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「畜生っ! 卵買うだけで二十分もかかっちまった!」
マンションの扉を開け、僕は叫んだ。
一番近いコンビニで売り切れ。二番目に近いコンビニも売り切れ。三番目に近いコンビニも売り切れ。
仕方なくスーパーまで行ってしまった。一番近いのにコンビニより遥かに遠いスーパーで特売。ふざけんな!
「おー
「卵以外にも買って来たからな。お菓子とか」
「お菓子食べたいくれ」
「全部食うなよ?」
「オムライスはよ」
「ちょっと待ってろ。あれ? あいつは?」
「あ、今お着替え中」
「なんでだよ」
「ほら、音論ちゃん制服だったから、あたしが参考資料に買って全然着てない服貰って欲しくて」
「あー、そういや制服だったな……」
あえて聞かなかったが。だって草食ってたから、私服持ってないのか、なんて聞けねえし。
僕がもっと財力があるジェントルマンだったなら聞いて、持っていないと答えたならば、ではプレゼントしようと言うことも出来たが、残念ながらジェントルマンではあるものの財力は平凡だ。
「あの、着替えました……」
と、空き部屋もとい服置き部屋からリビングに百ヶ狩音論が入って来た。
着替えている。制服から着替えている。
「おー、やっぱ似合うね音論ちゃん。それ貰って貰って」
「ほ、本当に良いんですか? こんな高そうな服……」
「いいのいいの。キャラに着せる服の参考に買ったから、あたしが着たい服ってわけでもないし、なんなら一回も着てないもん。貰っちゃって」
「い、いいの……かな?」
僕の方を向き、申し訳なさそうな顔をしている。
高そうな服と言っていたが、高くはないが安くもなさそうだ。レザーのライダースに薄ピンクのインナー。マキシ丈のスカート。買ったらそこそこの値段はしそうだが、姉さんが良いと言っているのだから良いのだろう。
「いいんじゃないか。てか僕的にも貰ってくれた方がありがたい。捨てるとなったら捨てに行くのは僕だから」
「じゃあ、その……ありがとうございます!」
「うん、クローゼットにまだまだあるから、好きなの貰ってくれるとあたしも助かるよ。ダンボールに入れて持ってってくれていいからさー」
「ダンボールなら僕の部屋にあるぞ。引っ越しで使ったやつがたくさん」
「じゃあ葉集、あとで出してやんな」
「わかった。とりあえず昼飯作るから二人とも座っててくれ」
「へっ……お昼ごちそうになっていいの?」
「僕の手作りで良ければな」
「すごい! やったー!」
本当に嬉しそうにしてやがるから勘違いしそうになるけれど、僕の手作りだから喜んでいるわけじゃなくて、タダ飯に喜んでいるんだ、勘違いするなよ僕——と、自分に言い聞かせ、キッチンに向かう。
「あ、そうだ私、手洗ってもいい?」
「いいけど、なんでこのタイミングで手を?」
「だってさっき……ううん! 手洗いは大切だからだよ!? 私なにもしてないし触ってないよ、なに言ってるの!?」
「お前がなに言ってるんだよ」
そんなやりとりを姉さんがニマニマ見ていたが、僕の知らないとこで何していたんだこいつら……?
「まあいいや、手を洗うならキッチンはこっちだ」
「うん……うん」
なんで顔赤いんだよ。まさか僕が居ないところで、変なこと吹き込まれたのか?
気になるけど、知りたくねえなあ……。
どうせろくでもないことだろうし……。
とりあえず今はスルーして、キッチンへ向かった。
「お手伝いする?」
「いや、リビングで
「わ、わかった」
「なんか悪いな、あんな目のやり場に困るリビングで」
「へ、平気だよ。慣れてきたし、うん慣れたよ」
「普通にマッサージ機だから当然肩に使ったり出来るし、肩こりには結構効くから使ってくれてもいいぞ」
「さっきちょっと使っ……ううん! 使ってないよなに言ってるの!?」
「だからお前がなに言ってるんだよ」
私はなにもしてないしてない——と、おまじないのように呟きながら、リビングに戻っていった。
気にはなるが、知らない方が幸せなことはある精神で、僕はオムライス作りに取り掛かる。
まずご飯だ。ご飯はパックご飯があるからレンチン。
その間に卵をボールに割る。八個入りを買って来たが三人分なので全部使ってしまおう。割った卵に生クリームを少し加えて混ぜる。
そして冷蔵庫から具材を取り出す。冷凍のミックス野菜を使おう。あとウインナーを輪切りにして、下準備は完了だ。
サラダ油を投入したフライパンを熱して、ミックス野菜から炒める。冷凍なので先に入れてちょっと解凍だ。
次にウインナーを入れて、多めのケチャップで味付け。
で、レンチンが終わったパックご飯をぶっ込んで、チキンライスの完成させ、フライパンから一度逃す。
サラダ油を少しだけ追加して、卵だ。
さてどうするか。昔ながらにすべきかふわトロにすべきか。
リクエスト聞いておけば良かったな。まあ今回は女子二人いるし、ふわトロにしておくか。姉を女子として数えるのは抵抗があるが、姉さんはなんでも食う(お酢を使わなければ)から気にしなくてもいいだろう。
ふわトロにするのは簡単だ。別にお店みたいにオムレツにしてナイフを入れるパフォーマンスをしなけりゃ、簡単に作れる。
フライパンに卵ぶっこんで菜箸でぐるぐるして、半熟をキープしつつ形が決まったらライスにかけてやればいい。ほら簡単だ。
と、そんなこんなで、雑にオムライスが完成した。
スープはカップスープで良いだろ。
「できたぞ」
僕はおぼんに載せたオムライスとカップスープをリビングまで運び、テーブルに置いた。
「おおお! すごい! 私の知ってるオムライスじゃないオムライスだ……こういうオムライス、お店の前のディスプレイだけの存在だと思ってた……そ、存在してたんだあ!」
そこまで感動してくれるとふわトロにして良かったと思った。
「ケチャップはセルフで使ってくれ」
どうせならデミグラスソースにしてやれば良かったか、と少し反省してしまう。あるいはオムハヤシにすべきだっただろうか?
「あたしケチャップ使う、葉集ちょーだい」
「はいよ」
「わ、私も」
「待っててね、はい、音論ちゃん」
「ありがとうございます」
「……………………」
いい感じに食卓囲んでるみたいに見えるけれど、テーブルのど真ん中にローションあるんだよなあ……。なんでテーブルのど真ん中にローションあるんだよ、この家。飯食うって確定してたんだから片しておけよ。
「柿町くんは? ケチャップ」
「あ、うん使う。ありがとう」
使ったケチャップをローションの隣に置く。ローションとケチャップが並ぶ食卓は我が家くらいのものだろう。
結局、誰もど真ん中のローションを片すことなく昼飯を終えた。なんだろう……触れたら負け、みたいな雰囲気だったのかもしれない。
あと
「そうだ音論ちゃん、スマホの連絡先教えてよ」
姉さんが腹をさすりながら聞いた。
「あ、ごめんなさい、私スマホ持ってないんです」
「え、そなの!?」
「はい……でも実は今日、買いに行こうと思ってて」
「機種決めてる感じなの?」
「いえ、特に決めてないです。というか中古で安いやつ買って、格安SIM? ってやつにしようかと。バイト代入ったんですけど無駄遣いは死活問題に繋がるので」
昨日の時点で死活問題に直面していたと思った。思っただけだが。
「ほほう。ならちょっと待ってて!」
そう言って姉さんは小走りで自室に向かい、すぐに戻って来た。
「ならこれ使う?」
「え、さすがにスマホなんて高級品、貰えませんよ!」
「別にいいよー。あたしが前使ってたやつでお古だけど、まだ現役で使える機種だから」
「で、でもお……」
「どうせ持ってても使わないし、結局ゴミになるだけだし、それなら使ってくれた方があたしが助かる。というか捨てに行く葉集が助かる」
「うん、僕はすごく助かる」
「ええ……本当に……? 本当に良いんですか……?」
「いーよいーよ。でも充電器とSIMカードは買ってね」
「は、はい! わあぁ、ありがとうございます!」
めっちゃ喜んでいる。
スマホを産まれたての我が子のように掲げている。
「本体があれば格安SIM契約すればすぐに使えるな」
「うん! さっそく今日契約する!」
「必要な物は揃ってるのか?」
「バッチリ! 帰りに契約しようとしてたから、お母さんからちゃんと貰って来たよ」
ほら、と。スカートのポケットから小さなクリアポーチを僕に見せてきた。チラッとクリアポーチの他にテカテカ素材のハンカチ(みたいな布?)が見えて、まるでパンツみたいな素材のハンカチ持ってるんだなって思ったけれど、特に気にする理由は見当たらないのでスルーした。
「ならちょっと休憩したら行こっか。あたし車出すよ。ついでに買いたいものあるし」
「うわあ、なにからなにまですいません!」
「いいのいいの。契約したらあたしに連絡先教えてね」
「はい、もちろんです!」
姉が僕の同級生と仲良くなっている。いや、それ自体は別に構わないんだが……。
「おい姉さん。連絡先交換して変なこと吹き込むなよな?」
「ふーん? 心配なら葉集も交換して貰えば〜?」
「姉さんは僕のことを女子に連絡先を教えてくれと言えない男だと思っているのか? その通りだよ!」
「わ、私は交換……したいよ?」
「ありがとう。同情がつれえぜ」
「同情じゃないよ、柿町くんだから交換したい、だよ?」
「うん、ありがとう」
やめてくれ。僕だから交換したいとか言われると勘違いしちゃうだろ。男にそんなこと言ったら全男は勘違いするんだから。あいにく僕は勘違いだとすぐに気づける人間だから良かったものの、気づけなかったら大変なことになっていた。
ふう。危ない危ない。
「あ、そうだ柿町くん。パソコンっていくらくらいで買えるかな?」
「パソコンか。詳しくないからわからないけど、ピンキリだろうな」
「中古なら安い?」
「うーん。姉さんわかるか?」
「物によるね。スペック次第だよ」
「だよな。パソコン欲しいのか?」
「うん。オンライン授業とかあるって聞いてるから、それまでには必要だなあって」
「あーなるほど。オンライン授業できるスペックか。つか姉さん、あるだろ?」
「あるね。ゴミのようにゴミになりかけてる使ってないノートパソコン三台ほど」
「じゃあそれ捨てにいくの僕だろ?」
「もちろんそう」
「つまり所有権は僕にあるってことでいいか?」
「いいよ。あたしは今のパソコンあれば使わないし」
「だってよ」
「……えっ?」
「三台のゴミになりかけてるノートパソコンあるからやるよ」
「え、ええええええええっっっ!?」
「ネット契約を自分ですりゃ使えるから安心していいぞ」
「い、いやいやそうじゃなくて、パパパパパパソコンだよ!? パソコンってことはパソコンってことだよ!? パーソナルコンピュータってことなんだよ!??」
「知ってるよ」
「ノートパソコンってことはノート型パーソナルコンピュータってことだよ!?」
「それも知ってるよ」
「お、お高いよ……? 私の一ヶ月の食費よりもお高いんだよ……たぶん」
「いらないなら捨てるけど」
「う……もったいない」
「じゃあ貰ってくれ」
「は、はい……え、本当にいいの? あとで二億円とか請求されない?」
「そんな金額を請求するような奴に僕は見えるのか……」
「あ、違くて……えと、二億円じゃない請求とか……」
「どんな請求だよそれ」
「だから……その……請求というか、やらしい要求とか……」
「しねえよ!」
そんなやつに見えるのか僕は。
いや自業自得か。女の子の乗った自転車に乗りたいって言ったのは僕だった。
畜生! 因果応報とはこのことか!
「どんな要求も高額請求もしないから貰ってくれ」
「じゃあ指切り」
そう言って小指を向けてくる。
「破っても針千本くらいならちょろいな、じゃあ要求も請求もしよう、ってのは無しだよ……?」
「僕に対する信用がなさすぎるだろ、泣くぞ?」
針千本をちょろいと思えてたまるかよ。
たとえ針千本を
「ゆびきりげんまんうそついたらはりせんぼんの〜ます、ゆびきった!」
「……………………」
指切りなんていつぶりだろうか……。なんか普通に女子と小指を絡める行為に緊張して無言で指切りしてしまった。
てか指切りの歌でもわかるくらいに歌上手い。
の〜ます、の『〜』部分の絶妙なビブラート、通る声。なによりも息継ぎで漏れた声に色気があった。
「あはは、音論ちゃん面白い子だわ〜」
そう言ってから姉さんは自室からノートパソコンを持って来た。三台。
「好きなのどうぞ。全部でも良いし」
「い、いや全部貰っても逆に困っちゃいます……」
こいつはこいつで、全部貰って売りさばくって考えはないんだろうか?
僕が彼女の生活環境ならば迷わず全部貰って売りさばくが。
「じ、じゃあこの赤いやつ、いいですか?」
「うんいいよー。じゃあサクッと初期化しとくね。あと入れて欲しいソフトとかある? 持ってるやつなら入れてあげるよ」
「ソ、ソフト?」
「使いたい機能ってやつ。なにかある?」
「あ、じゃあ……音楽編集とかできたりします?」
「音楽編集ソフトか、あたしは持ってないけど」
と、姉さんは僕に視線を向ける。
「僕の部屋のパソコン棚にあるから、姉さん、任せるよ」
「あいよー」
そう残して姉さんは僕の部屋を経由してから、また自室へ。
「音楽編集って、作曲とかできるのか?」
「ちょこっと。趣味っていうか、家でやることが宿題と鍵盤ハーモニカしかないから、宿題終わるとだいたい鍵盤ハーモニカで遊んでるの」
「なぜ鍵盤ハーモニカなんだ……?」
「幼稚園からの相棒」
「物を大事にして偉いな」
「えへへ」
ってことは、家にテレビとかもないんだろうな。
今時珍しいテレビっ子の僕には考えられないぜ。
しかし本人は気にしていないのだろうが、音感は優れていると思う。音感は才能の部分が大きく、僕にはなかった才能だ。
加えて可愛らしい声質。息継ぎはセクシーで、鍵盤ハーモニカで鍛えられた肺活量——か。
歌手になったら面白い逸材かもしれない。
「あ、そうだ、僕もダンボール持ってくるわ」
羨ましい——そういった感情を振り払うように、僕は立ち上がった。
「おお、ダンボール! ありがとう!」
「待っててくれ。すぐ持ってくるから」
「うん、ありがとう柿町くん」
ダンボールを取りに自室へ向かうことにした。
というか、帰りは歩きなんだろうけれど、持ち帰れるんだろうか。また自転車を貸すことになった場合に備えて、今度はまともな言い訳を考えておくとしよう。
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