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「やっぱすげえな……アイツ」


 控え室に聴こえてくる歌声。紛れもなく本物だと確信できる。観客の盛り上がりは聞こえてこないが、それはアイツの歌唱力を考えれば当然だし、あるいは順番が悪かったとも言える。


 まさか色ノ中がロックバラードをチョイスしてくるとはな。


 一曲目からロックバラード。そりゃなかなか騒ぐことも出来まい。


 それに、アイツの歌は聴く者を縛りつけるような力がある。きっと今ごろ観客は、酷い束縛に遭っている気分だろうな。


 色ノ中の才能には、僕が一番思い知らされているぶん、今更歌唱力から受けるダメージはない——が、他のファイナリストはプレッシャーを感じているのがわかる。若干控え室がピリついているが、それはきっとファイナリストだけじゃなく、大先輩方もプレッシャーを感じているのだろう。


 きっとモチベ的に、ファイナリストの尻拭いは任せろ、って気分だったのかもしれないな。色ノ中が大先輩方にプレッシャーを与えていると考えると、やっぱすげえんだよな、アイツ。


 凄さを知っていたぶん、僕にプレッシャーがないのは幸運だと言えるぜ。どうせ凄いんだろ知ってる知ってるなにを今更って、くらいのスタンスだったからな、僕。


「凄いね凄いね、色ノ中さん!」


 ここにもプレッシャーと無縁な少女がいる。


 貧乏で鍛えられたメンタルはつよつよ過ぎてダメージなんて負わないのだろうか。


 かつて色ノ中の才能に絶望した僕をやる気にさせた音論の声。


 それは今でも変わらずに、僕をやる気にさせる。本当、音論と組めて良かったと心の底から思えるぜ、まったく。


「僕らの出番まで、おそらく二十分くらいあるけど、トイレとか平気か?」


「うん、大丈夫! サンドイッチもバナナもエネルギーになってる!」


「そりゃ良かった」


 今もバナナ食ってるしな……もぐもぐしてるしな。


「バナナとはちみつドリンクの相性良さ、凄いよ」


 めちゃくちゃ気に入ってくれてるじゃねえか、僕の手作りはちみつドリンク。


 このピリついた控え室で、ここまでリラックスしてるの、たぶん音論と僕くらいだな……。みんなが楽器触ったりしてる中、バナナ食ったりジュース飲んだりしてるんだもん。


 僕も格好付けてギターを触っておくべきだろうかとも思わなくもないが、格好付けてどうするんだよと思いとどまる。


 その代わりに僕もバナナを食うことにした。うめえ。


 はちみつドリンクも飲む。うめえ。確かにバナナとの相性抜群だなこれ。


「今度このはちみつドリンクとバナナでスムージーでも作ってみるかな」


「スムージー?」


「なんかドロっとしてるジュース? なのかな?」


 スムージーをどんな飲み物と説明すれば良いのかわからない。てかそもそも、スムージーってどんなの飲み物からをスムージーと呼ぶのかさえわからない。


 ミックスジュースと何が違うんだろう。スムージー。


 スムージー。変な名前だな。スムージー。


「ドロドロジュースをスムージーって呼ぶんだ……私、賢くなった!」


「たぶんな。たぶんだぞたぶん」


 スムージーがどういったものからスムージーと呼ぶのか気にはなるが、別に調べてまで知りたいことではないので、スマホで検索はしなかった。


 ふと隣に座る音論に目をやると、なにやら嬉しそうな顔をしていた。


「楽しみか? 本番」


「え、どうして?」


「なんか嬉しそうな顔してたから」


「本番も楽しみだけど、えへへ……さっきね、お母さんから応援してる、ってメッセージ来て、ちょっと嬉しくて」


 なるほど。母親は応援してくれているのか。尋ねたことはなかったけれど、少し気にしていたんだよな、その辺。


 仮にメジャーデビューが決まったとしても、僕らはまだ未成年。保護者、あるいは保護者代理の許可を得ねばならない。


 だからもし、音論の母親が反対したら——と。そんな不安もあったのだが、どうやら杞憂に終わりそうだ。


 いやまだ杞憂に終わったとは言い切れないんだけども。


 なにせ僕の作詞だもんな……大事な娘になんて歌詞歌わせてるんだと言われたらどうしよう……こればかりは、どうにもならない。だって僕の作詞なのだし、背負ったごうと向き合っていくしかあるまい。


「その応援に応えて、良い報告しような」


「うん」


 今のところは、こう言うしかない。もしお会いする機会があるのなら、きちんとご挨拶もとい大謝罪をしないとなマジで……。


 そうこうしてるうちに、色ノ中の曲は終盤に突入して、次の『ナックルアンドナックル』さん、そしてその次の『晴れ時々メテオ』さんが控え室から出て行った。


 僕たちの出番も、じわじわと近づいて来ている。



 ※※※



「一曲目からロックバラード……まあ順番はくじ引きやし、しゃーないっちゃしゃーないんやけど」


 なかなか異常なことになっとるやん——と。歌唱が終わったステージを見つめ、糸咲は嬉しそうに微笑んだ。


「異常なこととは?」


 隣に立つオーナーさんが問い掛けると、糸咲はその質問待ってました、と言わんばかり表情で応える。


「オーナーさん、客席見てどう感じます?」


 曲が終わり静まり返った客席——いや、静まり返ったではない。


 拍手は鳴り響いているし、決して盛り下がっているわけではない。


「そうですね……見たまんまですと、なんだか……かせで自由に動けないみたいな光景ですかな」


「上手いこと言いよるわ、オーナーさんホンマに」


「いえいえ本当見たまんまを言葉にしただけです」


「自由に動けない——ホンマ、その通りっすわ」


 聴き入ってしまった——ではない。聴き入らされたと言うべきだろう。


 この現象を言葉で説明するのならば、たとえば、圧倒的な権力者が演説をすると、人々は黙らざるを得ない。そのような状況——それが一番近いだろう。


 歌声で耳を侵食して、脳を支配する才能。


 作曲家としての才能。作詞家としての才能。


 編曲技術は並ではあるが、しかしそれはプロの中で判断した場合の並である。アマチュアレベルとは呼べない技術。


 それらをフルに活用し、組み合わせ——色ノ中識乃はステージ上で称賛の拍手を浴びている。


 観客ができることは、拍手を贈ることしかできないのだ。


 それが唯一許された行為であり、観客は皆、その行動こそが最大の祝辞だと理解している。


「こりゃ、ここからのファイナリストたちは大変やで」


 まずあの枷を外してやらな——と。糸咲は呟く。


「せやけど、これで単純になったわな。どのアーティストが、あの枷を外して観客を自由に解き放つか——あるいは解き放てぬまま、審査が終わってまうか」


 どちらにせよ単純な図式である。


 ここから先は、色ノ中識乃の声で束縛された観客を自由にしたアーティストがシンデレラ。


 逆に、解き放てなければ、支配した色ノ中識乃がシンデレラ。


「どちらにせよ、めっちゃプレッシャー掛けよったわ。あれでまだ高校生やっちゅーんやから、最近の高校生ホンマ言葉にできへんくらいえぐ過ぎるやろ」


「凄い才能ですよね、彼女……高校生……まだまだ伸びる可能性もあって、実に楽しみな逸材ですな」


「そん通りっすわオーナーさん——はは、こりゃファイナリストの後ろを担当するアーティストたちもピリついとるんやろな。ええ刺激になって、想像を超える最高のライブを期待してしまいますわ」


 さて、どないするんかな『ヨーグルトネロン』は——と。糸咲は、個人的に期待しているアーティスト名を内心で呟きながら、高鳴る鼓動が自身を疲労困憊から癒してくれているのを実感した。

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