第70話 二千年遅れの死
フレイシアは魔術の吹雪を放つ。極低温の風と氷のつぶてが怒涛の勢いでコリンダを襲う。暗いオーラの霧に遮られて直接は届かないが、風にはためくドレスの裾に雪が付着してゆく。少しずつだが、敵の力を削り続けた成果が出てきたようだ。
「攻撃が通ってる。もう守りきるだけのちからが残っていないのかも。チャンスだと思います」
「ああ」
フレイシアの魔術が収まると同時、デリックが懐から大ぶりのナイフを取り出した。そして、弱って杖をつくコリンダ目掛けて投擲する。
ナイフは暴風を伴って、高速でコリンダへと向かう。風の魔術道具だ。
コリンダは守る姿勢を見せたが、ナイフはオーラの霧を容易に貫いた。鋭い刃がコリンダの右脚に突き刺さり、血飛沫を散らす。
「ぐうっ」
しゃがみ込むコリンダへ、頭上からケリーが襲いかかった。守りの薄れた顔面へ、自慢の爪をたてた。美しい雪原のようだった頬に、赤く痛々しい爪痕が刻まれる。
コリンダは顔を手で押さえた後、鮮血の滴る掌を見ながら怒りに顔を歪ませた。
「私の顔に、傷を……!」
今日一番に憎しみを感じさせる視線がフレイシアたちを捉えた。コリンダは人から命を奪って若さと寿命を永らえているが、亡者ではない。傷が即座に治ることはなかった。
コリンダはどこからか小動物の骨のようなものを取り出した。開かれた血濡れの掌に乗せたそれをフレイシアに見せながら、怒りに震える声で宣言する。
「もう貴女を食べるのは止めね。私の糧としてこの世に残ることも許さない」
コリンダが骨を撒く。
周囲の気温が急激に下がった気がした。本能に訴えかける恐怖。死の気配。死霊術の気配。
コリンダを覆っていた黒いオーラがさらに広く拡散し、それぞれが明瞭な形をとり始めた。それは外套を身に纏い、深いフードに覆われた顔は見えず、袖から出ている腕は痩せ細って骨のよう。蜘蛛のように細く伸びた指が揃う大きな手。闇に満ちた亡霊だった。
コリンダから溢れ出るオーラより、次々呼び出される十数体もの亡霊たち。フレイシアたちは円形に囲まれてしまった。
「クソ、囲まれたぞ」
周囲を見渡しながら苦々しげに言うデリック。だが、フレイシアはこの様子を冷静に見ていた。
「いいえ、もう終わりです」
亡霊を一つ呼び出す度に、コリンダの顔から生気が失われていくのが手に取るように分かった。血色の良かった顔はみるみる青ざめ、肌は艶を失い、目は酷く充血している。脚は震えており、杖に縋って立つのがやっとの様子だ。
恐らくこれが本当に最後の足掻きなのだろう。生け贄の補給が途絶えたまま、死霊術を酷使した結果がようやく出始めたのだ。湯水のように命を使い、自然の摂理に逆らって若さを保ってきたコリンダ。もはや自分一人で維持できる身体ではない。
亡霊たちはフレイシアたちに襲いかかろうと歩みだしたが、その姿は一歩毎にどんどん霧散してゆく。もうコリンダにはそれを維持する力が残されていない。
「おのれ、おのれぇ! 子供さえ食えば、お前らのような木っ端ごとき、敵ではない! 敵ではないというのに……」
コリンダはそう吐き捨てて杖を取り落とすと、その場に崩折れる。もう立つこともままならないようだ。
魔術の制御は途絶え、亡霊たちはついにフレイシアへ届くことなく全て消え去った。
「あなたが亡者だったら負けていた」
多くの死霊術師は、自らを亡者とすることで擬似的に不老不死を目指す。しかし、コリンダはあくまでも命という要素を重視して真の不老不死を目指した。そこが最大の弱点であった。いかに終わりを引き伸ばそうと、命には限りがある。
命と若さに固執した死霊術師、コリンダ。その下らないこだわりのために数多の少女たちを食らってきた、人の姿をした化け物だ。
コリンダの身体から命が抜けてゆく。肌がたるみ、シワが寄ってヒビ割れる。髪が抜け始め、色も艶も褪せてゆく。瞳は濁り、光が失われてゆく。肉が落ち、爪が剥がれ、骨の形が見えるほどにやせ細る。歯がボロボロと抜け落ち、割れた唇からは血が滴っていた。
肉体のすべてがコリンダの終わりを告げていた。
「わ、私の、私の身体が……永遠の若さが、美しさが……」
抜け落ちる髪を細く折れそうな指で拾い集めながら、掠れた声で嘆く。それは亡者よりも亡霊よりも哀れな生者の姿だった。
「生きていれば誰にでも来る終わり。二千年越しに、ようやく追いつかれただけだよ」
「黙れ、定命の小娘が! 瞬きほどの生しか知らないお前に何が分かる! 私は二千年を生きる魔術師、名高き死霊都市の死霊術師よ! こんな、こんな終わりがあってたまるものか!」
そう叫ぶ声もしわがれて覇気がなかった。もう終わりだ。
その時、フレイシアたちの背後から馬車の進む音が聞こえてきた。
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