第2話 新居内見
村を出たフレイシアは村長の案内に従って歩みを進め、湖へとたどり着いた。道中は見晴らしの良い一本道で迷うこともなかった。
眼前には対岸が見えないほどの大きな湖が横たわっている。そよ風が湖面にさざ波を作り出し、明るい陽光がばら撒いたコインのように反射して明滅する。美しい光景だ。
湖の両側には、その湖岸に沿うようにして山が連なり北へと延びている。この湖は深い谷間に川からの水が流れ込んで出来ているようだ。
突然、肩に乗っていたケリーがピクリと震えたかと思うと、遠く湖の奥を鋭く睨みつけたまま固まってしまった。
「どうしたの?」
フレイシアがケリーを撫でてやっていると、遠い湖の先から微かな吠え声のような音が風に乗って届けられた。美麗な景観に水を差すような異音に、フレイシアは呟く。
「魔物か」
ケリーが肩で身を強ばらせ、今も見えない対岸を睨み続けている。いや、ケリーには見えるのかも知れない。
フレイシアには遠くて見えないが、湖の奥にもホーンランドは広がっている。島で最北の人里はクルム村であるが、無人の土地はこの先も続いている。山々と巨大湖によって半ば分断された大地の先、そこは世界でも有数の強力な魔物の巣窟となっているらしい。とても人が住める環境ではないとだけ聞いたことがあるが、詳細な調査がされた記録は無く、実態は定かではない。
魔物の存在は、この島で北に行くほど人里が少ない主たる理由である。だが、フレイシアはそれを承知でここへやってきたのだから問題はなかった。今は都会から離れてひっそり過ごしたいのだ。人が少ないのは都合が良い。
フレイシアは気持ちを切り替え、湖から目を放す。今見るべきは新居だ。
そして見つけた肝心の空き家であるが、これを見たフレイシアは若干戸惑った。
「空き家ってこれ……?」
フレイシアは周囲を見渡し、他にそれらしい建物が無いか確認したが、どこまでも雄大な自然が広がるばかりで、人工物は見当たらなかった。
改めて目の前の建物に視線を戻す。
件の建物は、どう見ても空き家という言葉が適当に思えない物件だった。湖の畔にそびえ立つのは堅牢な石造りの小塔。その周囲には大小様々の石の瓦礫が散らばっていた。いずれも塔に使われている物と同質に見える。瓦礫の他にも、崩壊を免れたと思われる石壁の名残のようなものが点在している。
ここはどう見ても砦だった。
相当に古いのは間違いない。帝国の魔術学院で学んだ、退屈な歴史科目の知識を参照しながら考える。村長も古いとは言っていたが、歴史的建造物レベルとは完全に予想外だった。
「ホントに住んでいいのかな?」
問いかけのような独り言に、ケリーが首を傾げた。
外観的には問題なさそうだ。さすが砦と言うべきか、古いが造りはしっかりしており、倒れる心配は無いように思える。
内部へ足を踏み入れると、建材の石から伝わるひんやりとした空気が体を包んだ。採光窓が設えられており、明かりには不便しなかった。各部屋の中も大きな破損は見当たらない。吹き込んだ風が運んできたのであろう落ち葉や砂などのゴミがいくらか堆積している程度で、掃除をすれば快適に住めそうだ。
つぶさに部屋を見て回りながら塔を登り、フレイシアは屋上に出た。思いのほか内見に時間がかかっていたようで、太陽は高い山の陰に隠れようとしていた。空は幻想的なグラデーションを見せ始めている。
「びっくりしちゃったけど、良いところかも」
いきなりやってきた余所者の立場で贅沢は言えないと思っていたが、こんなに素晴らしい場所が与えられるとは幸運だ。村からは離れているし魔物の脅威も近いので、彼らからすれば良い物件ではないのだろうが、フレイシアからしたら問題ではない。
村長に礼と返事をしなければいけない。フレイシアが村へ戻ろうと踵を返しかけた時、視界の端に動く影があった。湖の畔に二人の人影があった。遠目で顔まで判別できないが、少女のように見える。二人の傍には一つの小舟が泊まっていた。村長が言っていた物だろうか。フレイシアが眺めている間に、少女たちは小舟に乗り込んでゆっくりと岸を離れ始めた。
フレイシアは不安な気持ちになった。平和に見える場所だが、凶悪な魔物の巣窟に近いギリギリの地域である。湖と山に阻まれてはいるが、北の地域から魔物が来ることはあるだろう。それを把握した上でここに来たフレイシアはともかく、子供二人で湖に出るのはあまりに危うく思える。
フレイシアは急ぎ、塔を降り始めた。
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