自習と復習


 〈はい集中 まずは丸作って〉


 丸、丸、指先に丸。火の丸。


 〈それを維持する〉


 丸を維持、維持、そのまま。揺らいでいるけど丸のまま、そのまま。


 〈できたら次 宙に固定 火は掴めないとか固まらないとか 固定観念は捨てること〉


 固定、くっつける、インクみたいに。大丈夫、イメージしてた、大丈夫。宙は紙、火はインク。


 〈ゆっくり火を置いていく 置いていった分だけ丸に火を足して 指先を枯らさない〉


 置いて追加。指先の丸を小さくしない。置いていく。書いていく。ゆっくりでいい。大丈夫。


 〈なんだ 書けるじゃん〉


 水の文字がつるりと震えて蒸発する。私は目の前には〈イグニ〉の火文字が揺れており、額から微かに汗が滲んでいた。


 ユニの文字での指導の元、格闘すること約三十分。爆発しかけたり爆発しかけたり、爆発しかけたり。取り敢えず何度か爆発しかける毎に脳天に手刀を打ち込まれて今に至る。私では爆発する瞬間も分からないので、集中している所に受ける手刀の重さときたら。ユニ・ベドムに容赦はない。


 だがそのお陰もあり、私はなんとか宙に火を置くことが出来るようになった。まだまだ不安定な火なので少しすれば消えてしまうが、ちょっとだけ文字を書けるようになったのだ。


 そう、書けた。書けたのだ、私でも。私、ちゃんと、書けたのだ。


 吹き消されるようになくなった〈イグニ〉の文字に胸が踊る。体が軽くなる。マスクの中の口角が勝手に上がって仕方がない。


 振り返ってノアの方へ体を向ければ、灰色の人外は見るからに肩の力を抜いていた。


 私の体は勝手に両掌をノアに向ける。そのまま手を伸ばせば顔から緊張が解けていき、赤い爬虫類の瞳孔が細くなる瞬間を見た。


 動かないノアに、私の高揚感は消化不良になってしまう。だから鱗の両手を持ち上げて、掌をこちらに向け、強制的にハイタッチしておいた。軽い音は談話室に響き、ノアはそのまま動かない。


 私は何度かノアの掌に手を打ち合わせ、自分の魔力で文字を書けた事実を噛み締めた。


「イグニ!」


 ぺちぺちとノアを手を合わせていた私に影が差す。明るい声が炸裂する。


 若干の鳥肌を立てながら顔を上げると、宙で逆さになって浮いているフィオネがいた。桃色の少女は私に両手を差し出してくれたので、こちらも抵抗なくハイタッチした。


 逆さのフィオネの手が私の手首に絡む。細く白い指は私の腕を離さず、浮遊する少女の桃色は細められた。


 〈偉いわイグニ とっても素敵 好きよ〉


 風が私のマスクを撫でていく。輝く文字が私を褒めてくれる。


 だから私は妖精から手を離し、指先に集中したのだ。


 丸を作って、それを維持。ゆっくりでいい。大丈夫、大丈夫。火を宙に置いて、置いた分だけ指先に増やして。大丈夫、大丈夫。


 〈ありがとう〉


 書けた火の文字をフィオネに送る。少しの風で揺らいで消える火だけれど、妖精はきちんと読んでくれたらしい。


 桃色の瞳を確かに輝かせ、フィオネはソファの背凭れに腰かける。とろけそうな笑みを浮かべた少女は、ふわりと両手を広げてくれた。


 その行動に、少し驚く。こちらも両手を広げようと思考が回るには多少の時間がかかり、その間にフィオネも口角を上げて停止していた。


「あら、私……あらら?」


 手を戻したフィオネは両頬を手で挟んで首を傾ける。私も同じ方向へ傾ければ、桃色はソファの背を蹴ってメルの隣へ飛んでいった。


 ふわりと浮いて、すとんと落ちる。両頬を押さえたままの少女は斜め上を向いたり、メルを見たり、空になったお皿を見たりと落ち着きがなかった。


 メルはそんなフィオネの頭を撫でる。骨と皮だけの手はゆっくりと金と桃の髪を梳き、赤茶色の瞳をこちらへ向けた。


 〈よかったね イグニ おめでとう〉


 〈ありがとう〉


 うねる植物に火の文字を飛ばす。ぶつかって弾けた火の粉はメルの植物を燃やすことなく、宙で輝きを放っていた。


 〈イグニは声で教えられるより 書いて教えられる方が向いてるんだね〉


 切り裂かれた空が私に向く。何度か瞬きをして考えたが、私にとってはそれが普通というだけだ。


 〈声で教えられたことなんて 今まで ないから〉


 だからガイン先生の授業にちゃんと集中できたことはない。魔力のオンオフが可能になったのはノアと林で練習したからだ。今の火の文字だって、ユニが水文字ではなく声で教えていたならば、私は微塵も集中できなかっただろう。


 少し歪な火文字はすぐに消える。まだまだ安定の域は遠そうだ。文字数が増える敬語なんて書けたものではない。


 しかし湊はきちんと読んでくれたらしい。頷いた少年は緑の双眼をユニへと向けた。


 青みがかった白い瞳を見る。膝に頬杖をついたユニは、私と同じように指先に水を溜めて宙に綴った。


 〈操作ヘタなことに変わりないけどね〉


 〈文字での指導 ありがとう〉


 〈お礼とか気持ち悪いからやめてほしい〉


 〈ごめん〉


 さらさらと文字を綴るユニに対し、まだまだ私はぎこちない。それでも、ホワイトボードを使わなくても意思疎通が取れる現状に肩から力が抜けていた。


 〈先生達のことだけど〉


 視界の端で植物がうねりを見せる。メルの方へ顔を向けると、鋭い歯で爪を噛む少女がいた。


 〈あの人達 ライラが孵った時に喜んでた〉


 〈生徒が一人いなくなったことは気にも留めずにね〉


 〈そう しかも ノアが言ってた通り ライラは不完全だったのに〉


 宙を裂いた湊の文字をメルの植物が軽く叩く。赤茶の瞳と緑の双眼はノアへと向き、灰色の人外はゆっくりと砂を操った。


 〈不完全な孵化なんて 早すぎたんだ とか まだ生まれるべきではなかった とか マイナスなイメージのものだと思ったんだ〉


 〈でも教師の様子を見るに違うよね〉


 水が砂を食って意見を綴る。ノアは頷き、ユニは口角を下げて爪先を揺らしていた。


 私が眠っていた間、彼らは五人で色々と話したとフィオネが教えてくれた。その意見を再度整理するようなやり取りを私は凝視し、金色の風が舞った。


 〈先生達にとって 不完全な状態で生まれてこそ正しい だったかしら〉


 大きな桃色の瞳は二度ほど瞬きをする。宙に向けられた指先は美しく、完璧に上がっている口角は絵に描いたようだ。


 フィオネはくるりと指先を回し、風を操っている。


 〈でも それは私もおかしいと思うの 考えた ちゃんと考えて おかしいと思ったわ〉


 〈不完全な状態で生まれるなんて 失敗作だって捨てられるのが普通かなって〉


 メルが強めに爪を噛む。今日も顔色が優れない少女の体は細く、満漢全席を入れた腹部だけが微かに膨れていた。


 植物は〈失敗作〉の文字を歪めて潰れて、枯れていく。メルの目元には影が差し、その影を拭うようにフィオネが指を伸ばしていた。


 眼鏡のツルを越えて目元を撫でられたメル。そうすれば赤茶の少女は目を伏せて、フィオネに向かって微笑むのだ。


 フィオネは微かに指先を強張らせると、すぐに腕を引いて微笑み返していた。……。


 〈失敗ではなかった 不完全で成功だった〉


 ノアの砂が踊る。灰色の人外はマスクをつけた顎を撫で、砂は緩やかに形を変えた。


 〈なら 完全な状態にはいつなるんだ〉


 〈ここで意見は止まってる〉


 湊が切った宙を見て、私は指先を温める。視線の合った緑の双眼は私に意見を求めていると分かったから、私は思考を先導者パラスへと向けた。


 不形態の炎の魔人。魔力も存在自体も未成熟。それでも先生達は喜んでいた。生まれた先導者パラスに目を輝かせ、足元で潰れた生徒に、は、


 頭痛が額の裏を走る。咄嗟にこめかみを押さえると指先に汗がつき、鼓動が微かに早くなっていた。


 思い出すな、思い出すな。今思い出したってどうしようもない。過去は変えられない。私がしたことに変わりはない。思い出すな、思い出すな。


 でも、忘れるな。


 指先に熱が溜まる。彼を忘れていいはずないと自分の指を焦がして、熱量を上げて、ふと伸びた鱗の手には気付かないふりをした。


 これは私の問題だ。体の内側に残ったささくれが事ある毎に剥けていこうとも、それは私のせいだから。


 囚われるな。思考をやめるな。進むしかない。忘れないまま、進むんだ。


 私は空中に指先を向け、火を置いた。


 〈ガイン先生が言ってた 教師が何の為にいるのか〉


 紫色の髪が揺れる。いつも鎖で私の自由を奪う、憤怒の担任。


 〈先生達は ゲネシスを心身共に育てる為にいる 私達の内面を刺激し続けるのも仕事だって〉


 よくよく思い起こせば、ガイン先生はいつもそうだった。喋らないで欲しいとこちらが示しても喋り続け、私からモーニングスターも没収して。


 私の憤りを焚きつけるばかりの接し方が、全て先生の考えの元だったならば。毎日が先生の手の上で転がされていた日々だったならば。


 先生が育てた私の怒りが、不満が、ライラの殻を破ったのか。


 背中を冷たい汗が流れる。ゲラゲラと笑う魔物の姿が浮かんで、背後から顎を掴まれて、手足に巻き付く鎖の感触を思い出す。


 〈それはパラスが孵化する為には必要なこと ってことだよね〉


 私は顔を上げて、うねる植物を読む。メルに頷けば、私の指先に熱が溜まった。


 〈殻を破るのは第一段階 次の段階があると思う〉


 〈そういうことは授業してくれないんだよね モズ先生〉


 〈ヨドもだ 多分だけど 俺達に入れる知識を選択してる〉


 湊はナイフを回してソファに背中を預ける。ノアは口元を鱗の手で覆って斜め下を向いてしまった。


 少しだけ全員の文字の動きが止まる。その静寂のおかげで私の頭痛も引いていく中、首を傾けたのはフィオネだった。


 〈でも 悪いことをしているわけではないわよね? 先生達も 私達も だってリベール達が孵るのは 素敵なことだもの〉


 金の風が五人の守護者ゲネシスを撫でて同意を求める。


 私は首を縦に振りかけたが、しかし、どうしてだか、すぐに同意できなかった。


 そう、先導者パラスが孵るのは良いことだ。パンデモニウムではそれが一番に望まれている。誰もが顔を明るくして喜ぶ事項で、守護者ゲネシスだってその為に、いて。


『君が半殺しにしたクラスメイト達は守護者ゲネシス候補から脱落したからね。ランクでいえば守護者ゲネシスである君の舎弟であり、将来的にはライラの部下になる。好きに使うといいよ』


 あれ。


 先導者パラスが卵の場合、何もできないから守護者ゲネシスがいる。孵る為の感情や生まれるまでの守り人として。


 でも、完全に先導者パラスが生まれた時、そこに私達ゲネシスはいるのか。


 だって彼らは神様だ。神様の側近として守護者ゲネシスは傍にい続けたらいいのか?


 あれ。


 なんでこんなに、未来の姿が想像できないんだろう。


 先生の手の上で転がされる日々の中、私は自分の目標を忘れかけていた。火で文字を書きたいなんて自己本位な目標ではなく、守護者ゲネシスという立場から物事を考え始めていて。


 あれ。


 なんだろう、この感覚。


 自分の掌を見下ろして、腰後ろにいる炎の魔人を思い浮かべて。


 私、なんで、体温が引いていく感じがするんだろう。


【 あ、 】


 とつぜん体を重くした一音に鳥肌が立つ。


 私は少しだけ背中を曲げ、湊とメルから「うぅ」と呻きが漏れた。


 隣を見ると、酷く静かな横顔で天井を見つめるユニがいる。


 青みがかった白い瞳は意識的な瞬きをしたかと思うと、ソファから立ち上がってしまった。


 〈ユニ〉


 〈部屋戻る 一人で考える〉


 ノアの砂をユニの水が弾き返す。一人さっさと歩き去ってしまった守護者ゲネシスは、一体何を考えているのか。


 分からないまま、緩やかに、その日の話し合いは幕を閉じた。



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