殻と鎧


 かつてのパンデモニウムは小さく弱い魔族の国だった。規律や規則は一切ない。混沌に混沌を重ねて真っ黒になった国で、魔族は何にも縛られることなく暮らしていた。


 貧しかった訳ではない。暴力や魔術の衝突はあれど、自分達の国から出ることも特になく、緩やかな闇を極めていただけの国だ。


 対するエデンは聖なる都市。魔族が使う六属性にプラスし、光の魔力を生まれ持った者達の国。


 住んでいるのは妖精に天使、女神に聖騎士と、輝く資質を備えた者達。一歩入れば心が洗われ、常に晴れ渡った空に覆われているのがエデンだ。


 エデンに住む者達は混沌としたパンデモニウムを危惧していた。何故危惧したかと問われれば、自分達とは違うからに他ならない。


 自分達のように光の魔力を宿していない。

 あまりにも見目がおぞましい。

 規律も規則もない国など野蛮に違いない。


 あぁ、いつエデンに害を成すか、気が気でない。


 だからエデンは先手を打った。


 襲われる。その前に襲っておこう。

 倒される。その前に倒しておこう。


 そうすれば、不安の種がなくなるから。


 全ては輝くエデンの為に。エデンに住まう者達の為に。


 かもしれないを先導したのは六体の精霊。エデンの中でも光の魔力が強く、輝き、皆の目を焦がすほどに眩い存在。


 彼らには、それぞれに見合った称号が与えられていた。


 希望きぼうのプロトロ

 敬愛けいあいのピピス

 慈善じぜんのパーニャ

 克己こっきのペディリ

 正義せいぎのピダラ

 不屈ふくつのポルカ


 称号を与えられた六体は聖勇士アポストロと呼ばれた。膨大な魔力を放出しながら生きる彼らは、エデンの為に進行する。混沌の中で暮らしているだけのパンデモニウムに向かって。もしかしたらエデンの空を曇らせるかもしれないと考えて。


 灰色のパンデモニウムに白く輝く者達が攻め入った。


 パンデモニウムからすれば、何もしていない自分達が傷つけられる道理が分からなかった。何故生活しているだけで攻められるのか。どうして生きているだけで、責められるのか。


 分からないままパンデモニウムは崩されていった。弱い弱い魔物達だ。どれだけ魔術で応戦し、危害を加える気はないと訴え、やめてくれと懇願しても。我が身を守る進行は止められない。


 生きていてはいけないと叩きつけられる日々の中、衰弱していく魔物達。あと何日耐えられるのか。あとどれだけ耐えれば救われるのか。


 分からないまま血が流れた。命の火が消えていった。助けてくれの声に槍が向けられ、何もしないと手を挙げた者の頭が撃ち抜かれた。


 パンデモニウムは何もしていないのに。何かするかもしれないと思われたから、踏みつけられた。


 誰か助けて欲しい。誰かに救って欲しい。弱い自分達では駄目だから。自分達では勝てないから。誰か、誰か、あぁ誰か。


 願い始めた魔族の国に血が染みる。家が崩れた、森は枯れた、思い出は砕けた。残ったのは傷だらけの体。その身を小さくして、ただただ願うことだけを彼らは続けていた。


 六体の精霊は止まらない。魔力で揺らめく体を先頭に、エデンの戦士を引き連れて、終わりかけの国を荒らしていく。


 彼らの危惧はもうすぐ無くなる。魔族がいなくなれば、この世はエデンだけの、清らかなものになると信じているから。


 そんな、ある日。


 パンデモニウムの火が消えかけた、その時。


 〈面白いことをしているね〉


 どこからともなく現れた六つの揺らめき。

 夜空の果てに穴を開け、降り立った六体の魔人。


 彼らは聖勇士アポストロと対峙して、不形態の体から魔力を溢れさせた。


 水流の魔人はエデンの者を押し流し、豪風の魔人は壊れた街の欠片を弾丸にして撃ち出した。


 枝葉の魔人はあらゆる物をその身に取り込み、砂の魔人はヒビ割れた地面を奈落へ変える。


 大気の魔人はエデンの退路に亀裂を入れ、業火の魔人はどこまでも広がる炎で全てを焼いた。


 彼らは苛烈で、鮮烈で、その姿がパンデモニウムに火をつけた。立つための油を与えた。


〈魅力的な怒りを感じるわ〉


 どこからやって来たかも分からない魔人達に、頭を下げたのは自然の摂理。空っぽになりかけていた内側に希望の火が灯されたから。


 何者かは分からない。それでも自分達を救ってくれた。願いを聞き入れてくれた。弱い自分達を先導してくれた。その事実だけで十分だ。


 パンデモニウムにとって、魔人は正しく先導者。希望の光。救世主。


 だがしかし、エデンにとっては未知なる脅威。


 突然現れたかと思えば、聖勇士アポストロに匹敵する魔力で応戦してくる存在。口が無ければ体も無い。ただただ暴力的な魔力で周囲を食らい、パンデモニウムの魔族の心も焼いた、恐ろしい存在。


 誰がなんと言おうと彼らはエデンの害になる。弱い者達を鼓舞し、醜さを許し、薄闇に沈んでいたパンデモニウムを照らしたのだから。


 精霊と名も知らない魔人の攻防は昼夜問わず続いた。聖勇士アポストロから聞こえてくるのは神聖な宣誓であり、魔人が上げるのは宙を轟かせる生命の暴発だ。


 魔人はどんな時でも笑っていた。口がなく、声がなくとも、全身で。


 聖勇士アポストロの魔力が輝く時も、揺らぐ体が撃ち抜かれた時も、嬉々として折れなかった。


 その魔人の姿に魔族達は力を貰う。勝手に後を着いていく。自分達では切り開けなかった強固な道を魔人が示してくれたから。


 聖勇士アポストロは押されていた。何の障害もなく進んでいた自分達の前に立ちはだかった壁。どれだけ不形態の身を刻んでも、奴らは決して退かない。


 魔人達は腹の底から楽しげに聖勇士アポストロを追い出した。崩壊しかけたパンデモニウムから。


 歓喜に包まれた魔族の国。魔人を崇め称えたパンデモニウム。


 〈退屈しなさそうねぇ〉


 〈ここは暫く楽しいかもしれないわ〉


 〈なら次はここに居着いてみるか〉


 〈それもいいだろう〉


 魔人達は玩具で遊ぶようにパンデモニウムを整えた。


 守りがないから攻められる。だから壁を築いてみよう。周りから隔絶された空間に国を創ろう。


 でも狭苦しいのはつまらない。広々とした空が欲しい。だから天井を弄ってみよう。今日の天気は気ままに変わり、誰もに適した空間にしてみよう。


 魔人はパンデモニウムを整備した。溢れる魔力を使い、見たこともない魔術を駆使し、その身を滾らせながら。


「ありがとうございます」「ありがとうございます」「どんな感謝も足りないでしょう」「我らの守り神」「私達の神様」「道を作ってくださった先導者」


「パンデモニウムは、貴方達の為にあろう」


 強い光に焦がれた魔族達は何でも差し出した。食べ物も土地も、自分達の魔力でさえも。何故なら魔人は救ってくれたから。誰も聞いてくれなかった自分達の言葉を拾い、助けてくれたから。


 〈僕達 欲しいものがあるんだ〉


 魔人達は整備したパンデモニウムの中で唱えた。


 〈俺達に合った体が欲しい〉


 〈このままだと安定できないからぁ〉


 〈体をくれ 殻をくれ〉


 〈そうすれば もっと強くなれるから〉


 魔人の言葉を見て、パンデモニウムの魔族は我先にと体を差し出そうとした。自分の体を、いいや自分を。守ってみせよう、自分達を守ってくれた貴方達を。


 しかし魔人は肯定を示さなかった。魔族の体は魔人の存在に耐えられず、すぐに壊れてしまったから。


 〈もっと強い殻がいいわ〉


 〈僕らの舟を貸してあげるから 探してきてよ〉


 そうして貸し出されたのは、魔人を夜空の果てへ運んだ方舟。空を駆け、異界を繋ぐ一台の列車。


 魔族は車輪を回した。あらゆる異界を覗き、魔人が欲する素質を探し、連れてきては捧げる日々。


 〈資質はある しかしこれでは弱いな〉


 〈面倒ですし いっそ育てた方がいいでしょうね〉


 魔人達はパンデモニウムの階層を増やした。学び舎を作り、自分達の殻を育てる場所にしようと。


 それが未来を創ることになる。未来へ繋げる場所になる。魔族を守る魔人を、より強くする素材を育てる施設だから。


 学び舎の名前は、未来創造学園都市・パンデモニウム。


 しかしエデンも黙っていない。


 魔人がパンデモニウムを整備する間、どうすれば対抗できるかと策を練り、精霊は鎧を纏ったのだ。


 より強固に、より輝き、より高みを望める体を。その資質を宿した存在を。


 エデンの者を犠牲にすることはできない。精霊達は尊いエデンを加護しているのだから当たり前だ。


 精霊は魔人を連れてきた方舟を覚えていた。そこから着想を得て、魔術を練り、彼らも方舟に似た物を創り上げた。


 そうしてやはり異界を巡り、鎧になりうる存在に入り込んだ。自分達が倒すべきと考えている相手と同じ道を選んだのだ。


 魔人達は、自分に合うように育てた殻に入り、聖勇士アポストロと何度も衝突した。


 エデンをもしもから守ろうと鎧を纏った聖勇士アポストロ


 殻を纏ってパンデモニウムを守護する魔人。


 何度も何度も魔術をぶつけ、拮抗の上に平和が成り立っていたある日。


 聖勇士アポストロの鎧と魔人の殻が壊れてしまった。それぞれの寿命がきてしまったのだ。


 ぬるま湯の如き平穏に波紋が広がる。


 疲れた魔人達は卵となって魔力を溜めることにした。自分達が消えないように、安らかに。


 だから聖勇士アポストロも消えなかった。かの脅威が眠っているのだ。自分達だけが限界を迎えてなるものか。精霊達は種となり、芽吹く力を溜めた。


 〈卵の僕らは弱いから 守ってね〉


 魔人の言葉をパンデモニウムの誰もが周知した。自分達に国をくれた大事な先導者。彼らの為になる殻を見つけよう。育てよう。再び孵ることができるように、守らせよう。


 エデンも躍起になって鎧を育てた。神聖なる国を守り続けてくれた聖勇士アポストロを、早く自由にする為に。再び鎧を纏ってもらえるように。彼らに害を成すかもしれない魔族達は国を大きくし、強くなってしまったのだから。


 エデンもパンデモニウムも異界から鎧と殻を探し続けた。見つけては方舟に乗せて、大事に育てて神を託した。


 どうか、自分達を守ってくれる存在を、守ってくれと。彼らにあった外見になってくれと。


 争う両国は結果的に、同じ道を歩いている。


「魔人達はパラスと名乗った。だから俺達は先導者パラスと呼ぶのさ」


 ガイン・サイドベージの手が名もなき少女のマスクを撫でる。十二回目の停戦中。十三人目の憤怒の殻を、慈しんで。


 殻となる為に集められた子ども達。殻としての期間を伸ばすため、大人よりも先の長い年齢が選ばれた。生徒になれる子達が集められた。


「強い殻になって、この先のパンデモニウムを守ってね。我らが守護者ゲネシス


 ガインの言葉に生徒は誰も頷かない。動けない。


 彼らの足元、地面の下では、停戦の期間は終わったと示されている。


 先手を取ったのはエデンの聖勇士アポストロ


 聖なる国を守る為に、聖なる民を守る為に、悪事を働くかもしれない魔族を根絶やしに。


「大丈夫、何も怖くないよ。君達は栄誉ある存在なんだから」


 笑う教師の前で、殻となる道に立っている少女は、冷たい汗を浮かべていた。

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