第65話 闘争本能


 いけぇぇぇ──ッ!

 

 歯車が揃う刹那の瞬間を捉え──、そのわずかな隙間を矢の如く、糸を縫う様に飛び越す。


 唐突に思いもよらなかった〝奇行〟を、会場の仲間が、その敵でさえも、固唾を呑み行く末を見届けようとしている。


 今、この瞬間には迷いも雑念もない。

 

 音もない──ただそこに俺があって他がある──

 無音になった事で、今まで聞こえていた音の存在を知る。

 

 意識を超越し、目に映らない粒子をも細胞で感じる。

 何者も俺に干渉できない。

 世界ですら俺を止められない。

 時空を置いていく──。

 研ぎ澄ました感覚が時間を切り取る。

 

 最後の鋼鉄の羽が、肩を掠め──

 ギリギリの緊張感ですら原動力に変わる。


 つま先が、目的地に触れ──足裏で命を勝ち取った事を認知する。

 右拳を高々と掲げ、目標到達を誇示する。


「うっしゃぁぁぁぁー!」

 天井に向かって腹の底から叫び声をあげた。

 その響く俺の絶叫が、〝奇行を偉業〟に変貌させた。


「「「うあぁぁぁぁ──!」」」

「エレちゃん、やっべぇー!」

「エレイン〜! キャー!」

 安堵を置き去りにした仲間達の歓声が響く。


「「「あいつやべーぞぉ!?」」」

「本当に人間か!?」

 魔物達一同がどよめく。

 

「さすが、好敵手であるッ!」

 ミノタウロスは、こちらに聞こえる大声で称賛し、再び前に向き直し走り出した。

「しゃッ!」

 と、俺は気合いを入れその背中を追いかける。

 

 止まるわけには行かない。

 俺だけが苦しいはずがない。

 敵も苦しいはず──だ!

 

 再び目の前に開かれた200メートルの廊下。

 がむしゃらに突き進む。

 両腕を力いっぱい振り。

 両腿を力の限り上げる。


「「うおおおおおお──!」」

 両者の雄叫びが轟く。


 ミノタウロスとの差は50メートル。

 泥のように重くなった体を気合いで動かす。

 50──、100──、150メートルを通過。

 肺が焼けるように熱い。

 荒い呼吸で今にも張り裂けそうに膨れ上がる。

 汗と鼻水をダラダラと流す。

 

 ミノタウロスは、一足先に次のエリアに辿り着いている。

 膝に手をつき、前屈みなっていた。

 空気を入れる風船のように、背中が膨れたり、萎んだりしている。



 呼吸を整えられていない……。

 やっぱりアイツも苦しいんだ。

 

 次のエリアの詳細が見えて来た。

 前方にトランポリンらしき物体がある。

 その10メートル先に赤いバーが1つだけぶら下がっている。

 

 10メートル先の、あのバーまでジャンプするのか?

 

 赤いバーにぶら下がると、そのバーの根本からレールに沿って滑り、向こう岸に辿り着く仕組みの様だ。

 もちろん下はマグマ──、落ちれば一巻の終わり。

 SASUKEで言う〝ドラゴングラインダー〟に当たる場所。

 

 ミノタウロスに追いつき、その横で同じように膝に手をついて回復を図る。

 酸欠と暑さで頭がチカチカする。

 ボーとする頭に景色が入ってきたり、真っ白になったり繰り返す。

 

 心臓と肺が、爆発しそうで痛い、苦しい、辛い。

 大きく息を吸っても、肺はパンパンで空気が入って来ているのかすらわからない。


「ぜぇ──、ぜぇ──」

 視線を奴に向け、目が合う。

 ミノタウロスの表情にも余裕など一切見えない。


 今、俺は奴に追いついた。

 問題は1つ──

 

 バーが1つしかない。


 どちらか1人が先に行き、定位置に戻るまでのタイムロスの大きさは、計り知れない。

 人間である俺より、獣人であるミノタウロスの方が、足の速さは圧倒的に有利だ。

 

 つまり、このバーの先頭は譲れない。

 

 ミノタウロスが、ニヤリと笑い立ち上がり。

 俺もニヤリと笑い返し歩み寄る。


 言葉は、いらないだろう──。


 お互い視線を外さない。

 俺の目にも、奴の目にも、お互いの目しか写っていない。

 その視線の先にバチバチと火花が宿る。


「「うおおおおおお──ッ!」」

 両者、雄叫びを上げ突進する。

 体と体がぶつかり合う。

 

 衝撃波が辺りをほとばしる。

 互いに後ろに吹っ飛ばされた。

「がはッ!」

 どちらの体も仰向けに倒れ込む。

 脳が揺れる。

 内臓に衝撃が走る。

 刹那の目眩が重なり俺を襲う。


「はぁ──はぁ──」

 呼吸の音が、漂う。

 同時によろめきながら立つ。

 目が合う──、自然と俺の口からも、奴の口からも笑みが込み上げる。

 その笑みとは、対象的に開ききった瞳孔。

 

 再び歩み寄る。

 今度はどちらも突進もない、ただ前のめりに早歩きをする。

 ピタリと眼前まで近づく。

 見下ろすミノタウロスに対して、見上げる俺。

 両腕を掴み合い、力と力の真っ向勝負!

 押したり、押し返されたり、津波のように激しい揉み合い。

 

 ほぼ同じタイミングで両者、首を後ろへ反らせる。

 後ろの景色が見えたタイミングで、思いっきり振りかぶり頭突きを入れる。

 

 ドゴンッ! と鈍い音。

 両者同時に頭突きが衝突。

 再び辺りを衝撃波が、走る。

 2人共、顎が跳ね上がった。

 この瞳が、どこの景色を写しているのかさえ、わからない。

 

 脳震盪で眼前が揺れる。

 ほんの一瞬、意識を刈り取られた。

 それでも尚、無意識化で、鍛え続けた体が、耐え続けた本能が、倒れる事を許さない。

 首を戻し、前のめりになる。

 食いしばった奥歯が欠けたのを感じる。

 


 額と額を押し付け合い、眼前には互いの目の視線を外す事なく睨み合う。

 剥き出しの闘争心と闘争心が、擦れ合う。

 その摩擦から生じて生まれた、烈火の如く噴き上がる衝動。


 〝負けたくねぇ──勝ちたい〟


 ただシンプル、ただ純粋。

 単純で原始的な衝動が爆発する。

 その本能とも言える、己れの無邪気の要求が闘いを駆り立てる。


「「うおおおおおお──ッ!」」

 俺とミノタウロスの魂の叫びがほとばしる。


 ◇◇◇◇◇◇


「エレイン……」

 シャルロットが、その壮絶な光景を目の当たりにし、祈る。

 額にその祈りの形をとった両手を押し当て、目を閉じた。

「違うアルヨ」

 メイメイは、そう言ってシャルロットの手を遮った。

「え!?」

 シャルロットは、驚く。

 

「今、エレちゃんに必要なのは祈りなんかじゃないネ。メイメイも、シャルちゃんも、ずっとあんなアホみたいな追い込みを目の前で見て来たネ。祈っちゃダメネ。メイメイ達がするのは、祈る事なんかじゃないヨ!」

「メイちゃん……」

 メイメイの言葉に胸を打つ。

「メイメイ達がするのは、信じる事ネ。信じて、見守って、応援する事アル。この目にエレちゃんの生き様を叩き込むネ! 祈ったところで何も変わらない。だったら応援したり、できる限りのサポートをするネ!」

 シャルロットは、強い眼差しで頷く。

 メイメイはニコリと笑顔で返す。

 2人は、大きく息を吸い──

「「がんばれ──ッ!」」

 と精一杯、ありったけの大声で声援を送った。

 サイモンとゲイも目を合わせて頷く。

「負けんな兄弟ッ!」

「エレインさん頑張ッ!」


 ◇◇◇◇◇◇


『『うぉぉぉぉ──ッ!』』

 怒号が重なる。

 ミノタウロスのボディーブローが、俺の内臓にめり込む。

 鼻水と唾液が、噴き出る。

「ブハァッ」

 カウンターで俺の右膝蹴りが、ミノタウロスの脇腹を捉えた。

 声と共にその体は後退し、膝を着く。

「ぐぁ──ッ!?」

 遅れて俺の内臓に水面が広がるように激痛が走る。

 苦痛に顔が歪み、息が止まる。

 想像を遥かに超えるダメージに膝をつく。

 

 なんて重いパンチなんだ──。

 内臓が硬直し、まるで鉛のように体が重い。

 

 ここは、譲ってしまえば?

 もしかしたら後から追いつくんじゃないか?

 今、ここで深傷を負ってしまったら元も子もない。

 まだ先は長い。

 相手がもっと疲労して、弱ってからでも。

 チャンスまだある、今じゃなくても。

 

 痛み、苦痛、スタミナ切れ、人間追い込まれると、その過酷さから自分の弱さが生まれ、耳元で悪魔となって囁く。

 それらしい言い訳や、妥協点を次々と並べたてて心を折ろうと牙を剥く。


 敵が2人になる──

 敵と弱い自分。


「おおおおおお──ッ!」

 激しい殴り合い。

 鼻血が出る。

 互いに何度も膝を着いては、何度もぶつかり合う。

 何度も意識を断ち切れそうになりながら、歯を食いしばる。


 朦朧とする意識の中、もう1人の俺が、耳元で諦めを誘う。


(ほら、お前は十分やったよ。相手が悪かったって)

 

 あぁ……本当に強い相手だ……。

 

(ここを諦めちまえよ、先はまだ長い)


 あぁ……、そうかもな。


(こういう時もあるって、結果が出ない時だってあるだろ?)


 そうだよな……努力って虚い時もあるよな。


(努力だって裏切る時はあるよ)


 そうだ──いや──、ざけんなッ


 俺は、もう1人の自分をぶっ飛ばすように、右腕を後ろに振りかぶった。


「努力が俺を裏切るわけねぇだろぉぉぉー!」

 

 そう叫びながらミノタウロスにラリアットをぶちかました。


「ブフォ──」

 ミノタウロスはそのままぶっ飛び後方で倒れた。

 距離が空いた。

 

 今だ!

 すかさず助走をつけトランポリンから、全力でジャンプをする。

 バーを掴みそのままレールに添い向こう岸まで滑って行った。


「対したやつだ……さすが、我輩の好敵手よ」

 ミノタウロスは、上半身だけ起こし、俺の後ろ姿にそう言った。


 バーが戻るまでに時間はまだある。

 振り返りミノタウロスを見る。

 その待ち時間の間、奴は水分補給をしていた。


 あっずるい……。

 俺も喉カラカラだし、エネルギー補給がしたい。

 しかし、何も持っていないし、用意もしていないので出てこないのは明白だ。

 

 ちょっと複雑な気持ちで見ていると

「エレちゃん、仙豆ネ!」

 そう言ってメイメイが何かを投げた。

 

 仙豆だって!?

 あの食べたら元気になっちゃう奴!?

 そんな物、メイメイ持っていたのか! ナイスッ!

 

 俺はそれをキャッチして

「ありがとう、メイメイッ!」

 と、お礼を述べて手のひらの中の物を見た。


 メイメイの大きなハナクソだった……。


 おのれメイメイ……、内心期待していた分、物凄い落胆をさせられたぞ。

 しかし……「プッ」ちょっと笑ってしまう。

 張り詰めた、崖っぷちのような精神状態が解れていく。


 そうだ──俺は挑戦者なんだ。

 いつも本番であり、いつも挑戦なんだ。

 何を失敗したらもう終わり、まるでチャンピオンのような心持ちで、全てを失うと思い込んでいたのだろう。


 確かに落ちれば死だ。

 それはアイツも同じだ。

 見栄もプライドも飾るには早すぎる。

 自分に挑戦し続ける、そこにこそ俺の価値がある。

 今はそれだけでいい。

 それで進める。

 

 行こう──。

 俺は、限界突破した足を再び前に踏み出した。

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