3


 音論ねろんの服選びに姉さんはノリノリで、僕はちょっと放置されている。


 ショッピングモールとか美容院よりも久しぶりに来たなあ。ショッピングモールの通路にあるベンチが、放置されている僕にはありがたい。こういう時に役に立つんだな通路のベンチ。


 そのままベンチでソシャゲのログボ回収をしたり、ちょうど馬島くんから送られてきた海外旅行写真を見る。


「馬島くん……グアムからハワイ行ったと思ったら今度はセブ島の写真とか……」


 夏休みを満喫し過ぎだろ金持ち。オンライン授業をちゃんと受けてるのだろうか。


「あ、いた葉集、お待たせー」


 と、馬島くんのオンライン授業事情を考えていたら、姉さんと音論が合流した。


 馬島くんのオンライン授業事情は特に気になるわけでもなかったので、ベンチから立つ。


「なんか……めっちゃ買ったんだな」


 音論、紙袋八個持ってるんだけど。


「いやあ、丁度セールやってたし、音論ちゃん何着せても似合うから楽しくて」


 すんごい満足した顔をしている姉さんだが、隣の音論は混乱しているようだった。


「どうした音論? 疲れたのか?」


「う、ううん、違くて……お洋服に囲まれるなんてことが今までなかったから、戸惑いはすごいし、こんなに買って貰っちゃって感謝の言葉が思いつかなくてクラクラしてるの……」


「とりあえず、うちの姉を楽しませてくれてありがとう」


「お礼言われる側じゃないよ、どう考えても私!」


「いや、音論がいなかったら、僕が着せ替え僕になっていたはずだから、立場的に感謝できるぞ」


「その理由でお礼言われても納得できないよお」


 そう言われても、着せ替え僕にされたことがあるから、本当に感謝だ。


 あれはつらい。疲れるし、つらい。何度も何度もズボンを履き替えるのは、もはや筋トレとなんら変わらないつらさがある——と、知っているからな僕。


「んじゃ次は葉集の服選び!」


 そう言った姉さんはまだまだ元気で、年長者なのに若い。


 まあ実際まだ若いんだが。今年二十五だし。


 けど次は僕の服選びか。音論を着せ替えたことで、僕への対応はマイルドになっていると信じよう——と、着せ替えられることは覚悟し、その時間と量が減っていることに希望を求めている僕に、しかし姉さんは予想外の言葉を続けた。


「葉集の服選び——と、行きたい所だけれど」


 まさか僕の服選びは免除してくれるのか?


 それは助かる。とても助かる。僕の服なんて普段着で平気だと気づいたか姉さん、さすが姉さん、弟のことを理解してくれる姉だぜ!


「あんたらちょっくらデートしてきな」


「は?」


 予想外の言葉に歓喜させたあと、もっと予想外の言葉で僕を混乱させるなよ——は?


「で、でででで、で、でえと……っ!?」


 これは音論である。僕よりテンパってる。


「つーか、なんで急にそうなるんだよ、姉さん?」


「もちろん理由はあるよ。次の課題が『甘い歌詞』なんでしょ」


「そうだけど」


「なら甘いデートしてインスピレーションを刺激しなさいな。あんたが作詞なんだから、音論ちゃんに甘い雰囲気を教えて貰ってきなさいってこと」


「いや、それでデートって」


 そんなもんで作詞ができるなら、作詞家だらけの作詞大国になるはずだが。


「本当ならあんたから音論ちゃんに頼むことなんだからね、葉集。獲りたいんでしょ、シンデレラ」


 そう言われると、確かに僕から頭を下げてお願いする案件な気がしてきた。僕の作詞次第なのだから、その作詞に活かせる可能性があるデートを求めるのは、僕の役目。


 あと単純に甘い雰囲気を味わってみたい。すごい単純な欲望で、僕は音論に言った。


「よし、僕とデートしてくれ音論」


 ものすごいストレートに言ってしまったが、それ以外に言葉はないし。


「あ、はい」


「美容院でのことまだ根に持ってるのかよ!」


 なにげに執念深いな。驚くぜ。


「んじゃあたしはあたしで、荷物置いたらショッピングするから、またねー」


 僕と音論を残して、姉さんは音論の荷物を預かり一度車に戻ってしまった。


 さてどうする。残されたけど、どうしよう。


「どうすれば良いんだ、デートって?」


「えーと、私も……わかんない」


 困ったな。デート素人が二人で甘いデートを目標にデートをする——それは無茶振りじゃねえのか?


「そもそも私無知なんだけど、デ……デートってなにするの?」


「その質問の答えが僕にあると思うのか?」


「私よりは知識ありそうだよ」


「残念ながらねえよ。ちょっと調べてみるか」


 通路ベンチに座って、僕はスマホを取り出し調べた。


 デート。初心者。甘い——検索。


「なになに。初デートでスマホいじるの有り得ない——か。検索した時点で僕は有り得ないことをしていたんだな……罠に引っかかったんだな僕」


「ふふ……確かにスマホいじられたら嫌かも」


 不意打ち食らった気分になった。くそう。


 気持ちを切り替えて、次だ次!


「映画を観る……か」


 映画か。映画なあ……映画はなあ。


「映画は私……その、お金が……」


「それは心配しなくて良いよ。もし観るなら協力してもらう僕が払うけど、ちょっと映画は……」


「葉集くん、ひょっとして暗いの苦手とか?」


「いやそうじゃないんだよ。トラウマってほどじゃないんだけど、どうしても忘れられないことがあって……」


 あれはそう、中一の冬だった。


 当時作曲家を目指していた僕は、最新の映画音楽を学ぶために、休日に一人映画に出かけたんだ。


 映画館に行き、後ろの方に座った。


 前には家族連れが座っていた。


「冬だったから、前の家族の男性はニット帽を被っていたんだ」


 襟にファーが付いた上着も着て、暖かそうな格好をしていたのをよく覚えている。


「モコモコしてる人が怖かったの?」


「そんなわけあるかよ。怖かったのは僕の想像力というか、発想力というか、脳内ツッコミが自分でツボってしまってな……」


「脳内ツッコミ? モコモコでニット帽の人に脳内ツッコミしたの?」


「厳密に言うと、ニット帽を脱いだその人にな」


 ニット帽を脱いだその人は、完全にハゲだったのだ。


 しかし当時の僕は中一とはいえ、そんなことで笑うほど、低レベルじゃない。


 だが、突っ込んでしまったのだ。僕は脳内ツッコミをかましてしまったのだ。


 モコモコのファーが付き、ニット帽を脱いだらハゲてる人に、僕はこう脳内ツッコミをぶちかました。


「ドラゴンのタマゴかよ——とな」


「ぷっ……ふふふふっ」


「それ以来、映画館に行くとどうしても思い出してしまって、笑いを我慢できない人間になっちまったんだ……」


「なにそのエピソード……ぷっ、ふふふ、ぷふ」


「音論だって笑ってるじゃねえか」


「だって、ドラゴン……タマゴ……ぷふふっ!」


「鑑賞中に子ドラゴン産まれるんじゃないかと想像したら、もうダメだったよ。頭が動くたびにタマゴから産まれる寸前にしか見えなくて、映画に集中できない」


「ぷっ、あははははっ!」


「そういうことがあって、それから僕は映画館がダメなんだ」


 こんな理由で映画館NGな奴、僕以外にいる?


「あーもう理由がズルいっ! なにその面白い思い出!」


「たぶん一生思い出してしまうんだろうな、僕」


「私も今の話聞いちゃったら、もうダメ……ぷっ!」


 なんか予想以上にツボってくれたんだな。


 音論がここまで笑ってるの初めて見た気がする。


「あら、ろんろー」


 と、通行人がこちらを見て、そう言った。


 笑っている音論の方を向き、ろんろーと呼んだのは、


「え、きーば、なにしてるの!?」


 きーば——というのは話しかけて来た彼女のあだ名だろう。


「歩いていただけで、特に何もしていないわよ。珍しいわね、ヘアスタイルも決めているし。あ、柿町かきまちくんと遊んでいたの、へえ」


 僕の名前知ってたのか、牙原きばはらさん。


「……初対面じゃないけど、ほぼはじめましてだよな、牙原さん」


「確かに初対面ではないわね、クラスメイトだし。でも髪の毛をきちんとセットしている柿町くんを見るのは初めてだし、はじめましてと言っても過言ではないけれど」


 牙原さん——牙原カミク。馬島くんの彼女である。


「お邪魔しちゃ悪いし、きーばさんはさっさと去るわね」


 話したことないから知らなかったけど、一人称きーばさん、なのか。馬島くんは色物好きなのだろうか。


「待って、きーば!」


「なによろんろー。きーばさんを空気読めないきーばさんにするつもり? 嘘でしょやめなさいよ、そういうの」


「違う違うよ、あのねきーば、質問!」


「はい?」


「諸事情あって、甘いデートをすることになったんだけど、甘いデートってなにするのっ!?」


「…………は?」


 牙原さんの疑問は納得だ。諸事情あって甘いデートするって意味不明だもんな。その諸事情を教えろって思うよな、普通。


 でも牙原さん、なんで僕を睨むの……?


 いや、まあ……言いたいことはなんとなくわかるけど。


「そんなの柿町くんが考えることでしょう、普通。きーばさんに聞かれても、このように困ってしまうわよ」


 ですよねー。僕だってそう思う。


「あの牙原さん……できれば……僕からも教えて欲しいんだけど……?」


「じゃあ、手でも繋いでカフェ行って、スイーツあーんし合う、ってきーばさんが提案したら、するのね? そういう解釈であっているわよね」


「ハードル高い!」


「聞いたのそっちでしょう、きーばさんは答えただけ。そんなこともわからないの、普通わかるでしょう、わかるわよね、ドゥーユーアンダスターン?」


 うわなんか怖い。牙原さん、たぶんドSだ。目つきがドSだ。馬島くんはたぶんドMだから、相性は良さそうだな。


「とりあえず柿町くん、ろんろーと手を繋ぎなさい」


「なっ……!」


「きーばさんの言うことは永遠に絶対」


「永遠に王様なのかよ!」


「女王様と書いてきーばさんと読むのよ。一般常識なのだけれどおかしいわね、談示だんじから聞いていないの?」


「馬島くんにそんなこと聞いてねえぞ!?」


 馬島くんの彼女、こんなにキャラ濃かったのかよ!


 馬島くんは金持ち要素以外、あんなに薄めなのに!


「あらそう。セブ島から帰って来たら、きつく言っておくわ」


 それはそれでイチャイチャなのだろうか。


 イチャイチャの形も色々あるんだな……。


「じゃあ早く手を繋いで。ほらろんろーが待っているわよ」


 待っているって……いや待っているのか、それは?


 指を順番に動かして、波のようにウェーブさせている——まるでフィンガーダンスのようなことをしている音論を見て、待っていると解釈して合っているのか微妙過ぎるだろう。


 しかし牙原さんの無言の圧がすごく、このままでは目で殺される危険性すら感じる。なるほどこれが女王様ってことか。


 女王様のプレッシャーに耐えられず、僕は音論の手を取った。


「……悪い、ちょっと我慢してくれ」


「え、と……あ、はい」


「美容院のことまだ根に持ってる!?」


「あ、違くて……普通に返事がそうなっちゃっただけで、我慢するよ、うん我慢する!」


「うん……ありがとう……でも改めて我慢させてるって確定すると、メンタルにダメージあるな。言ったの僕だけれど」


 我慢してって言ったのは僕だが、わざわざ我慢するって二回も声に出して言われたくなかったなあ……。


「あ、いやそうじゃなくて、我慢の種類……が違くて」


 我慢の種類?


 なんだそれ。我慢は我慢で種類なんか特にないだろう——と。僕が思っていると、音論から続けられた想定外の言葉に、ちょっと死にそうになった。


「ドキドキしちゃって恥ずかしいのを我慢してるの」


 あー死にそー。

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