第29話 飢えと渇き

 朝が来た。

 いつものようにケリーの大音声が部屋に轟いて、フレイシアは目を覚ます。隣でもマイナが身を起こすところだった。


「おはよう」

「おはようございます」


 ノイルはまだ横になったままだった。目は開いていたので、起きてはいるようだ。


「ノイルもおはよう。調子はどう?」

「だるい……」


 掠れた声だった。まぶたも重そうで、今にもそのまま二度寝しそうに見える。昨日はかなり早く寝たので寝不足ということはないはずだ。やはり様子がおかしい。

 フレイシアはノイルの額に手を当てて熱を測ってみた。


「熱は……なさそうだね」

「やっぱりおかしくないですか?」

「うん。やっぱりなんか変だ」


 これからどうすべきか。フレイシアが思案していると、ノイルが弱々しく呟いた。


「お腹すいた」

「えっ、食欲はあるの?」

「うん……。すごいお腹すいた」


 ノイルがそう言うのならと、フレイシアは急いで朝食の準備を整えた。ノイルはというと身を起こすのが精一杯といった様子で、とても食卓まで歩けなさそうだったのでフレイシアがベッドまで運んだ。

 腕の重さすらもどかしそうにしながら、ノイルはおかわりまでペロリと平らげてしまった。


「なんか、お腹いっぱいにならない……」

「ええ? 今二人分食べたよ」

「まだお腹すいてる」

「でも元気は出ない?」

「うん……」


 フレイシアとマイナは顔を見合わせる。


「フレイシアさん、やっぱりおかしいですよ」

「これはグルベッドまで行くしかないか……?」


 大都市であるグルベッドまで行けば治癒術を使える魔術師の医者がいると聞いている。診てもらえば何が分かるかもしれない。

 フレイシアは左腕の魔物探知機へ目を向ける。今のところ魔物の反応は無いが、グルベッドまで離れたら反応を見てから急いでも間に合わない可能性がある。それは魔物の上陸を許すことになりかねない。しかし――


「行こう。このままほっとけないよ。マイナ、急いで準備して。すぐに出よう」

「はい!」


 フレイシアたちは最低限の持ち物だけを用意し、ケリーに乗って飛び立った。マイナは引きつった顔をしていたが、泣き言は言わなかった。

 カナリーネスト上空に差し掛かろうという頃、ノイルが小さな声で絞り出すように言った。


「フレイシア、喉乾いた、お腹すいた……」

「グルベッドまではまだ遠いよ、なんとか我慢できない?」

「むり……死んじゃいそう……」


 今は急ぐべきだと言いかけたフレイシアだったが、ノイルの顔を見て絶句する。顔色は真っ青で唇もカラカラに乾燥しているようだった。呼吸も細くなり、頬もこけて見える。まだ朝食からさほど時間が経っていないのに、まるで何日も食事を抜いたかのように異様な衰弱だ。見ているだけでも本当にしんどいのが伝わってくる。死んじゃいそうというのが、まったく大袈裟に聞こえなかった。


「フレイシアさん、何が起こってるんですかこれ……」


 マイナの声が震えている。フレイシアもマイナと同じ気持ちだった。何が起きているのか全く分からないが、このままだと本当にノイルが危険なことだけは確実だ。


「仕方ない。一旦降りて何か買おう」


 苦渋の選択だったが、カナリーネストを過ぎたら次の街まで保つかわからない。

 フレイシアはケリーに指示して、降下した。


 ノイルは首が据わらないほどに衰弱していた。到底歩ける状態ではないので、フレイシアが負ぶって行く。朝は身を起こすくらいのことは出来たのに、弱る早さが尋常ではなかった。

 手っ取り早く大通りの露店で水と果物でも買おうかと思って歩き出したところ、後ろから聞き覚えのある声がかかった。


「おう。新しい素材でも持ってきたのか?」


 振り向くと、すっかり馴染みとなった魔術道具屋の店主、デリックが立っていた。買い出しの途中だったのか、紙袋を抱えている。


「おはようございます。でも、今はちょっと急いでて……」


 デリックはノイルの様子を一目見て表情を険しくした。


「どうした。様子が変だな」

「わかりません。今はグルベッドの医者へ行く途中なんですけど、ノイルがどうしても水が欲しいと。見ている間にどんどん弱っていって……」

「出してやる。うちへ来い」


 デリックの店はここからすぐ近くにある。もはや迷っている時間すら惜しい。フレイシアたちは店へと急いだ。

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