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 前回のあらすじ。僕と馬島くんは部屋に逃げ戻った。あらすじ終了。


「にしても、まさか柿町が俺の従姉妹と幼馴染だったとは……世界って狭いな」


「本当だよ……馬島くんの従姉妹が色ノ中いろのなかだと判明した今、馬島くんが朝、テンション激落ちだったことを深く理解して反省したよ」


 色ノ中いろのなか識乃しきの——あの女は、僕たちの一個上で、高校二年生だ。


 先輩ではあるが、幼馴染なので小さい頃から知っているし、小さい頃から恐怖のシンボルだったので敬語は使っていない。


「はっくふぅーん、ここ開けて……? 開けてえ……?」


 呪詛のような声がドアの外から聞こえてくる。鍵は掛けたので、このまま籠城決め込めば、朝までは安全。


「ど、どうする柿町……このままだと俺ら、トイレにすら行けないぞ?」


「それは困った。最悪、足を犠牲にしてベランダから逃げ出すとしよう」


「そ、そうだな……死ぬなら補導された方が良いもんな」


「馬島くん、優しいヤツだな。ここで僕を部屋から追い出してしまえば、きみの安全は約束されるのに」


「馬鹿野郎、生贄なんて、そんなことできるかよ。親友だろ」


「う、馬島くん……」


 感動したぜ、馬島くん。きみと友達になれて、親友になれて本当によかったと心からそう思える。


 でもさっき僕を見捨てようとしたことは忘れないけれど。


「つーかマジどうする? 僕たち、風呂すら入ってないじゃん? このままだと歯も磨けないし」


「詰んでるよな……なんで身内に追い込まれているんだ、俺たち」


「馬島くんの従姉妹がアイツじゃなかったら……」


 良かったのにな……マジで。


「最悪、さっき柿町が言ったみたいにベランダから逃げ出そうぜ。俺の部屋からなら、緊急避難用のハシゴがあるからさ、それを使えば外に出れる」


「そう……だな。むしろ今すぐにでも逃げ出したい」


「柿町、大丈夫か? めっちゃ震えてるぞ……」


「あ、アイツ怖いんだよ……昔からストーキングしてくるし」


「ご、ご愁傷様……」


 つい先日、葬式があった馬島くんにそう言われるのは、なんだかなあ。


 普通なら僕が言うべき台詞だろうに。


「はっくぅーーーーん。はっくふぅーーーーん」


「この声が僕を精神的に殺す」


 本当に逃げ出したい。だが、逃げ出したとして、それからどうする?


 馬島くんを残していけない。僕だけが安全を手にするわけにはいかない。


 僕の家——いや、それはやっぱ無理。


 今の時間帯に帰宅したら、姉さんが執筆中だ。


 執筆中ということは、姉さんが音読している。そんなの友達に聞かせられるかよ。それを聞かれた瞬間、僕は友達を一人失うかもしれないじゃねえか。


 くそう。こんなことなら、アルバイトでもして財力を高めておくべきだった。貧乏ってレベルではないけれど、最近はサークルの作詞依頼はないし、お年玉貯金でやりくりしている僕には、ホテル宿泊を視野に入れるのは無理だ。


 そもそもホテルって今からでも泊まれるのかわからないし、というか高校生が単独で部屋を借りれるのかも知らない。


 なにが悲しいかって、こういう時に頼れる友達がいないことが悲しい。高校で同性の友達、馬島くんしかいないからなあ僕。


「馬島くん、ここを逃げ出して、それでどうするかプランはあるか?」


「ん、いや、俺だけなら可能なんだけど……」


「それはどんな選択肢なんだ?」


「彼女の家に泊めてもらう」


「最初からそうしとけよ!」


 なんでそうしなかった!? つか彼女いたのかよ!?


「……だってよ、彼女んちのお父さん怖いし……」


「あー、そういうもんなのか」


 父から見れば、娘に手を出している男だもんな。


 確かに良い目で見られる気はしないよな。


「彼女のお父さん、俺に会うたびに式はいつだとか聞いてくるんだよ……気が早過ぎるだろ」


「悩みが僕の想像と全然違ってた」


 玉の輿狙ってんな、そのお父さん。


 娘を差し出して、この家のおこぼれ狙ってんな。


「そういや、柿町は百ヶ狩ひゃっかりさんとどうなんだよ? めちゃくちゃ仲良いじゃん?」


「付き合ってるわけじゃないぞ」


「えーそうなのか? だとしたら脈アリまくりだろ?」


「気のせい気のせい。単に僕の姉と音論ねろんが仲良いだけで、僕はついでだよ」


 流石に言えねえもんな。エロい歌詞提供してるとか、実は音楽ユニット組んでるとか、言いにくい。


 特にエロい歌詞がネックだ。僕が悪いんだが。


「百ヶ狩さん、男子人気高いんだぜ? 上級生からも人気あるっぽいし、結構告られてるってよ」


「誰情報だよ」


「彼女情報。俺の彼女、百ヶ狩さんと仲良いんだよ。いつも話してるだろ教室で」


「馬島くんの彼女って、牙原きばはらさんだったのか」


「そそ、牙原と付き合ってる」


「高校から?」


「いや、中学から。中二から付き合ってるよ」


「充実してんなあ、馬島くん」


「お互いさまっしょ。柿町だって百ヶ狩さんとそんな風に見えるしさ」


「だとしたら僕、そのうち上級生にボコられるんじゃねえのか……?」


 上級生にも人気あるってさっき聞いたし。


 やだなー、ヤンキーこわいなー。


「はっくうーん。はっくううううん」


 ヤンキーより怖いのドアの外に居たわ。


「うちの高校、ヤンキーいないだろ。ヤンキーが入れる高校じゃないしさ、そういうのはないと思うぞ。つかそんな呼び出しなんかしてボコるなんて、ヤンキーでもやらないだろ。呼び出す理由がダサ過ぎる」


「まあそうだよな。僕は恐怖のあまり、冷静な判断が困難になっているのかもしれない」


「ずっと聞こえてるもんな……呪詛」


「うん……」


 ずっと聞こえてるんだよ呪詛。


「つかアイツ、どうやって僕の高校知ってたんだ?」


「それは葉恋はれんちゃんに聞いたから。はっくんの高校の名前と場所とクラスと出席番号」


「ドア越しに会話に混ざるな」


 あと姉さんには文句言おう。高校の名前と場所をバラしたことは大目に見るけれど、クラスと出席番号を開示したことについて、あとで文句言って慰謝料請求しよう。


「葉恋さん、ってお姉さんか?」


「そうだよ。僕の姉さんだ」


 そういや、馬島くんに姉がいるってきちんと言ったことなかったか。学校で家の話なんてしないから無理もない。


 僕だって馬島くんが豪邸に住んでるなんて知らなかったのだから。


「良いなあ、俺ひとりっ子だから、羨ましいよ」


「羨ましがられる姉じゃないぞ」


 僕にとってはコンプレックスとさえ言える。


 なんでも出来る姉過ぎて、僕は常に下位互換だ。


 生まれた瞬間から下位互換だからな。料理だけは勝っているが、しかしそれは姉さんがやらないだけで、できないわけじゃない。


 事実、僕が居候いそうろう決め込む前は、自炊していた。今でこそ作品が売れて裕福に暮らしているが、学生時代はそうではなかった。バイトをしながら執筆して、高校卒業と同時に官能小説作家としてデビューしたのだ。


 だから姉さんの最終学歴は高卒である。


 高卒だが、別に勉強ができないわけじゃない。


 僕の勉強をたまに見てくれるくらいには、頭が良い。


 あんな上位互換が生誕の瞬間から姉として存在しているのだから、僕としてはコンプレックスに感じてしまうよ。僕は姉さんの下位互換だと強く感じてしまう。


 姉さんに直接言ったことはないけども。さすがにダサ過ぎて口にできない。負け犬ならぬ下位互換の遠吠えなんて聞いてほしいものでも、聞かせたいものでもない。


「でもひとりっ子からすれば憧れるよ。姉とか妹とか、俺も欲しかったなあ……ブラコンの」


「なにげにそういうフェチなの?」


「ひとりっ子あるあるじゃね? 妹とか姉にラノベや漫画みたいな夢を見るってさ」


「なるほどそうかもな。じゃなきゃ妹ヒロインとか姉ヒロインに需要はないだろうし」


「俺そういうラブコメ買いがち」


「叶わない夢を追い続けてるんだな、馬島くん」


「叶えたら人として終わる夢だけどな」


「違いない」


 人として終わる。マジで終わるな。


「さて、柿町。俺トイレ行きたいけどどうしよう?」


「僕に聞くのかそれ。いや冷静に言ってるけど、どうするんだよ? ちなみに小?」


「大」


「大ピンチじゃねえか……」


「そうなんだ、大の大ピンチなんだよ実は」


「逃げる? ベランダから」


「うん、逃げよう」


「靴どうするんだ?」


「俺のスニーカーコレクションから出すよ。履いてないし、履く予定ないのに買ってるし」


 腹を抑えてそう言いながら、馬島くんはクローゼットを開いた。中にはスニーカーがアホみたいにぎっしりで、飾っているわけでもないようだ。


「オシャレなコレクションだなあ……」


「柿町足いくつ? サイズ合うならプレゼントするぜ」


「マジで? 二十六」


「お、俺と一緒じゃん。じゃあ好きなの選んでいいよ」


 クローゼットを覗くが、どれもこれも高そうなスニーカーばかりで、なにを選んでいいのかわからない。


「おすすめは?」


「そうだな、柿町には……お、これとかどう?」


 赤と黒のスニーカー。なんかバスケットボールシューズみたいなデザインだ。


「それバッシュなんだけど、俺中学バスケやってた影響でバッシュマニアでさ、それと同じやつあと五足あるんだよ」


「同じの五足? すげえ」


 推し漫画を数冊所持するような感覚なんだろうか。


 まあ姉さんのように、推しアニメのディスクボックスを複数買うよりかは、バッシュの方が安そうだ。


「じゃあ、貰っていいか?」


「おう。クローゼットぱんぱんだから、捨てるよりかは貰ってくれた方が嬉しいからね」


「ありがとう。マジ今の環境だと命綱みたいに思えるぜ」


「都内を裸足はキツいもんな……」


 補導されても文句言えない格好だもんな。


 補導されても出来る説明が幼馴染に追われてるとか、従姉妹に八つ当たりされてるとか、事件性が高い言い訳しか出来ないのが悲しくなる。


「じゃあ、俺は彼女んち行くことにする。柿町は?」


「僕は、とりあえず近くのコンビニにでも姉さんに迎え来て貰うよ。補導されそうになっても、迎え待ちなら言い訳出来るしさ」


「おっけー。なんか俺が誘ったくせに悪かったな」


「いいよ。アイツが北海道に帰ったら、仕切り直しを希望するよ」


「よっしゃ、その時は盛大に祝おうぜ」


 帰るだけで祝いの行事になる従姉妹か。


 とんでもねえな、馬島くんの従姉妹で僕の幼馴染。


 なんかもう、ほとんどただのバケモンじゃねえか。


「んじゃ、柿町、互いに健闘を祈る」


「ああ、また明日、学校で笑顔で挨拶しようぜ」


 そう言って僕たちは、ベランダのハシゴを使って脱出した。


 互いに道路に散り、馬島くんは彼女の家へ。


 僕は姉さんに連絡して、近くのコンビニへ。


「迎え? いやあたし、べろっべろだからむりい」


「……………………」


 見捨てられたので自転車で帰るとしよう。どうか補導されませんように。

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