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 姉さんは買い物と言っていて、服を買いに行くことは聞いていたけれど、じゃあなぜ僕は美容院にぶち込まれたのだろう。


 不思議だなあ。服を買いに行くって話だったのに、僕いまシャンプーされてるし。


「流し足りないところはないですか?」


「あ、はい」


 美容院とか久しぶり過ぎて、なんか緊張する。生配信より緊張しているかもしれない。


 僕が無駄に緊張していると、隣のシャンプー台から、先程された質問と同じ質問が聞こえてきた。


「流し足りないところはないですか?」


「あ、えと、見えないです……でもプロフェッショナルの腕を信じてます、大丈夫です!」


「ふふふ、ありがとうございます」


「こ、こちらこそ、頭を洗って貰ってありがとうございます!」


 隣の人物——というかわざわざもったいぶる必要もないので普通に言うと音論ねろんなのだが、緊張というより完全に美容院素人だ。


 美容院素人というのは、入店前に本人が言っていた。


「私、美容院とか初めてで、どうしたら良いんですか……いつも自分でちょっきんしてるからどうしたら、わ、笑われないかな、貧乏が背伸びしてやってきたって伝説になったりしたらどうしよう……」


 と、言っていた。ひょっとしたら、貧乏とか関係ないところで、もう伝説になってしまったかもしれない。


「お疲れ様でした、こちらへどうぞ」


「あ、はい」


 シャンプーが終わり、カット台に移動。


 たぶん僕、『あ、はい』しか言わないかもしれない。


 数秒遅れで音論のシャンプーも終わったようだ。


「お疲れ様でした、こちらへどうぞ」


「そ、そんなっ! 疲れることなんてなかったです、か、快適でした」


「あはは、ありがとうございます」


 タオルドライした濡れ髪の音論は、僕の隣へ案内された。


 隣でそわそわしている音論に、僕は話しかける。


「音論、別にあれだぞ、会話を膨らませようとしなくていいんだぞ?」


「膨らませようとしたわけじゃなくて、なんて返せばいいかわからないんだよお……」


「あ、はい。これで解決するから」


「あ、はい。こう?」


「そう。美容院はそれだけを言ってればなんとかなる」


「あ、はい」


「僕にも使うのかよ」


「あ、はい」


「無限ループ始めるつもりか?」


「あ、はい……ふふふ」


 無限ループは始まらなかった。自分で言った『あ、はい』で笑うなんて、浅いツボだなあ。


「そういや今日どこか出かけてたのか?」


 連絡してから返事を貰うことなくうちに来たけれど、音論の家から直接来たとしたら、いささか早過ぎる。


「図書館行ってたの。お休みの日はだいたい図書館行くんだ、私」


「勉強してたのか? しっかりしてんなあ」


 夏休みは宿題の代わりに午前中オンライン授業がある。月曜日、水曜日、金曜日——と、毎日ではないが、そのためにわざわざ早起きしなければならない。


 僕は早起きして強制的にしたくもない勉強をやらされ、その上自主的に勉強なんてする気にもならないが、音論はしっかりと勉強してるのか、さすがだな。


 今更だけど音論って結構頭良いんだよな。学年二十番目安にしている僕とほぼ変わらない順位だし。


「お勉強もしてるけど、私の場合は涼しい場所を求めて行ってるんだよ」


「あー、なるほど。図書館ならクーラーあるもんな」


「うん、お水も飲み放題だし、それで涼めるなんて、夏に図書館がなかったら私は干からびてるよ」


「早急に設備を整えられるように頑張ろうな」


 動画で広告収入を得られるまで、チャンネル登録はあと少し。しかし再生時間を稼がねばならないので、まだ先は長そうだ。


 音論がカラッカラに干からびる前に稼げるようにせねば。


「お待たせしました、今日はどのようにしましょう?」


 話していたら美容師が来た。どのように——か。流石にこの問い掛けを美容師から頂戴したら『あ、はい』では乗り切れないよなあ。


「えーと、全体的に軽くする感じで」


 僕の答えに隣から『乗り切れてないじゃん嘘つき!』みたいな視線が飛んでくる。そんな目で見られても、そりゃ仕方ないだろと開き直ることしかできない。


「では、全体を軽くして、トップは少しふわりと。後ろはどうしましょう、バランス良く整えておきますか?」


「あ、はい」


「かしこまりました」


 一応『あ、はい』を使っておいた。音論には、もう遅いみたいな顔されたけれど。


「お待たせしました、今日はどうしましょう?」


 さて、音論はなんと答えるか。申し訳ないけれど、ちょっと楽しみにしている僕がいた。


「あ、えと、え、と、はい、そのー、私、私は……一体どうしたら良いと思いますかあ……?」


 人生相談みたいなトーンで美容師に言いやがった。


 やめろよお。笑い堪えるのキツいからやめてくれ。


 僕が笑いを我慢していると、美容師のお姉さんが音論の耳元でなにやら話している(?)みたいだが、ヒソヒソ話しているので内容までは聞こえてこない。


 音論と数回ヒソヒソトークを繰り返した美容師さんは、僕の方を向き、


「そちらのお客様は、どうしたら良いと思いますか?」


 と、なぜか僕に振ってきた。


「え、僕に問われても……」


「たとえば——たとえばのお話で、お客様でしたら恋人にどのようなヘアスタイルをして欲しいとか。参考までに」


「たとえば……っすか」


「そうたとえばです。髪型のタイプは様々でしょうし、参考までに」


「えーと……特に」


「特に、ですか。でも男性ってそう言うわりに、髪型に好みありますよねえ。お好きな髪型を言ってくださるだけで構いませんよ、遠慮せずに」


「そう言われても」


 なんだこの美容師、ウルトラグイグイ来やがる!


 というかプロならプロの正解もといマニュアル解答を準備してるんじゃないのかよ!?


「特にない——そう言いながら、じゃあ坊主だと納得しない。気合い入れてセットしても褒めてくれるわけでもない。男性はもう少し女性のヘアスタイルの変化に敏感であるべきなのですよ、お客様。男性が鈍感キャラを気取っても、喜ぶ女性は一人もいないと気づくべきなのですよお客様!」


 闇が深そうな美容師だな……。数日以内になにか嫌なことでもあったのだろうか……。


「こほん、失礼しました。あくまで参考。そう参考ですので、晩ごはんのメニューをリクエストする感覚で構いませんから、お聞かせくださいな」


「じ、じゃあ……そうっすね」


 これは答えないと僕のカットも始まりそうにない。僕のカット担当の美容師もハサミを止めて待っている(仕事しろ)。


「あまり重すぎないストレートっすかね……たぶん」


 好みのタイプ——なのかは自分でもわからないけれど、とりあえず参考と言っていたのだからこれくらいで解放してくれるはず。


「なるほど。それはロングってことでしょうか、できればもっと具体的に」


 求め過ぎだろ、この美容師。僕で解決しようとするなよ。


 ……なら僕にだって考えはある。つまりこの美容師は僕の好みをそのまま音論に提案するつもりなのだろう。


 面白い、その手のひらで踊ってやろうじゃねえか。


「具体的に言うなら、ゆるふわカールのカールが時間切れでストレートに戻ったみたいな——多少ふわっとしてて、でもカールはしていない、ウェーブとも違くて、柔らかな印象がありつつ、しかしストレートと言えばストレートと呼べる感じですかね」


「な…………なるほど、さ、参考になりました、はい」


 おい、引いてんじゃねえ。聞いたのそっちだろう。


 こだわり強くてめんどくせえ、みたいな目で見るなよ。


 僕にそんな目を向けた美容師さんは、音論の方を向いた。


「では全体的に軽くして、傷んでいる毛先をカットしましょうか?」


 僕に聞いた意味あったの? 僕の言葉は使えない参考として流された感じなの?


「あ、はい」


 僕の脳内質問は虚しく、音論の『あ、はい』でオーダーは終了。


 その後、僕は約三十分、音論はだいたい一時間を使ってカットが終わった。


「多少スッキリしたねえ、葉集はぐる


 と、カットを終えた僕に姉さんの言葉。


「久しぶりの美容院、めっちゃ疲れた……」

 

 もうこの店二度と来ねえからな僕。


 疲労した僕に苦笑した姉さんは、視線を切り替えて音論の方へ。


「音論ちゃんはどうだった、美容院デビューの感想は?」


「髪をツヤツヤにして貰っちゃいました! あと葉集くんに『あ、はい』で乗り切れるって言われたのに、あっさり裏切られました!」


 根に持ってるのかよ、その件。ごめんて。


「でも本当に良かったんですか? 葉恋お姉さん……美容院、安くないのに出して貰っちゃって……」


「いいのいいの、これもお祝いだよ音論ちゃん。次も応援してるから頑張ってね」


「はい! 優勝して恩返しできるようにがんばります!」


 恩返し——か。それをするためには、僕の作詞次第だな。


 僕だって姉さんの世話になっているし、恩返しはしたい。


 それもやっぱり僕の作詞次第……か。うーん、困ったな。


 次の『甘い歌詞』指定は僕にとってかなり高い壁だ……。


「……………………」


 ただ——指定されているのは歌詞。つまり曲調はどのような曲でも構わないということ。


 なら思いがけない曲調で勝負するのもアリだろう。


 実を言うと、『甘い歌詞』指定を見た瞬間から、ひとつ思っていることがある。それが上手くハマるかはわからないが、しかし今までの曲より印象はガツンと残る曲になるだろう。


 音論の作曲ノートに、僕の考えに適した曲はあった。だから結局のところ問題は——これだけだ。


「……僕の作詞次第だな」


 美容院を後にした僕は、姉さんの車に乗り込みながら、小さく呟いた。


「さーて次はショッピングモール行くよー!」


 姉さんの言葉で、そういやまだ帰れないことを思い出し、ちょっとテンションが下がった。


「二人の勝負服と、あと葉集、あんたに特別プレゼントがあるから楽しみにしてなよ!」


「特別プレゼント? なんだそれ?」


「特別なんだから今言うわけないじゃんよ」


「ほう、それもそうか」


 特別プレゼント——そのワードでテンションがちょっと上がった僕だった。

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