8


 帰宅する頃には七時を過ぎて、すっかり太陽も落ちていたが、僕はすぐに自室へと向かいギターを手にした。


 が、思い直してギターを丁寧に置いた。


「僕の技量で、ギター演奏のスキルアップを目指すのは効率が悪い」


 ギターを諦めるわけではない。約束は絶対に守る。


 ギターのスキルアップを今から目指しても、たかが知れているのだ。


 だから練習するのなら、ファイナルの曲だけを練習すべきだろう。スキルアップは目指す必要はない。一曲に特化したギタリストになる。


 それなら残りおよそ三ヶ月、曲を書く時間を逆算はできないが、多く見積もればほぼ三ヶ月、少なく見積もればファイナル前日——と、僕が歌詞を完成させるスピードがそのままギターの練習時間に直結する。


「作詞は僕だ……課題は『メインヒロイン』。それを意識して書いたことは一度もない——が、これでもゲーム曲の作詞をしたことはある。ならば書ける、書けるはずだ」


 よーし、書くぞ!!!!!!!!!!!!


 と、意気込んで、二時間後。


「むーーーーーーーりーーーーーーー」


 たった二時間でご覧の通り、僕は根を上げた。


 いやだって……冷静に考えてみたら、ゲームの作詞は貰ったキャラ設定があってストーリーでメインは決まっているし、そのヒロインに寄せて書けばいいんだけど、でもほら今回はキャラ設定がそもそもない。


 書けるはず——とか思っていた自分が浅はかだった。


「……………………」


 待てよ……じゃあ僕が僕の脳内だけでキャラを作って、その子をヒロインに落とし込んで書けば……いけるか?


「いけるかよ!」


 いける気がしなかったので、セルフ提案セルフ即却下した。


 僕に物語のヒロインを生み出せる才能があるかよ。


 そう思うと、姉さんの才能が羨ましい。今その才能が欲しい。


「ないものねだりしても、なにもない」


 一旦、頭をリセットするために風呂に入ったけれど、特に何も打開策は浮かばなかった。普通に疲れを癒しただけだった。


 気づけば夜九時を過ぎている。ほぼ何もせずに帰宅してから二時間が過ぎた……このままではあっという間にファイナルになってしまう。やばい。


 どうしよう……マジどうしよう。


 追い込まれている。まだまだ時間はあるはずなのに、時間があることでプレッシャーが増してくる。


 一分一秒が高速化されているかのように、過ぎ去っていく怖さがある。


 眠気はあるが、寝ると時間が経ってしまう。


 これはキツいな……メンタル。


 やってくれたな、糸咲さん!


 次会ったら絶対文句言おう!


 と——心に誓っていると、僕のスマホがブルブルした。


 画面を確認——着信。音論からだった。


 三次突破の連絡はしているが、今向こうがどんな状況なのかはわからない。だけど、このタイミングでの着信は僕的に助かった。


 僕から状況を聞くのは避けよう。何があったかわからない以上、話してくれるのを待つ——と。そう決めてから、着信に応じた。


「もしもし」


「もしもし葉集くん、今日ごめんね、ありがとう」


「お礼の言葉は受け取るけど、謝るなよ。こっちは大丈夫だったし三次も突破できたんだから」


「うん、やったね。えへへ」


「ギター弾く約束は守るから」


「絶対だよ? 楽しみにしてるんだから」


「おう、任せろ」


「葉集くんが送り出してくれたから、ちゃんと病院まで着けた。葉恋お姉さんに連絡してくれたんだね、本当ありがとう」


「朝、姉さんが千葉行くとか言ってたの思い出したからな」


「助けて貰っちゃったね。お母さんは大丈夫みたい。ちょっと入院することになっちゃったけど、でもお医者さんが言うには、心配ないんだって」


「それは良かった。てか姉さんはどうした? 帰る様子がないんだけど」


「えっと、海を見に行ったよ」


「マジか。え、てか音論は今どこなの?」


「それが……実は……旅館なの」


「旅館? なに泊まりなの!?」


「私は日帰りのつもりだったんだけど、お泊まりになった」


「なんか悪いな……きっと姉さんのわがままだろ」


「ううん、私旅館なんて初めてで、ちょっと浮かれてる。三次も突破できたし、実は今、私テンション高いよ」


「そう言ってくれると、姉さんも喜ぶよ」


「美味しいごはんで満腹にして貰っちゃった。葉集くんは、ちゃんとごはん食べた?」


「食ったよ。なぜか審査員の糸咲さんとハンバーガー食ったぞ」


「え、なんで!?」


「流れ、かな? 僕もよくわかってないんだけど」


「ふふ、変なの」


「帰ってきたら、ファイナルの打ち合わせを始めたいんだけど、平気か?」


「うん。次はどんな課題だったの?」


「『メインヒロイン』だってよ。しかも今回は、時間たっぷり三ヶ月もある」


「そんなに!?」


「そんなにだよ、マジで。さらにファイナルの会場はさいたまスーパーアリーナだってさ」


「ふぇ!?」


「クソでかい会場だよなあ。僕も驚いたもん」


「そ、そんな大舞台に私が立つの……?」


「そうだよ。そんな大舞台でギター弾く約束した僕は、ずっと緊張してるよ」


「ぜ、絶対だよ? 私一人だと、緊張して棒立ちになっちゃうからね!? 貧乏の棒立ちなんて、誰も望んでないものを届けちゃうからね!?」


「約束は守るよ。僕を誰だと思っている」


「私を見つけてくれた、魔法使い?」


「ご名答。魔法を掛けてやるって言いたいけれど、僕の魔法なんて必要ないくらい、音論はもう輝いているよ」


「あう、あ、あの……ナチュラルに格好良いこと言ってる自覚ってあったりするの?」


「やめろよ、なかったから今恥ずかしいだろ!」


「えへへ。でも魔法使いの魔法は掛けて欲しいな。いつか解けちゃうとしても」


「そのときは掛け直せばいい。僕は作詞だぞ、書き直すことができるんだから、掛け直すことだってできる」


「おお、カッコいい」


「照れるから褒めないで?」


「やーだ。だって葉集くんは格好良いもん」


「よせよせ」


「私を……シンデレラにしてくれますか?」


「仰せのままに」


「えへへ。じゃあ、そろそろ切るね。今日はありがとう」


「あいよ。どういたしまして」


「おやすみなさい」


「おやすみ」


 通話終了。


 向こうはひとまず心配しなくても良さそうだ。ひと安心。


 音論の声を聞いて、プレッシャーから解放された気がする。ありがてえ。


 同時に絶対にシンデレラにしてみせる——と、使命感のような決意が追加されたけれど、それは仕方ない。


「私を見つけてくれた魔法使い……か」


 思えば、あの日花壇の前を通らなかったら、こんな今はなかったんだな。そう思うと、両足骨折したことすらプラスに感じる。


「おやすみって言っちゃったし、今日は寝るかな」


 次の課題へ取り組むのは、明日からにしよう。


 三次終わった当日から焦って取り組んだって、いい歌詞は書けない。そう切り替えて寝るとしよう。



 ※※※



 葉集との通話を終えた音論は、旅館の部屋にて、三次を突破した喜びと母親が倒れたのにこうして甘えてしまっている自分とで、モヤモヤしていた。


「私、不謹慎だよね……お母さんが入院なのに、旅館なんて」


 不謹慎とは言っても、しかし旅館に誘った——もとい、ほぼ強制的に連行したのは葉恋であり、音論が望んで旅館を希望したわけではない。


 だが、こうして甘えてしまっている自分が信じられないとも思う。思ってしまう。


 去年までの彼女であれば、もしも強制的に連行されたとしても、歩いて帰宅することを選んだだろう。


 それくらい、人に甘えることは良くないことだと、彼女自信が思っているからである——否。


 思っていた——過去形である。


 幼い頃から貧しい環境に慣れている彼女は、母親に甘えることがなかった。現在高校生になって、初めて誰かに甘えていると言っても過言ではない。


 端的に言えば、彼女は高校生になって、ようやく甘え方を覚えてしまったのだ。


 母親に甘えたことのない彼女が初めて甘えた相手が葉集である。人生で優しくしてくれた男子は他にも存在するが、しかし自ら望んで、側にいて甘えたい——と。心からそう思えるのは、葉集だけだった。


 厳密に言うなら、葉恋にも甘えているのかもしれないが、葉恋の場合は葉恋がしたいように行動しているだけなので、甘えているとは思うものの、音論が率先して甘えている感は薄いので、例外である。


「私、ずるい子になってきちゃった……」


 ふと呟く。誰もいない旅館のひと部屋。誰からの返事もないことは、言うまでもない。


 ずるい子——そう自身を評価したが、それは自己評価に過ぎず、一般的な人間から見れば、彼女はようやく女の子として、あるいは人間として成長したと言うべきだろう。


 好意を寄せる人物に甘えたい——それは、誰しもが持っている感情であり、欲望だ。


 悲しいのは、彼女が高校生になるまで、そのような経験が皆無だったこと。


 家庭環境というのは、おいそれと他人が入り込むことが出来ないフィールドではあるが、葉集の接し方はひとつの正解だった——音論に対する答えとして、文句なし花丸だった。


 そのことを一番理解しているのは、彼女自身である。


 常に考えてしまう。さっき電話をしたばかりなのに、もう声を聞きたくなっている。


 顔が見たい。近くにいたい。抱きつきたい。


 それらの感情が心を支配するのは、夜ばかり。


 旅館の浴衣に袖を通している彼女は、胸元にパタパタと風を送った。クーラーは効いているが、内側からの熱は、そう簡単に冷めたりはしない。


「……葉恋お姉さんが戻ってくる前に、ちょっとだけ、ちょっとだけだもん……」


 部屋の奥、窓際に設置された椅子に腰を下ろしながら呟き、そして——これも恋をして覚えたことだろう。


 初めての恋で、覚えたての身体の冷ましかた。


「ん……ぁ、ぁ……ん、あ、ぁ、はぁ…………っ、んぁ」


 呼吸と衣服、両方を乱した彼女は、小さく小さく音漏れをする。


 頭の中に、大好きな人を思い浮かべて冷めるまで。


 自分で自分にご褒美を与えて、悦ばせたのだった。


「ひゃう!?」


 が、ここでスマホから音が鳴り、中断。


 病院から追加で連絡があったら困ると思い、大音量にしていたことを忘れていた彼女は、突然の通知音に鼓動が落ち着かないまま、スマホを手に取り確認。


「え……ええっ!?!?!?!?!?!?!?!?」


 先程電話をした葉集からのメッセージ。


 詳細を確認する前に、ロック画面に表示される簡易通知を見て、驚きを隠せない。


「いやいやいや、見間違いじゃないの? 葉集くん」


 独り言を呟くのも無理はない。見間違い——そう思っても当然のことが送られてきたのだ。


 が——葉集の見間違い、ではなかったことがすぐに判明した。


 それを自分の目で確認して、受けた衝撃をそのまま声に出す。


「ほんとだ……SNSのフォロワーが二万超えてた」


 なにがあったのかわからない音論は、さっきまでとは別の意味で興奮を隠せない。


 そんな彼女に葉集から追加でメッセージが送られてきた。


 どうやらフォロワー爆増の起爆剤は、音論が会場を去ったあと——残った葉集が記入したプロフィールのようだ。


『シンデレラプロジェクト』公式サイトに掲載された、ファイナリストのプロフィール。


 そこには五組のアーティストが紹介されていて、当然ながら『ヨーグルトネロン』も含まれている。


 そして葉集がSNS、動画サイトのURLを記入していたことで、目につく人が増えた結果——フォロワー爆増である。


 だが、彼女にとって嬉しい知らせは、もうひとつ。


 そう、動画サイトである。まさか記入した葉集自身も、ここまで反響があるとは想定外だったであろうが、SNS同様に動画サイトのチャンネル登録者数、視聴数、ともに急増。


 あと少し——その少しがなかなか集まらなかった動画サイトだったが、嬉しい誤算とも呼べる幸運に恵まれたことで、スタートラインに立つことが出来た。


 つまり、結成しておよそ四ヶ月のときを経て、ついに念願の、


「え……、収益化、できちゃうってことなの……?」


 できちゃうってことなのだ。


「で、でもどうして……公式サイトって、そんなに凄いサイトだったの? え、凄い……凄く凄い、やったー!」


 言葉が纏まらないまま、喜びを表現。母親の入院により、金銭事情に不安があった音論にとって、とてもありがたいタイミングでの知らせだったのだ、無理はない。


 公式サイトが凄いというのは間違いとも言えないのだが、音論は気づいていないけれど、実際のところ爆増の理由はひとつしかない。チケット販売開始である。


 ファイナリストが出揃ったことで、本日夜十時からファイナルのチケット発売がスタートされたのだ。


 無論、デビュー前の新人五組のチケットが売れるはずない——が、これは糸咲奇王の手腕あるいは人脈というべきか。コンテスト審査員をこなしながら、同時に仕事をしていた糸咲の努力がカタチになった。


 十二月二十八日。さいたまスーパーアリーナ。


 糸咲自ら声を掛けて集まって貰った人気アーティストを集結させた、カウントダウン三日前ライブ。そういう名目でチケットを売り出し、ファイナルのことも書かれている。


 このライブは、音論が想像している以上に注目されているのだが、当の本人は知る由もなく、


「おやすみしたのに寝てないんだ葉集くん、嘘つき〜」


 ふへへ——と、緊張感のない表情で、ふわっと笑った。

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