5


 スマホ活用レクチャーは帰りの車内まで続いた。


 なんとか彼女の家に着く前に、最低限のアプリと使い方は伝えることに成功し、車は終点に到着。


 僕も車を降りて、トランクの荷物を運ぶ手伝いをする。


 ダンボールの中身は服なので、そこまで重いわけじゃない。積み込んだのも僕だしな。


 とりあえずダンボールは玄関に置く。貧乏と言っていたから、とてつもなくボロ家をイメージしていたが、外観は普通に見える。普通と言っても年季はあるので、都内にぽつんとある、古い建物って感じだ。


 玄関のドアはガラガラと音を立ててスライドさせるやつ。


 なんか祖父母の家って感じがして、馴染み深いとさえ思う。こっちに来るまで地元の北海道では、祖父母の家に暮らしていたので、そんなに時間は経っていないが懐かしい。


 ひとまずダンボールの運搬は終わったところで、車内の姉さんが僕を呼んだ。


葉集はぐる、あたしちょっと打ち合わせ入っちゃったからこのまま編集部に顔出してくるけど、どうする? 電車で帰る?」


「打ち合わせ、長引くのか?」


「行ってみないとわからないけど、そんなに時間はかからないと思う。でも一時間くらいはかかっちゃうかも」


「それなら電車で帰るよ。一時間も待つ場所ないし」


「あ、それならっ!」


 と、ここで話が聞こえていたのか、百ヶ狩ひゃっかり音論ねろんがカットインしてきた。


「お姉さんの打ち合わせが終わるまで、柿町かきまちくん、家に上がってってよ」


「いいのか? 一時間くらいかかるらしいぞ?」


「いいよ! もう少しスマホ教えて欲しいもん」


 教えることは特にもうないんだけど、と脳内で考えていたら、姉さんが、


「んじゃ弟をお願いできるかな、音論ちゃん」


 と。話を進めてしまった。


「はい! おもてなしできるようなものはないですけど、座れる場所はあります!」


「あはは、んじゃちょっと行ってくるから、葉集をよろしくね」


 そう残して姉さんは車を走らせて行った。


 僕は流れで女子の家に上がることになってしまった。


「どうぞ柿町くん。汚いところですが、上がって」


「う、うん、お邪魔します」


 やべえ。突然訪れた女子の家に上がるイベントに遅まきながら緊張して来た。


「お母さんはお仕事行っちゃったから、大丈夫だよ」


「なにが大丈夫なんだよそれ」


 それを大丈夫って女の子から言っちゃダメだろ。


「だって緊張しない? 私だったら友達の親が同席したら緊張しちゃうもん」


「まあ、するな」


 くそう。僕は魂が穢れているのかもしれない。


 純粋な緊張の話をしている彼女を善とするなら、エロゲ的な展開を期待して緊張している僕は悪だ。


「こっちがリビングだよ。何もないけど」


「おお、片付いてる……いいなあ、片付いてて」


「柿町くんのお家と違って、物が少ないだけだよ」


「僕の家は不要な物だらけだから、これくらいが理想的だぞ」


「そ、そうかな……なんか恥ずかしい」


 和室リビングにあるのは、丸テーブルだけ。


 テレビもないし、余分な家電もない。コンセントケーブルが絡み合って鬱陶しい感じとも無縁。


 悪く言えば殺風景。よく言えば綺麗。


 物は言いようだが、僕的には物だらけよりも過ごしやすそうに思える。


 だが、あまりにも物がなさすぎるので、スマホ活用レクチャーをほぼ終了している現在、話題がなくなってしまった。


「……………………」


「……………………」


 よって無言に。


「あ、柿町くん、連絡先交換まだしてない!」


「そうだ、してないな」


「ライン起動して、これだよね?」


「そうそれだ、僕の教えをよく覚えたな」


 QRコードを出すレクチャーをしっかりと覚えていた。もの覚えは良いようだ。


「これを柿町くんが読み取れば、それで交換完了、だよね?」


「そうそう、よしじゃあ読み取るぞ」


「う、うん……初の交換って緊張する」


 人生初の交換で緊張している彼女より、女子と交換することに緊張している僕の方が絶対緊張している自信がある。女子と連絡先の交換なんて年単位でしてねえから、無駄に緊張しやがる。


 読み取り合図の音が鳴り、連絡先交換は完了した。


「おおお、柿町くんの名前が現れた!」


「僕が登録するとそっちにも表示されるんだよ」


「えっと、私も友達登録すれば、これで完全に交換だね。何か送ってみてもいい?」


「構わないよ」


「えへへ、それじゃあ、そーしん!」


 現代人には耳馴染みの深い受信音が鳴った。親の声よりも聞いている現代人も少なくあるまい。


「オムラライス美味しかった。誤字ってるな」


「う……フリック入力難しい」


「それは慣れだよ。きっとすぐ慣れるよ」


「慣れたとき、私はようやく現代人になれる、ってことだね!?」


「上手いこと言ったつもりか? めっちゃドヤ顔だけど」


「……上手いと思ったのに、爆笑を勝ち取ったと確信して言ったのに……」


「盲信過ぎるだろ」


「でも落ち込まないよ! 貧乏はね、落ち込んだら一貫の終わりだもん!」


 落ち込んだだけで一貫の終わりなのか。メンタル強そう。


「あ、そうだ。姉さんから貰ったノートパソコン、充電しておいた方がいいぞ。バッテリー悪くなっちゃうから」


「悪くなっちゃうの!? 暴走族!?」


「夜な夜なバイクで集団暴走する悪さじゃないから。なんで悪いイコール暴走族なんだよ」


「だって、ぶんぶんぶんぶんバイクで走って、ガソリン代もったいないなあ、って。地球にも悪そうだもん」


 そんなことを言いながら、膝立ち歩行で充電器に繋いでいる。


「地球には悪いだろうな」


 この辺だと暴走族っぽいバイク見ねえけど。


 どこで手にした情報だよ。


「暴走族知ってるってことは、地元はここじゃないのか?」


「ううん、ここだよ。暴走族も知ってるだけで見たことないもん。メンチ切るって意味を最近までずっと、メンチカツ切るってことだと思ってたくらい」


「まあ知らなかったらそう思うのも無理はないだろ」


「メンチ切る? 職人? それが私の疑問の出発点だったよ。だから中三のときに、どうしても気になって気になって、パソコン室のパソコンで調べて驚いたもん」


 どうしてそこまで気になるんだよ、とも思ったが、それよりもパソコンを使えることに僕は食いついた。


「ならパソコンは普通に使えるのか?」


「うん、使えるよ。私パソコン部だったからキーボードは得意だけど、パソコン用語は詳しくないの。私の中学のパソコン部って、パソコンで遊ぶ部活だったから」


「じゃあ基本操作はできるんだな。よかった……」


「ん? なにがよかったの?」


「ぶっちゃけ架空請求詐欺とかに遭うんじゃないか、って心配してた」


「え、パソコンってそんなことが起こり得るの……パソコンこわい」


「使ってる本人が変なことしなきゃ平気だよ。セキュリティソフトも姉さんが入れてるだろうし」


「へ、変なこと……って?」


「変なことは変なことだろ」


「た、たとえば?」


「エロサイトからエロサイトを縦横無尽に渡り歩いて、わけわからんとこクリックしたりしなきゃ平気だよ」


「えろさ……さ、さすが経験者は語るってやつだね?」


「いや僕を経験者にするなよ。エロサイトを縦横無尽に渡り歩いて生きてねえぞ僕」


「そ、そっか、柿町くんはそんなことしないよね! そんなことしなくても家にたくさんあるもんね……」


「おい。僕をエロキャラで固定するのやめて?」


「始まりがエロキャラからのスタートだったよ」


 女の子の乗った自転車に乗りたいって言ったこと、めちゃくちゃ後悔してる。


「そんなことより僕に鍵盤ハーモニカ聴かせてくれよ」


「すごい話題の変え方! ファンタジスタ!」


「都合の悪いことは積極的に誤魔化す。僕の処世術だからな、見習っていいぜ」


「なら私は柿町くんの処世術で葬られた話題を蘇らせる蘇生術に磨きをかけるね!」


「やめろ磨くな。蘇生で僕を殺すつもりか。生かせてくれよ」


「いかせ…………やっぱり変態だっ!」


「違う!」


 こいつ、なにげにエロに精通してやがる。


 実はエロいのか? 夢があるじゃねえか!


 可愛くてエロい。夢は大切だ。実に大切だ。


「鍵盤ハーモニカ、持ってくるね。まってて」


「うん」


 エロいかどうかは判明しないまま、鍵盤ハーモニカを聴かせてくれるらしい。


 こういうのは判明しないから良いんだよ——と、僕は思う。ついでに若干だが、僕の処世術がパクられた気もするが気のせいだろう。


 トタトタと足音が聞こえ、戻ってきた彼女は鍵盤ハーモニカとノートを数冊持っていた。


「ノートはね、今まで私が作った曲」


「見せて貰っていいか?」


「うんいいよ。柿町くん、音符読めるの?」


「読めるよ」


 1ページ1ページ、僕はノートを読んでいく。


 テンポの速い曲調だな。このテンポなら、ギター二本、ベース、ドラム。ロック向きの曲だ。


 他のページも読むが、どうやらテンポの速い曲が好きなのかもしれない。


「ロックっぽいテンポだな」


「うん! わかる!?」


「わかるわかる。この曲はドラムをツーバスにした方が良いと思う」


「ツーバス?」


「ドラムセットの真ん中にある、大太鼓みたいなのあるだろ? あれを二つって意味」


「あれ使ってたの!? 飾りだと思ってた!」


「なんでだよ」


「だってスカートの人が座ったら丸見えになっちゃうから、苦肉の策で真ん中にドーンって置いてるのかと」


「それが苦肉の策なら、もっとよく考えろと言わざるを得ないな」


「二つ使うとどうなるの?」


「どうなる……か。そうだな」


 聴かせるのが一番速いか。


「ちょっとパソコン立ち上げるぞ」


 僕は、充電器に繋げられたノートパソコンを立ち上げ、音楽編集アプリを開いた。


「まだネットきてないよ?」


「オフラインでも使えるから平気」


 立ち上げたアプリに音符を打ち込んでいく。


 あとは流す音をバスドラムにして、再生。


「おおお、おおおおおお! ドドドドドだ!」


 ドドドドド。彼女の言うように、ツーバスのリズムはそんな感じだ。二つのバスペダルをバタ足のリズムで素早く両足で交互に踏むことで、間隔をあけずに低音を響かせ続ける。


 ロックやヘビメタなどで使われることが多い技術だ。


「これがツーバスだよ」


「ツーバスすごい! てか柿町くんすごい! なんでこんなことできるの!?」


「……作曲家になりたいって思ってた時期があったからな」


「今は?」


「今は……僕には才能ないから諦めたよ」


 作曲には才能がいる。その才能は僕にはない。


 努力しても叶わない。作曲はそういう次元だ。


 練習すればするほど上手くなるアスリートとは違う。曲を作るのは、練習では越えられない壁が存在する。


 どんなに頑張っても絶対に越えられない壁だ。何万回、楽譜に書き込んでも、どんな音楽をインプットしても絶対に越えることが叶わない壁。


 その高い壁を、壁と感じないほど軽く飛び越す存在——その才能を持っている人間だけが、作曲家として成功しているのだ。


 努力は裏切らない。ただしその言葉を言えるのは、努力できた天才だけだ。作曲というジャンルはそういう世界だ。


「才能って、曲を作る才能ってこと?」


「そうだよ。僕はメロディが降ってくるなんて経験はないし、楽譜と向き合ってもメロディは浮かばない。それでも諦めるまでに足掻いたけれど、結局は編集が多少できるレベルにしかなれないよ」


「それってすごいと思うけど」


「そうか? こんなの覚えるだけだよ。覚えればできることだ」


 覚えてもできないことに比べたら、覚えればできるのは簡単過ぎる。


「私にはできないなあ……」


「こんなの教えたらすぐだよ」


「でもさ、柿町くんさっき、私の楽譜見て、すぐにツーバスって判断したよね?」


「テンポ的にな」


「それ凄いと思うの。だって私がもしツーバスの意味を知ってたとしても、無理だと思う」


「そこは経験者か否かの違いだろ」


「じゃあ、他は?」


「他? 他って?」


「ドラム以外には、どんな楽器が必要だと思ったの?」


「ギター二本とベースは最低必要くらいか」


 それって凄いのに——と、呟くように彼女は言って、続けた。


「ねえ、柿町くん……作詞できたりする?」


「作詞? やったことはあるけど」


 やったことはあるというか、今もやっている。


 姉さんのサークルで出している同人ゲームの曲に歌詞をつけている。少ないけれどそれが僕の小遣いだから、とりあえずバイトしたくないのでやっている。


 ただ、エロゲなので堂々とやってると言いにくい。


 僕がエロゲをプレイして書いてるわけじゃなくて、姉さんからキャラの特徴とエロ要素を抜いたストーリーを貰って書いてるとはいえ、女子にエロゲの歌詞書いてるぜ、って言えねえ。


 どんな顔して言うんだよ。エロゲの歌詞書いてるって。


 僕がエロゲ歌詞カミングアウトの仕方に悩んでいると、彼女は目をキラキラさせながら、僕を真っ直ぐに見て、言った。


「柿町くん! 私の曲に……書いてくれないかな?」


「歌詞を?」


「うん! 私ね、自分の曲を歌ってみたいの!」


 聴きたい——と。


 すごく聴きたい——と。僕は心からそう思った。


 だから僕は即答していた。


「僕も聴きたい」


 きみの歌を——聴きたい。


「だけど……僕の歌詞さ……」


 問題がある。それは僕がこれまでエロゲの歌詞しか書いたことがない問題である。


 つまり僕の書く歌詞はちょっとエロい。


「僕の歌詞…………たぶん……エロいよ?」


 言った! 僕は言ったぞ! 


 言ったあとに何言ってんだって自分でも思ったけど、言っておかないと、いざ書き上げて見せた時に、歌詞エロいって引かれてしまうから仕方ない。


「ど、どのくらい?」


「どのくらい……か。どのくらい……なんだろう」


「聴いてみたい!」


「じゃあ、明日学校に持ってくるから聴くか?」


 確か姉さんが持ってるはず。てか持ってるだろ、サークル代表だし。


「聴く!」


「わかった、持ってく」


「うん! 約束!」


 また指切りをして約束した。これで忘れたら針千本なので、気をつけよう。


 その後すぐに姉さんが戻って来た。鍵盤ハーモニカを聴かせてもらう前に姉さんが戻って来たので、僕は帰宅することになった。


 帰りの車内で、ラインが届く。


『私のこと、そろそろ名前で呼ぶべき!』


 そんな催促が来たが、バレていたか。


 僕が一度も名前を口にしていないことが、バレていたか。


 そう言われては、僕も答えねばなるまい。とりあえずラインの返信で呼ぶとしよう。


『わかったよ、百ヶ狩さん』


『音論』


『音論さん』


『音論』


『わかりました、音論』


 恥ずかしい……。


 女子を下の名前で呼ぶの恥ずかしい!


「なににやけてんの、葉集」


「にやけてねえよ」


「ふーん。やった?」


「やってねえよ!」


 僕がからかわれている最中にもスマホにラインが届いていたが、僕がそれを確認するのは帰宅した後だった。


『よろしくお願いします。葉集くん』

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