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『ナックルアンドナックル』さんの歌唱が終わったタイミングで、僕たち『ヨーグルトネロン』もスタンバイに向かうことにした。控え室のピリピリに耐えきれなかった僕の提案である。
ギター、ノートパソコンを持ち、舞台袖に向かう。
現在ステージでは、『晴れ時々メテオ』さんが、機材のセッティングをしている時間で、僕らのすぐ前を歌う『二時の方角に虹ありんす』さんも舞台袖で、スタッフと話している。色ノ中も控え室に戻らずに舞台袖でライブ観戦しているので、ファイナリストは全組控え室から退室したってことになる。
控え室から出ただけなのに、緊張感が増してくるな、やっぱり。
「ヨーグルさん、パソコンとエフェクターは我々が設置するから任せておいて」
緊張している僕に、時山さんが言った。
「ありがとうございます時山さん、お願いします」
「うん、ワタシが責任持ってやらせていただきます。最高のパフォーマンスを見せてくださいね」
頑張ります——と、言ってから僕はエフェクターとノートパソコンを時山さんに渡す。
「やほほー、
照明の二枚堂さんが、僕らを見つけて走ってきた。アーティストごとに照明担当でも決まっているのか、今は二枚堂さんではなく、別の人が照明コントロールの指示をしている。
「緊張は……はい、してますけれど、でもワクワク感の方が凄く多いですっ!」
「おほ〜ネロンちゃん、イイ気合い! ヨーグルくんは大丈夫系?」
大丈夫かと問われたら、きっと大丈夫ではない。
生配信の経験はあるけど、直にお客さんを前にしてギターを弾くなんてしたことないのだから。
でも——僕もそうだな。
「僕も楽しみが大きいです。緊張も大きいですが……」
「緊張はしてた方が良いと思うよ〜。程よい緊張感はミスを無くすための調味料だかんねっ!」
「うおお……二枚堂さん、その言葉すごく良いですね、僕一瞬で気に入りました」
緊張をするのは悪いことじゃない。緊張し過ぎて動けなくなったら終わりだが、僕は動けているし、ワクワク感もあり過ぎるくらいある。
「背中を押してもらいました、二枚堂さん! ありがとうございます!」
「……うん、頑張れえ……」
「あの……感謝するだけで泣きそうになるのやめてくださいよ」
「だってえ……マウぴょんの言葉なんかで若い子の背中押したなんて、うれピーじゃんかよお……」
「押されまくりですよ」
しかし若い子——か。まあ僕らは高校生だし、若い子と呼ばれるのも納得するけれど、それにしても二枚堂さんっておいくつなんだろうか……。
判断しにくい見た目してるし、童顔だし、わからないんだよなあ。
ただでさえ、女性って年齢がわかりにくいのに、ピアスピアスピアス青メッシュなんだもん……判別要素どこにもねえんだもん。
「二枚堂さんもお若いのでは?」
音論の問い掛け。おそらく僕と同じく年齢が読めなかったのだろうけど、直接年齢を
「マウぴょん、もう三十四だよ……きみら高校生からしたら、もう結構おばちゃんなんだよ……」
「えっ!!!」
音論と同じく、僕も声を上げて驚いた。これくらいの声なら客席まで届くことはないので安心だけど、三十四歳!?
三十四歳で一人称マウぴょんなのっ!!!?
嘘だろ、僕の約十九個上でマウぴょんって!
でも涙腺だけはなんか納得した感はあるな!
「カ、カッコいいです、二枚堂さん!」
「本当……ネロンちゃん? マウぴょんに格好良い要素どこにもないぞい?」
「だってだって、めちゃくちゃ可愛いですし、ものすごく格好いいですよ、私もそんな三十四歳になりたいですっ!」
「あうう……マウぴょん、今日死ぬのかな……褒められ過ぎて、また泣けてきた……今日を生き残ったらお酒呑もう、一升瓶空けちゃうかもしんない……」
辛いことあっても褒められても酒に溺れるのかこの人。
音論には頼むからこんな三十四歳にはならないで欲しいと全力で願うばかりだ。お母さんが悲しむぞ……。
「マウぴょん、お仕事してくるね……」
「あ、二枚堂さん、ちょっと」
去ろうとした二枚堂さんを呼び止め、僕は鞄からたまたま持ってたハンカチを渡した。一度も使わずに数年鞄内部で寝かせたハンカチかもしれない。
「差し上げますんで、使ってください」
「ヨーグルきゅん……きみは年上キラーになりそうで、マウぴょんちょっち心配」
「年上キラーって……」
嬉しくねえ。ただでさえ一個上の色ノ中がウザッたいからなあ……。
「ありがとねん、ヨーグルくん」
「僕らこそ、本番よろしくお願いします」
「かしこま〜。ハンカチパワーも上乗せして、マウぴょん普段よりも照明コントロール気合い入れちゃうからっ!」
敬礼して泣き止んで、元気になった二枚堂さんはスキップで仕事に戻った。三十四歳でもスキップしたって良いんだってことを後ろ姿から学んでしまったぜ。
にしても三十四か……仕事してるから年上なのはわかってたけど、正直専門学校卒業したばかりくらいだと思ってたのに、女性の年齢って本当に読めないよなあ。
「はっくんが年上キラーというのは、わたしも同意だわ。あの人、見る目があるわね……思わぬライバル登場にわたしは心が張り裂けてしまいそう……」
「そのまま張り裂けちゃえよ」
急に話しかけてくるなよマジで。
あと色ノ中お前、距離の詰め方が殺し屋かよ。足音どころか気配も感じないって、アサシンの才能もあるのかよ多才な奴だ。
「まあまあ遠くに居たのに、良く僕と二枚堂さんの会話を拾えたな……」
「はっくんの声をいつでも拾えるように、乳首を立てているのよ」
「せめて立てるなら聞き耳にしろよ。どこから音拾ってんだ、バケモンかよお前」
聞き耳も立てて欲しくないけど。どっちも寝てろ感は否めない。
「攻めて立てるなら……わたしの乳首は攻めて立たせたい。そう解釈して良いのね!?」
「良くねえだろ、頭おかしいんだよお前」
「今までサークルで組んでたハグルマンの影響を受け続けた結果、わたしはこんな女になってしまったのよ……もう戻れない」
「僕のせいにするな」
もし僕のせいだとしても、その責任は絶対に取らない。
書いたことねえし。攻めて立てるとか、そんな直接的な表現は流石に僕のセンスじゃない。僕が書くとしたら、もうちょい言葉を変える(センサー感度良好シグナルタッププリーズとか)。
こんなくだらない無駄な話をしていたら、『ナックルアンドナックル』さんの曲が始まってしまった。
舞台袖なので控え室よりめちゃくちゃ爆音で響くサウンドに、テンションが上がる。
「はっくんのライブ、特等席で観察させてもらうわよ」
響くサウンドの中、色ノ中が言った。やや大きな声を出したのかもしれないが、普通に言ったようにも見える。声質が通るからだろうか。
「僕のライブじゃねえよ」
対して僕は結構大きな声を出さねばならない。声質の違いって不公平だよなあ——などと思いながら、言葉を紡ぐ。
「僕たちのライブだ」
僕たち——それは『ヨーグルトネロン』だけじゃない。
裏方スタッフも含めた、参加者全員。お客さんも込み。
ファイナリスト、先輩方ももちろん含めた、全関係者のライブなのだから。
でも特等席というのは、間違いではないか。絶対に負けたくない敵が見てると思えば、嫌でも気合いは入る。
「特等席で自分の敗北を悟らせてやるよ」
そう言った僕は、舞台袖からステージを眺める。楽しそうだ。とても楽しそうに歌っているのがわかる。
「色ノ中さん、私、あなたに勝ちます」
ふと聞こえてきた音論の宣戦布告。いや、音論は常に色ノ中に対して宣戦布告をしている気がするが。
「やれるものなら、やってみると良いわ」
「やれます。賞金は私が手にするんです」
「……そうね、あなた貧乏だったわね……」
二人とも声質が通るから、普通に聞こえてくるな……そこそこ大きな声を出さないと僕の声なんて掻き消されるのに。
しばらくはサウンドだけに耳を傾けて、没頭。
あっという間に曲は終わり、『ナックルアンドナックル』さんが舞台袖に戻って来た。
満足した表情——でも、どこか納得していない表情にも見える。あるいはそれ以外のことか……でも満足できないのは、そりゃあ当然か。
ここが最高地点だと思ったら成長できないし、どこまで高みに行ったとしても、不満はあるだろう。
「僕たちの出番まで、あと一曲か……音論、トイレ平気か?」
「うんっ! さっき行ったから大丈夫!」
いつの間に行ったんだろう。僕はステージに夢中だったから気づかなかった。
「じゃあ僕は、念のため行ってくるかな」
どうしても行きたいわけじゃないけど、ギリギリで行くわけにもいかないし、せっかくだから次の『二時の方角に虹ありんす』さんの曲も聴きたいし。ステージセッティングの時間で済ませてしまうとしよう。
そんなわけでトイレ。トイレに入室。
「おっ、なんやヨーグルくん、緊張かいな?」
「糸咲さん、おはようございます」
「あ、せやった。おはようさん」
トイレ先客糸咲さん。糸咲さんしか居ないので、僕は小便器を一個飛ばして、スタンバイ。
「緊張はしてますけど、単に始まる直前にバタバタトイレに駆け込むのもあれなんで、済ませておこうと思いまして」
「案外キモが座っとるやん、ヨーグルくん」
「こんな素敵な場所に立たせて貰えるんですもん、楽しんでおかないともったいないじゃないですか」
「きみが今立っとるの、トイレやけどな」
「そう言われても、僕は頷くことしかできませんよ?」
「あはは、せやろな!」
終わったのでチャックを上げる。
僕の方が後に入ったのに、僕より長い糸咲さんどうなってるんだよ。
数秒遅れて、手洗い場は並んで使う。
「舞台袖から観とるん?」
「はい。もう出番近いですしね」
「ほなら客席の状況わからへんやろ?」
「見える位置じゃないですけど、だいたい予想はつきますよ」
「ほな、どない予想しとるんか、聞かせて貰おか」
「どうせまだ色ノ中の歌声に束縛されてるんだろうなあ、と。なんとなくですけど」
確信はない。でも、予感はあった。
『ナックルアンドナックル』さんの表情——やり切ったと満足しているようにも見えたし、まだやれたと満足していないようにも見えた。
けれどあの表情には、力不足を痛感したと思わせる要素が濃かったのだ。
「きっと色ノ中の歌声が、まだお客さんを支配してる感じなんでしょうね。この満員の会場なら、本気の盛り上がりはもっと凄いでしょうし」
本気の盛り上がりが果たしてどのくらい凄いのかはわからない。とても目測や推測で測れるものではないだろう。
「ええ感覚持っとるやん。正直そんな感じやで」
「やっぱりですか」
「はは、それでもまだまだライブは始まったばかりや。あの
「僕らがその枷を外せれば……って感じですかね」
「期待しとるで。きみらの盛り上げ」
「任せてください、なんて偉そうなことは言えないですけど、楽しませて貰うつもりですよ。僕ら『ヨーグルトネロン』は、ステージで楽しみに来たんですもん」
先に手洗いを終えたので、僕は、お先に失礼しますと糸咲さんに言ってから、舞台袖に戻った。
戻るとすぐに『二時の方角に虹ありんす』さんの曲が始まり、そして五分もしないうちに演奏は終わる。
「よし、僕らの出番だ」
「うん、行こう」
「全力で、目一杯テンション上げて楽しもうぜ、ネロンさん」
「サンドイッチとバナナとはちみつドリンク、朝のサバの塩焼きとお味噌汁——全部をエネルギーにして、無邪気にはしゃいじゃおうっ!」
ねっ、ヨーグルさん——と。そう言った音論、いやさネロンさんと拳を合わせて、僕たちはステージに向かい準備をする。
と言っても僕は目隠し巻いて、ギター取り出すだけで、あとは時山さんがやってくれるのだが。
ネロンさんもコートを脱ぎ、目隠しを巻いたチャイナドレスにロングジャケット姿だ。ステージは暗転されているので、僕らから客席は見えるけれど、客席からは見えないはず。
不思議な感覚だ。たくさん人がいるのに、顔がよく見えるわけでもない。なのに人がいることだけはわかる。
この中に、姉さん、エンペラーショタコンさん、馬島くん、牙原さん——僕らを知る人間も居るんだな。
どこに居るのかわからないけど、居てくれるって知ってるだけで安心感というか、なんというか。
変な気分だけれど、悪くない。
「よし、ヨーグルさん、ちょっとパソコンから音出してみて。あとギターの音もお願い」
時山さんの言葉に、僕はパソコンから少し音を出した。あらかじめ用意していた、確認用のドラム音を鳴らし、自分の持つギターを鳴らす。
「オッケーだね。インカムも付けたね?」
「はい、大丈夫です」
「うん、ならワタシはネロンさんの方を確認してくるよ」
「よろしくお願いします」
時山さんを見送り、僕はパソコンがセッティングされたデスクに手を置き、集中。
ふとデスクに視線を落とすと、テープを貼ってマジックで『自己紹介用』書かれたマイクを発見。その下に書き置き。
このマイクを自己紹介で使ってね。使い終わったら、電源は切らないでそのまま、デスクの内側に収納スペースがあるから、そこにお願いします。時山——と。丁寧な字で書かれた書き置きを読んで、収納スペースを確認する。
僕の確認が終わると、時山さんが僕に、
「スタッフが撤収して、十秒後にステージ照明がつくからね。あとは軽めの自己紹介と曲名を言って、始めてください」
ネロンさんにも伝えてあるから——と、時山さんは小走りで暗い舞台袖に戻った。
あと五秒。四、三、二、一。
ゼロ——ステージに照明が戻る。お客さんに僕らの姿がはっきりと見える。
「初めましてー! 『ヨーグルトネロン』のネロンでーす! 今日が楽しみで楽しみで、ずっとワクワクしてますっ! そんな作曲歌唱担当のネロンと、そして!」
噛まずに言えたのは、きっと生配信の成果だな——と思いつつ、僕もマイクを取り自己紹介。
「『ヨーグルトネロン』のヨーグルです、初めまして! 普段は作詞編曲なのですが、今日はギター演奏で参加させてもらいます、よろしくお願いします!」
僕が言い終えると、こちらをチラッと見たネロンさんは小さく頷き、言った。
「私たちの名前を覚えてくれると嬉しいです。それでは、『ヨーグルトネロン』の曲を聴いてください!」
すうー、と。大きく息を吸い込み、マイクを持っていない右手を勢いよく天に突き上げ、曲名を放つ。
「『セクシャリーダンスパーティー!』」
ネロンさんの曲名ブッパに、僕はパソコンを操作してメロディを流す。照明をネロンさんがピンスポで独占。
イントロはピアノ伴奏。ピアノの旋律にネロンさんの歌声が重なる。
「さあ、幕を上げて〜、Ah〜〜〜〜〜っ!」
ネロンさんのシャウト気味の『Ah』の終わりに、僕のギターをピアノに重ねる。ここからリズムを上げる。
徐々に——ではなく。
一気に爆上げる!
ピアノとギターの激しいセッション。まだまだ爆上げは終わってない。
SHOWTIME——と。シャウト終わりの歌詞を投げ捨てるように歌ったのはさすがだぜ、僕の歌詞を世界で一番理解してくれるな、まったく。
「お待ちかねDance is Dance Party! 始めましょう、レッツイグニション!」
イッツセクシャリー、ターーーーイム!!!!
その声とメロディに合わせて、僕はギターをかき鳴らし、現状最大限のサウンドを広げる。
今回、僕が編曲で選んだのは、オーケストラ楽器。
ファイナル楽曲『セクシャリーダンスパーティー!』は、オーケストラロックだ!
オーケストラ楽器の音色とギター、そこに最強の歌声で、僕のえぐい歌詞をお届けしてくれ、任せたぞネロンさん!
僕らで色ノ中の呪縛じみた束縛から解き放つ——ッ!
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