手作りと体づくり

名無しちゃん視点に戻ります。

――――――――――――――――――――――


 ごめんなさいと言いましょう。


 それは小学校に上がり、初めて死刑囚の動画を見た時に教えられた。


 喋ってしまってごめんなさい。悪いことをしてごめんなさい。規則を破ってごめんなさい。


 そう言えば許される。あと一歩で死が迫る瞬間において、二度と喋らない誓いとして「ごめんなさい」を口にすれば、命が消えることはない。


 小学三年生だった私が思ったのは、ただ一つ。


 もっと早く教えて欲しかった。


 そうすれば、こんなに背中が痛まなくてよかったと思ったから。


 あぁ、でも、駄目か。


 あれは罰であり教育だった。私の背中に振り下ろされた痛みは「ごめんなさい」と言っても止まらなかった。殺す気はなかったのだろうから。


 ごめんなさい。


 それがパンデモニウムでは簡単に口にできる言葉だと知ったのは、マスクをしていない自分に混乱して、ノアに初めて会った日だ。


 初めてごめんなさいを聞いたのは、ガイン先生の声である。


『ごめん名無しちゃん、そんなにマスクが大事だとは正直思ってなかった』


 ポワゾンの購買にやって来たガイン先生は、謝った。紙で書くこともジェスチャーで示すことも普段からしない相手だ。一番最初に使うのが口であるのは分かりきっていたことである。


 私に投下された謝罪は、あまりにも簡単で、あまりにも易々としていたから。本当にマスクが重要視されていないって理解したから。ポワゾンと先生の会話に、感情を揺らすこともなかった。


 ここはパンデモニウム。私の常識は、非常識。だからあの場で怒ることも、愕然とすることも、違うのだ。相手の言葉の重みと、私が感じる重みが違うだけ。誰にも伝わらない私の認識。


 だからいいんだよ、フィオネ。書くより、ジェスチャーより、貴方達は口にするのが普通なんだろ。私の普通が通じないなんて、パンデモニウムでは茶飯事だ。


 ごめんなさい。


 すぐにそう告げる少女だから、貴方に裏側が見えないから、私の棘は溶かされてしまうんだ。


 まぁ、湊に関してはどうしてやろうかと思うけど。アイツは確実に覚えたての方式を使っているだけの子どもだ。大事なところに取っておけと一発殴ればよかったかな。


 メルの能力の上澄み部分を質問し、認識のズレがあった表現について説明した後、私はやっと部屋に戻ることができた。


 メルが作ってくれた夜食を少し貰ってベッドサイドの机に置く。マスクを外して椅子に腰掛けると、肉と香辛料の香りが鼻をついた。メルは本当に、料理の腕だけは確かなんだよな。


 薄く緑がかった肉が一口大にカットされ、添え物としてマカロニみたいな形をした赤い野菜と、しんなりと黄色い葉野菜が盛り付けられている。黒いご飯で握られたおにぎりのデカさはメルの手の大きさ故だろう。昔話かな。


 私はキッチンでお湯を沸かし、フィオネにオススメされたスープを作る。固形の素をマグカップに入れてお湯を注ぐと、ほろほろと崩れて中に詰まっていた具材が浮かんだ。花形のお麩みたいだ。


 フォークとスプーンを指に挟み、マグを持って席に着く。息を何度か吹きかけてから飲んだスープはコンソメよりも柔らかく、内臓に優しい味をしていた。確かに美味しい。花弁はやはりお麩に近く、噛むとスープの味が染み出して頬から力が抜けた。


 食事をする準備を胃に整えさせ、いざ、味も触感も正体も分からない料理へ。


 マカロニを口に入れると、お餅のような弾力に驚いた。噛むごとにほのかな甘さが染み出して、ドレッシングの軽い酸味とよく合う。疲れた体に優しい味は次を次をと求めさせ、弾力のおかげで満腹中枢も刺激された。


 見た目的には腐ってそうな色合いの肉もまた美味だった。外はパリッと焼かれているのに、中は歯が沈み込むほど柔らかい。でも柔らかすぎるわけでもなく、しっかり噛み切れるのだから顎が永遠と動いた。肉汁が溢れて身と混ざれば飲み込むのが惜しくなり、嚥下すれば自然と息を吐いてしまう。美味しい。


 葉野菜に肉を乗せて一緒に頬張れば、野菜が肉汁を吸って甘さが増した。触感も肉と野菜の別物の柔らかさが混ざり、小気味いい音と共に香辛料の香りが鼻を抜ける。メルは料理人を目指したらいい気がしてきた。


 口がしっかりとした味で満たされる。そのタイミングでおにぎりを食べると、いい塩梅で口内がリセットされた。主張していた肉や野菜がお米に整えられて、次を食べても飽きがこない感じ。どうしよう、美味しいがずっと続く。


 スープとおにぎりで時々休憩を挟みつつ、肉と野菜の美味しさに頬が緩む。あの目が四つあった魚もきっと美味しいんだろうな。次の食堂のテイクアウトは魚系の物が選べたらそれにしよう。


 もしくは、メルが作っていたら少し貰ってもいいかもしれない。相手が押し付けてくるより先にこちらの許容量を伝えておけばお互いにwinwinではなかろうか。なんて。


 お皿を空にして、最後のスープをゆっくり味わう。


 疲れた耳は料理の咀嚼音で労われ、体は糸を解くように力が抜けた。


 美味しかった。


 ふわふわとした足取りで食器を洗い、歯を磨きながらメルにお礼を伝えると決めておく。どうすれば騒がれずにお礼を伝えて終われるか、というのは明日の私に任せよう。


 部屋の電気を消す。ベッドに倒れ込んだ体は完全に脱力し、布団に包まれることで睡魔が一気に押し寄せた。


 とろとろと溶ける思考に身を委ね、私の意識は薄れていく。今日は疲れた、長かった。この疲労は、初日に次ぐレベルかもしれないな。


 意識を手放した私は、やっと静寂に帰ることができた。


 ***


「名無しちゃん、その様子だと娯楽エリアの灼熱地帯に行けたんだよね? 吐いたりしてない?」


 翌日からも容赦なく再開された体づくりの授業。私は朝から自分にコロンを浴びせ、制服のまま炎の海に立っていた。


 ガイン先生は業火の海も何のその。涼しい顔で私の横に立ち、足元の火を踏んでいる。口で問いかけてくる紫の教師に対し、私の機嫌は今日も地を這った。


 灼熱地帯に行けたことをジャスチャーで肯定すれば、ガイン先生の顔が笑みを深める。……やな予感。


「あそこを歩けたなら成長だ。服も靴も燃えないようにしたし、モーニングスターも強化したし」


 火の海が熱量を上げる。脹脛くらいの高さだった業火は私の胸下まで燃え上がり、反射的な恐怖に呼吸が乱れた。


 火の海に足を浸けることができても、まだ泳ぐことは、ッ


 その一瞬の弱さをガイン先生は許さない。


 私の腕を掴み、逃げかけた足の甲を踏み、汗一つかかない顔で見下ろしてくる。


 深い紫の双眼は、確かに私を射抜いていた。


「逃げちゃ駄目だよ名無しちゃん。君は守護者ゲネシス、憤怒のライラを任せてるんだ。この程度の火なら遊べないと」


 こめかみから汗が流れる。焼かれないと自分に対して唱え続けるけど、熱い空気がマスク越しに肺を圧迫することに変わりはない。


 落ち着け、落ち着け、落ち着いて。


 逃げては駄目だ。ここにいろ。火の中で立て。私は火を使う、守護者ゲネシスだから。


 肌は焦げない、服も燃えない。汗をかいても不快にならない加工もしてもらった。火の中でこそ快適を感じられるよう上着も靴も弄ってもらった。


 大丈夫、大丈夫、大丈夫。耐えていよう。ライラの為に。彼女を孵化させる為に。その先で、私は名前を貰えるから。私がここにいる理由を、生きる意味を、ライラがくれるから。


 ガイン先生の口角が、弓なりに上がった。


「それでは次の段階だ。名無しちゃん、この海を自分の火で打ち消してごらんよ」


 紫の瞳に炎の明かりが反射する。赤々と燃える炎には微かな青も混ざり始め、私の手からは緊張の火の粉がこぼれた。


 ガイン先生が私の火の粉へ視線を向ける。先生とは色が違う、私の火。紫の火種。


 荒れる火の海で、少しだけ先生の目が細くなる。


「勝つんだよ、名無しちゃん。君は守護者ゲネシス、君を育てる俺にはいつか勝たないといけない」


 私の全身に鳥肌が立つ。踏まれた足の甲に体重がかけられる。


「俺達は守護者ゲネシスを導き、君達は先導者パラスを守るんだ。孵化させる為に、パンデモニウムの為に」


 掴まれた腕に小さな痛みが走る。血管が圧迫されている。


「強くなろうね、名無しちゃん。紫の炎を宿した、憤怒の守護者ゲネシス


 熱い空気が肺を焼く。私の視界が一瞬眩む。それでもガイン先生の腕は倒れることを許さず、私に魔力の放出をせっつくのだ。


「今の君は、全力で魔力を出しても俺には勝てないだろうけど」


 だからこそ「やれ」と先生の目が語っている。


 逃げる道はどこにも無い。私は指示されたことを習得しなければならない。だって、守護者ゲネシスだから。


 顔をうだる汗と共に、私は火力を上げる。


 揺らめく赤もほとばしる青も煩わしくて、頭の上から降ってくる先生の声にも虫唾が走って。


 強くなるなんて、私はとっくに決めている。先生に言われなくたって、目指してる。


 乾く目を意地で開いて先生に眼光を向ければ、恍惚と笑う教師がそこにいた。


 その口が、喉が、焼けてしまえば静かになるのに。


 魔力が出せる箇所を全て開けるイメージが浮かぶ。


 足も腕も胴体も火を纏え。

 火炎で作れ、静寂を。

 恋しい静けさまでの道を開けろ。


 その先で、私はここにいる意味を与えられる。


 全身から紫炎が爆ぜる。私の視界が白く染まる。想像以上の衝撃で、反射で瞼を一度閉じる。


 次に目を開けると、柔らかく白い天蓋が飛び込んできた。


「あ、おはよー名無しちゃん」


 私を覗き込むのは変わりないガイン先生。私の意識には疑問符が浮かび、読めない笑みを浮かべた先生は笑っていた。


「名無しちゃん全身から魔力出して爆発させちゃったんだよ。海を消す前に君自身が消し炭になるところだったんだから、もっとちゃんと制御できるようになりましょー」


 動くと痛む額を先生の細い指で押される。


 私は口元につけられたままのマスクを撫でて、脱力しながら目を閉じた。


 ……先は、長いなぁ。


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