第36話 ヘルウォーム(4)
こちらも必死だが、相手も必死だ。南へ攻め入ろうというよりは、とにかくフレイシアから逃げようとしているように見えた。しかし、最後の一手が出せない。
「ケリー、いける?」
「コッ……」
気持ちに身体がついていかないようだった。損傷した翼で高度を維持するだけでも辛そうに見える。フレイシアもケリーの心配をしていられる状況ではない。しかし、逃げるわけにはいかず、しかも長引くほど厳しくなるなら今仕掛けるしかない。
「行こう。厳しいけど、これで終わりだから」
フレイシアの言葉に、ケリーの目に力が宿ったようだ。これが最後の一撃だ。フレイシアは落ちそうな集中力に鞭を打って魔術の体勢に入り、ケリーは急降下の体勢に入った。熱風を切ってワームの頭へ迫る。
魔術の威力が目に見えて落ちている。肌に感じる熱が激しかった。ケリーの速度も遅い。魔物とのすれ違いざま、風の刃が肉を切る。これでトドメ――と思われた。
「くっ……!」
途切れた集中力のせいか、それとも落ちた速度のせいか、完全に首を断つことが出来なかった。半ばまで食い込んだ風の魔術だが、それでも敵の動きは止まらなかった。それだけではない。
「ケリー!」
傷つけた敵の切り口から迸った炎の粘液がケリーにかかったのだ。しかも、今回は完全に片翼を燃やし尽くすほどの量だった。きりもみしながら落ちてゆく中、フレイシアは風の魔術を自らの周りに巻き起こし、辛うじて炎の海を脱した。
魔物の炎から離れた湖面に着水する。なんとか焼け死ぬことは免れたフレイシアだったが、これで本当に手は尽きた。ずぶ濡れになりながら敵を見上げるも、その歩みは止まることがない。
「ケリー飛べる?」
「……」
今度こそ無理そうだった。このままでは急速飛行どころか水上から飛び上がることも出来ないだろう。フレイシアが湖で魔物と戦うにはケリーが必須だ。もはや手の打ちようがない。
フレイシアは塔の方へと視線を移す。屋上からこちらを見るマイナとノイルの影すらも視認できるほどの近さだった。このまま魔物に近づかれたら家もろとも焼けてしまう。
「二人とも逃げて!」
叫びが聞こえたかは分からない。フレイシアも自分の声の掠れ具合に驚くほどだった。二人が動く気配はない。信じてくれること、心配してくれることは嬉しいが、このままでは全滅してしまう。
どうすべきか分からず途方に暮れていると、マイナとノイルの間から別の人影が現れた。遠目にも分かるその見慣れた姿はデリックだ。
デリックは猟銃のようなものを構えると、魔物へと照準しているようだった。
銃口が火を噴いた後、小さな爆発音がフレイシアの元にも届いた。デリックがワームへ向けて銃撃したのだ。ただの猟銃で倒せるような相手ではない、しかし、彼は凄腕の魔術道具職人だ。ただの猟銃であるわけがなかった。
銃撃を受けた魔物の傷口から半透明の禍々しい影が立ち上る。影は何本もの人間の腕のような形をとって傷口に巻き付いていった。
ワームの動きが止まる。影に巻き付かれた傷口が痛々しく炎の粘液を噴くが、実態を持たない腕の影を焼くことはなかった。やがて、じりじりと締め上げられた最後の首が落ちた。全ての頭を失ったワームは力なく倒れ、燃え続ける湖面に浮いた。
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