5


 とりあえず買い出しはスーパーに行って、適当に買い込んできた。


 姉さんリクエストの食材も買って来たので、現在は炊飯器から取り出したご飯の粗熱を取って冷ましている。


 この間にやれることは、卵焼きを作るくらいだ。


 太巻きなので少し甘めにした、だし巻き玉子。


葉集はぐるくん、凄いよね……なんでそんなにお料理できるの?」


 僕のフライパンを巧みに操る姿をじっと見ていた音論ねろんがそう言った。


「小さい頃から姉さんが実家で家事の手伝いとかしなかったから、僕が手伝わされていたんだよ」


「お手伝いの領域超えてると思うの」


「僕も驚いてるよ。手伝いだけでここまで上達した自分の才能に」


 嘘だけども。こんなの毎日やってりゃ出来るようになって当たり前だ。経験の積み重ねでたどり着けるレベルで、才能が必要なのはもっともっと遥か先だ。


 いまの僕くらいのスキルで、料理で生きていける人間が挑戦する領域。このくらいのスキルを身につけてから、才能が試されるジャンルだろう。


 つまり僕はスタートラインに立っただけなのだ。


 料理で食っていくつもりがないので、才能があるかを試すことはしないが。


「僕の料理してるとこ見てて楽しいか?」


 じっと見られてると、地味に緊張するんだけど。


「別に葉集くんを見ているんじゃなくて、私は海苔でグルグルするところが見てみたいだけだよ」


 ただ僕が自意識過剰だったらしい。じっと見られてると思っていたから、恥ずかしいじゃねえか。


「そろそろご飯冷めたかな」


 恥ずかしいので僕は炊飯釜から逃したご飯の様子を確認。


 いま本当に粗熱を取るべきは僕の方だろうけども。


 ご飯を混ぜ、手の甲に少し乗せて温度確認。


 熱くないから平気だな。


「さて、巻くか」


 海苔の上にご飯を広げて、具材を並べる。


 酢飯にしても良かったが、姉さんは酢飯が苦手なので。


 マグロのたたき、きゅうり、だし巻き玉子。


「あれ、イクラは?」


「イクラは巻くんじゃなくて、ひとくちサイズに切った太巻きの上に載せるんだよ」


 イクラを巻いたらカットしたときに潰してしまうからな。


 ちょこんと載せれば潰れることはないし、見た目もオシャレっぽいだろ。映えるほどじゃねえけど。


 てなわけで巻き終わったのでカットして調理終了だ。


「リビング行くぞ」


「うん、巻くのすごい難しそうだった」


「簡単だよ。もし今度やることがあったら巻いてみるか?」


「やってみたい!」


「じゃあまた今度、太巻きのときは呼ぶよ」


「ほんと!? やった!」


 嬉しそうに頷く音論と並び、僕はリビングのテーブルに置いた。


 相変わらずローションはど真ん中にあるが、誰も気にしない。


「おおさすが葉集、いい出来だねえ。しっかし、太巻き食いたいって言ったら作ってくれる弟なんてなかなかいないよなあ」


「じゃあ言うなよ」


「感謝感謝いただきまーす美味い」


 感想が速い。速すぎて本当に美味いと思ってるのかわからないレベルじゃねえか。


「醤油いらないね。イクラの塩味が丁度いいわあ」


 ほら音論ちゃんもお食べお食べ——と、姉さんは太巻きを箸で持ち、音論の口に持っていく。


「あーん。ほらあーんして音論ちゃん」


「あーん」


 パクっと。音論は姉さんのあーんを受け入れ、食った。


 もぐもぐして、ごくんと飲み込んだ。


「ん、んんんんんん! んふふふ、んんふ、ふへへへ」


「太巻きで音論ちゃん壊れちゃった」


 イクラを食ったことがない少女が初めてのイクラでぶっ壊れたのか。食わず嫌いじゃないことが悲しくなる。


 そういや、草食ってたんだもんなコイツ。忘れていたわけじゃないが、忘れたかったので忘れた振りをしていたのに思い出してしまった。


 流石にバイト代が入ってからは草を食ってはいないだろうけれど(わからないけど)、バイト先のパン屋でパンの耳食い放題だったり、売れ残りパンだったりで生活している少女には、イクラとマグロのたたきは過剰摂取だったのかもしれない。


「イクラ……すっっっごい。イクラもだけど、マグロってこんなに美味しいんだ……どうしよう、こんなに美味しいって知っちゃったんだ私。贅沢を知っちゃったんだ……うう」


 ちょっと泣きそうになってるじゃねえか。泣くなよ。


 やめろよ、僕の心が庇護欲で満たされてしまうだろ。


「決めた私決めたよ葉集くん! イクラとマグロを毎日食べれるために必要なお金を稼ぐんだって決めたよ!」


「よし頑張れよ!」


 まず普通の食事を毎日できるようになれよ、とは言えなかった。ツッコんでいいことと悪いことがあるからな。


 その辺の線引きに僕は敏感だ。


「あはは、毎日食べるんじゃ結構稼がないとね」


「がんばります! 目標年収はどのくらいになるんだろう……?」


「んー。まあ毎日食べるなら、そこそこは必要じゃない? 都内は物価高いし」


「じゃあ目標金額は年収三億円にします!」


「三億あれば余裕だねえ」


 どう考えても三億も必要ないだろ。


 品質にこだわらなければ、一般的な年収でマグロもイクラも食えると思うが……。


「でも……三億円まで遠いなあ」


「そりゃ三億は遠いだろ。簡単に稼げたら日本は金持ち国家になるか、三億の価値が三百円くらいになっちまうかもしれないだろ」


「今のままで、逆に三百円が三億円の価値になったら良いのになあ……三百円なら私だって用意できるのに。ギリギリ」


「ギリギリなのかよ」


「うん。私の家、借金まみれだから返済しないとだもん」


「マジか大変だな……ちなみにどのくらい?」


「借金? 借金はお母さんが細かく教えてくれないんだけど、たしか二億八千万くらい、って言ってるの聞いたかな」


「二億八千万!?」


「そうなの。すごいよね」


 いやいや凄いのは認めるけれど、お前の家の話だぞ。


 プロ野球選手の年俸レベルじゃん、その借金額……。


 そんなさらっと発表される金額じゃなさすぎて、思わず大きな声で言っちゃったくらい多すぎるだろ。そんな多額のカミングアウトをされてるのに、ずっと食ってる姉さんのメンタル強い。


「一体なにがあってそんなに……?」


「私はよく知らないんだけど、私が生まれる前に病気で死んじゃったお父さんが事業に失敗して、でも失敗しても何度も挑戦して挑戦して、気づいたら膨れ上がったんだって」


 気づくの遅すぎんだろ、とんでもねえ親父だな!!?


 しかも……借金残して死んだの?


 ……死因本当に病気だろうな……?


「……………………」


 ど、どうしよう。思いのほか重い話が飛び出して、掛ける言葉が見つからない。


「じゃ、音論ちゃんは稼がないとね。あたしは音論ちゃんなら稼げるようになる、って信じてるよ」


 姉さん。急にまともなこと言い出したけれど、電マ片手に言う台詞じゃないからな?


 スイッチ入れずに肩叩きとして使っていても、結局は電マは電マだから見た目で台無しなんだよ。


「葉集と音楽やりなよ。あたしも葉集の将来が心配だし、音論ちゃんと一緒なら安心するしさ」


「姉さんに将来を心配されるだと? 確かに自分の将来に明確なビジョンもないし、それは僕も心配だったりするけれど、いやいや待てよ姉さん。弟に飯の管理やら掃除洗濯を任せっきりにして、エロ小説書いたりエロゲ作ったりしている自分のことを棚に上げすぎだろ」


「エロゲはともかく、エロ小説は生活するために書いてるんだし。ならあたしの印税で食わしてもらってるあんたの将来の方が心配でしょうよ」


「ぐっ…………」


 くそう。反論の余地が見当たらない、完璧な論破をされてしまった。


 ジャンルがエロでもさすが小説家ってことか。脱帽。


「てかエロゲもそれなりに売れてるしね」


「なんてこった。僕は姉さんの世話をしている気になっていただけで、真実は姉さんに生かされていたのか……」


「エロゲの方はあんたも作詞で参加してるから、五分五分だけどね」


 適正価格のお小遣い上げてるっしょ——と。そう言われてはなにも言えない。


「いや待て。作詞一曲で一万は安くねえか?」


 適正価格にしては安い。どう考えても安い。


「てへ」


「おい下手くそかよ!?」


「わかった……わかったよ。きちんとこれから依頼する曲は、本当に適正価格を払うからさ」


「ちなみに適正価格っていくらなんだ?」


「適正価格というか、相場だよね。ほとんどの相場は曲——つまり、完成した一曲の場合、五万から二十万くらいが基本かな。ぶっちゃけるとね、うちのサークルはあんたを一万にして、ボーカルの色ノ中いろのなかちゃんが十五万なのよ。てへ」


「僕の十五倍も受け取ってやがったのか、アイツ!」


「まあだって、収録の度にわざわざ北海道からこっちに来てもらってるからさ。交通費も込みって感じなわけ。てかてっきり、とっくの昔に色ノ中ちゃんから聞いてると思ってたよ」


「聞いてないぞ。そもそも僕、アイツからのラインとかブロックしてるし」


「……なんでさ?」


「怖いんだもん、色ノ中」


「幼馴染なのに?」


「姉さんは高校からこっちに来てるから知らないだろうけど、アイツ僕のこと尾行したりするんだよ……部屋にも勝手に上がってくるし。僕が出掛けている隙に部屋の壁紙一面にアイツの写真を貼り付けたりするんだぜ? 怖くね?」


「うわ、マジか。色ノ中ちゃん、あんたのこと好き過ぎでしょ。そんな絵に描いたようなヤンデレって存在したんだ」


「写真剥がすとその下にも写真貼ってあるんだ……何枚も何枚も……写真版マトリョーシカみたいに剥がしても小さい写真が出てくるんだ……こわっ」


「トラウマになってるじゃん。あんたよく、作詞作曲で組んで仕事受けてくれてたな」


「作曲の才能がない僕が、それでも音楽業界に食いつくためには仕方ないだろ」


「ラインブロックして、細かい連絡とかどうしてたの?」


「作詞のデータは姉さん経由だろ。もし直しが必要ならそれも姉さん経由で来るだろ。問題が見当たらない」


「確かに……でもそれで良く曲作れたなあんたら」


「色ノ中は才能はあるからな。僕の詞に合わせて作曲するくらい簡単なんだろ。編曲もボーカルもアイツだから、仮歌も必要ないしな。僕はデータを姉さんに渡すだけで完結するんだよ。簡潔にな」


 仕事量という意味では、はるかに色ノ中のほうが多い。


 にしても十五倍はショックだが。


「僕への小遣いは、別に増えなくてもいいよ。安いって言い出したのは僕だけど、生活費は姉さんが払ってくれてるしな」


「いや、きちんと上げるよ。生活費ぶんくらいは家事させてるしね。でもその代わり条件」


「なんだよ……?」


「音論ちゃんと一緒に音楽やりな。それが条件」


 姉さんの言葉に、今まで食うことに集中していた音論は手を止めた。


「お、ほんはひひんへふは」


 手は止めたけど咀嚼は続いていたので、喋れていない。


「んくっ。葉集くん、私の貧乏に付き合わせていいの?」


「貧乏に付き合うつもりはないが、貧乏を脱出するためなら構わないぞ。それで僕の小遣いも上がるらしいし、作詞は作詞で楽しいからな」


 あと——音論の書く曲をもっと聴きたいし、そこに作詞をしたい。という言葉は恥ずかしいので言うのをやめた。


「なら名前は必要だね。音論ちゃんと葉集のユニット名」


「ユニットって。僕がやるのは作詞だけだぞ」


「編曲もやりなよ。あんた向いてるよ編曲」


「そう言われても、入院中暇だったから覚えただけだし」


「普通は入院期間で覚えられるものじゃないんだよ。あんたが入院してた期間なんて三週間もなかったじゃんよ」


「物覚えが良いだけだろ」


「ともかく、作詞編曲は葉集。作曲歌唱は音論ちゃん。それでユニットやりなよ」


「編曲をやるのは構わないけれど、ユニットって言われても僕はステージに立つ気はないぞ」


「音論ちゃんが良いなら、それで良いんじゃない?」


「それで構わないか、音論?」


「私は、かなりありがたいよ。編曲って私は出来る気がしないもん。楽器の音とかよくわからないから、葉集くんがやってくれると助かる!」


「ならやるよ。難しい作業ってわけでもないし」


 強がって言ったが、普通に難しい。


 編曲は編曲で、かなり考えることが多い。


 音論の言ったように、まず楽器の音を知らなくてはならないし。音を知らなければ、どの楽器を使ったらいいかもわからないからな。


 その点は作曲家を目指していた頃の勉強が役立つ。


 作曲家になるために、作曲で使えそうな楽器はひと通り練習したからな。僕の卒業した中学には軽音学部がなかったけれど、入学以前にはあったのか学校に器具はあって、先生に言ったら貸してくれた。


 だからギターは弾ける。ドラムもちょっと叩ける。


 ベースは苦手だが、弾くだけなら出来る。ギター以外は聴かせられるレベルではないが。


「じゃあユニット名! なににしよう!?」


 楽しそうに音論が言った。


「ハグルマンはサークルでの名前だから、僕も新しい名前でやるか。考えないとな」


 ハグルマンはダサいらしいので。


 僕的にはアリだったんだけどなあ……ハグルマン。


「ネーミングセンスは僕にないから、音論が決めてくれ」


「私でいいの?」


「僕に任せると安直になるぞ」


「たとえば?」


「たとえないけどな」


 たとえが浮かぶなら、ハグルマンなんて付けてねえんだよなあ。


「んー。私が付けても酷くなると思うよ?」


「たとえば?」


「たとえが浮かぶなら悩まないと思うの」


 奇しくも僕と同意見であることが判明した。


「個人名から考えてみたけれど、私はそのまま音論で良いかなって思ってる」


「そのままもアリか……いや、動画サイトに投稿するなら、本名は控えた方がいいぞ」


 ネットリテラシーは必要だからな。


「えー、でもでも私、私の名前気に入ってるから難しい」


「じゃあ本名にするなら、カタカナにしとけ。カタカナでネロン」


「それにするっ!」


「即決かよ」


「じゃあ葉集くんはハグル?」


「それだとハグルマンとほぼ変わらないからなあ」


「じゃあ、ようぐる。どう?」


「ようぐる……安直だけど、それで良いかも」


 僕の名前の読みを変えただけ。『葉』を『よう』と読んだだけ。


 だが、まあ普通に無難だろう。なにより、僕が命名していないので、ネーミングセンスを疑われても僕が付けたんじゃないと言い訳できることが気に入った。


「じゃあユニット名はようぐるとネロン?」


「それならカタカナ表記にして『ヨーグルトネロン』か『ネロンヨーグルト』の方が良くね?」


「じゃあ、ようぐるとネロンだから『ヨーグルトネロン』にしよっ? 言いやすい!」


「んじゃそれで」


「うん!」


 こうして僕たち二人の音楽ユニット『ヨーグルトネロン』がひっそりと結成された。ローションがど真ん中に置かれたテーブルを挟んで、電マで肩を叩く姉を前にして結成された。

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