第64話 Stella


「しまった! もう抜かされた!」

 焦り右足を踏み外す。

 1段した丸太が、勢いよく回転する。

「うおッ! やばッ!」

 なんとか重心を安定させバランスを取る。

 

 危なかった……インナーマッスルよ、ありがとう。

 危うくマグマに落っこちるところだった。

 後で、ご褒美にインナーマッスルをみっちり追い込んであげよう──、そんな事を思いながら呼吸を整える。

 慎重に丸太が回転しないようによじ登る。

 ふと、ミノタウロスが登った痕跡を横目で見る。


 すげーな……。


 どう登ったかが、ハッキリと確認できるレベルで爪痕が残っている。

 タンパク質は筋肉だけではなく、爪や髪なども成形する重要な栄養素だ。

 美容に大切なコラーゲン。

 あれもタンパク質だ。

 爪が割れ易くなっていたりすると、タンパク質が不足している証拠。

 あの丸太の爪痕を見る限り……。

 

 タンパク質量92万のツノと爪。

 その威力は、如何に……。

 想像するだけで身震いがする。


 ようやく登り切ると、すでにミノタウロスは次のエリアを渡っているところだった。

 次のエリアまで200メートルの長い廊下をダッシュしなければならない。

 

 かなりの差が、開いている。

 焦る俺。

 一息に200メートルをダッシュで駆ける。

 何を隠そう生前の俺、マッスル中村は1日150キロを走る男。

 

 なお、気合いが入っていない時は、プロテインをシェイクする時でも息切れを起こす模様。

 ──が、走りには自信がある。

 

 100メートルに差しかかると90度直感の急カーブがある。

 マグマの熱による蜃気楼が漂う。

 一瞬だが、それで道幅を錯覚する。

 風を切る。

 全身を包み込む風は熱風と化す。

 汗が滴り落ちる。

 高まる心拍数。

 熱さのせいで息苦しい。

 

 カーブを曲がり、走り切った。

 ミノタウロスの後ろ姿は、すでに次のエリアの真ん中辺りに見える。

「だっーはっはっは!」

 高らかに響く笑い声。

 

 第3エリア到着。

 ここは、300メートルと看板に書かれた長いウンテイだった。

 ぶら下がった状態から、手を交互に前の棒を掴みながら移動する。

 腕のみの力での前進。

 

 300メートルのウンテイ。

 まるで日本一の太鼓橋の様に上空に掛かる。

 下がマグマでなければいい眺めなのだけども。

 

 未開拓な長さ、キツそうだ……。

 きっと、前腕筋パンパンになる上に、手のひらには固い豆ができる。

 

 パンプした腕を想像して──、興奮した。


「しゃッ!」

 両頬をパンパンッと叩き、気合いを入れる。

 ウンテイに飛び移る。

 にぎり加減を何度か確認し、調整する。

 

 下を見ると──、グツグツと煮えたぎるマグマ。

 見なきゃ良かった……、なんて思いながら慎重に進む。

 

 体を少し振り子のように揺らしながら、次の棒に飛び移って進む。

 徐々に腕に圧迫感が生じる。

 

 まだ50メートル。

 下から熱気と緊張感で汗がダラダラ流れてくる。

 手が滑りそうだ……、不安も募る。

 第3エリア、250メートル付近のミノタウロスもペースが落ちている。


 ここで差を縮めないと厳しい。


 150メートル付近で、もう腕がパンパン。

 乳酸が溜まって、握力が低下している。

 潰れた手のひらの豆から血も出てきた。

 

 落ちる恐怖と腕の疲労、握るたびに痛む潰れた豆、それでも必死にゴールだけに視界を向ける。

 周りは何も目に入れない──、俺には目の前のゴールだけしかない。

 余計な情報を意識的にシャットアウトする。

 

 180、200、230……。

 行くも地獄、引くも地獄。

 俺の前腕筋だけでなく広背筋、僧帽筋までパンパンに膨れ上がっている。

 

 キツイ……。呼吸も苦しい……。

 熱い。熱い。辛い。辛い。痛い。痛い。


「「「頑張れ〜!」」」

「エレちゃん、ヘタレんな〜!」

「頑張れ兄弟!」

「負けないでー!」

 みんな声援が聞こえる。


「「「ミノタウロス様〜!」」」

「漢の中の漢ッ!」

「よっ! 力の象徴〜!」

 相手側の応援団も負け事と応援する。


 声援が、俺の背中を叩いてくれる。

 250……、280……。

 エリアゴールの対岸はもう目の前。

 

 闘っているのは、1人でも1人じゃない。

 この闘いに挑むまでの人生、その全てに関わってきた人や超えてきたライバル達、不幸な出来事でさえも──、なんなら食べ物として命を与えてくれた生命までもが──。

 

 今、この場で闘っている〝エレイン・グランデ〟を形成している。

 

 その全てが、俺なのだ。

 その全てがあって今の俺がいる。

 1人だけど、1人じゃない。

 

 そう思ったら〝ベスト〟が見えてくる。

 そう思ったら前に行くしかねぇだろ!

 そう思ったら、どんな不幸な出来事だって、俺の背中を押すんだよ。

 

 俺にとってベストは尽くすものではない。

 ──〝超えるものだ〟

 見えたら、超えるだけだ!


「しゃッ!」

 再び気合いを入れて前進する。


 300メートル地点に到達。

 対岸に降り立つ。

 上半身どころか顔の筋肉までもパンプしている。

 荒い呼吸をなんとか整えなきゃ。

 熱波で肺に入ってくる空気も重い。

 

 はッ!? ミノタウロスは!?

 

 前方に奴の背中が見える。

 再び長い廊下の真ん中あたりを走っている。

 だいぶ疲労しているようでペースが遅い。

 と言っても、そんな俺も体力をかなり消耗している……。

 

 次のエリアまで、また200メートルの長い廊下が広がっていた。

 しかも今回は、少し傾斜があり坂になっている。

「はぁ──はぁ──」

 全く次から次へと……。

 呼吸が整わない。


 泣き言を言うな俺。

 踏み出せッ!

 200メートルがなんだッ!

 今まで人生で走った距離に比べれば、たった200メートルだ。

 中村走れ! エレイン走れ!


 よろけながら踏み出す。

 後先を考えている暇はない。

 足が、疲労でおぼつかず少し躓きながらも進む。

 スピードに乗ってきた。

 熱風が体を仰ぐ。

 両腕を力いっぱい前後に降る。

 走る、走る、走る。

 

 俺はボルトだ! 走れボルト!

 いや、やっぱりメロスにしとこう。


 ミノタウロスの差は50メートルまで縮んだ。

 次のエリアの施設が目に入る。

 何やら上空に大きな歯車が見えた。

 その下のマグマの上にほんの小さな足場がある。

 その歯を避けながらステップに飛び移っていた。


「はぁ──はぁ──」

 200メートルを走り切った。

 すかさず第4エリアの詳細を確認する。


 これはフィッシュ・ボーン的なエリアだな……。

 高さ50センチ、幅50センチのわずかな足場が、50センチ感覚で敷かれている。


 スキップで軽く飛び移れる歩幅だ。

 頭上で回転する歯車の歯を、避けながらステップに飛び移り前進して行く仕組みのようだ。

 マグマのプレッシャーが無ければ大した事はない。

 

 そう思いながら1つ、2つ飛ぶ。

 ん? 何かが変だ……。

 2枚目の歯車を超えた時、リズムが狂う。

 

 なんだ?

「うぉッ!」

 しまった!

 

 歯にぶつかりそうになってバランスを崩した。

 両手を上下にバタつかせて、なんとかバランスを取ろうとする。

 1、2秒、鳥のようにもがく。

 なんとか、取り直して「はぁー」と深いため息が出た。

 

 危なかった。

 足元に気を取られすぎて、リズムが崩れた。

 

 しかし、何故だ?

 その違和感の正体を探る。


 逆回りッ!?

 

 なるほど……、全部の歯車のリズムが微妙にずれているだけでない。

 その中の何個かは、反時計回りが混ざっている。

 

 よく見るとあの真ん中の歯車──、魔物だな。


 古代の歯車。

【0/0】

 

 全長5メートル程の大きな歯車でその真ん中に、くるみ割り人形みたいな顔がある。

 きもい……。

 真ん中のステップに口から、ボルトやワッシャーを垂れ流す。

 

 あれで足元を滑らせる気か?

 ん? オイルまで!?


「ケタケタケタケタッ」

 変な笑い方だ……。

 ちょっとムカつく。


 だが、問題ない。

 俺は再び飛び、進む。

 ゴポゴポッとマグマが、囁くように落下を誘う。

「ケタケタケタケタッ」

 真ん中で古代の歯車が、イタズラに邪魔をしている。

 50センチ先のステップは、部品にオイルまみれ。

 滑れば落下で即死。

 残りのステップは、後5つ。

 2メートル50センチと岸まで50センチ。

 3メートルか──。


 ──なら、その先に行け。


 地獄の様なスクワットの日々が俺の胸を打つ。

 腰砕けそうな程のデットリフトが鼓動を叩く。

 誰に褒められる事なく続けてきた。

 この積み重ねが、俺の自信として沸き立つ。


 飛べッ中村!

 

 両足を揃えしゃがみ込む。

 走り疲れた足の筋肉が、ビキビキと悲鳴を上げ収縮する。

 踵が浮かぶ、重心が前傾に傾く──、もう後戻りはない。

 その反動ともに両腕を力いっぱい下げ──、力いっぱい振り上げた、その刹那──、収縮した筋力がバネとなり爆発し、瞬発力が火を噴き

 

 ──飛んだ。


「ケタッ!?」

 古代の歯車が驚く。

 会場の誰もが、前方のミノタウロスでさえも、足を止め振り返り、その寄行を疑う。


 立ち幅飛び──、歯車が一瞬だけ揃うその刹那を見極め、そこに飛び込んだ。

 両手で両足を真っ直ぐ前に揃え、1本の矢の如く、流星が如く、熱風を切り裂く。


 いっけぇぇぇぇぇ──!


 たった1秒にも満たない、俺だけの長い時間を〝生き抜く〟

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