動揺と予測不能


 魔術を使うに当たって、固有の魔術には名前がついているとガイン先生は教えてくれた。


「ポワゾンの購買にかかっている迷子の森レストダストがいい例だね。あれは空間を歪めて、魔力範囲内にいる者を使用者の意図によって迷わせる魔術だ。さて、では迷子の森レストダストは何属性の魔術になるでしょう」


 〈空〉


「はい正解! あれは空属性が得意な奴しか使えないから、名無しちゃんは多分無理なやつって覚えてね。逆に火に関する固有の魔術なら使えるようになっていくから安心しよう」


 先生の言葉をノートに書き写す。今日喋ることをまとめてプリントにしてくれてもいいんですよ。なんて、無駄な願いだ。


 社会基礎を終えた後、授業は固有魔術へ移行した。


 喋って教えられることに対する嫌悪感が消えたわけではない。吐き気はするし鳥肌も立つから嫌なんだけど、そこを強引に押し進めてくるのがガイン先生である。だからこっちも負けじと倒れず手を動かした。


「ユニ君のスピーカー、ノア君のヴェールが一般魔具。魔術の付加された道具で、魔力がある奴なら大体使える物だよ。属性は特に固定されてないから名無しちゃんも使えるかも」


 〈他三人は〉


「湊君の弓矢は空属性の奴しか使えない、使用者選定魔具。あれは名無しちゃんも俺も使えないタイプだよ。メルちゃんが選んだ鉈は魔具の中でも生態魔具って呼ばれるね。生き物の特性を付加された道具で、誰でも使えるけど、作るのは木か土属性じゃないと無理かな」


 〈フィオネのタラリアも使用者選定魔具ですか〉


「いや、あれはもっと高度。魔具というより魔術そのものといってもいい物だよ。あの紙の束自体が以心伝心タラリアの魔術で練り上げられてるから、風属性かつ相性もよくないと使えない」


 〈相性?〉


「そ、自分にとって書きやすいペン、読みやすい文体。触り心地がいいと感じる生地や、魔力を馴染ませやすい素材。何にでも自分にとっていい物ってのがあるからね。以心伝心タラリアっていう魔術に対して抵抗なく使用できる気概みたいなものがフィオネちゃんにはあったわけだ」


 〈今の話でいくと 私が買ったコロンは一般魔具ですか〉


「そうなるね。ただし耐火魔力を付与された物でもあるから、作れるのは火属性の奴に限られるかな。水中呼吸魔術を付与するなら水の奴が得意だし、土壌変化魔術なら土の奴が上手いし」


 〈私でも作れるんですか 耐火コロン〉


「慣れてきたら出来るかもね。魔力を原液に馴染ませたりする調合の知識がいるだろうけど、そこは頑張ろー!」


 元気がいいのか、馬鹿にしているのか。判断しかねるガイン先生の声と共に鐘が鳴る。「はい、授業おしまーい!」と手を叩いた先生に私は頭を下げ、机椅子が一つしかない教室に視線を投げた。


 がらんどうの教室にはいつも私とガイン先生だけだ。他の十一人は違う場所で、違う授業をして、違う寮にいて、違う生活を送っている。


 私はなんとなく息を吐き、机に置かれたガイン先生の指が視界に入った。


「寂しいかい?」


 ガイン先生が目を糸にして首を傾げる。私は別にの意思を示し、先生には軽く額を小突かれた。


「君が憤怒の元候補者達と仲が良くないのは把握してるよ。いや、正しくは向こう十一人が嫉妬してるのか。後任の教師にもちゃんと黙らせとけって伝えてはいるんだけどねー」


 〈私と彼らの普通が違ったんです〉


「その違いの中で我が道を進める者こそ守護者ゲネシスさ」


 ガイン先生の目が紫の色を微かに強める。先生はいつもそうだ。私が守護者ゲネシスであることが正しいと肯定している。魔術もろくに使えない物理の人間なのに。


 ふと、紫の瞳が鋭く廊下に向く。瞳孔を細めた先生に驚けば、「あーあ」と呆れたような声がした。


「名無しちゃーん、きちんと説明と弁解をするんだよ。青春万歳、先生は応援しよう。ただし不純異性交遊や身体欠損は無しにしてね。困るから」


 何を言っているか分からないんだが。


 私が首を傾げれば、荷物とモーニングスターが浮き上がる。と同時に、私の体も重力を忘れて浮いてしまった。


 ふわふわと不安定な状態に血の気が引く間もなく、開いた扉から廊下に放り出される。


 そこで急に重さを思い出した体は床に激突し、骨盤や腕が悲鳴を上げた。背後では音を立てて扉が閉められる。浮いて飛ばされ落とされるなんて、私は物か。フィオネではないのだ、空中浮遊の耐性なんてないぞ。


 痛い腰を擦りつつモーニングスターを握った時、上から影に覆われた。


 見る。


 真上から私を見下ろす、巨体を。


 完全に脱力した鱗の両手に、動かない狼の尾。


 影のせいで黒く見える肌と前髪の奥で、赤い爬虫類の目が瞳孔を開いていた。


 ノア。


 そこにいるのはノアだ。


 だが明らかにいつもと雰囲気が違う。


 腐葉土の香りが強くて、放つ空気が棘みたい。


 足が一瞬だけ力の入れ方を忘れたせいで、私は立つタイミングを失ってしまう。


 ほぼ真上から私を凝視するノアは、マスクの口元に鋭い爪を当てていた。


「どうして今日の昼は来てくれなかったんだ」


 ゾッと体に鳥肌が立つ。


「俺がしてほしいことを決めないから飽きたのか」


 低い声が地を這って、私の体を縫い留める。


「俺が人外だから怖くなったのか」


 宙を舞った砂粒が、私の両足首に絡みつく。


 しゃがんだノアは私と目線を合わせると、鱗の右手で私の左脹脛に触れた。


 また、鳥肌が立つ。


「足が無ければ、どこにも行かなくなるか」


 鱗の左手が、私の右膝を覆う。


「怖くても逃げられないようにすれば、いいか」


 ――折られる。


 そんな単語が脳裏を周り、私は突発的にノアの右手首を掴んだ。


 鱗の手は、私の足から離れない。


「大丈夫だよ」


 少しだけ柔らかくなった声がする。


 顔を上げると、目元を緩めたノアがいた。


「俺がいつでも、どこでも、抱えて運ぶから」


 ノアが笑う。


 私の足に痛みが走る。


 瞬間的に危機を感じた頭は魔力を解放し、両足が紫の炎に包まれた。


 ノアは咄嗟に手を離し、私はホワイトボードとマーカーを取る。


 〈連絡できてなくてごめん 昼は倒れた子がいたから運んでた〉


 走り書きをノアに向ける。私は両足を燃やしたまま、私を見て倒れた子がいたこと、フィオネとメルと一緒に保健室へ行ったこと、倒れた子の話を聞いていたことを綴った。


 足首の砂に微かな焦げがつき、出続ける魔力を止めるまで頭が回らない。


 ただ今は、ノアの不安を取るのが先だ。


 揺れる赤い目で笑う友達に、嫌なことをさせないのが、先決だ。


 ノアは走り書きの弁明を読み切り、廊下に腰を下ろす。私はちょっとだけ眩暈がした。


 〈怖くないよ〉


 書いて、伝えて、足の炎を消そうとする。しかし上手くいかなくて、魔力の蓋がどんどん開いていく。床は徐々に焦げ始め、私の眩暈は強くなるのだ。


「イグニ」


 いつもの凪いだ声が聞こえる。鱗の手に後頭部を支えられる。


 腐葉土の香りに包まれた時、私の足にノアの手が翳された。


 彼の鱗の隙間から流れ落ちるのは、薄茶の土。炎越しに感じるそれは冷たくて、私の足を覆っていった。


 ザラザラと、ザラザラと。重たく私の足にかけられる。私の火を消そうとする。


 〈大丈夫 イグニなら消せるさ 大丈夫〉


 砂が私に言葉を伝える。それがいつも通りのノアだから、私は自分の足にだけ集中することにした。


 流れ続ける魔力の蛇口を、一つ一つ閉めていくイメージ。後押しするようにノアの土が私の足を重たくしてくれる。


 消して、消して、消火して。


 私の足から炎が消えた時、ノアの手がこめかみの汗を拭ってくれた。


 〈お疲れ様 怖がらせてごめん 保健室に行こう〉


 砂を読んで、倦怠感で目を閉じる。暗い視界でしっかりとした両腕に抱き上げられたと感じ、体からは完全に力が抜けた。これは、寝るやつ。


 私の意識がほどけ始めた頃、ノアの声が聞こえた気がした。


「……嫌われたわけじゃなくて、よかった」


 ***


 目が覚めると保健室の天井があった。この起き方をするのはもう何度目かも分からないし、未だに慣れたものではない。


 顔を横に向けると、腕を組んだノアが椅子に座っていた。瞼を閉じて腕を組んでいる姿は迫力があり、ゆっくり開いた目には赤い光が宿っている。


 私の方へ顔を動かしたノアは、ふわりと目元を和らげてくれた。細かい砂粒が宙を舞う。


 〈おはよう よかった 目が覚めて〉


 頷いて起き上がった私は息を吐く。ベッドから下ろした両足はもう燃えておらず、ニーハイもショートブーツも無事だった。やはり耐火コロンにしたのは正解だったな。


 ノアは体ごと私の正面へ移動させると、少しだけ眉を下げた笑みで首を傾けた。


 〈怖がらせてごめん ちゃんと理由を教えてくれてありがとう〉


 私は首を横に振る。ホワイトボードを出しかけた手は少し考え、ノアの鱗の手を取った。


 〈平気だよ 私こそ 何も伝えてなくてごめんね〉


 赤い目が緩んでいく。首を横に振ったノアは私の手首を軽く爪で叩いた。意図が分かった私は掌を上に向け、ノアが爪を置く。


 時折私がするように手の甲を片手で支えて、もう片方の手で文字を書こうとする仕草。鋭い爪は微かに皮膚を押し、そのまま動かなくなった。


 顔を上げると、ノアはじっと私の手を見下ろしている。微動だにしない友人は何を考えているのか読み取れず、狼の尾が彼自身の足をきつく締め上げていた。


 私の前で砂が動く。


 〈倒れた生徒は無事だった?〉


 手を離さないままノアは砂で問いかける。私は首を動かし、肯定の意を示した。すぐに砂は次の問いを綴る。


 〈なんで倒れたんだろうな〉


 答える為に私はノアの手を取り直した。大きな手はすんなり私を離して文字を書かせてくれる。


 〈私が怖がらせたみたい 暴君だから〉


 〈イグニは怖くないさ〉


 ノアが肩を竦めて柔らかな空気を放つから、私は眉を下げて笑みを作る。脳裏ではギアロの声が木霊して、視線はノアの手に落ちた。


 視界に入り込んだ砂は滑らかに文字を作る。


 〈倒れたのはなんて生徒?〉


 〈ギアロ ノアの元クラスメイトだったよ〉


 制服の赤いラインを思い出す。


 元々同じクラスだったなら少しくらい交流してたんじゃないかな。ノアは一人で過ごしてそうだけど、周りのことはよく見ている人外さんだ。


 顔を上げる。


 そこには、じっと私を見つめる友人がいた。


 〈ギアロ・ジレ・ナグマホーン〉


 砂がギアロの名を形作る。私は自然と首を縦に振り、ノアの目がじわじわと細くなった。


 〈わかった〉


 立ち上がったノアは私の頭に大きな手を乗せ、少し撫でていく。その熱が離れたと思った時には既に、友人は保健室から立ち去っていた。


 ベッドと室内を区切るカーテンの中、僅かに残った腐葉土の香り。


 私はマスクを押さえ、心臓の下辺りがざわめく感覚を抱いていた。


 ノアの目、あの目は何を考えてた? 赤い目、爬虫類の目、虚栄のアデル。ノアは虚栄のクラスのトップに立ってる。ギアロは何かの要素に置いて、ノアに負けた元候補者。帰ることを願ってしまった一人の生徒。


 こめかみから冷や汗が流れる。白銀のユニの言葉が脳裏に浮かぶ。


『 猫の中には化け物がいた 』


 弾かれるようにベッドから下りてカーテンを開けた時、立っていたのは桃色の瞳だった。


「イグニ! ここにいたのね! 寮に帰ってこないからもしかしてと思ったの!」


 軽く浮いた妖精少女、フィオネ。彼女は満面の笑みで私の手を取り、金と桃のグラデーションがかったおさげを揺らすのだ。


「あのね、スー先生から第二階層へ行く許可を貰って来たの! だから一緒にお買い物へ行かない? 私、ギアロがもっと呼吸しやすくなるような物を探しに行きたいって思ったの」


 眉を八の字に下げてフィオネが笑う。床に爪先を着いた少女は、汚れの無い目でこちらを見上げていた。


 それはたぶん、フィオネなりの心配。お節介とも取れる行動。彼女の純粋な信仰が起こさせる慈善事業。すぐに喋ってしまう彼女だけど、その心根はいつも澄んでいるのだ。近づきすぎればこちらが呑まれそうな程に、キラキラと。そうなる世界で育ったから。


 私はフィオネの背後に目を向ける。そこにはメルも立っており、赤茶の少女は保健室の出入口の方を見ていた。


 フィオネの手から抜けてメルの袖を掴む。丸い眼鏡のレンズに私が反射し、赤茶の瞳は伏せられた。


「イグニは……きっと、悪くないよ」


 細い細い、骨と皮だけの手が私の頭を撫でる。そこには鱗の手の温もりが残っていたから、私は体温が引いたのだ。


 足先から冷えていく。靴下越しに感じる床の冷たさが、私をじわじわ浸食する。


 凍えそうな私の足は、ノアを追いかけることができなかった。

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