3


 日曜日。デスクで寝落ちした僕を起こしたのは——叩き起こしたのは、姉さんだった。


「おーい葉集はぐる! 起きろー! 起きないと二度と目覚めることない物体にすんぞこらあっ!」


「……それ僕を死体にするってことかよ」


「はいおはよう我が弟よ」


「うん、おはよう……つかなんだよ今日は日曜日だろ」


「その通り日曜日だよ」


「じゃあ起きなくて良い日じゃねえか……」


 姉さんの朝飯は用意しておいた記憶があるし。


 目を擦りながらスマホで時間を確認する。


「まだ午前中じゃん」


 日曜の午前十時。学生は寝てていい時間で夜に等しい。


「ん……?」


 スマホの画面をよく見てみると、めっちゃライン来てる。


 めっちゃというか信じられないほど来てる。


「……え、なにこの大量のライン通知……迷惑アカにでも狙われてんのか僕は」


 恐る恐る開いてみると、全て音論ねろんからのラインだった。八十六件の通知全部音論。


「こわっ…………」


 メッセージ開封するの怖いんだけど。


 え、僕なんかしたか?


 とりあえず一旦スルーしよう。


「起きたなら顔洗って歯磨きしてきな」


「……てかなんで起こしたんだよ」


「起きればわかるよ」


「起きてもわかってねえんだけど?」


「いいからシャキッとしろシャキッと」


 理解が追いつかないまま、僕は椅子から立ち上がる。めっちゃ肩と腰痛え。


 きしむ体にムチを打ち、僕は洗面所へ。


「あ、起きた! おはよう葉集くん」


「……いるんかい!」


「えへへ、いましたー!」


 音論がいた。洗面所に向かう途中でリビングを覗いたら普通に音論がいた。


 僕なにか約束してたっけ……? してねえよな?


 ひとまず脳を覚醒させるために、洗顔と歯磨きだ。


「よし、目覚めた」


 目覚めたけれど、特に約束をした覚えはない。


 まあリビングに行って、本人に聞けばいいか。


「で、どうした? 僕になにかようか?」


「うん! 昨日送ってくれた歌詞!」


「……あ、そうか。僕書き終えたんだっけ」


 ようやくハッキリしてきた頭で昨夜のことを思い出した。書き終えて送信して寝落ちしたんだ。だから椅子で寝て起きたんだった。


「不満だったか……?」


 ハッキリしてくると、歌詞に不満があったとしか音論が朝から突撃してくる理由が見当たらない。


 自己評価は合格点だったけれど、不満ならば書き直さねばならない。


「ううん、不満じゃないよ。ちょっと……いやとてつもなく刺激的だなあ、とは思ったけれど」


「悪い、ああいう感じのしか書いたことないんだ」


「大丈夫! 先にCD借りてたから覚悟はしてた!」


「で、不満じゃないなら、なんだ?」


「うん、あのね……あの歌、どうやって歌えばいいの?」


「どうやってってそりゃ好きに……ああ! そうか!」


 そうか! 忘れてた!


 いつもの癖で、歌詞を書いて終わりにしてた!


「悪い、僕のミスだ。そうだよな、曲もらってから書いたんだし、仮歌作らねえと」


「仮歌? なにそれ?」


「仮歌ってのは、そうだな……このメロディで歌えばいい、ってガイドラインみたいなもんだよ」


「ガイドライン……?」


 一番わかりやすい説明をするなら、カラオケのガイドボーカルなのだが、確か姉さんから音論はカラオケに行ったことがないって聞いていたので、初めから教えるよりも見せた方が早いか。


「ちょっと待ってろ、今見せる」


 そう言って僕は自室に向かい、ノートパソコンを持ち出した。ついでにヘッドホン。


「仮歌ってのは、どういう風に歌っていくかを伝える手段で、ざっくり言っちゃえば、歌い手に歌を聴かせて覚えてもらう教科書みたいなものだよ」


「あ、なるほど。そういう感じなんだね」


「そうそう」


「えと、じゃあ今から葉集くんが歌って聴かせてくれる、ってこと?」


「いや、僕に出せる音域じゃないから、ボカロを使う」


「聞いたことある! 名前だけ!」


「ボカロは便利だぞ。このツールの誕生で、楽曲制作のハードルが格段に下がったからな」


「そうなの? 私が知ってるボカロって、可愛い子が踊ってるイメージなんだけど、違ってる?」


「あってるよ。ボカロで制作した曲に合わせて、キャラクターに踊らせたりもするからな」


「じゃあ今からパソコン画面飛び出して踊るの!?」


「そこまで技術発展してねえよ」


 いつかはそのレベルまで行きそうな気はするが。


「映像制作スキルは僕にないから、今回は歌ってもらうだけだよ」


 そう言って僕はパソコンを操作する。


 ボカロは編曲もできるから、本当に便利なのだ。


 曲を打ち込んで、歌詞はコピペする。


 あとは発声、発音を調整して。


「これで完了」


「はやい! こんなに早いの!?」


「今回はあくまで仮歌だからな。本格的に調整したらもっと時間は使うよ」


 ほら、と。パソコンと一緒に部屋から持って来たヘッドホンを音論に渡す。


 ヘッドホンを装着したのを確認してから、


「流すぞ?」


 と、僕が言うと、両手でヘッドホンを抑えながら頷いた。


 しかし仮歌か。仮歌なんて初めて作ったな。いつもは歌詞を渡してから曲作りがスタートするので、作曲担当に仮歌は丸投げで任せていたから、ボカロを覚えていてよかった。


 入院中にやることなさすぎて、ボカロの使い方をひと通り学んでいたことが役に立つなんて思っていなかったぜ。


 そもそも編曲自体ほとんどやったことないしな。付け焼き刃だが、今はまだそれで十分だろう。


 本格的に編曲すると、どのくらい時間を使うかわからないが、遅くても数日あれば終わるだろ、たぶん。


 今回は編曲も僕ががっつりやってみるか——と、思っていると、どうやら音論は聴き終えたらしく、ヘッドホンを外した。


「どうだ?」


「……や、やばい」


「あまり好みじゃなかったか?」


「ううん! 見てほら鳥肌っ!」


 そう言って腕を見せてきた。なんか嬉しい。


「や、やばいよ葉集くん……すごくてやばい。え、どうしてこんなにすごいの……?」


「いやこんなの覚えればできるし、曲そのものを書いたのは音論、お前だろ」


「そ、そうだけど、でも……こ、こんなになるなんて思ってなかったもん。私の思ってたイメージがぶっ飛んじゃった……もうこの曲、私ね、すごく大切になってる」


「そりゃ良かったよ」


 睡魔と連日バトった甲斐があったよ。


「うん、うん! 葉集くんすごい! ありがとう!」


 叫ぶように言った音論は、思いっきり僕にダイブしてきた。


「ちょ、恥ずいんだけどっ!?!?」


「ダメ、こうしてないと私、泣きそう」


「大袈裟かよ……」


「だって、だって……頑張ってくれたって、葉集くんが頑張って書いてくれたって、伝わったんだもん」


「……………………」


 頑張ったのだろうか、僕は。


 意地を張っただけ、って感じが強かったから、いまいち頑張った感はないんだよな。


 じゃあアマ作詞家として、ちっぽけなプライドがあったんだろうな。意地を張れたってことはそういうことだろう。


「お、なんだ二人とも若いなー朝っぱらから。避妊はしとけよー。ローションは好きに使ってもいいからね」


 と、自室から出て来た姉さんがリビングにチラッと顔を出して、それだけ言ってトイレに入った。


 気まずくなるようなこと言ってんじゃねえよ!


「ほら音論、そろそろ離れろって。姉さんにイジられるから」


「う、うん……えへへ」


 この笑顔は、たぶん僕だけが得られる報酬——と。


 喜んでくれた音論に感謝をしつつ、内心でガッツポーズをかました。


「ねえねえこの曲、私が歌って動画サイトに上げてもいい?」


「いいよ。つかこの曲は音論の曲だし、僕の許可なんて必要ないって」


「違うよ。これは私だけの曲じゃないもん。私たちの曲」


「……まあ、音論が納得するなら、それでいいよ」


「うん!」


「どうせなら収益化目指してみたらどうだ?」


「収益化?」


「動画を公開して、稼ぐってこと」


「か、稼げるの!?」


「一曲じゃ無理だけど、コンスタントに楽曲を公開し続ければ、無理じゃないと思うぞ」


「…………いっぱい稼げる?」


「さあな。それは音論次第だろ」


「私次第…………私次第。じゃあわがまま言わせて!?」


「なんだよわがままって」


「私、葉集くんに書いて欲しい」


「まあ、何曲かは僕が書いても良いけれど、でもきっと僕よりもっと凄い作詞家が声を掛けてくれるようになるよ」


 踏み台にはなる。その覚悟は決めている。


「やだっ! 私は葉集くんの歌詞を歌いたい!」


「なんでだよ。わがままかよ」


「わがまま言うって言ったもん」


「僕レベルの作詞じゃ、収益化なんて夢のまた夢だぞ?」


「歌いたい歌詞は私が選びたい!」


「……………………」


「ダメ?」


 ダメって突き放した方が、きっと音論のためになる。


 でも……言えない。言いたくない。だって死ぬほど嬉しいじゃねえか。


「ダメだ……って言いたいけど、言って納得しそうな顔じゃねえんだよなあ」


「うん、しない!」


「…………後悔するぞ」


「しない!」


「本当に?」


「しない!」


「……………………」


 頑固だよなあ、こいつ。


 名前呼びを強制して来たときも頑固だったしなあ。


「わかったよ……後悔しても知らねえぞ」


 そんな風に仕方なく——と、嬉しい気持ちを誤魔化すにはこの言い方が精一杯だった。


「うん! 一緒に億万長者になろうね!」


「いや、そのスケールの期待は僕には重すぎるだろ!」

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