解けない魔法。
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「でけえーーーーーー」
「おっきーーーーーい」
改めてさいたまスーパーアリーナの大きさを実感して、僕たちは見上げてしまった。
アホみたいに二人してポカーンとしていると、入り口付近にお兄さん——もとい糸咲さんの姿を発見して、僕と音論はそちらへ向かった。
「お、まっとったよー『ヨーグルトネロン』。ヨーグルくん、ネロンちゃん。よう来よったね」
「おはようございます、糸咲さん」
「おはようございます糸咲さん!」
十二月二十五日、午前十一時。朝ではないが、目上の人へのファースト挨拶は、この挨拶しかあるまい。
「おはようさん、クリスマスに呼んでもうてすまんね、二人とも」
「いえ、こんな機会をいただけて、とてもありがたいです」
「ほんまか? 二人でいちゃつきたかったんちゃうん?」
ニヤニヤしながら言ってくる糸咲さん。
「そ、そんな、私たちはまだそういう関係じゃないです!」
気が動転しているのか、音論の否定に引っかかる。
まだって言ったもん。テンパってるなあ。
「あはは、それならええわ。いやええんかわからんけど、とりあえず今日は、きみらの貸し切りリハーサルや」
存分に使ってくれや——と。糸咲さんが言うと、入り口から一人の女性が出てきた。
女性——もとい女子。いつものマニュアル人間感のある旗靼さんではなく、むしろ僕らより下に見える女の子。
「おい兄貴。アタシを一人にしやがると迷子になるってわかりやがらねえのです?」
「おー、すまんすまん」
兄貴……? 兄貴なの?
兄妹? いやでもなんか、喋り方のせいで、師匠的なニュアンスにも聞こえる。
「あの糸咲さん、その子は?」
「アタシですかい?」
「いや、きみじゃなくて糸咲さんに聞いたんだけど」
「アタシも糸咲ですぜえ!」
「え、じゃあ兄妹? なんすか?」
どうやら師妹関係ではなく、妹。糸咲さんの妹らしい。
ぶっちゃけ似てない。おそらくどっちかが母親似で、どっちかが父親似ってやつだろうか。
「紹介しとくわ、俺の妹の
「紹介されやがりました、瞳王でごぜえますです。あなたはどちらさまでいやがりますか?」
独特な言葉遣い……キャラ付けなのかなあ……?
「すまんなー、こいつ先月までサンディエゴに住んどってん。せやから向こうから来たんは今月やねんけど、日本語の勉強をなんや日本の変なアニメでしてもうて、こんな風にしかまだ話せへんねん、堪忍したって」
「おい兄貴、こいつらに誰様なんだって聞いたのに答えやがらねえです。アタシの言葉、理解してやがらねえんでしょうか?」
うーん。これは濃いなあ。関西弁だからってだけで糸咲さんも普通にキャラ濃いイメージだったけど、妹はそれを遥かに超えてるなあ。
「アホ、瞳王。お前その言葉遣いどうにかせんとホンマヤバいで? 来年からこっちの高校行くんやったら、もっとちゃんとした日本語の勉強せえよ、失礼やろ」
「あ、僕たちなら大丈夫ですよ、糸咲さん」
そう言ってから、僕は糸咲妹に自己紹介をした。
音論も続けて自己紹介をして、聞き終えた糸咲妹は、
「アタシは兄貴の妹ですぜえ。義妹とかじゃなくて、本物の妹でいやがります」
と、言ってから、ペコリ。さらに続けた。
「おめえ様たちが『ヨーグルトネロン』なんでごぜえますか?」
「うん、そうだよ」
「ワーオ! じゃあじゃあ、サインしやがれですっ!」
「……サイン? 僕らの……?」
なんで? サインって、ひょっとしてなにかの隠語として言ってるのか? だとしたら理解できないんだけど。
チラッと横に目をやると、どうやら音論も完全にハテナ状態。
「実はな、うちの妹な、きみらファンやねん。なんや向こうでたまたま配信視聴して、それからずっと追いかけとるみたいでな、今日もきみらに会いたい言うて無理矢理着いて来てん。ホンマすまんけどちょっとサイン頼まれてくれへんかな?」
「え、僕らの……ファン?」
マジで? マジなの?
「ファ、ファファファファファファファファン!?」
「いや噛みすぎだろ音論」
「だだだって、ファンって、本当に存在したの!?」
「してるだろ。配信でそれなりに人来てるし」
とは言いつつ、僕も信じられない。だってまさかこんな女の子が……って思いが強過ぎる。自分で言うのもあれだけど、だってだって作詞僕だぜ、僕のアレな作詞なんだぜ?
「いつもの配信でつけていやがる、あの鬼イカしたワンダフルヒーローアイマスクはしてやがらねえんですか?」
「あんなの巻いて歩いてたら、僕らきっと職質されちゃうから」
にしても鬼イカしたって思ってるのか、あれを。
鬼イカれた、と思われるよりマシだが。かなり。
入手先がSMショップってことは、この子には何がなんでも秘密にしよう。あとワンダフルヒーローアイマスクってところだけ、発音めちゃくちゃネイティブだったな。僕の耳にはゥワンダフォゥヘェロゥエィメァスクって聞こえたもん。
さすが先月までサンディエゴに住んでたってことだろうか。なんでサンディエゴに住んでたのかわからないが、家庭事情ってやつだろう、たぶん。それより一体どんなアニメで日本語を学んだら、その言葉遣いになるんだよ。むしろそっちの方が気になるじゃねえか。
「サイン書くのはいいけど僕、ペンがないんだよ」
「わ、私も……持ってない」
僕らが言うと、糸咲さんがポッケからサインペンを取り出した。
「俺持っとるで」
なんで持ってんだよ、糸咲さん。サイン書いたことないから、やんわり断れると思ったのになんで持ってんだよあんた。
仕方ないので受け取る。出されたら受け取るしかない。
「でもサインって、どこに書けば……?」
「ワーオ、書いてくれやがるんですかい!? アメイジング!」
「うん……書くよ」
カタカナでヨーグルって書くだけになるけど。たぶんネロンも同じく。
「それじゃあ、ヘイヘーイ、アタシの背中にプリーズカモーン!」
言いながら背中を向けて、なぜか上着を脱ぎ捨て、昼間とはいえ十二月にティーシャツになり、背中を大胆にベロンと出した。
ブラのホックが丸見えである。バストはサンディエゴクオリティなので、正面からだったら僕は必然的にいやらしい顔をしてしまうところだったからホックだけで助かった。
「葉集くん見ちゃダメ!!!!!!!!!!」
「んがっ……!」
すぐ目隠しされた。手で。ホック鑑賞は許されなかった。
しかも手で勢いよくされたから、目隠しというより目にビンタである。寒いからめちゃくちゃ痛え。
「あ……ごめん」
「いや……大丈夫だよ……平気」
また目ビンタされないように、僕は自分の手で目を覆って隠した。
「ちゃんとサイン書くから瞳王ちゃんも背中しまって!?」
「ホワイ!!?」
「こっちの台詞だよ!? 私がなぜって言いたいんだよ?!」
風邪引いちゃうからほら、と。音論が説得して、ひとまず背中露出をやめさせた。ちなみに僕はこっそり見ていた。男子なので。
まさかボディにサインを求めてくるとは……サンディエゴでは当たり前なのだろうか、これがサンディエゴクオリティ? そら恐ろしいクオリティだな。
「なにしとんねん、ほんま……俺の妹ならもっときちんとせえや、仕方ないやっちゃな、もー、ちょっと待っとれ」
結局、サインは糸咲さんがコンビニまで走り、わざわざ色紙を買ってきて、それにすることになった。なんか糸咲さんの意外な一面を見た気がする。
「マーベラス! センキューヨーグル! センキューネロン!」
なにはともあれ、喜んでくれた。カタカナでそれぞれヨーグル、ネロン、と書いたあと『ヨーグルトネロン』って書いただけなのに。なんかごめんな、そんなサインで……。
「ちゅーか寒いわな。ここで話すのもなんやし、とりあえず中入ろか。音響さんたちにも挨拶しやすいよう紹介したるわ」
糸咲さんの言葉に二人できちんとお礼を言って、僕たちは中に入った。
「待ちやがれです兄貴! アタシ迷子もう嫌ですぜえ?」
「なら兄ちゃんから離れんなや。しっかりついて
「イエース、
「やかましいわボケ。なにがブロやねん」
なんだかんだ、糸咲さんは面倒見のよい、良いお兄さんのようだった。ちょっとマジで意外。
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