『メインヒロイン』

 1


 準備は万端だ。


 三次への準備は万端。音論の練習時間も確保できたし、カラオケで特訓も出来た。


 満足な練習時間を確保できたとは言えないが、そんなことは言い出したらキリがない。


 場所は都内ライブハウス。僕の最寄駅から電車で二駅なので、遅刻の心配はない——が、なるべく早く目的地に着いていても問題はないので、三次審査開始は午後二時からだけど、早めに出発することになった。


 現在は朝八時。こんなに早く起きる必要はないはずなのだが、しかし姉さんがノリノリで僕のヘアスタイルと音論のヘアスタイルをセットすると言い出し、じゃあせっかくなので——と。早起きすることになった。


 音論が来るまであと三十分。僕のセットはそれまでに完了させるつもりらしい。


「んじゃ葉集。髪セットするけど、奇抜にする?」


「やめて。奇抜にしないでお願いだから」


「えー。あたしはロック丸出しのヘアスタイルにしたいんだけど」


「我慢してくれよそれは。てか僕が歌うわけじゃないんだし、目立つ必要ないだろ」


「いや、あの付き添いタダモノじゃねえな、って思わせたら勝ちじゃない?」


「歌で勝てなきゃ負けだろ」


「それもそうか。あーあ残念」


 残念がられても困る。残念なコンディションで僕のヘアセットをされると不安になる。


「はい完成」


 が、その心配は杞憂に終わって、普通にセットされた。


「ありがとう姉さん」


「あいよー。これくらいが姉として、大人の階段を登ったあんたにしてあげられる、唯一のことだからね、あはは!」


「誤解だからそれ!」


 雨の日のお泊まり。翌日、僕と音論は同じベッドで目を覚ましたのだが、起きたのは昼過ぎ。同じベッドで寝たまま僕も音論も昼過ぎまで爆睡し、酔いが覚めていないぐでんぐでんの姉さんに発見されて以降、ずっと誤解が解けない。


「音論も言ってただろ。間違えた、って」


「なにをどう間違えたのかなあ????」


「入るべき布団だろ。それ以外になにがあるんだよ」


 寝ぼけてトイレ行って、寝ぼけて戻ったから——と。音論は言っていた。きっとそんなこともあるだろう。なぜパーカーを脱いで、丁寧に布団の上に置いていたのかは、追求したくてもできなかったのでわからない(本当に謎だ)。


 あと貸した半ズボンをわざわざ持ち帰って洗濯して返してくれたこともよくわかっていない。なぜか半ズボンだけ持ち帰ったんだよな、あの日。


「はいはい、照れない照れない。お姉ちゃんは弟がなにしていようと、避妊してれば文句言わないから安心しな」


「だからしてないからな!?」


「してないの避妊!?」


「そっちじゃねえよ!」


 なにを言っても信じてもらえない。


 姉からこんなにも信用されないと、地味にへこむ。


 一体どう説明すれば、この誤解は解けるのだろうか。誰か教えて欲しい。ゆる募。


 まあ、こんなこと言っても誰も教えてくれないんだが。


「はあ……姉さん、僕ならまだいいけど、音論をそうやってイジるなよな」


「わかってるし。女の子はそういうところデリケートなんだから、あんたと同じように扱うわけないじゃん」


 僕差別な発言だが、今のところはそれで妥協しよう。


 そんな話をしていたら、スマホが震えた。


 どうやら音論が到着したらしい。


 鍵開けてあるから入ってくれ——そう送信すると、すぐに既読が付き、玄関の開く音が聞こえた。


「お邪魔しまーす!」


 朝から元気な声だ。この声を聞く限り、コンディションは良いと見て間違いあるまい。


「ほいいらっしゃーい音論ちゃん。早速ここに着席!」


 クシ、ドライヤー、ヘアアイロン、ワックス、ヘアスプレー。


 姉さんが今日のセットのために、ちゃっかりショッピングモール行った時に購入していたものである。


 僕に使用したのはワックスだけなので、早く使いたくてウズウズしているのがよくわかる。


 僕と入れ替わりに着席した音論と、おはようの挨拶を交わし、僕はキッチンへ向かった。


「姉さんがセットしてる間に、軽食でも作るか」


 僕も姉さんも朝ごはんまだだし。


 ということで軽食を作った。おにぎりと味噌汁。


 具は、すぐに用意できるツナマヨ、チーズおかか、あと余っていたベーコンにチューブ入りの背脂マシマシ調味料を塗って巻いたやつ(これ美味いやつ)。


 作ったおにぎりを持って、リビングに戻る。


 まだヘアセットは続いていたので、先におにぎりと味噌汁で食事を済ませるとしよう。


「あ、おにぎり食ってるし! なにそれあたしにも!」


 静かに食ってたのにバレた。


「姉さん両手塞がってるし、終わってから食ってくれ」


 そう言った僕は、音論におにぎりと味噌汁を運ぶため立ち上がった。


 リビングに姿見を置いて、その前に椅子を設置しただけの即席セット環境なので、当然テーブルはない。


 なのでまず、余っていた椅子を音論の斜め前に設置してから、おにぎりと味噌汁を置く。


「ありがとう、葉集くん」


「よく噛んで食えよ」


「うん!」


 返事をした音論は、いただきますと言ってからおにぎりを頬張る。幸せそうにおにぎりを頬張る。


 その様子を見て、僕はバスルームに向かいタオルを持ってきた。


 タオルを音論の膝に掛ける。


「こぼしてもいいようにな」


「あ……ありがと」


 こぼしてもいいように——というより、音論の今日の服装がなかなか短いスカートの白いワンピースなので、姿見に映る音論からめっちゃ見えそうなのだ。


 白いワンピースに、ベージュ色の薄手ジャケット。


 そして生足。朝の生足は僕には刺激的すぎた。


 そんな様子をニヤニヤした姉さんに見られて、異様に恥ずかしくなり、僕は元の場所——ローションど真ん中のテーブルに戻る。


「ほい、かんせーい!」


 だいたい二十分くらいしてから、姉さんは言った。


 やり切った姉さんの言葉。汗を拭うみたいな仕草をしているが、汗なんてかいていない。だってクーラーキンキンだ。


「う、うわあ……葉恋お姉さん、ありがとうございます!」


「うっひひ、音論ちゃんめっちゃ可愛いよ、可愛いよ音論ちゃん」


「葉恋お姉さんがやってくれたからですよ……えへへ」


「ほら葉集はどうなのさ。この音論ちゃんを見て、なにも言葉がないのだとしたら、あんたは男じゃねえぞ!?」


 急に振られても困る。なにも言葉がないというか、なにも言葉が出てこない。


「マジ超似合ってる」


 お前本当に作詞かよ、ってレベルの感想になってしまった。なんか地味に恥ずかしい。


「あ、ありがとう、葉集くんもマジ超格好いいよ!」


「僕の低次元の感想を参考にしないで」


 セットを終えた姉さんは、速攻で手を洗っておにぎりを食っている。


 部屋の時計で時間を確認すると、まだ九時半を過ぎたばかりだ。


 時間には余裕がある。けれど、その余裕を無くすくらいに、都内の鉄道は事故で止まったりするから、なるべく早く出ておいても損はない。


「んじゃ、少しゆっくりして、十時過ぎたくらいに出発するか」


「うん!」


 いささか早すぎる気もするが、まあ都内ならば時間を潰せる場所はたくさんあるし、問題あるまい。


「そいじゃ駅まではあたし車出すよ。そのまま出かけるから丁度いいし」


「姉さんもどっか行くのか? 珍しいな」


「ちょっと海を見にね。次作で海を舞台にしようとしてて、じゃあまず海を見に行くか、ってね」


「どこの海?」


「んー。茨城だと遠過ぎるし、ドライブ込みで千葉かなあ」


「決まってねえのかよ」


「気ままにドライブして、ついでに海を見るくらいのテンションだからね」


 アバウトな計画。さすが計画性のない姉だ。


 あと海を舞台にした官能小説ってどんなストーリーを構想しているのか、そこのところ絶妙に気になるけれど、残念ながら聞く気にはなれない。


「とりあえずあたしも着替えよ」


 そう言った姉さんだったけれど、姉さんの着替えはショートパンツを穿くだけで終わった。


 まったく。必要最低限だけで、無駄なことに労力を割かない姉だぜ。


 ならば、そんな姉がしてくれたセットを無駄にしないよう、今日を挑戦してやろうじゃねえか。


 やってやるぜ。歌うの僕じゃないけど……。

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