第74話 私たちの町だから
暖かい午後。
トントンカンカン。釘を打つ小気味よい音が、規則的なリズムで響いてくる。塔の隣に建設中の自警団宿舎からだ。今日も朝からカナリーネストの職人たちがやってきて工事に勤しんでいるのだ。
フレイシアが窓から見下ろすと、造りかけの屋根に乗った若い男の職人が手を振ってくれた。フレイシアも笑いかけつつ手を振り返す。
建物はかなり形になってきており、部分的には既に使用も始まっているとのことだ。今は即席の小屋に寝泊まりしている人たちも、宿舎が出来れば快適に滞在ができるようになるだろう。
古の死霊術師コリンダとの激闘から、既に一年が経っていた。
戦いの後に巻き起こった混乱は大変なもので、フレイシアは当時を思い出す度に、よく乗り切れたと内心で自分を褒め称えていた。今の平和な状況に至るまでには様々な苦労があったのだ。
*
追加の生け贄として送り込まれた子供たちと一緒にカナリーネストへ戻ったフレイシアたちを迎えたのは激しい怒号の群れだった。説明には根気が必要だったが、話はきちんと聞いてもらえた。やはり、実際に病が収まっていたことが大きいだろう。
当然、メルジェンシア邸にも調査の手が入った。
屋敷の地下には使用人と思しき人たちの死体が数人寝かされていた。コリンダが言っていたように、ガージルが停止したために生命力の供給を断たれて動かなくなった亡者であろう。その不気味極まる様子は地元有力者が悪しき死霊術師であったというフレイシアたちの主張を強く肯定した。
初めのうちはフレイシアたちに不審がる目を向けていた者たちも、証拠の数々が明るみに出るに連れて少しずつ信頼を寄せてくれた。
メルジェンシア邸のことよりも大きく話が荒れたのは生け贄と守り神のことについてだった。
恐ろしい北の魔物から国土を守っていたガージル。その正体を知らされても尚、守り神を倒してしまったのは良くないのではないかという意見は多かった。
生け贄制度が悪習であったとはいえ、フレイシアの独断でホーンランドを危険に晒したのは揺るがない事実だ。何を言われても甘んじて受け入れる心づもりであったが、なんとフレイシアに加勢してくれた者たちがいた。それは生け贄を出し続けていた孤児院や、デリックのように娘を取られた親たちだった。
内心では生け贄を出すことに反対しながらも、それを行動に移すことができなかった者は大勢いた。潜在的にフレイシアたちの味方であった彼らは、守り神が死んだことで、いよいよ声を上げることができたのだ。
子供たちの犠牲の上に生きてきた自覚のある人々は、当事者である彼らを前にして文句を言うことはできなくなった。どんな理由を並べ立てても、自分の心には嘘をつけない。
問題はまだあった。守り神が死んだとなれば、ホーンランドの人々にとって喫緊の関心事は魔物への対処である。
何も言われずとも、フレイシアはこれまで通りに魔物退治を続けるつもりであった。ガージルを倒したことで、フレイシアが守り神よりも強い魔術師であるという話が既に広まっており、それに反対する者はいなかった。
驚いたのは、自分も加わりたいという人々の存在だった。昔は魔物とやり合ったこともあるという猟師や魔術師など、多くの腕に覚えのある人たちが手助けを申し出てきたのだ。
大勢まとまって町を守るのならば湖に拠点があったほうが良いだろうということで、湖畔に砦を建てることになった。
フレイシアはいつかに読んだ、昔の日記を思い出した。かつてこの湖畔には人喰いの守り神を打倒し、自警団による町の防衛を志した人物がいた。彼は無念にも目的を達成できなかったが、長い時を経て自警団が復活しようとしていた。
とても大きな流れだった。守り神という蓋に塞がれていた人々の思いが、ガージルの消滅をきっかけとして一斉に溢れ出し、再び自警団を創り出したのだ。
*
「フレイシアさん、お昼ご飯出来ましたよ!」
「ありがとう、マイナ。運ぶの手伝うよ」
呼びに来てくれたマイナと共に階下の台所へと向かうと、大テーブルの上に出来上がったたくさんの料理が並べられていた。ふかふかのパンが収まった籠、湯気を上げるスープの器に、香ばしく焼き上がった肉料理の大皿。
もちろん、こんなにも大量の料理をマイナ一人で作ったわけではない。台所には他にも出入りしている人々がいた。町の料理店や食堂で働く人々だ。皆、自警団宿舎建設のために集っている協力者たちである。フレイシアの家も可能な限り協力することにしており、無駄に空いていた塔内の部屋は協力者の一時的な宿として役立っている。
この塔も元々は砦の一部だっただけあって設備は非常に充実している。台所もフレイシアたち三人と一羽だけでは使い切れない大きさだったので、今こそ本来の実力を発揮する時だろう。
「いつも貸してもらってありがとね」
恰幅の良い食堂のおばさんが果物の満載された皿を両手にフレイシアへ笑いかけた。
「いえいえ、賑やかになって楽しいですよ」
ふと見ると、おばさんの陰に隠れたノイルがケリーを抱えたままテーブルから料理をつまみ食いしていた。
「ほらほら、後は並べるだけなんだから席まで我慢しな」
「はーい!」
おばさんに注意されたノイルが楽しそうに笑いながら手を引っ込める。自警団の宿舎建設が始まってからは頻繁に見るようになった光景だ。
フレイシアは料理の皿を両手に、マイナたちを伴って塔から出る。塔の外には建設途中の大きな宿舎の他、小さな仮設宿やテントがいくつも設置されている。それぞれの合間を人々が行き交い、まるで小さな町が出来たようだ。かつて静けさに包まれていた湖畔は忙しくも楽しそうな声に満ちあふれていた。
「すっかり賑やかになったね」
「毎日パーティーしてるみたいで、ノイルは好き!」
「私も楽しいですよ」
「コッココッ!」
外に置かれた大天幕の下には大きなテーブル。仕事に区切りを付けた職人たちが大声で笑い合いながら、先に運ばれた料理に手を付けていた。フレイシアたちも遅れて席について食事を始める。席に限りがあるので食事は各々バラバラに摂っているのだ。
「隣、いいか?」
聞き慣れた声に振り向くと、そこにはデリックがいた。フレイシアたちの返事を聞く前に席に着くと、早速料理を食べ始めた。
「デリックさん、今日は来てたんですね」
「ああ。魔術武器やら備品やらの納入にな」
「すっかり出張販売も板についてきましたね」
「まったく、忙しくてかなわんがな」
そうぼやくデリックだが、顔は楽しそうだった。
自警団再建前は閑古鳥が鳴いていたデリックの店だが、今は信じられないほどの大繁盛だ。当たり前だが、魔物と戦うには武器がいる。フレイシアのように武器を持たず単身で戦える魔術師はそれほど多くない。自警団の拠点が湖にあるので、デリック自身が品物を納めに来たりメンテナンスをしたりといった機会も多くなっているのだ。
「あんたの方こそ仕事の調子はどうだ」
「人手が増えて大助かりです。前ほど危険な目に遭うことはなくなりましたね」
「フレイシアさんが怪我して帰ってくる日が減ったので心臓に優しいです」
凶悪な魔物相手に一人で出来る作戦は限られている。今は大勢で多彩な作戦をとれるので安全最重視で防衛が出来るようになった。マイナやノイルをハラハラさせることも減って良いことづくしだ。
しばらく談笑しながら食事を済ませ、デリックは大荷物を背に慌ただしく天幕を出て行った。彼はこれから仕事だ。
少し遅れて食事を終えたフレイシアたちも席を空けて天幕を出る。空いた席は他の職人たちがすぐに埋めてしまった。あちこちの草地に座って食事をしている人たちもいるようだ。
フレイシアたちは湖のすぐ側まで寄って草地に腰を下ろす。ここまで来ると少し群衆から離れて静けさがやってきた。風に揺られた水が立てる小さな音が聞こえる。
「今日と明日はお休みでしたっけ?」
「うん。当番回せるようになってホント楽になったね」
戦える人が増えたので、フレイシアが常時待機する必要も無くなった。自警団の最大戦力であることに変わりはないからフレイシアの当番は多めになっているが、それでもこれまでと比べたら雲泥の差だ。
「でも、みんなフレイシアには敵わないって言ってたよ!」
「はい。さすが世界で二番目を名乗るだけあるって」
「それ、そんな広まってるんだ……。なんか恥ずかしいな」
世界で二番目に強い魔術師。フレイシアが好んで使っている口上だが、こんなに広まってしまうとはフレイシア自身も思っていなかった。
「少し気になってたんですけど、どうして二番目なんですか?」
「うーん……。前にデリックさんにもツッコまれたけど、そういう競技会とかで決まったわけじゃないの。ただ、世界で一番強くて大きな帝国の、世界で一番優秀で大きな魔術学院で、魔術を使った喧嘩じゃ負け無しだったから。調子に乗って名乗ってただけで」
昔を思い出して言いながら、フレイシアは草地に寝そべった。晴れ渡った空を鳥の一団が通り過ぎてゆく。
「フレイシアさんらしいですね。でも、それなら世界で一番を名乗るんじゃないんですか?」
「うん。一時期は世界一を名乗ってた。でも、ある日学院の外から来た魔術師にコテンパンに叩きのめされてさ。それからは二番にしてるの。これは別に、本当の意味で私が世界で二番目に強いって言うよりは、心構えというか信念みたいなものに近いかな」
「心構え?」
首を傾げるノイルに頷き、フレイシアは続けた。
「私自身は常に世界で一番強くありたいっていう図々しさだけは無くさない。でも、常に自分よりも前に誰かがいることも忘れないって感じ。だから二番目」
「そうだったんですね」
「私はもう帝国民じゃないし、学院生でもない。でも、この国の魔物はめちゃくちゃ強い。そんな魔物と戦える私はやっぱり強い。だから、この心構えは曲げない。変らない」
「それならここも安泰ですね」
そう言って笑うマイナ。しかし、フレイシアは思う。この国を本当に守っているのは、もう世界で二番目に強い魔術師だけではない。本当の志を取り戻して復活したホーンランドそのものであり、フレイシアもその一部なのだ。
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