第56話 氷の日常


「この香辛料は美味いな」

「そうだろう。この地でしか取れないモノだ」

「癖になりますよね〜」

「この環境も厳しいだけではなく、それなりにいいモノもある」

「ほぅ……と言うと?」

「そうさな、特にこの地で採れる葡萄酒はいい。私は好きだ」

「確かに絶品だ」

「それにここの兎の肉の味は寒さで身が引き締まり風味がいい」

「あ〜確かに! なんか違うなって思ってたんですよ〜」

 アレスが肉を頬張りながら割って入る。

「フッ」

「しかし、それだけではこの寒さは耐えかねる」

「景色もいい。真っ白で私は好きだ」

「それで?」

「わからぬか?」

「嫌いではないが、それだけでは耐えかねる」

「ふむ……」

 レイチェルが考える。

「星空はどうだ? ここの星はとても綺麗だ。私は1人で葡萄酒を飲みながらよく眺める」

「意外とロマンチストなんだな」

「好きではないか?」

「嫌いではない。だが、それでは耐えかねる」

「つまらぬ男だ」

 グラスにワインを注ぐ。

「強さを極めたモノは、欲がないのだな」

 レイチェルは鼻で笑い、注いだ葡萄酒を口に流し込んだ。

「貴様らが弱いだけだ」

「あ〜それ言っちゃいます?」

「耳が痛い……」

「ははははは」

 この女もこんな顔をして笑うのだな。

 こうして見ると絶世の美人だ。

 

「ところでそろそろ聞いてもいいですか?」

「何をだ?」

「やめておけ」

「何をだ?」

「あの……」

「やめておけ」

「言ってみろ。今の私はとても機嫌が良い」

「じゃあ遠慮なく……、レイチェルさんって500……ブホッ!」

 アレスが裏拳で吹っ飛ばされた。

 だからやめろと言ったんだ……。


 このユーラ島で暮らし初めて早いもので1月が過ぎた。

 フィンやエルザ、マーリンはどうしているだろうか?

 ルイーダやエレイン、家族も心配だ。

 俺達は相変わらず剣王に太刀打ち出来ないでいる。

 

「発ッ!」

 剣と刀がぶつかり合う。

「……」

「乱れ斬りッ!」

 二刀流による上下斜めの回転斬りを放つ。

「……」

 無言でネクロムを跳ね上げ弾き飛ばす。

「くッ──」

「貴様は今日は良いだろ」

「これでか?」

 相変わらず1本もとれていないが……。

「そこで休んでおれ、次ッ、アレス!」

「はい!」

「構えよ」

「行きますよ〜!」

 アレスと交代する。

「うああぁー!」

「……」

「ぐはッ」

 雪に埋もれる。

 

「さて、夕食の支度をしてきてもらおう」

 いつしか俺達と剣王との間では、倒された数の獲物をとってくるという無言の誓約が成された。

「貴様は(アレス)17匹。貴様は(ジレン)は8匹だ」

「は〜い」

「仕方ない……」

「先に帰るぞ」

 レイチェルは先に帰宅した。

「さぁ、さっさと狩りに行くぞ」

 パイクプレスのおかげで肩を痛める事はなくなった。エレインに感謝だ。いつかこの剣王の話をしてやりたい。

「レイチェルさん、最近少し柔らかくなりましたよね〜」

 雪道を歩きながらアレスが話す。

「そうかもな」

「相変わらず目がやばいんですけどね〜。怖すぎます」

「フッ」

 俺は鼻で笑って返す。

「レイチェルさんって鬼みたいに怖いけど、意外と美人ですよねー。マーリンさんと並ぶと凄い絵になますね」

「まぁな」

「あッ兎!」

 アレスが走る。

「お先に〜ッ!」

 アレスが笑顔で振り返る。

「僕は17匹も取らないといけないのでね」

 俺はアレスの狙った獲物にムラサキを投げ刺した。

「あッ、ずるいですよ〜、ジレンさ〜ん!」

「はははははは」

「はぁー、本当にジレンさんといいレイチェルさんといい容赦ないんだからー」

 アレスは不貞腐れる。




 ──夕食。

「ほぅ……それで、そやつは何物なのだ?」

「自称魔王軍幹部と名乗っていたんですけど」

「ふむ」

「それがですね〜、なんと敵の黒幕は王様だったんですよー!」

「なんと……」

 俺達は時より冒険の話をレイチェルに語り聞かせる。こんな何もない極寒の土地で何百年も1人で住んでいるからか興味を持ってよく聞いている。

 いい娯楽になるのだろう。

 しかし、レイチェルの方から自分の話をする事は一切なかった。

「面白い話があるんですよ」

「どんなだ?」

「ジレンさんの息子、僕と2つしか変わらないんですけどね」

「ほぅ……」

「あの直筆の本読んでくださいよ。この殴り書きの数ページ。笑えますよ?」

「あまりエレインをネタにするな。あいつはあいつなりの考えがある」

 ニヤニヤしながら〝筋トレ・ノート〟を手渡す。

「……」

 レイチェルは無言で数ページ、ペラペラめくる。

「これは………、何モノだ?」

「何がです?」

「とてつもない名言だ。私の心に響いたぞ」

 響いたのか!?

「え?」

 アレスが固まった。

 俺には理解が及ばないが、剣王には響いたらしい……。

 開いているページを覗くと「今見知らぬ男がドアから入ってきて、君の首元に剣を突きつけて「あと2回やれ」と言ったらどうする? 死に物狂いでやるだろう? 追い込むとはそういうことだ」と書いてあった……。


 ──次の日


「ぐあああッ」

 アレスが吹っ飛ばされ、倒れ込む。

「ぐはッ」

「そろそろ気付け、たわけ者。貴様の中のバーサークはコントロールが可能だ」

「え!?」

「貴様がその気になれば自在に操れる」

「ど、どうすれば?」

「自分で考えろ……」

 驚いた。そんな事が可能なのか?

 確かに浸食をコントロールしているレイチェルが言うのだから説得力はあるが……。

「次ッ、ジレン!」

「行くぞ!」

「はぁぁぁぁ──ッ!」

「…………」

 

 淡々と剣がぶつかり合う音だけが響く。

「今日は貴様は(アレス)10匹、貴様は(ジレン)6匹だ」



 ──数日後。

「貴様は(アレス)8匹。貴様は(ジレン)3匹」


 更に数日後。

「貴様は(アレス)3匹。貴様は(ジレン)1匹。

 

 ある晩。

「お、おいアレスやめておけ……」

「どうしたんですか〜? いつもクールなジレンさんがそんなに動揺してしまって……」

 勇者が勇者らしくないゲスな顔をしている。

「巻き添えは、ごめんだ」

 アレスの奴、勇者のくせにレイチェルの風呂を覗こうという試みだ。

 どう考えても巻き添えは被る。

 

「何も見ないで巻き込まれるか、いいモノを見て巻き込まれるか2択に1つです」

「アレス……お前な……」

 興味がない訳ではないが──、確実に死ぬかもしれん。しかし何もしないで巻き添えを食らうなら、見てやられた方がいい。

 多分、こんな思考になるのは俺も酔いが回っている……。

 

「なら、行くしかないな」

「そうこなくっちゃ、フィンさんならもう即答でしたよ!」

 

 決死の覚悟で洞窟の奥の岩風呂に近寄る。

 生唾を飲む。

 心拍数が高くなっている、鼓動が高鳴る。

 

「(あの角を曲がれば……、ぐふふふ)」

「(しゃべるな、殺されるぞ)」

 アレス、いつからこんなゲスな顔をするようになったんだ……。

「(行きますよ)」

「(あぁ)」

 

 湯をかける音がする。

 丁度、体を流しているようだ。

 顔を少しだけ出し、岩陰から覗く。

 レイチェルの美しい裸の後ろ姿が露わになった。

 あまりの美しさに一瞬、時が止まった錯覚を覚えた。

 アレスは鼻血を垂らしている。

 

「いい度胸だ」

 

「(へッ!?)」

 気付かれた!?

 

「貴様ら、覚悟はできているようだな?」

 レイチェルは後ろ姿のままタオルを体に巻きつける。

「いや、あのですね〜、えーと」

 必死に言い訳を考えるアレス。

 レイチェルがこちらをゆっくり振り返った。

 湯掛けの桶が飛んできた。

 それに気をとられた瞬間。

「あ、あれ?」

「──ッ!」

 消えた!? 見えないッ!

 気付いた時には、俺達の背後にバスタオル1枚の姿で立っていた。

「さて、どうしてやろうか」

 振り返った瞬間。

「ぐあっ!」

「ぶはっ!」

 俺達は顔面に回し蹴りをもらいその場に倒された。

「その度胸に免じて今日は外で寝かせてやる。喜べ」

 こんな極寒で外で寝ろと?

「鬼だ──」

 

 

 そして更に数日後。

「はぁ──はぁ──」

「ここまで」

「ジレンさん、すげー」

「ふむ。今日は貴様(アレス)の1匹になってしまったな」

 俺は初めて倒れる事もなく凌いだ。

 しかし未だにレイチェルから1本もとれてはいない。

 凌ぐだけでは意味はない。

 倒されてでも1本取りに行くべきだった。

 

「私も狩りに赴く時が来るとはな」

 そう言ってレイチェルは、一瞬だけ微笑んだ。

「さぁ狩りに行くぞ。モタモタするな」

「はい!」


 その日の夕食。

 

「今日は特別に私が長年保管していた葡萄酒を馳走しよう」

「どういう風の吹き回しだ?」

「なに丁度よい飲み頃合いだと思ってな」

「ほぅ……」

「150年モノだ」

「うわービンテージですね〜」

 レイチェルはグラスに特別な葡萄酒を注ぐ。

「開けちゃっていいんですか?」

「あぁ、その変わりとびきり面白い話を聞かせろよ」

「まかせて下さい」

「いい香りだな……」

 特別な葡萄酒の香りは注ぐだけでもその食卓を包んだ。

「呑んでみろ」

「では……」

 俺は葡萄酒をひと口流し込んだ。

「う、美味いな」

「そうだろう」

 レイチェルはご満悦と言った表情だ。

「うわ〜、すごい芳醇ですね、これ!」

 レイチェルは得意げに鼻で笑ってみせた。

 

 これだけ生活を共にすると多少の畏怖の念はあるものの、あの冷淡な対応と死んだ目にも慣れる。

 何よりレイチェルは美しい。人間らしい一面も垣間見る。気持ちの中では、いくら〝初代勇者殺し〟とは言え俺達にとっては良き師であり仲間だ。

 

「それで、ですね」

「ふむ」

「マーリンさんは、僕を騙して置き去りですよ!」

「ははははは」

「僕はもうテンパって大変でした。全身のドロを塗ってヘドロの魔物の振りをして凌いだんですよー」

「マーリンらしい」

「いや、笑い事じゃないんですってば!」

「しかし貴様らの旅は愉快なモノだな。私とは大きな違いだ」

 レイチェルは遠い目をして微笑んだ。



 ──次の朝。

「起きろ」

 レイチェルがアレスに蹴りを入れ起こす。

「痛ッ」

 椅子から転げ落ちる。

「どうした?」

「喜べ」

 なんだ? いつもより早いぞ。

「「?」」

 アレスと顔を合わせる。

「ジレン、貴様の卒業試験だ」

「卒業?」

「あぁ……最後の試験だ」

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