第72話 マッスルエクスシスト!!
肉体のない俺が降臨できたのは、実に200年ぶりだ。俺は魔王軍幹部の1人でもあり、その実力は四天王にもっとも近い悪魔だった……、しかしあのベアウルフに続いて、わけのわからんミノタウロス如きにその地位を奪われた。
三英傑である1人、ソロモンの首を手見上げにしてミノタウロスを蹴落としやる。
「よぉ、エレインさん!」
「エレインさん、今度俺にもコーチしてください!」
「エレインさま、サイン下さい」
次から次へと街人が声をかけてくる。
なんだこの人間? すれ違う人間、すれ違う人間が次から次へと声をかけてくる。
えぇーい、鬱陶しいわッ!
こいつの名前は、エレインと言うようだな。
しかし、ずいぶん発展した街だ。
かのアルスターとは思えんわ。
あの気色悪いエルフの出来損ないソロモンが、ここまで繁栄させていたとは驚きだ。
「いっらしゃっい! エレインさん、どうだい? ソロモン王のラブドールだよ!」
ソロモンに似た等身大の全裸人形が、売られた気色悪い店。
絶対にいらぬ、害でしかない。誰が買うんだ。
いますぐこの店を燃やしてやろうか……。
全種族のためにこの店は、滅っせねばなるまい。
「よぉ、エレインの旦那」
燃やそうと手をかざした瞬間、うしろから声をかけられた。
振り返ると魔王の血の恩恵をうけた痕跡が顔に浮かぶ、1つ縛りのカンフー着の男が立っていた。
何者だ?
魔王軍か? 見たことのないツラだ。
それもそうか……、どう見ても人間だな。200年も生きてはいまい。
姿から察するに秦の人間か?
ほぅ……、なかなかの覇気を纏っているな。幹部クラスと言っても過言ではない。
しかし、このエレインとやらは、知り合いのようだな。どれ、俺の配下に加えてやろう。
「貴様、魔王軍どこの所属だ?」
「はぁ? 所属? 何を今更。いったいどうしたんだよ。エレインの旦那」
「俺がわからぬか……」
「わからねーも何も、旦那は旦那だろう」
カンフー着の男は怪訝そうな顔をする。
どうやら、核の違いを見せてやらねばならないようだな。俺の魔力を見せてやろう。
「あっ! いたいた。ゲシムくん探したよ〜。ん? エレインくんもここにいたのかい? 例の実はどうだった?」
ゲシムと呼ばれた男の後ろから、フワフワと体の青い幼女が、浮遊しながら現れた。
その見た目はエルフでも人間でも、魔族でも、魔物でもない。
な、なんだこの青い女は……、ハンパじゃない魔力を感じる。こ、こいつは、やばい! 逃げなくては!
「あッ! エレインくんッ! どこ行くんだい!?」
「だ、旦那ッ!?」
俺は、ダッシュでその場から逃げ去った。
思わず全力疾走をしてしまった。
この体の凄まじい脚力には驚いた。実に俺に相応しい肉体だ。いい体を手に入れたと染み染み思う。
「フハハハハハハハッ!」
俺は歓喜に笑い狂った。
「エレイン? どうしたの?」
今度は、金髪のエルフが声をかけてくる。
次から次へと……なんと鬱陶しい。
ん? よく見るといい女だな?
久しぶりの下界に降臨だ。
どれ、久しぶりにこの女を抱いてやろう。久しぶりの女だ。エルフは特にいい。
俺は下ずりをしながら、女の腕を掴み引っ張った。
「きゃッ! ど、どうしたのかな?」
「喜べ、今から貴様を抱いてやる」
「えッ? えッ? えッ? 抱くッて?」
首を重いっきし傾ける女。
「わかるらぬか? 抱くとは、子を孕ませるということだ!」
「ちょ、ちょっとエレインどうしたの? な、なんか変だよ?」
エルフは顔を赤らめ、モジモジしている。
「わ、私達は、そ、そ、そ、その、き、き、き、キスもまだなんだし……、そ、そ、そ、そ、それはまだ……キャッ!」
両手で女は顔を覆った。
こいつは、まんざらでもないな。なら話は早い。
今晩はこいつで楽しませてもらおう。
俺は、無理やりひっぱりあげてキスを迫った。
「ほぁちゃぁぁ──! チェストォォォ!」
掛け声と共に凄まじい飛び蹴りが、脇腹にめり込む。メキメキと肋骨が折れた感触を感じた。「うッ!」と呻き声が絞るように口から漏れる。
気を失いそうになるほどの痛みと共に後方へ、吹っ飛ばされる。
「ぐはぁぁぁ──!」
俺はそのまま壁に激突して、うずくまった。
な、何ごとだ……ぐぬぅ。
「え、エレイン!?」
エルフの女が駆け寄ってきた。
「見損なったアルよ! メイメイというものがありながら、シャルちゃんにも手を出そうなんて許さないアル!」
声の方に顔を上げるとカンフー着を着た団子頭の幼い女が、仁王立ちしている。
こ、この女……、こいつが恋仲なのか!?
ちょ、ちょっとタイプじゃないぞ。しかも幼すぎやしないか?
「だ、大丈夫?」
「エレちゃんなんかもう知らないアル。行くぞシャルちゃん」
カンフー女は、エルフの女を引っ張って去っていった。
う……、う……確実に折れているな………。
凄まじい蹴りだった。何者だったのか?
まずは、回復せねばなるまい。
俺は地面に両手の平を乗せ──
「ドレイク!」
大地のエネルギーを吸いあげ、折れた肋骨を回復した。
辺りに生えていた雑草は干からびていった。
「ふふふ。この程度の怪我など、俺には無意味も同然」
俺は立ち上がった。
しかし、あの青い女とカンフー着の女は、確実に危険だ。この体もまだ完全には、掌握しきてれていまい。
今は近づかないでおくのが懸命だ。
そろそろ、夕暮れか……。
「行かなきゃ……」
ボソボソと声が聞こえた。
ん? 誰の声だ?
よく聞くと自分の口が、モゴモゴ動いている。
行かなきゃとは、俺が発した言葉のようだ。
どうやら、このエレインという男には、凄まじい想いがあるようだ。
体が勝手に動き出した。
取り憑いてから時間は、まだ間もない。したがって、本人の強い習慣や意志までは、掌握しきれていない。
まぁいい……、時間の問題だ。今は好きにさせてやる。せめてもの温情だ。貴様は俺へと書き換えられるのだから。
「き……は……大……で」
何をぶつくさ言っている? 自分の口なのに、勝手にボソボソとつぶやくのは変な気分だ。
体が勝手にどこかへ向かって行く。
一体どこに行こうというのだ。
ズン、ズン、ズン、と歩いていく。
足が止まった。
「胸、腕……」
口がボソボソと言った。
胸、腕?
エレインフィットネスジムという看板の施設に入っていく。
中ではガシャン、ガシャンと鉄がぶつかる音が響いたり、男の呻き声が聞こえてくる。
時には「あっは〜ん」と謎の奇声も混じる。
辺りを見渡すと愚民どもが、謎の動きをしながら汗まみれになっている。
一体なんだと言うんだ? 何をしている?
エレインの体が、鉄の棒に25キロとかかれた丸い円盤を左右に2枚ずつ、つけていった。
なんだこれは?
バーベルの下に仰向けになった。
謎の詠唱が頭の中で流れ出す。。
◇◇デクライン・ベンチプレス◇◇
大胸筋には、上部、下部、内側、外側と部位があり、実は普通のベンチプレスだけではバランスよく鍛えられない。外側ばかりが発達してしまいがいで下部や内側がつかないとお悩みの方も多いだろう。
そこで今回は、大胸筋下部に強い刺激を与えるデクライン・ベンチプレスだ。
頭を下に位置にさせ体を下に傾けた状態で行うベンチプレス。
大胸筋下部を鍛えることの出来るトレーニングの中でも特に高い負荷をかけることができる。
トレーニングにある程度慣れてきて、さらに強い負荷でトレーニングを行いたい中~上級者向けのトレーニングだ。
やり方
1、デクラインベンチの角度を15〜30度に設定する。
2、肩幅よりやや広めに手幅を設定しバーベルを握る。腕を伸ばしバーベルを持ち上げる。
3、息を吸いながらバーベルを乳首の下のあたりに着くくらい近くまで下げていく。
4、息を吐きながらバーベルをゆっくりと持ち上げる。
5、動作を繰り返す。
セット数の目安
大胸筋の収縮を意識しながら、1セット10回の間で限界の回数を3セット行う。
注意するポイント
バーベルを降ろすときに鎖骨の上に降ろさない様に注意だ、万が一持ち上げることができなかった場合に命に関わる怪我につながる可能性がある。
バーベルの重さを手首で受け止めないこと、手首でバーベルの重さを受け止めてしまうと手首の怪我に繋がる。
◇◇◇◇◇◇
うおっ……、くそ……、理解できたぞ。
ぐぬぬぬ、この円盤型の25キロとかかれた物は文字通り重さ。それが4枚でさらに、この鉄の棒にも20とかかれている。
という事は、俺は今、120キロの謎の鉄器具をもって死ぬほどキツイことをしている。
く、苦しい……、腕が……、胸が……。
このエレインと言う男、無意識化でなぜこのような地獄染みたことをしている。
というより、精神がほぼ俺だから、この苦しみは俺にしか感じない。
あと、どれくらい続くんだ!?
そう思った瞬間、手が止まった。
「お、終わった?」
何回やったのか? 苦しすぎて数える余裕がなかった。わずかな時間しか立っていなかったが、まるで永遠のような地獄だったぞ……。
俺は深い安堵のため息を吐いた。
それにしても恐ろしき男だ。無意識で俺に支配されながらも、このような謎の行動を起こすとは……。
これがこいつの習慣なのか? 何もんだこの男……。
ん? 立ち上がった。ここを出るのか?
今のままでは、コントロールできず無意識で動き出す。この行動の意思の強さが異常に強く、現状では掌握しきれない。気のすむままにしてやろう。
立ち上がったと思ったら、25キロのオモリを外した。終わりの片付けのようだ。
ん? おい──、何故50キロのオモリを持つ?
今度は50キロの円盤型のオモリを徐に、4枚ずつ左右につけ始めた。
ば、ばかな……、お、おいやめろ。120ですら死ぬかと思ったのだ。220キロだと?
死ぬ気か!?
やめろ──ッ!!
く、体が勝手に動いて止まらない。
「やめろぉぉぉ──ッ!」
俺の叫びも虚しく、エレインの体は止まる事を知らない。周囲の人間が不思議そうな顔で俺を見る。
死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ。
ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ。
腕も肩も胸も、はち切れそうだ。力が入らない。もしも、うっかり手を抜こうもんなら即座に鎖骨にドンと落ちて即死だろう。
頭に血が登る……、血管が爆発しそうだ。
うおおおおお──ッ!
激しい動悸息切れが俺を襲う。
これまた数える余裕がなかったが、気付いたら鉄の棒を下ろしていた。
お……終わったようだ……。
はは、ははははは、危なかった。
再び、体がオモリに手を伸ばす。
ば、ばかな事はやめるんだ……。
さらに50キロを、1──、2──、3──、4──、5、6枚と追加していく。
カシャン、カシャンと鉄の塊が重なる音が、死の宣告のように聞こえた。
やめるんだ──ッ!
エレインとやらよ。
お、俺が悪かった。もうこんなバカなことはやめよう。絶対死ぬぞ!
220で俺はもう燃え尽きている。そ、それが、さらに620キロだと!?
「おッ! エレインさんが、620キロのデクラインベンチに挑戦するってよ」
「おお、まじか!? すげー!!」
「さすがはエレイン様だ。バケモンだなー」
「こんな凄いものが拝めるなんて、オラはなんて幸せもんなんだ!」
ゾロゾロと人が集まりだしてきた。
俺を見せ物にする気か?
こっちにくるな!
体は勝手にベンチに再び横になる。
鉄の棒をグッと握る。
や、やる気か!?
「うおおおおぉぉぉぉー!!」
俺は、無我夢中でこの急死に一生を乗り越えるべく、全身全霊振り絞った絶叫をあげた。
腕はプルプルし、アーチを描いた腰が、折れ曲がりそうにしなる。
歯を食いしばり、顎がガタガタにバカになっていく。
「頑張れ──!」
「頑張れ、エレインさん!」
「うおおおお! エレインさん頑張ってー!」
「すげぇぇ──!」
周りの愚民どもが、俺を応援している。
思えば俺は悪魔だ。
誰かに応援などされた事がなかった。同じ魔王軍にも、いつ蹴落とされるかわからず、権力闘争の日々に明け暮れた。
その結果、長期に渡り肉体を失い。誰も信用できなくなった。
そんな亡霊となった俺が、今こうやって意味もわからない愚行で、こんなにも多くの人間に応援されている。
あぁ……、死ぬほどキツイ……、頭は真っ白だ。
体中の全てが、悲鳴をあげている。
なのに……、なのにどうして、こんな愚民共の期待に応えてやりたいのだろう。
どうして俺は、頑張っているのだろう?
あぁ……、頑張るって気持ちいいな……。
無我夢中で俺は、620キロの鉄の塊を上げた。
周りの期待に応えるべく。
そして、それは──終わった。
「うわー! エレインさんやっぱり、すげー!」
周りの愚民共が一斉に俺を褒め讃えた。
俺は、あまりの喜びに親指を立て──
「グッジョブ!」と言った。
その瞬間、天から光が降り注いできた。
光が、俺を包み込む。
あぁ──、ようやく成仏する時が来た。
俺は、ゆっくり目を閉じて温かいを光を感じた。
スーと体から、魂が抜けていく感覚がする。
ありがとう、この訳のわからぬ行為よ。
ありがとう、訳のわからぬ鉄の塊よ。
ありがとう、デクラインベンチプレスとやらよ。
俺は、満足だ……。660キロ、俺は来世まで忘れまい。
◇◇◇◇◇◇
ん?
目覚めると何故かジムだった。
「あれ? なんで僕はここにいるんだ?」
ジムのみんなに囲まれていた。
何故か俺は、ベンチ台でデクラインベンチをしていた。
「おかしいな〜、今日は胸じゃなくて背中の日なのに……、どうしちゃったんだろ? まぁいいや、背中をやろう」
さぁ、デットリフトだ!
そうして俺は、デットリフトの準備を始めた。
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