第42話 あふれ始めた異変
翌日もデリックはメルジェンシア邸の様子を見ていた。今回は敷地まで踏み込まず、人の出入りを観察するためだ。
メルジェンシア邸は大きな屋敷だ。さぞかし多くの使用人が働いているのだろうとデリックは考えていたが、朝日が昇っても人々の動き出す気配が感じられなかった。
昼頃になってようやく玄関から一人の使用人が出てくる。エプロンドレスにフリル付きの白いキャップ、手には蔓の編みカゴ。買い出しに行くのだろうか。
庭の整備や外装の清掃をする使用人の姿は見られなかった。先日見た時も庭や屋敷の壁が汚れ始めている様子が見受けられた。最近になって人手が足りなくなったのだろうか。何にしても、まだ手がかりが少なかった。
カゴを持った使用人に気づかれぬよう、デリックは距離をとって後をつけ始めた。使用人は何ら不自然な様子を見せず、賑わう昼の市場へと向かってゆく。
ふと思いつきで、デリックは死霊術探知機を確認した。針は緩やかに反応を示している。もしやと思い使用人との距離を詰めると、針はその反応を強くした。反応の仕方からして、かなり高度な術と見える。
(あいつが何かの術を使っているのか? いや……)
市場に入った使用人は順に店をまわって買い物を続けているだけ。注視していなければ雑踏に紛れてしまいそうなほど平凡な動きだ。だが、近くでしつこく観察したからこそ見えるものもある。
(まさか、亡者か)
僅かに顔色が悪く、手指の先に荒れがある。爪先の艶が失われて少しささくれ立った肌。髪の手入れも行き届いていないようで、白髪や毛先のほつれがあった。一見しただけでは分からない細部に綻びが見える。
いずれもほんの些細なことだ。体調の悪い人間や、身なりに気を配らない人間ならば自然なこと。しかし、名家の使用人ともあろう者が、人前へ買い物に出るのに身なりを整えないことがあるだろうか。
血色が悪く身体の末端から崩壊が始まるのは、死霊術によって動く亡者の特徴だ。死霊術に反応が出ていること、不自然な外見の特徴、そしてメルジェンシア家自体に怪しい点が多いことを含めた推測である。
その後、使用人は何らおかしな行動を見せることなく、買い物だけをして屋敷へと帰っていった。
あまり何度も乗り込むわけにもいかない。デリックは今日の調査を切り上げて、自分の店舗へと歩みを向けた。そうして扉の前まで来た時、ふと雑踏の中から聞こえてきた会話が耳に入った。
「またあの病気か?」
「ああ、隣の娘がかかったらしい。医者に診せちゃいるが、さっぱり原因が分からんのだとさ。お前んとこの娘もそのくらいの歳だろ。気をつけろよ」
「気をつけろったって、どうすりゃいいんだ? うつるものなのか?」
「さあな。医者はとにかく休養と栄養としか言わねえから」
デリックは道端で会話を続ける男たちに近寄って質問をした。
「すまん。今の話、詳しく聞かせてくれないか?」
「えっ」
「若い娘がなる病気の話だ」
男たちは顔を見合わせた後、説明を始めた。
「近頃になって出てきた病気でよ。なんでも、急にもの凄い疲れに襲われて、立つことも話すこともままならなくなるらしい」
「そのくせ食欲だけはどんどん増していくんだ。不思議だろ? 病気になると食欲は無くなってくのが普通だと思うんだが」
「どんだけ飲ませても食わせても満たされないらしくてな。太るどころか、だんだん身体が痩せ細っていくらしい」
「もう四人もなってるって話だ。全員、若い娘だよ」
明らかにノイルに見られた症状と同じだ。その正体は病気などではなく死霊術によるものだった。ノイルから命を吸えなくなった死霊術師が矛先を変えたのだろうか。もしくは――
(多くの被害者の一人がたまたまノイルだったってことか……)
デリックはカナリーネストに住んで長いが、こんな病気が流行ったのは初めて聞いた。何か不穏な事態が、静かに街を襲い始めているのだろうか。
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