4


「あーあ、キレが悪かったからモチベ上がんないわー」


 トイレから出て来た姉さんはそう言いながらリビングに入って来た。汚ねえ姉だ。


「つか二人でさっきからなにしてんの?」


 音論ねろんはヘッドホンを装着してリピート再生しているので、僕が応える。


「曲作りだよ」


「え、あたし葉集はぐるになにか依頼したんだっけ?」


「違う違う。僕が勝手に作ってるだけだ」


「マジか。へえ、珍しい。あたしはもう葉集は作曲やらないんだと思ってたよ」


「それも違うぞ、姉さん。僕がやったのは作詞と軽い編曲で、作曲はそこでヘッドホンしてる音論だ」


「おーマジかー。音論ちゃん作曲できんだ、凄いなー」


 凄いとは言っているが、姉さんは知らない。


 ただ作曲が出来る人間は少なくない——が、いい曲を作れる人間はひと握りしかいない。


 姉さんの言った『凄い』は、作曲が出来ることに言っただで、クオリティの高さを知らない。


 無理もない。だって姉さんは音論の曲を聴いたこともなければ譜面だって見ていないのだから。


「あたしも聴きたい」


「ボカロで作った仮歌だけど、それでも良いなら音論からヘッドホン借りて聴けばいいよ」


 僕の言葉に姉さんは、音論の肩をトントンと軽く叩き、ヘッドホンを借りた。


「歌えそうか?」


 耳が自由になった音論に問い掛ける。


「難しい歌だけど、たぶん!」


「もしキーが高すぎたりしたら言ってくれれば、僕の方で調整出来るから言ってくれ」


「うん、でも高さは平気だと思う。それよりも噛まないかの方が心配かな」


 まずは一回歌ってみないと——と、音論は言った。


 確かに歌ってみないとわからないことだ。僕も音論の歌声をきちんと聴いてみたい。指切りの歌しか聴いたことないけど、あの短いフレーズでさえ上手いと感じたのだから、歌自体は上手いはず。


 問題はどこで歌うか——である。


 スタジオを借りて歌うのもアリだが、しかし曲を作るごとにスタジオを借りるのでは金がかかり過ぎる。


 数回なら僕が出しても良いけれど、たとえ数回とはいえ音論が了承するとも思えないし、音論が了承するだけの言葉を僕が用意できるとも思えない。


 だからと言って、この部屋で歌うのも無理がある。マンションなので、流石に周りの部屋に迷惑だろう。


 どんなに美声だったとしても、僕の書いた歌詞が歌詞なので、周りの住人に『あの部屋やばい』と思われることは間違いない。


 カラオケルームの音量をゼロにして歌ってもらうのもアリか——声だけ録音して、後で編集で音をつければ……いや、いくら動画サイトにあげるだけとはいえ、それでは細かいズレが生まれてしまうかもしれない。


 その度にカラオケに行って収録し直すのも現実的とは言えないか。何度も僕がカラオケを奢っていたら、音論だって嫌だろうし、音論は放課後バイトもあるし。そもそも他の部屋からの音漏れが入ったら台無しだ。そうなると収録出来る場所の確保が最優先で必要になってくるな。


 どうせ投稿するなら、きちんとしたものを投稿させてあげたいもんな。


「どうするかなあ……」


 ふと呟いていた。すると姉さんがヘッドホンを外し、僕の方を見た。


「収録する場所が必要になる、って考えてる?」


「なんでわかったんだよ」


「ふふん、姉を舐めるなよ。何年姉やってると思ってんのさ」


「その理屈なら僕も姉さんの考えを読めなければおかしいんだが」


 姉さんが姉をやってる時間イコール僕が弟をやってる時間である。弟十六年目の僕は読めないぞ。


「安心しなさい我が弟よ。姉さんが良いものをあげよう」


 そう言って姉さんは自室に戻り、なにかを持ってカムバック。


「はい音論ちゃん。これあげるから使いな」


「こ、これは……あの時の」


 音論が姉さんから受け取ったのは、防音マイクだった。


 その防音マイクは僕が買わせたもので、姉さんは執筆中に文章を読み上げながら書く癖があり、つまり姉さんは官能小説の台詞を書きながらキャラを憑依させて声に出して読む。


 それが僕の部屋まで聞こえてきて、ぶっちゃけ気持ち悪いから買わせた。


 まあ、結局使われていないのだが。単に僕のミスが原因で未使用である。


 防音マイクはマイクなので、両手を使ってキーボードを叩いていると手に持てないことをうっかり失念していた完全なる僕のミスだ。


 だから現在も執筆中は、夜な夜な変な声が聞こえてくることはあるが、姉のそんな声で興奮できるほど完成した変態ではないので、脳が環境BGMとして勝手に処理している。


 そんなことよりも気になるのは、音論が言ったあの時というワード。


「あの時ってどの時だ?」


「あの時はだから……あの時なんて私言ってないなにそれ?! 幻聴じゃない!?? なに言ってるの変態!!!」


「僕なんで怒られたの?」


 マジで。マジでどうして?


 誰か知ってる人いたら教えてくれよ。ゆる募。


「でもそのマイクがあれば、この部屋でも音論の家でも歌えるし、最高のアイテムだな」


 それを姉さんに買わせておいて良かったぜ。


 僕の手柄である。さすが僕だ。


葉恋はれんお姉さん、これ……貰って良いんですか?」


「うん全然良いよ使って使って。あたしの部屋にあっても、オブジェクトになるだけだもん」


「あ、ありがとうございます!」


「なんならどこに使っても良い仕事するマッサージ機もオマケしようか?」


「そ、それは……大丈夫です」


 セクハラを見た。初めて普通のセクハラを見た。


 見ても感動とかしないけれど。加害者が実の姉だから、いつか僕の知らないところでセクハラ容疑で逮捕されないか心配になる。


「さっそく聴かせてくれよ」


「あ、えと……まって、心の準備が」


「あ、そうだよな。いきなり人前で歌うのは恥ずかしいよな」


「人前で歌うのはたぶん大丈夫なんだけどね、歌詞がね……男の子の前で歌うには勇気が必要……でね」


「そうだな……うん」


 それに関しては僕からはごめんとしか言いようがねえよ。


「じゃあ、ひとまず音論の家で帰ってから歌ってみて、録音したやつを覚悟が出来たら聴かせてくれる、って感じでどうだ?」


「うん、わかった!」


「よし、ならその間に僕は編曲を詰める」


「ん? これで完成じゃないの?」


「ほとんど最低限しかやってないからな。どうせ投稿するならもう少しやってみたいし、僕の勉強にもなるから」


「私にできることある?」


「そうだな……一緒に編曲するか? どういう楽器の音が欲しいとか、そういうリクエストを聞いて組み込むこともできるし」


「やりたい! 楽しそう!」


「じゃあ早速編曲するか——と、その前に」


 昼飯食おうぜ——と。僕は言って立ち上がった。


 気づけば昼時だ。姉さんも昼飯目当てでリビングにいるのだろうし。


「姉さん、食いたいものあるか?」


「んーそうだなあ。イケメンのダークエルフとか」


「食いたい食事の種類を聞いたのに種族を要望するなよ」


「太巻きとかどうよ?」


「……一応聞くけど、それは食事のメニューって解釈であってるよな?」


「それ以外になにがあるの? お姉ちゃん無垢だからわかんなーい」


 だよね? 音論ちゃん——と。音論にコメントを求める姉。本当に無垢な人間はそもそも無垢という言葉を知らない説を僕は唱えたい。


「そ、そうですね……太巻きって言ったら、太くて長いあの太巻きしかありませんもんねっ!」


「あの太巻きって、僕が思う太巻きだよな?」


「そ、そうだよ! 私貧乏だからその太巻きしか知らないもんっ!」


 だんだんわかって来たというか、既にわかっていたことなのだけれど、音論ってちゃっかりエロいワードというか隠語の知識あるだろ。あと貧乏だからって、言い訳として成立しないだろ、まあまあ意味不明だからな?


「太巻きかあ……太巻きの材料……」


「お、女の子に太巻きって連呼するの良くないよ!?」


「なんでだよ。太巻きに謝れよ」


 これ以上は自重しよう。僕がセクハラで訴えられてしまう。訴えられたら確実に勝てない。


「姉さん、具材のリクエストあるか?」


「イクラー。きゅうりー。卵焼きー。マグロのたたきー」


「全部ねえよ。つか冷蔵庫ほぼ空っぽだよ」


 思えば今週は作詞のことばかりで、買い出しに行っていない。


「んじゃ葉集、カード渡すから具材と、あと他になんか必要なものあったら買ってきて」


「わかった。音論も行くか?」


「え、いや私は帰ってご飯食べるよ」


「遠慮すんな食ってけよ。僕の金じゃないから」


「い、いや、それで頷ける理由にならないよ……?」


「僕なら即座に首を縦に振るが」


「それは葉集くんだけだよ!?」


「うーん。イクラ、食いたくない?」


「イクラ……食べたことない」


「美味いぜーイクラ」


「ど、どのくらい……?」


「そうだな。僕が初めて食ったときは、飛べると思ったね」


 マジで飛べると思った。思っただけで飛べなかったけれど。


 地元が北海道なので、初めてのイクラは飛べると錯覚するレベルで美味い最強のイクラだったのだ。


「音論ちゃんも食べてってよ。葉集と二人でもしゃもしゃするより、音論ちゃんも一緒で三人でもしゃもしゃした方が美味しいし楽しいからさ」


「でもイクラなんて高級品……貧乏が食べたらショック死とかしませんか?」


「死にはしないよ。イッちゃうだけだよ」


「一生食べることを拒むレベルの大事件ですよ!?」


 姉さん、それは本当にセクハラだからやめておけよ。


 裁判になったら勝てる要素ひとつもないからやめろ。


「とりあえず買い出し行くから音論も行こうぜ」


「わ、わかった……行く」


 やっと立ち上がった音論。リビングから玄関に向かおうとすると、姉さんが言った。


「んじゃあたしはその間に、炊飯器セットしてから、モチベを強制的に上げてくれる最強の鳴き声ツールを聞いて、キリがいい所までささっと原稿を仕上げちゃおう」


 モチベを強制的に……だとっ!?


「モチベを強制的にとかなんだよそれ、僕にもあとで聞かせてくれよ姉さん!」


 モチベの上げ方は知りたかったところなので、僕は食いついた——が。


「なに言っているの葉集くん。ダメだよ? ダメなんだよ? 絶対にダメなんだよ?」


 と。なぜか音論に止められた。


 なぜどうしてホワイ——と。僕は音論にたずねたかったけれど、やめた。ビビってやめた。


 あ、はい——としか返す言葉がなかった……。


 だって、戦国武将みたいな殺気を放っていたから。


 顔も笑ってなかったし。目が笑っていない和人形のようなおも持ちで戦国武将みたいな殺気を放たれたら、そりゃもうこの話はここで終わるしかあるまい。生命は大切にしないと。


 モチベーションを上げるために、命を落としてしまってはバランスが取れな過ぎるだろ。


 なぜ僕は殺気を放たれてまで、強制モチベーション上げツールを禁止されたのか、そこは気になるので誰か教えてくれると助かる。ゆる募。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る