第16話 グリリヴィル(1)

 ケリーは風を切って湖上の空高くを進む。フレイシアは再度探知機を確認した。光はますます強くなり、敵が迫っていることを示していた。湖のくびれに当たる小島の部分だ。恐らくあの位置まで最接近している。


「あそこを抜けられると見つけにくくなるかも。急ごう」


 探知機を通り越せば、当然反応は無くなってゆくだろう。恐ろしく広い湖だ、そうなれば敵を見失う可能性がある。特に敵が水棲の魔物だった場合が厄介だ。潜水したまま南に接岸されたらたまったものではない。

 ケリーは「コッコッ」と返事をして加速した。


 両サイドに聳え立つ山脈が徐々に狭まり、前方に湖のくびれが見えてきた。この近くに魔物がいるはずだ。フレイシアはケリーに降下を指示し、低空を飛びながら注意深く水面を観察する。


「どこにいる……? ケリー、気配を探れる?」


 もう近くにいるはずだ。ここまで来たらケリーの勘に頼った方がいいだろう。フレイシアの指示に従い、ケリーが湖面を睨みつけながら注意深く方向を変えてゆく。

 突然、ケリーは強く鳴いたと思うと大きく羽ばたいて急上昇した。


「な、なにっ?」


 驚くフレイシアの目の前を黒光りする鱗の尾が豪速で通り抜けていった。ケリーの判断で避けなければフレイシアが串刺しにされていただろう。いや、尾の太さから考えて串刺しどころか真っ二つか、粉砕になっている可能性が高い。

 見下ろせば、長大な蛇の尾が鋭く空を突いていた。湖面から今の高度まで届く長さには溜息しか出ない。その尾を辿った先にあったのは狐の胴体だった。常識外れの巨大な狐が牙を剥き出しにして忌々しげにフレイシアを見上げている。



「グリリヴィルか。図鑑でしか見たことないや。しかも、あれ絶滅魔獣図鑑だったはずなんだけど」


 魔術学院の図書館で一度読んだきりの魔物だった。とうの昔に絶滅したとされる古代魔獣のはずだ。どうやら人跡未踏のホーンランド北部地域は魔物学者垂涎の秘境になりそうな場所らしい。


「北の地に学者先生連れてったら凄いお金稼げるんじゃ――」


 フレイシアの冗談はグリリヴィルの第二撃によって遮られた。鞭のように打ち付けてくる尾を避けて、ケリーはさらに上昇した。さすがにここまでは届かないらしい。


「おおっと! 危ない危ない。でも、逃げてても倒せないな」


 手が届かなくなったフレイシアには早々に見切りを付けたようで、グリリヴィルは再び南に向けて泳ぎ始めてしまった。野生の生き物は決闘をしているわけではない。無益な戦いはしないのが普通だ。このまま放っておいたら上陸されてしまう。こちらから仕掛けなければ。

 フレイシアはケリーに指示すると、再び敵に向けて接近した。


 グリリヴィルもフレイシアを見上げ、再度戦闘態勢に入ったようだ。フレイシアはケリーと共に降下しながら敵の頭に狙いを定める。


「食らえっ!」


 フレイシアが魔術で攻撃を仕掛ける。周りに数多の氷柱が作り出され、空気を裂いて一気に射出された。対するグリリヴィルは尾を器用に振り回してその全てを叩き落とした。一筋縄ではいかないらしい。


「じゃあ、これならどうっ!」


 フレイシアの周囲に発生した火炎の大波がグリリヴィルに殺到する。その巨体を覆わんばかりの面攻撃だ。尻尾ではとても防げないだろう。しかし、フレイシアの思惑は外れた。

 グリリヴィルの周囲で湖水が渦巻き始めると、グリリヴィルを守るかのようなドームを作り出した。水の防壁に阻まれ、炎は敵に届かなかった。


「魔術か……」


 人間の使う魔術のように体系化されたものではないが、自然の精霊と親和性の高い魔物は、魔術の中でも原始的な精霊術のような技を使う場合がある。今回もその例だろう。北の魔物は思っていたよりもずっと強かった。こんなものが人里に侵入したら酷いことになるのは想像に難くない。そして、こんな相手を二千年近くも防ぎ続けていた屍の巨人の恐ろしさもかなりのものだ。


「でも、魔術で負けるわけにはいかないな。だって私は――」


 フレイシアはグリリヴィルを見下ろし、高らかに名乗りを上げた。


「世界で二番目に強い魔術師、フレイシア! 魔物が相手でも、魔術勝負なら絶対負けないよ!」

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