第3話 屍の巨人(1)
フレイシアは塔から駆けだし、湖へと急ぐ。少女がぎこちなく小舟を漕ぎ、岸からどんどんと遠ざかってゆく。
「君たち危ないよ! 戻っておいで!」
フレイシアが大声で呼びかけると、二人の少女がこちらへと顔を向けた。そこでようやく少女たちの姿を詳しく見ることが出来た。
やはり二人とも子供だ。二人とも明らかにフレイシアよりも年下だ。特に小柄な方は十歳かそこらに見える。もう一人、櫂を手にしている方は少し大人びて見えるが、それでも十代前半ではないだろうか。
櫂を持つ少女は驚いた様子を見せ、小舟を漕ぐ手がしばし止まった。しかしすぐに顔を曇らせると、再び漕ぎ始めてしまった。
「どうしたんだろう……」
フレイシアは湖岸まで辿り着いたが、小舟は既に大きく離れてしまい、手が届く距離ではない。こうして見ている間にも小舟はぐんぐんと沖へ進んでゆく。
いざとなれば魔術を使って追いかけることは出来るが、何の事情も分からないため踏ん切りがつかなかった。二人は何をしているのだろう。
どうすることもできないまま小舟を見送っていると、フレイシアは湖面に変化を見つけた。少女たちが向かう先に、不自然な波が起きている。風が起こしているようには見えない。波が大きくなるにつれて、不穏で底知れない気配が感じられてきた。やがて波は小舟を揺らすほど大きくなり、とうとう湖面を突き破ってその源が姿を現わした。
恐ろしく巨大なヒトの腕だ。先ほどまでフレイシアが居た塔よりも高いかも知れない。ずっと湖水に浸されていたせいだろうか、皮膚は所々が裂けて痛々しく赤黒い中身を晒している。突如として湖面を破って伸びてきたそれは、手を大きく広げて小舟をつかみにかかった。少女たちは襲い来る巨人の手を見上げたまま硬直していた。不気味な腕が陽光を遮り、大きな影が湖に落ちる。
もはや見ている場合ではない。フレイシアは魔術を行使した。強い意思が自然の精霊に働きかけ、フレイシアが望んだとおりの現象を引き起こす。
目の前の湖水が一直線に凍り付き、湖岸から小舟までの氷の道を一瞬にして作り出した。フレイシアが最も得意とする魔術、精霊術のもたらした奇跡だ。
氷の道を駆けるフレイシアの背を魔術の風が後押しした。湖面すれすれを飛ぶかのように走り、あっと言う間に小舟のすぐ傍まで辿り着く。
「このっ……!」
フレイシアは少女たちを庇うように立ち塞がり、巨大な腕を鋭く指さした。一瞬にして指先に炎が生み出される。炎は渦巻き、熱風と共に腕へと襲いかかった。強烈な炎に焼かれ、腕は怯んだように動きを止めた。
「今のうちに!」
フレイシアは驚いたまま固まる少女たちに構わず、小舟に乗り込んだ。そのまま湖面の水流を魔術で操る。小舟は水飛沫を上げ、往路と比べものにならない速さで湖岸へと引き返してゆく。警戒して振り返ると、腕はその全身を現わそうとしていた。
湖面を揺るがしながら全身を徐々に露わにしてゆく巨人。禿げ上がった頭部に、頬肉が腐って削げた顔面。虚ろな目。所々が破れて肋骨が突き出した胸部。徐々に立ち上がる屍の巨人は小舟を追って湖岸へと動き始めた。
「魔物? いや、でも気配が……」
見たことのない敵だ。初め、フレイシアは島の北部地域から湖を渡ってきた魔物かと思った。しかし、この巨人が放つ気配はどうやら違うものだ。強力な魔物からは、もっと滾るような生命力を感じるものだ。しかし、この巨人から感じるのは禍々しい負の力。死の気配だった。フレイシアはこの気配に覚えがある。
フレイシアたちが岸に上がっても、巨人は歩みを止めなかった。大波を起こしながら水をかき分けて湖岸に辿り着き、ついに陸地へと上がってきた。地上では体重を支えられないのか、四つん這いのまま近寄ってくる。
「二人とも下がって、あっちの塔の方へ逃げてて」
フレイシアは背後の二人に呼びかける。少女たちは少し迷った様子を見せたものの、指示に従ってくれた。
「ケリーも傍にいてあげて」
フレイシアの指示に、ケリーは「コッコッ」と頼もしく答えると、少女たちを追って飛び立っていった。
あとは目の前の敵を倒すだけだ。
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