5


「すごいなんてこった! 銭湯から家まで十五分で着いた!」


 私行くとき倍以上歩いたのに——と、自転車の後ろから降りた音論は、スマホで時間を確認しながらテンション上がり気味でそう言った。


 僕からしたら、良く徒歩で行くを決意をしたなと思う距離だが、音論の移動手段は徒歩オンリーなので、仕方ないんだろう。


 自転車なんて決して高額な物じゃあないけれど、しかしそれは一般的な立場から見た金額で、彼女にとっては高額なのだろう。


「これから毎日、銭湯通うのか?」


「うん、ガス代が払えるまでね。でもそろそろ暑くなって来たし、いっそ水風呂もありかなあ、なんて思ってる」


「流石にまだ寒いだろそれ」


「真夏は最高だよ〜。クーラーないから夏場の生命線になってるもん」


「クーラーか。クーラーは地味に高いからなあ」


 クーラーの値段なんて知らないけれど。


 でも安くはない……はず。


「収益化ができたら、クーラー買えるかもな」


「まだ先は長いよね。今投稿したのは四曲で、収益化まであとチャンネル登録人数も半分くらいあるし、再生時間もまだまだ足りてないもん」


「でもペースは悪くないと思うぞ」


 悪くない——むしろ良いペースだと思う。


 投稿した動画で顔出しはしていないけれど、姉さんのアドバイスで太ももだけは露出させている。


 姉さんいわく、せっかくいい太ももしてるんだから、露骨に太もも需要を取り込むべきだ——と、アドバイスをいただいたので採用したが、さすが本職官能作家の助言だけあって、効果はなかなかあるのだろう。


 誇らしくは思えないが。さすがに。


 それに、太もも効果もあるだろうけれど、そんなことはきっかけで、音論の歌唱力が本物だからだろうな。


「とりあえず、今のペースで投稿していけば、今年中には収益化も夢じゃないと思うぞ」


 それに必要なのは、僕の作詞だが。


 今月は音論の詞と、他にもう二曲書かねばならない。


 姉さんのサークル『葉恋家はれんち』の新作ゲームの作詞を依頼されているから、学生にはなかなかの仕事量でハードスケジュールである。


 とは言え、サークルの方は比較的楽だ。


 作詞先行なので、メロディに合わせて書く必要がないぶん、作業難度は楽な方だ。


 その辺は作曲編曲歌唱担当の色ノ中いろのなか識乃しきのに感謝すべきだろう——が、素直に感謝しにくい人間過ぎる。


「ひとまず、今月はあと一曲は動画にしたいな。月に四から五曲は目安に投稿したいからな」


「私は嬉しいけれど、葉集はぐるくん大丈夫? 作業大変じゃない?」


「平気平気。基本やることなかった人間だから、やることがあった方が生きてる感じするし、正直楽しんでるから」


「生きてる感じって、そんなに暇人間だったの……?」


「暇というか、なんだろうな。自分から率先してやりたいことがなかったって感じなのかもな」


 作曲家を目指していたときは、楽器やらに夢中だったけれど、才能の無さを実感してからは与えられたことしかやっていなかった。


 サークルの作詞だって、僕がやりたいと言い出したわけじゃない。国語の成績が良いからやってみるか——と姉さんから言われて始めてみただけ。


 言ってしまえば、それこそ暇つぶしだったのかもしれない。


 その特に楽しくもなかった暇つぶしが、音論の曲を書くようになって、楽しいと感じている。


 不思議なものだ——たった一曲でやる気にさせられるのも音楽であり、たった一曲でやる気を奪われるのも音楽ってことか。


「楽しいって思ってくれてるなら、私は嬉しいな」


「楽しいよ。間違いなく楽しい」


「えへへ」


 あ、そうだ——と。ニコっと笑んだ音論は、続けて言った。


「さっきの人、ほっといて大丈夫なの?」


「あー、大丈夫。アイツへの対応はあれしか知らないから」


「お友達じゃないの?」


「僕は友達と認識していない。敵として認識してる」


「敵って……美人さんだったのに」


「美人だから味方として見るなんて浅はかなことは愚か者がやることだ。僕は外見だけで友達を選ぶような偉い財閥の人間みたいなやつじゃないのさ」


「すごくドヤ顔で言われてもなんて返せばいいかわからないよ!? 偉い財閥の人になにか恨みでもあるの!?」


「特に恨みはない」


 勝手なイメージである。漫画とかの嫌な奴って偉い財閥の奴か、あるいは殺人鬼くらいのものだと僕は決めつけている。


「葉集くんのそのイメージだと、馬島うましまくんも悪者になっちゃうよ」


「殺人鬼だったの!?」


「そっちじゃないよ!?」


「じゃあ財閥のおぼっちゃんだったのか……」


 豪邸だったもんな。あのレベルの家を都内に確保しているのは、やはり相当のボンボンだったか。


 逃げて逃げて走り回ったリビングに、一体どれだけのお宝があったのだろうか……僕、なにも壊してないよな……不安になるんだけど。


「馬島くんのおうち、結構有名なんだよー」


「マジか知らなかった。今さらだけど僕って、普通に地方出身で上京ルーキーだから、田舎モンなんだよなあ」


「私より都内出身っぽいのにね」


「いやどっからどう見ても僕の方が田舎モン感あるだろ」


「いやいやいや、葉恋お姉さんにお洋服貰うまでの私、休日も制服で歩いてたし、部屋着なんて使い古したバスタオルを自分で縫った自作だよ。オシャレなお店でランチもしないし」


「裁縫できんのかよ、すげー」


「お裁縫は生きてくためのスキル」


 涙ぐましい生活してるな本当……。


 僕なら世界を呪う環境だけど、よくもまあ、ここまでまともに育ってくれたものだとさえ思えてしまう。


「なら収益化を早くしないとな」


 今年中どころか、明日にでも叶えてやりたい——が、流石にそれは無理だ。


 でもなるべく早く、最短最速ではなくとも速度を上げたいが、しかしそのためにはどうするべきか。


「……………………」


 そもそも——そもそもだが、オリジナル曲だけで人を集めるのは限界があるのではないだろうか。


「……そうか、何曲か有名な楽曲を歌ってみて、名前を知ってもらうことを優先すべきかもな」


 検索ワードに引っかからなければ、現状だと見てくれる人は少ない。それでも収益化まで半分を集めているのは凄いことだが、それでもまだ足りない。


「歌ってみた、ってやつでしょそれ? 私知ってるよ」


「それそれ」


「でもそれも難しくないかな? 世の中にはたくさんの人が歌ってみてるわけだし、その中で私たちを見つけて貰えるのは結構運任せになっちゃう。私、運に自信はないかなあ」


「僕も運に自信はない」


 運ゲーには勝てる気がしない。


 運ゲーか。運ゲーとは言ったものの、僕は運ゲーってものは存在しないと思っている。


 運ゲーのように見えても見えるだけ。


 そこには当事者しか知り得ない緻密ちみつな計算で割り出された勝率があって、その勝率をどれだけ上げられるかが、勝敗に繋がる。


 計算か……。果たして僕にその計算が出来るだろうか。


「歌ってみたは挑戦してみよう。やるだけならタダだしな。それと、なにごともトライしてみなければ始まらない」


「トライアンドエラー、ってやつだね!」


「スーパーどうでもいいこと言うけど、トライアンドエラーって和製英語だって知ってたか?」


「知らなかった!」


 正しくはトライアルアンドエラー。


 本当にどうでもいい雑学だ。


「葉集くん、和製英語に詳しいの?」


「いや別に。ただ、変だなと思うことは結構あるけど」


「たとえば?」


「マグカップ」


「どうして?」


「そもそもマグって取っ手がついたカップのことだから」


「すごいなにその知識」


「骨付きカルビという言葉にも疑問を抱いている。カルビって骨付き肉のことだろ」


「カルビを食べたことがない!」


 悲しいカミングアウトを引き出してしまった。


 食べ物で言うなら、チゲ鍋もなのだが。チゲって鍋のことだから鍋鍋になっちまう——と褒められたから調子に乗って続けたかったけれど、食べ物の話題はやめておこう。


「あ、じゃあ私も疑問に思ってる言葉があるよ」


「ほう、なんだ?」


「アラーの神。アラーの神って言うけれど、アラーが神だよね?」


「確かにアラーが神だ」


「正しい読みは、女王じょおうなの女王じょうおうなのどっちなの、って思ったこともある。実はまだ答えが出てないの」


「なかなかシュールな疑問の出発点してるな!?」


 女王はともかく、アラーの神という言葉に疑問を抱く高一女子ってなかなか居ないだろ。一体なにきっかけでアラーの神に首を傾げたのか気になるところだが、ここで僕のスマホがぶるぶるした。


 電話だった。姉さんからの電話。


 とりあえず出ておく。


「どうしたんだ?」


「おー葉集。あんた今日帰って来るんでしょ?」


「うん」


「なら早く帰ってきなー。色ノ中ちゃん待ってるよー」


「ごめんやっぱ帰らない」


 そう言って僕は通話を切った。


 帰らないというか、正しくは帰れないだ。


 あんな奴が待ってる家? んなもん地獄以外のなにものでもない。地獄だし、なんなら地獄の中でも最下層と言われる阿鼻地獄と言っても過言ではない。


 つーか、なに待ってんだよアイツ。家知ってることは、おそらく姉さんが犯人だろう。くそう。


 畜生、僕も一人前に稼げるようになって、色ノ中に知られない場所に住みたい。たったいまそれが僕の夢になった。


「葉集くん、帰らないって、どうするの?」


「幸い、着替えやらは持っているから、誰か友達にでも頼るさ」


「私と馬島くん以外にお友達いたの!?」


 鋭いなその刃。僕の心に効果抜群。


 なによりも悲しいのは、友達が二人しか居ない僕の交友関係である。一人も居ないなら友達はいらないと強がれるけれど、二人って絶妙な数だから強がれない。


「じゃあ今日はうちに泊まる?」


「は? いやいや、僕はいくら払えば良いんだよ」


「私そこまで守銭奴じゃないよ!?」


「ま、マジで言ってるんすか?」


「言ってるよ守銭奴じゃないって!」


「そうじゃなくて、泊まって良いってマジで?」


「お布団ないけどいいなら。いつもお世話になってるし、本当に些細な恩返しだけど」


「ありがたいけれど……僕男だぞ」


「知ってる。でもほっといたら野宿するでしょう?」


「僕を見抜く天才か?」


 いや待て待て、待つんだ僕。


 泊まらせてくれると言うことは、泊まらせてくれると言うことだ。違うそうじゃなくて、あーなに言いたいかわからない。


「恩返しにならないけれど、野宿させたくないもん。だから泊まって、ね?」


「そもそも恩を返して貰うほど、僕は恩を売っていないんだけど」


「売ってるよ、売ってるというか、ご自由にお取りくださいのフリーペーパー並みに私は持ち帰ってるよ!?」


「フリーペーパーってそんなに持ち帰るものなのか?」


 冷静じゃないから、フリーペーパー需要について尋ねて、落ち着きを取り戻そうとしたが無理だった。


「一宿一飯の恩義だよ。私はお泊まりしたわけじゃないけれど、ご飯は何度もごちそうになってるもん」


「でも……悪いだろさすがに……」


「むー! もういいから上がって! とりあえず上がってから考えて!」


 そう言った音論に引っ張られて、僕は家にお邪魔することになった。


 なんか知らないけれど、僕は馬島くんに心から感謝した。


 僕を見捨てようとしたことはこれでチャラにしてやろう馬島くん——と、内心で呟き、まさかの予定とは違ったお泊まり展開に僕は朝まで生きていられるのか、期待と不安ですでに死にそうだぜ。


 とりあえずこれだけは言っておこう——さて。


 ラブコメディを始めようか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る