切ないって言葉が一番切ない

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「あーめっちゃ緊張する……なにこの緊張、受験の合格発表より緊張してんじゃん」


 僕の人生でここまで緊張した経験はないだろう。


 休日にもかかわらず、午前中から起きているのには理由がある。


 今日は『シンデレラプロジェクト』の一次審査の結果発表日なのだ。


 それと同時に、二次審査の曲ジャンルも発表される。


 まあ一次通過してなければ、二次なんて関係ないのだが、ぶっちゃけ自信はある。


 だがこの謎の自信があって、もし落ちていたら立ち直れないだろうなあ……僕。メンタルよわよわだしさ、僕。


「葉集、発表まだなの?」


 リビングにてパソコンを開き、今か今かと起きてから何度もメールを開くが、午前十一時を過ぎてもまだ通知は来ない。


「さあな。何時に発表とか知らされてないし、とりあえず今日中に発表ってことしかわからない」


 そもそも通過していなければ、通知自体が来ない。


 なので公式ページの速報を更新しまくっているが、その速報にも動きはない。だからまだ、誰にも通知は入っていない——と、信じている。


「もし一次通過してたら、姉さんがなんか買ってあげるよ」


「マジで? でも欲しい物特にねえけど」


「別にあんたの欲しい物じゃなくてもいいよ。たとえば、音論ねろんちゃんに着せたい服とかでも」


「それを姉さんに買ってもらって、僕が音論に贈るとか人としてダメだろ」


「でも勝ち残ったら、必要になるでしょ。ファイナルは生ライブなんだって言うじゃん?」


「そうなったら……それこそ僕が贈りたいだろ」


「ふーん? あんたやっぱ音論ちゃん好きでしょ?」


「まだかなあ、メール」


「うわフルシカトじゃん、図星だ図星!」


「姉さん……今僕は緊張で押し潰されそうなんだよ。特に用事がないなら、執筆でもしろよ」


「へへん残念でしたー。あたしはつい先日、締め切りを乗り切った女なのさ。つまり今のあたしは、次作の執筆まで一番遠い日を生きている、無敵のアルティメットお姉ちゃんってこと」


「その無敵時間で執筆を前倒しするとか思わないわけ?」


「思わないね、全然思わない! そんなこと思うのは作家じゃない」


「作家だろ。真面目な作家だろ」


「真面目な人間が官能なんて書けるわけないじゃん。何言ってんの?」


「姉さんが何言ってんだよ」


「ともかく、今のあたしは書きたくない。今回はキツかったんだから……サークルのゲームのチェックを並行しながらだったし、本当死ぬかと……」


「それは自業自得だろ。本業の元々の締め切りを守っていれば、重なることのなかったスケジュールだろ」


「だってさー、締め切りって交渉次第でビヨンビヨン伸びるから、どこまで引っ張れるか試してみたくなるじゃん?」


「そのチャレンジのせいで、最終的に編集さんガチギレしてたじゃねえか……」


 つい先日、姉さんの担当編集がこの家に押しかけて来て、原稿上げるまで姉さんの部屋前にずっとスタンバっていた。


 その間、地味に気を遣ってお茶菓子とか用意したの僕だからな?


「あんたも頑張ったじゃん。頑張ってくれたよ本当さ、一次の曲書きながら、サークルの曲まで書いてくれたわけだしさ」


「ちょっと試したいことがあったからな、個人的に。僕がテーマに沿った歌詞を書けるかを試すチャンスだったし」


 チャレンジした甲斐はあった。いつも書く下ネタだけの歌詞ではなく、下ネタだけじゃなく自分なりにテーマをプラスして、書き下ろした。


 結果的にいつもの倍近く時間を使ってしまい、僕も姉さんのことを言えないくらい期限ギリギリになってしまったが、締め切りを伸ばしている姉さんよりかはマシだろう。


 下ネタだけで書く歌詞は楽だったんだな、と思い知る経験になったし、いい経験になった。


 この経験をかせるかどうかは、僕次第——というか、発表待ちしている一次の結果次第だ。


「そういや今日、音論ちゃん来ないの?」


「バイトだって言ってたから、たぶん来ないと思うぞ」


 結果発表だし今日くらいは休みたいとは言っていたけれど、休めないとも言っていた。


 休めない理由が、代わりのシフトがいないから——ではなく、単純に休日という稼げる日に一日でも休むと、生活が安定しないからって理由を聞いたときには、なんとも言えない悲しみを覚えたけれども。


 早く動画の広告収入を得られるようにしてやりたい。


 月に一万でも得られれば、少しくらいは音論の負担を減らしてやれるのだが、さすがになかなか難しいよなあ、動画で稼ぐって。まだ申請可能というスタートラインにすら立っていないのだから。


「はーぐーるー。お姉ちゃんお腹すいたー」


「わかったよ……こりゃどうやら午前中には来ねえだろうし、昼飯にしよう。なに食いたい?」


「卵かけご飯と焼き鮭」


「朝飯みたいなメニューを昼飯に要求するんだな」


 それくらいなら自分で用意しろと思うが、居候なので僕が用意する。簡単だし。


 パックご飯を電子レンジでチンしてる間に、鮭を焼いて、あとは生卵と醤油を用意するだけ。簡単だ。


「ほら出来たぞ」


「おー、さっすが! いただきまーす」


「僕も食おう」


「あ、さっきそういや、結果発表来たよ。通過したってさ」


「へえ、そりゃ凄い……は?」


 あぶねえ。突然の言葉に割った卵を床にぶちまけるところだった。


「通過したって。一次通過。やったじゃん」


「マジで? 嘘だったら本気でキレるところだぞ?」


「マジだから。パソコン見てみりゃいいじゃん」


 ほれ——と、テーブルの上のノートパソコンを僕の方へ向け、画面を見せて来た。


「おお、マジだ……」


 マジだった。マジで通過していた。


「もっとリアクションあるっしょ普通。なんでそんなに冷静なのさ、あんた」


「い、いや……なんというか、自信がなかったわけじゃないんだけれど、いざこうして結果を見て、通過しているってわかると、マジで通過してんじゃん、って感じでリアクションに困る」


「若い癖に変なところで冷静だなあ、高校生なんだからもっと、意味不明なくらいテンション上げてもいいのに。年末のカウントダウンでただただ騒ぐ若者みたいに」


「僕のキャラじゃねえだろ、それ。無理がある。それに嬉しいのは嬉しいけれど、喜んでばかりもいられねえ……」


「なんでよ?」


「次の課題曲のジャンルが……『切ない曲』」


『切ない曲』って。切ないってなんだよ切ないって。


 もっと具体的な課題かと思っていたのに、まさかここまでふわっとしているとは……。


「切ない……切ないってなんだよ……切ない……切ない」


「卵かき混ぜながら切ない切ない言うなし。かき混ぜられてる卵が今一番切ない思いしてるよ」


「今この卵は切ないのか……? 切ないってなんだよマジで」


 混ぜた卵に問い掛けるが答えてくれることはない。


 そりゃそうだよな。当たり前だ。


 悩む僕に姉さんが言った。


「切ないって言っても、切ないにもたくさんの種類があるよ。想いが伝わらないから切ないとか、伝えることができないから切ないとか、悲願を達成する直前に退場して切ないとか、切ないって言葉だけに囚われ過ぎるのも良くないね」


「……姉さん、珍しくまともなこと言って僕を冷静にするつもりか?」


「これでも作家だっての」


「とりあえず……そろそろテーブルの真ん中にローション置くのやめるかを考えないか?」


 真面目なこと言ってくれたことには感謝するけど、ローションの置き場所で台無しなんだよ。


「ちゃんと見えるところに置いとかないと、またあんたが踏んで両足骨折するでしょ?」


「見え過ぎなんだよ、テーブルのど真ん中はさ」


 ひとまずこの議論は保留にしよう。


 そんなクソどうでもいいことを議論する前に、この結果を音論に伝えなければ。


 僕はラインで結果を送った。バイト中なので既読は付かなかったけれど、送っておけば問題ない。


「んで、切ないをどうするか……」


「とりあえず葉集、ご飯食べてから考えなさいよ」


「まともなこと言うのハマったのか?」


「デザート食べたいからかしてるだけ」


「台無しかよ!」


「デザートは食べに行こっか。ついでに買い物したいし、あんたにひとつ策を授けよう」


「策? なんだ作詞の秘策とかか?」


「それはお楽しみってことで」


 そういえば、以前なぜか音論に止められたが、姉さんは創作モチベーションを強制的に上げるなんらかのツール(?)を持っているらしいし、それを教えてくれるのかもしれない。


 ならば、とっとと完食せねばなるまい。

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