ヨーグルトネロン

 1


 週明けの月曜日には毎週のように思うが、月曜日から学校に登校するなんて人のやることじゃない。


 いや百歩譲って学校ならまだ許せる。だがこれが大人——つまり社会人になった場合、月曜日から仕事に向かうことが当たり前になり、当然のように仕事をして残業をして、そしてようやく普通に暮らせる給料を貰って生活するとか、いよいよ人のやることじゃない。


 終わってんな日本。ジャパン・ジ・エンド過ぎるだろ。ジャンヌダルク的な革命を誰か起こせよ。


 僕はそれを遠くから見ているから誰か起こせよ革命。


「おはよー!」


 自転車を駐輪スペースに置き、昇降口しょうこうぐちで靴を履き替えていると、後ろから挨拶が飛んできた。


「ああ、おはよう」


「暗いよ。どうしたの?」


「革命を誰か起こさねえかなあ、って考えてただけだよ」


「ん? 大富豪のはなし? 私大富豪強いよ!」


 リアルでは大貧民の彼女がトランプゲームだと強いのは、なんだか皮肉だなあ。


 廊下を並び歩き教室へと向かう。


「ねえ葉集はぐるくん、持ってきた?」


「持って来たよ。教室着いたら渡すよ」


「やったー!」


「だけど、あんまり人に見せるなよ……?」


「え、どうして?」


「CDジャケットがやらしい」


「それは……私が変な目で見られるね」


「だろ。あれなら放課後に渡すけど」


「うん、ご配慮ありがとうございます!」


 そんな話をしていると教室に着く。


 席に座る。僕の席は一番後ろ。入学から約ひと月休んでいたので、そのあいだ席替えがあったらしいのだが、僕は不参加だったため一番後ろに追いやられたようだ。地味にありがたいのでこのまま一生席替えしなくてもいい。


「ねえ、葉集くん」


 と、自席にカバンを置いて、わざわざ僕の席まで話しかけに来た。


「なんだよ」


「名前で呼んでくれないなーって」


「いま……?」


「いまでしょ!」


 そのギャグ(ギャグではない失礼だろ!)をテレビがない部屋に住みながら言ったってことは、自ら開発したのだろうか?


「なんで今なんだよ。教室に人がいるタイミングでなぜだよ」


「いいじゃん、呼ばれてみたいもん。さんはい」


「いやそんな号令もらって言うことか?」


「さんはい!」


「頑固かよ」


「さ、ん、は、い!」


 僕に逃げ場なし。仕方ねえ、呼んでやろうじゃあねえか。


 僕も男だ。下の名前で呼ぶなんて朝飯前だって証明してやろうじゃないか。


 やれやれ。あまりの男らしさに、クラスの女子全員に告白されてしまったらと思うと照れてしまうぜ。


「…………ね、ろん」


 ご覧あれ。これが僕の男らしさである。


「ふ、ふふっ、声ちっちゃい」


「あのな、僕は女子を下の名前で呼んだことないんだよ。悪いか?」


「さっき呼んだよ、ちっちゃい声で私の名前」


「一回だけだけどな」


「慣れてね、葉集くん」


「努力するよ……」

 

 満足したのか、音論ねろんはご機嫌な様子で自分の席に戻っていった。


「なあ、百ヶ狩ひゃっかりさんと付き合ってるの?」


 音論が戻ってから、僕の前の席の男子が振り向き、僕に言った。彼が先週話しかけてこなかったのは、僕がどういう人間なのか探っていたのだろうな。先週は振り向いて来なかったが、教室の入り口など遠くからちょくちょく視線を感じていた。


「いや、そういう関係じゃないよ」


 こういう時は冷静に返すことが一番だと僕は知っている。


 下手に慌てたり動揺したり、ムキになって反論するのは、逆効果なのだ。


「本当か? めっちゃ仲良さそうだったじゃん?」


「そうでもないって。気のせいだろ」


「でもずっと休んでたのに、あそこまで親しげに話せるとかすごくね?」


「そうか?」


 実際、僕もそう思う。だがそのきっかけが花壇の草食ってる瞬間を目撃したから——なんて言えねえ。


 音論からすれば、僕は見られたくない瞬間を見られてしまった男で、そこに特別な感情はない。


 あるいは、周囲に口外されないように、僕を気にかけているだけだろう。言ってしまえば近距離での監視に近い。


「たまたま話すきっかけがあっただけだよ」


 そう言ってお茶を濁しておこう。


「お前がそう言うならまあいいや。てか俺の名前とかわかる?」


「自分の前の席くらい覚えてるよ。馬島うましまくんだろ」


 馬島くん。下の名前は確か談示だんじ


 休んでる間に担任から座席表を貰い、クラス全員の名前は頭に入っている。名前だけで顔は一致しないため、席に着いていないと全くわからないが。


「おう、覚えてくれてたんだ、サンキュー柿町!」


「どういたしまして」


「両足骨折したって先生が言ってたから、とんでもねえ不良なのかって思ってたけど、普通に話せるやつで安心したよ」


 なるほど。確かに両足骨折なんてなかなかするものじゃないからなあ。そりゃ不良かスーパーヒーローかと疑惑の目を向けられても無理はないし文句も言えないよな。


「両足骨折の原因は喧嘩とかじゃないからな。僕は見ての通り、普通の高校生男子だよ」


「なんで骨折したん? それも両足とか普通じゃねえだろ?」


「それは……」


 引っ越しの荷物を運んでる最中にローション踏んで、転けそうになったところを右足で踏ん張ったら足首グネって折れて、ローションで滑ってさらに左足も同じくグネって折れたから——なんて言えねえんだよなあ。


「マンションの階段でうさぎとびトレーニングをしていたら、うっかり踏み外して落ちたんだ。恥ずかしいから誰にも言い振らすなよ」


 本当のことは言えないので、完璧な嘘をついた。


「お、お前あの現代では効果が全然ないからやらない方がマシ、ってデータで完全証明されているうさぎとびトレーニングなんてやってたのか……? 破天荒だな」


 信じてもらえた。奇跡!


「ふっ、まあな」


 同性は話しやすい。無駄に緊張もしなくていいし。


「なんか柿町って変なやつなんだな」


「ほっとけよ」


「はは、これからしばらく前の席だし、よろしくな」


「こちらこそ。よろしく馬島くん」


「おう!」


 そう言って馬島くんは前を向いた。


 後ろの席と友好的な関係を築こうとする馬島くんの人間性はとてもありがたい。


 ぶっちゃけ結構不安だったからな……ひと月も休んでたら、クラスでクソ浮くって不安だったからめちゃくちゃ嬉しいし救われた。


 授業はつまらなかったけれど、午前中は不安を取り除くことができて、月曜日としては良い月曜日だった。


 で、お昼。お昼休み。


 僕のお昼は買い弁で、コンビニ弁当だ。


 毎日朝晩、と作っているので、昼くらいは楽したいからな。休日は昼も作るし。あと自分で弁当作って持ってくるのは虚しい。


 昼休みは馬島くんと食った。


 というか馬島くんは自分の席で食うタイプだったので、必然的にそうなった。


 午後の授業ももちろんつまらない。勉強なんて基本つまらない。面白いと思う理由がない。


 が、入院よりはマシに思える。マジで入院って暇だからな。


 生活サイクル固定されるし、苦痛だった。飯はまずいし。


 別に美人看護師さんもいなかったし。入学前だったから見舞いに来る友達も居ねえし、最悪なタイミングの入院生活と比べたら、つまらない授業もマシに思えるから不思議だ。


 しばらくは入院生活よりマシってだけで、授業を乗り切れる気がする。


 この効果が切れる前に、なんとか勉強に対するモチベーションを上げたいところだが——などと考えていたら午後の授業は終わった。


 あっという間に放課後。


 放課後は真っ直ぐ帰る。


 あ、いやその前にCDを渡さないと。


 教室を見渡してみたが、音論の姿はなかった。もう帰ったのだろうか?


「あ、葉集くん待ってたよー!」


 帰ったのかと思っていたら、駐輪スペースで待っていた。


「途中まで一緒に帰ろ?」


「わかった」


 僕は自転車を押しながら、徒歩の音論に歩幅を合わせる。


 カバンからCDを取り出して、音論に渡す。


「これ、CD」


「わあ、ありがとう! 本当だ、ジャケットがエッチだ」


「な? 言っただろ」


「う、うん……まさかここまでのイラストが描かれてるとは……」


 ジャケットを抜いて貸しても良かったが、残念ながらディスクにも同じイラストがプリントしてあるのだ。ならジャケットを差し替えたら良いんだろうけど、それは万が一の場合を考慮してやめた。


 ジャケットを差し替えたら、もしも第三者に見つかって中身を見られた場合に『ジャケ偽装してエロゲCD持ち歩いてる!』と思われるので、ならば堂々と偽装なんてしない方が開き直れて楽だろう——って感じでジャケットはあえてそのままなのだ。


「これ、パソコンで聴ける?」


「聴けるよ。CD入れるとこあっただろ?」


「なんか横にあるところで良いんだよね?」


「そうそう、あのパソコンは確か横にボタン付いてるから、押せば開くよ」


「わかったー、帰ったら聴くね!」


「あんまり期待するなよ……?」


「するよ! だってすごくない? 私と同い年なのにCDになってる曲を書いてる人がいる、ってすごいもん」


「そう言われてもそれは同人ゲームのCDだから、自費制作なんだけどな」


「でもでも、それってお姉さんやサークル? の人たちが認めたからってことでしょう」


「んー、まあそうなのかな。でも僕が認められたというより、歌っている人がだよ」


「卑屈だなあ、葉集くん。もっと自信持っていいと思うけどな、私」


「自信か……自信な」


 持っていた時期はあったんだろうか。


 思えば僕は自分を誇れるモノを持っていない。


「自信なんて持ってても辛いだけだろ、きっと」


 それしか言えない。自信を持ったこともないくせに。


 基本的に臆病な性格なんだろうな、僕。


 だから人間観察もするんだろう。本当に誇れるとしたら、人間観察くらいか。


 誇っていいのか不明だが。


「自信は持ってて良いんだよ。私は自信を失ったら、人間は生きてるだけになると思うの。生きてるだけじゃ、人生つまらないよ! えへへ、貧乏も楽しめれば人生は楽しい!」


「メンタルつよつよだな」


「そうかな? でも……」


 甘えちゃうときもあるよ——と。音論は小さな声で呟いた。


 それはどんな時なのか興味はあったが、今日はバイトの音論を引き止めてまで聞くことじゃない——と、僕は彼女の背中を見送った。

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