は中学を卒業する時、学校から渡された物だ。身長や手足の長さ、性格や体力を考慮して、この武器ならばきちんと罰することができるだろうと判断された、卒業証書。


 ガイン先生は私の手にモーニングスターを乗せ、壊れ物を扱うようにウエストポーチを撫でた。そこでは、赤紫の卵が眠っている。


守護者ゲネシスとは、君みたいでないと困るんだ。普通では駄目。誰もが選ぶ道に流されていては何も守れない。君が君の道を敷き、他を圧倒し、敬服させるだけの異端性がいる」


 私はモーニングスターを膝に乗せ、ポーチからライラを出す。自分では動けない、生まれ変わった先導者パラス。まだ少しの時間しか起きていられない脆弱な憤怒。


 ライラを撫でた私に、ガイン先生は穏やかな声を聞かせるのだ。


「ライラを頼むよ、憤怒の守護者ゲネシス


 私は、先導者パラスを孵化させる守護者ゲネシス。単体では何もできない無垢な卵を抱えて、魔術を教わり、この世界の未来を作る……。


 ふと浮かんだ疑問の答えを求めて、ペンを取った手がホワイトボードに文字を綴る。それは、とても純粋な問いだった。


 〈ライラを何から守るんですか?〉


 疑問を読んだガイン先生が笑う。机に頬杖をついて、屈託なく、迷いなく。


 彼にホワイトボードとペンを差し出したが、先生が使ってくれることはなく、形のいい唇がさえずった。


「ライラを害するもの全て、さ」

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