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「お、柿町ー!」


「ごめん待たせたな。荷物を入れるバッグを探してたら遅くなっちまった」


 本当は姉さんの晩飯と明日の朝飯を用意したから遅れたのだが。


「平気平気。ほら、奢り」


 そう言って馬島うましまくんは、僕にジュースを渡してくれた。


「ありがとう。急いだから助かるよ」


 ちょうど喉が渇いていたので、貰ったジュースを一気に飲み干した。初夏の自転車立ち漕ぎは喉が渇くぜ。


「どうする柿町、晩飯食ってく?」


「ああそうか。僕はコンビニとかでもいいけど」


「いや、せっかくだから食って帰ろうぜ。少しでも遅く帰って、一秒でも早く従姉妹が就寝してくれると助かるし」


「なら、そうだな。食ってから行こうか」


 そんなに怖いんだな、馬島くん。


 今朝、僕も怖いことがあったはずなのに、こうして僕よりも怖がっている馬島くんを見ていると、自分の恐怖は大したことなかったのかもしれない——と、不思議と錯覚する。


「とりあえず柿町。ファミレスで、ギリギリまで時間使ってから帰ろうぜ」


「仕方ないな、わかったよ。困っている友達を見捨てることはできないからな、僕は」


「助かるマジ助かる……お前マジ親友だわ」


「僕にとっても馬島くんは親友だ」


 周りから見たら恥ずかしいやり取りだろう。そう理解していたが、ここは流れに身を任せるに限る。


 僕たちは、そのままファミレスに向かい、未成年の来店が許されるギリギリまでドリンクバーを片手に、特に内容のない会話を楽しみ、そして馬島くんの自宅に向かった。


「ここが俺んちだよ」


「……でっけー」


 でけえ。都内にここまでの家を建てるなんて、かなり金持ちじゃねえか。


 都内に庭がある家って。それだけでステータスだろ。


 庭はあるし、門はあるし、ドアにはセキュリティ会社のステッカーまで貼ってある。これは相当な資金力。


「馬島くん、おぼっちゃんだったのか……」


「いやいや、そんな感じじゃないよ。確かに親には恵まれているし、感謝しているけど、たまたま運がよかっただけで、俺が稼いで裕福に暮らせているわけじゃないからな」


「馬島くん、性格良すぎない?」


「そうか? そんなことないよ。俺の性格が良かったら、従姉妹にビビる前に従姉妹と仲良くなれるだろ」


「んー、まあ、そうなのかなあ」


 わからないけれど。性格の良し悪しは、人間関係無敵ってわけじゃないだろうし、でも限りなく無敵に近い存在にはなれるのかもしれない。


 そう思うと否定することもできないな。


「それを言うなら、俺は柿町こそ性格が良いと思うけど」


「いやいや、僕は結構自分のことしか考えていないよ。今日だって泊まりに来たけれど、でもそれは友達の家に泊まることが久しぶりで楽しそうだから、ってだけで、正直馬島くんのため、って思ってないし」


「それを言えるって時点で、性格良いと思うけどな、俺は」


「じゃあそうしておいてくれ。良いと思われることは迷惑じゃないからな」


 性格が良いと思われるだけでありがたいものだ。


「とりあえず上がってくれよ」


「うん、お邪魔します」


 馬島くんが開けた玄関から僕はお邪魔し、家に上がった。


「俺の部屋行こう」


 なぜか小声で馬島くんが言ったので、僕はそれに合わせて言葉を控えて頷いた。


 馬島くんの部屋は二階のようで、階段を足音を殺してあがる。


「ふう……セーフだ」


 部屋に着くと、馬島くんが袖で額を拭いながら呟いた。


「セーフって?」


「帰宅したことバレたら、怖いだろ」


「あーなるほど」


 そんなに怖いのか、従姉妹のこと。


 そこまで怖がられる従姉妹、逆にお会いしてみたいとすら思えて来たんだけど。


「好きなところ座っていいぜ」


「おっけー」


 指定されなかったので、僕は荷物を入り口付近に置き、テーブル近くに腰を下ろした。


 部屋も広いな。テーブルはオシャレなガラス張りだし、漫画や小説も少しあるが、それよりも遥かに参考書の量が多く、きちんと勉強していることがわかる。


「馬島くん、勉強しまくってるのか?」


「んー、まあそれなりにだよ。ある程度の順位をキープしていれば、親にうるさく言われないだろ?」


「うちの学校、結構偏差値高いもんな」


「そうなんだよなあ。でも柿町も頭良いじゃん。こないだのテスト、学年二十位以内だったじゃん」


「学年五本指に入る馬島くんには勝てないよ」


「勉強してる感じ?」


「ぼちぼち。やることなくて暇なときは、勉強するくらいしか暇つぶしがないから」


「わかるわそれ。暇つぶしにはなるもんな勉強。つまんねえけど、時間は潰せる」


 つまんねえよな、勉強って。


 授業とか苦痛だよ苦痛。約一時間、教室に閉じ込められて、効率の悪い授業を聞かされる学生の身にもなって欲しいよ。


「そういや、オンライン授業っていつやるんだろう。馬島くん知ってる?」


「夏休みらしいよ。俺がこないだ聞いた話だと、夏休みの宿題の代わりに、午前中にオンライン授業するんだってさ」


「マジかよ。クソだな」


「ほんとそれ。午前中とかマジクソ」

 

「夏休みの午前中なんて夜だろ」


「間違いない、まさに夜。夏休みって名称でなに勉強させようとしてんだよ、詐欺じゃんかよ」


「僕も同意だな。学校の必要さはわかるけれど、内容はもう少し整理してもいいと思う。授業とか二十分で終われるだろ、先生の教え方次第で時短できるって」


「マジそれ間違いないやつ。なんつーか、段取りというか、要領が悪いよな、学校ってシステムが既に時代に遅れてるよ」


「新時代は遠いな……」


 そしていずれ、僕たちの習ったことが、古い知識になっていく。そう考えると虚しくなるぜ。


 歴史とかだってちょくちょく変わっているし、今のデジタル社会で暗算能力すら必要性を感じない。暗算能力を高めるなら、電卓技術を高めた方が社会の役に立つとさえ思える。


「あ、ミスったな、飲み物とかお菓子とか買ってくりゃ良かったな……くそう」


「確かに。そこに気づけなかったのは、僕たちがドリンクバーを満喫し過ぎたからだな。飲み物を買う選択肢なかったから見逃していた」


 飲み物を買う選択肢がなければ、コンビニに寄ろうとしないからな。


 なにか家から持って来ればよかったか。でも荷物の準備もあったし、それ以上に姉さんの晩飯と朝飯の準備をしていて遅れたので、なにか用意してくる余裕はなかったのだ。


「よし、俺が気配と足音を殺して何か持ってくるよ。柿町もなるべく気配を殺して、待っててくれ」


「僕が気配を殺す理由あるか?」


「従姉妹が攻めてきたらどうすんだよ……っ!」


「その怖い従姉妹、僕はぶっちゃけちょっと見てみたいと思って来てるからな?」


「それで死んでも俺は責任取れねえぞ……?」


「死活問題なのか……じゃあ大人しくしてる」


 よし——と、息を吐いた馬島くんは、ドアノブに手を掛け、ゆっくりゆっくりドアを開いた。


 行ってくる——と、目で語って来たので、僕も目で健闘を祈ると伝え、やることもなく静かに待つことにした。


「……………………」


 なんか、人の家で一人で取り残されると、地味に気まずい。


 気まずいというか、なにしていいのかわからない。


 とりあえず馬島くんが戻るまでスマホゲームで遊んどくか。ログボログボ。


「う、うわあーーーーーーーー!」


「…………え?」


 ログボ回収してたら悲鳴聞こえたんだけど。


 え、なになに。悲鳴聞こえたんだけどなに。


「ま、まて落ち着け、よせ話せばわかる!」


「……………………」


 ひょっとして、殺人事件とか起きてるの?


 まさか馬島ハウスの財産を狙った強盗か?


 そんなわけあるかよ、とは思いつつ、ここまでの豪邸なのだから、その可能性を完全に排除するのは難しい。


 ど、どうしよう……。僕はどうするべきだ……?


 馬島くんを助けに向かうべき——なのはわかる。


 だが、僕の戦闘力なんてちんちくりんだ。輪ゴムをびよーんって向けられるだけでビビる小心者である。


「や、やめろお!」


 馬島くん——声だけでわかる。僕の親友がピンチ。


 なら助けられなくとも、助けに向かうべきだ。


 悪い、みんな。僕は親友を見捨てることなんて出来ない!


「どうした馬島くん!?」


 僕はドアを開けて、悲鳴が聞こえた方へと走った。


 場所は一階のリビング——というか広すぎてリビングなのかわからないけれど、たぶんリビング。


「か、柿町……っ!」


「馬島くん!」


 馬島くんは、なんと女に踏まれていた。


 僕に背を向けている女の顔は見えないが、馬島くんは胸を踏まれまくっていた。


 お楽しみのようにしか見えないけれど、馬島くんの表情が信じられないくらい怯えているので、お楽しみではなさそうだ。


「や、やめろお前、馬島くんを解放しろっ!」


 僕は言った。なんて格好いいんだ僕。


 友達のために、自分の危険をかえりみず、颯爽と駆けつけた僕。


 まるで主人公みたいで、照れてしまうぜ。


「……はっくん…………? その声、はっくん……?」


 女が振り向きながら、言った。


「はっくん……はっくんだ、はっくんの声だ」


 はっくん——僕をそう呼ぶ人間は、この世に一人しかいない。そして人間とは言ったけれど、僕はそいつを人間として見ていない。


 人間ではなく、悪魔。


 あるいは邪神。邪心の塊で邪神そのもの。


「お、お前……なんでここにいる、色ノ中いろのなか!!?」


「はっくん、はっくぅーーーーーーーーーーーーんっ!」


「やめろ来るな死ね!」


「一緒のお墓に入ろうってことだよね、わたし嬉しいよはっくん」


「違う違う違う違う違う違う違う違う違う! お前一人で孤独に死んでくれ! 僕の知らないところで死に散らしてくれっ!」


 僕は逃げた。だって追ってくるから。


 リビングの中をぐるぐると逃げ回った。ギャグ漫画みたいに逃げ回った。


「え……、柿町お前、従姉妹と知り合い?」


「知らない! 僕はこんなやつ知らない!」


「でもさっき色ノ中って呼んでたじゃん?」


「助けてよ馬島くん!? 僕のことを助けてくれ!」


「わ、悪い……踏まれすぎてプライドが死んだんだ……友達に女に踏まれているところを見られたんだぞ。俺はもうおしまいだ……」


「馬鹿馬鹿、馬島くんは終わってない終わってない! むしろ僕の方が終わりの足音に追跡されてるからっ!?」


 マジで。週始めに終末の足音が僕をチェイサーしてくる。


「待って、はっくぅーん。はっくふぅん」


「僕をはっくふぅんと呼ぶなおぞましい!」


「運命よ運命、わたしとはっくんは運命なの、まさか宛名無しのラブレターを運命に任せて靴箱に忍ばせておいたら、こうして再開できるなんて、こんなの運命としか言いようがないわ、もうわたし、デスティニーをビンビンに感じ取ってるんだから、待ってぇ〜ん、はっくふぅーーーーん!」


「犯人てめえだったのか、あのホラーレター!」


 思えば、手紙を読んだ時点で気づくべきだった。


 あんな怖い手紙を差し出してくるヤツは、この世に一人しかいないと気づくべきだった。


 僕の失態だ——馬島くんが従姉妹と口にした時点で、この可能性に至るべきだったのだ。


「いや納得できるかよ!」


 納得できねえよ。そんな推理、たとえシャーロックホームズでも無茶振りだろ、僕の失態じゃねえよ絶対。


 馬島くんの従姉妹——色ノ中いろのなか識乃しきの


 彼女は馬島くんの従姉妹であり、そして。


 僕が一番恐れる——幼馴染である。


「はっくふぅーーーん、強く抱いてえーん」


「ふざけんな滅べ!」


 せめて転べ! マジで転べよ!?


「じ、じゃあ俺は……先にお菓子持って部屋戻るから」


「おい馬島くん、僕を殺す気か!?!?」


「柿町、お前のことは忘れない」


「じゃあ助けろって!?」


「俺に助けられることが見当たらないんだよ、許せ柿町!」


「あるだろーう!? 色ノ中に麻酔銃とかぶっ放してくれよ!」


「麻酔銃なんて家にあるかよ!」


「あれよ! ありそうだろこの家!?」


「無茶言うな……」


「ともかく助けて!? 僕を人んちのリビングで走り回る迷惑野郎にしたまま放置しないでっ!?」


「くっ……俺はどうすれば……っ! ちくしょう!」


「そう言いてえのは僕だよ!」


「そ、そうだ柿町、これを使え!」


 そう言って馬島くんは、僕に何かを投げてきた。


 キャッチ。


「それを使えばなんとかなる!」


「本当にそう思ってんのか!?」


 本当に馬島くんは、もみじ饅頭ひとつでどうにかなると思ってるのか?


 思い直せよ!?


 だが走り回って少し糖分が欲しくなってしまったので、僕はもみじ饅頭を齧った。甘くて美味しい。


「それだ柿町! そのもみじ饅頭を識乃しきのさんに投げろ!」


 そ、そうかその手があった!


「お前は天才だよ、馬島くん!」


 僕は僕の食べかけのもみじ饅頭をリビングの端っこに向かってぶん投げることにした。食品を投げるな? 馬鹿言うな命と天秤にかけたら食品だって投げるだろ普通!


 投げ捨てるなら、命よりも食品だ。ぶん投げてやる。


「くらえ、色ノ中、おりゃあ!」


 もみじ饅頭をぶん投げた。外野手のバックホームくらいの勢いでぶん投げた。


「今だ、俺の部屋に急ぐぞ!」


「わかった!」


 僕たち走った。馬島くんの狙い通り、僕の食べかけもみじ饅頭をノーバウンドでマウスキャッチした色ノ中を置き去りにして、部屋に逃げ戻った——にしても。


 くらえ、って言って投げたのは僕だけれど、本当に食らいにいくとは……。


 人の動きじゃなかったぞ色ノ中。くちでノーバンキャッチって。


 あり得ないだろ……人として……。

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