6


 クリスマスが終わり、翌日も一夜明け。


 十二月二十七日、ファイナル前日。


 もう冬休みなので今日はゆっくりしようとしたけれど、なにやら朝っぱらから姉さんに起こされて起きた僕である。


「どうした姉さん……まだ夜だぞ?」


「いや、あんたの言い分は理解できるけど、世間一般では午後一時は朝なんだよ」


「昼過ぎだろ。世間一般では」


 てかもう昼過ぎかよ。全然朝ですらねえじゃん。時間の流れ、マッハだな冬休み。


 昼飯催促かと思いきや、どうやらそうじゃないようだ。


 いや、せっかく起きたことだし、僕も姉さんに渡しておきたいものがある。


 僕は部屋から姉さんに渡すものを持って来て、リビングに戻った。


「姉さん……これ」


「ん? なにこれ」


「チケット。ファイナル。姉さん忙しそうだったから渡すの遅れた、悪い」


「え、あんたあたしに観て欲しいの!? 意外!」


「別に観て欲しいってわけじゃないけど……でも観せたいとは思うし」


 なんだろう、姉さんにこんな風に何かを贈るのは久しぶり過ぎて、いまいち素直になれねえ。


「そっか。ありがと葉集」


「うん」


 姉さんにチケットを渡し、僕は座った。


「このチケット、即完売したのに良く入手できたね? しかも二枚なんて、ファイナリストのコネってやつ?」


「コネと言えばコネだよ。ファイナリストは関係ないけど、ほら、音論の誕生日にうちに来た馬島くんのね」


 チケットを誕プレ代わりに音論に贈った馬島くんだったが、参加者だと知って持ち帰っていたのだ。


 あとで入手しようとしていたが、僕がチェックしたときには完売してて、馬島くんに理由を話して譲ってくれと言ったら快く譲ってくれた。元々は色ノ中が馬島家に贈ったものだが、そこは気にしないでおこう。


「そっか、あの子、いい友達できたね」


「かなりな。本当ありがたいよ。二枚あるから、エンペラーショタコンさんにも来てもらいたいな」


「おけおけ、声かけるよ。エンショこのチケ取れなくて、今夜どうにもならないなら、転売ヤーから買って直接受け取る覚悟すら選択肢に入れてたし、早速メッセージ送っとく」


 スマホを操作し、姉さんはメッセージを送った。すると僕を微笑ましく見つめ、言った。


 んじゃ——はい。あたしからもあんたに。


 そう言った姉さんは、テーブルの下から紙袋を取り出し、僕に渡してきた。中にはいくつかの箱が入っている。


「…………なに……服?」


「そそ。あんた、音論ちゃんにドレス贈ったくせに自分のは用意してないっしょ。ドレスの横に立つんだから、それなりのドレスコードはあるもんだよ」


 開けてみな——そう言われて、僕は紙袋から箱を取り出しオープン。


「え……高くね……これ?」


「あんたの場合、スーツとかタキシードとかだと嫌がると思ってねー。あんたが贈ったドレスよか全然安いし、今のあんたにあたしがしてやれることって、もうこれくらいなのよ」


 中身は、ハイブランドの服というわけではなく、しかし安くもない。いわゆる中高生憧れのブランドだが、なかなか手を出すには躊躇ってしまう、いい値段する服である。


 割と派手な柄がデザインされたシャツ。その上に羽織るようにシンプルなフルジップパーカー。少し遊び心のあるブラックのカーゴパンツ。


 そして、たぶん僕らが配信で巻いてる目隠しの色と合わせた紫と緑のミドルカットスニーカー。どれもギターを弾きやすいように——そんな思いやりを感じたチョイスに、結構涙腺がヤバかったりする。


「ありがとう……姉さん」


「あいよ、どういたしまして」


 ギリギリで泣くのを堪え、僕はまだ紙袋に底に残っていた服を広げた。


「コート?」


「あ、それは音論ちゃんに、あんたからってことにして渡してあげな」


「なぜコート? しかもロングコート?」


「いやだって、ほとんど知らない人のなかで着替えさせるの可哀想でしょ? それ着てりゃ最初からドレスで行っても隠れるから目立つこともないじゃん?」


「ああ……なるほど。そういう気配り、本当凄いよなあ大人って」


 僕は未熟だな、そこまで考える余裕なんてこれっぽっちもないよ。


「そりゃ、あんたより長く生きてるしね」


「長く生きてればできるってわけでもないだろう」


「大切な相手だからこそ、なかなか気づけないってこともあるんだよ、きっと」


「それでも僕が気づいてやりたかったって思うのは、いやもうそれはエゴというか自分に求めすぎか……」


「いいんだよ、まだまだあんたは高校生なんだし。大人になるまでちゃんと子供やっときなさい。あたしはあんたの姉であると同時に保護者でもあるんだから。あたしらの親が、あんたに教えられなかったことを今あたしが代わりに教えてるの」


「……? なにそれ、僕に教えてないことって?」


「親に甘える子供の気持ち」


「僕かなり姉さんに甘やかされてると思ってるんだけど?」


「おー、言うねえ。でも普通、本当に甘やかしてるなら、家事も炊事も洗濯も、全部あたしがやってるって話だよ」


「それだと不公平だろ。姉さんには色々払って貰ってるんだし」


「ふふ。あんたのそういうところ、美徳だよ」


「いまいちわからねえな……」


 結局姉さんはなにが言いたいのかわからない。


 その後聞いても誤魔化されるし、謎のままだ。


「でもコートは姉さんから、って言って渡してよくないか?」


「良くない良くない、全然良くないよ」


「なんで?」


「んー。じゃあ考えてご覧。あんたが音論ちゃんの立場になった葉集だとして」


「うんうん」


「音論ちゃんからってコートを貰うのと、カミクちゃんからってコートを貰うのと、どっちが嬉しい?」


「そりゃ……牙原さんには悪いけど音論になるよ」


「そういうことなんだよ」


「は? 理解できないんだけど?」


「理解しなくていいから、コートはあんたからって言って渡してあげなさい。これは姉からの命令である」


「まあ……姉さんが良いっていうなら、手柄を横取りする後ろめたさはあるけれど、ありがたく横取りさせてもらうよ」


「それでよし。いい子いい子。さすがあたしの弟だよ」


 理解できていないから、褒められても響かない。成果なしで称賛されても理解に苦しむばかりだ。


「今日ちょうど四時くらいに音論ちゃん来るから、その時に渡してあげな」


「えっ! 音論来るの!? なんで!?」


「オシャレターイムついでにお泊まりねー」


「意味不明! しかも泊まり!?」


「明日また来てもらうのも面倒でしょ。だったら泊まってもらった方が楽だしね。オシャレタイムは、せっかく葉集が透明のヒール贈ったんだし、つま先を綺麗にしてあげるの。ペディキュアだよ。ついでに手先も一緒にね。明日はあたしが出発前にメイクしたげるから安心しておきなさい」


 お泊まり発表された衝撃が強すぎて混乱!


 整理しよう。一旦整理しよう。


 明日はファイナル。だから音論はお泊まり。


 オシャレタイムは手足をデコる。


 明日は出発前に音論のメイクしてくれる。


「いや、お泊まりの衝撃が強すぎるだろっ!」


「あんたの部屋で寝かせてあげるんだからねー」


「は!?!?!?!?!? 姉さん、僕男。音論女。わかってる?」


「それでどうしてあんたの部屋がダメなの、理由にならんわ」


「ホワイ!?」


「前も一緒に寝てたじゃん。なにを今更」


「あれは……だから誤解なんだって!」


「五回か……ふっ、若いな」


「意味も字も違ってる!」


 信じてもらえねー。いや落ち着け、そもそも姉さんが勝手にそう言ってるだけで、音論が僕の部屋で寝るに合意しなければ良いだけである。焦る必要はない。なんだ簡単じゃねえか。


 いや音論なら僕の部屋で構わないって言うんだよな……おそらく絶対、暖房費もったいない論を熱弁されて……未来が見えるかのようにはっきりとわかる。


 まあ……そうなったらそうなったで、今度こそ布団で寝るだろう。まさか二度も寝ぼけて潜り込んでくることはあるまい。冷静になろう僕。まだ音論が来てすらいないのに、慌て過ぎだぜ。


 ひとまず、一旦話を忘れるため、姉さんの気配り気遣いについて、素直に褒めておくとしよう。


「姉さん、やっぱりすげえよな」


 この文脈で言ったら、音論を泊まりに呼んだことを称賛したかのようになってしまったが、気のせい気のせい。考え過ぎだ煩悩。今は死んでくれ煩悩。作詞の時だけ生き返れ煩悩。


「今更なにを。あんたの姉だぞ」


「そう言われたらぐうの音もでない」


「あんたの姉は、それなりに凄くなきゃ務まらないんだよ」


 凄い弟を持つ姉の苦労——と。姉さんは笑った。


「僕はすごくねえし」


「自己評価なんて聞いてないっての」


「過大評価も聞いてねえよ、僕は」


「過大評価と決めつけるのも、自己評価と同じだから。葉集のなにが高くてなにが低いかを見極めるのは、あんたじゃなくて周囲。つまりあたし」


「それ……馬島くんにも似たようなこと言われた」


 柿町かきまち葉集はぐるの評価を決めるのはお前じゃない、って。


「あの子、頭良いね。考えが老けてるとも言えるけど」


「そこは大人って言ってくれよ。僕の親友だぞ」


「はいはい、大人だねえ。つまり大人は自己評価なんて求めないものなの。見て決める——見極める。大人になるために必要なのは、自分自身を見つめることよりも、自分を見せるほう。あんたは十分、自分を見せてるよ」


「時々姉さんって作家っぽいこと言うよな。作家だから」

 

「当然でしょ、エロ作家だもん」


「あのさ、僕が気を遣ってエロ作家って言わなかったのに、どうして自分で言っちゃうの?」


「気遣い無用、エロ作家でなにが悪い? このメンタルがなきゃ、とっくにあたしは引退して就職活動してるっての」


「姉さんが就活か……想像できねー」


「あんただって、エロ作詞でなにが悪い、ってメンタルあるでしょ? それと一緒」


「たしかに」


 そう言われると、納得。もはや僕、エロ作詞に誇りすらあるもん。ちっぽけかもしれないが誇りはある。


「その誇りで、明日シンデレラ落としてこい」


 世間に教えてやれ。あんただけの官能シンデレラの魅力を——と。姉さんそう言われては、やるしかあるまい。


「ありがとう姉さん。やる気増した」


「どいたまーて」


「……省略が微妙過ぎて僕の理解が遅れたぞ」


 どういたしまして——である。姉さんが言いたかった言葉。


 そんなこと言われる必要すら感じないほど、僕は大感謝だっての。


「飯食うか。なに食いたい?」


「ソースカツ丼!」


「了解。んじゃカツ揚げねえとな」


 では、調理に取り掛かるとしよう。丁度姉さんがちゃっかりカツ用、僕たちのゲン担ぎにポチった上等な豚ヒレ肉があるし、そいつをカラッと揚げてやるとしよう。


 多めに肉を解凍して、おやつどきにはふわふわタマゴとカツとチーズをバンズで挟んでカツバーガーにするか!


 そして晩飯はチーズカツカレー、にしたいところだが、音論の喉に刺激を与えるのも良くないし……チーズカツオムハヤシライスとかやってみようか、試しに。

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