第57話 ニブンノイチ



 試験だと言われて、早朝に叩き起こさ外に連れ出された。

「ひぇー、いつも思うけど寒いですね〜」

 アレスが震える。

「アレスの試験はないのか?」

 何故、俺だけが試験なのか?

 その疑問が腑に落ちない。

 

「初めに言ったはずだ。そやつには見込みがないと」

「魔剣ネクロムの話か?」

「あぁ」

 俺は初めてネクロムを握らされ、浸食に蝕まれたアレスの姿を思い出した。

 

 昨晩まで覗かせていた人間らしさが、レイチェルの顔から一切なくなっている。相変わらず何を考えているのか、さっぱりわからない死んだ目。

 とことん底の見えない女だ。

 

「奴には(アレス)バーサークのコントロールで充分な戦力であろう。何より使いこなせば今の貴様より格段に強くなる」

「確かにな……」


 ここ数日、アレスは完全ではないものの、バーサークの力を引き出せるようになっていた。

 髪が逆立ち白銀の姿になるが、自我を失わずに意識を保ったまま戦えるまでに成長していた。


「問題は貴様だ。自覚はあるだろ?」

 俺は、レイチェルの痛い言葉に頭を掻いて反応をした。

 

 確かに倒される事はなくなったが、攻撃の手が増えたわけでもなく、新たなスキルを手に入れた訳でもない。

「だが、それが何故、卒業となる?」

「簡単な話だ」

 どういう事だ?

「貴様に必要なモノは、スキルでも技でもない」

「何が言いたい?」

 レイチェルはネクロムを抜いた。

「私から〝魔剣ネクロム〟を奪い継承してみせろ」

「なッ、なんだと?」

 何を言っているんだこの女は……。

 そんな事をしたら……。

「そ、そんなッ!?」

 アレスが驚愕する。

「お、おい……剣王、お前は自分で何を言っているのかわかっているのか?」

 レイチェルは俺の質問をいつもの様に鼻で笑って返す。

「無論だ。継承、すなわち〝私の死〟殺してみせろ」

「ふざけるなよ……」

「そうですよ、レイチェルさん!」


 魔剣ネクロムは、その剣に取り憑くが、代々のその継承は先代の所持者を殺し継承する呪いその物だ。

 剣王レイチェル・エヴァンは、先代の継承者であった初代勇者を殺して奪いとった。


「殺せぬか?」

「当たり前だッ!」

 

 ふざけるなよ、レイチェル。

 俺がお前を殺せる訳がないだろ。

 お前は今や大切な師であり、仲間だ。

 

「そうか……」

 ネクロムがレイチェルの左半身を浸食する。

 左の目が黒く染まり、瞳孔が真っ赤に開く。

 

「お、おいッ!」

「やめてくださいッ! レイチェルさんッ!」

 俺達の静止に聞く耳を一切持たない。

「ならば死ね」

 レイチェルが素早く斬りかかってきた。

「──ッ!?」

 俺はその剛剣を辛うじて受けた。

「やめろッ!」

 レイチェルの禍々しい殺意が、剣の衝撃を通して伝わってくる。

 心に突き刺さるかの様だ。

 今までにない殺意、本気だ。

 

「どうした? 返して来い。返さぬのなら……」

 レイチェルの激しい猛攻を防ぎ切れず肩を抉られた。

「──ッ!」

 幸い傷は浅い。

「どうした? 何もせず死ぬか?」

 口元が綻び、薄気味悪い笑みを浮かべる。


「やめて下さい……、こ、こんなの……ぐッ」

 アレスの体から眩い光が放たれた。

「やめろォー!」

 バーサーク化したアレスが俺達の間を割って入る。

「未熟者が」

 レイチェルは動揺する事なくアレスに猛攻を仕掛ける。全身からドス黒いオーラと覇気が放たれた。

 これが剣王の本当の力か!?

「ふはははははははッ!」

 痛ぶる事を楽しんでいるかのようにアレスを切り刻む。

「何故ですかッ!? 何故なんですかッ!」

「耐えるだけでは2人揃って死ぬだけだぞ」

「やめろぉぉぉ──ッ!」

 アレスも全身から内に秘めた聖なる力を発動する。

 勇者の光のオーラとレイチェルの闇のオーラが、激しく衝突し時空が歪む。

「やめるんだッ! やめてくださいッ!」

 耐え続けるアレス。

「ふはははははははッ!」

 狂人の様な笑い声がこだまする。

「こ、こんなの……、こんなのおかしいですよ!」

「なら殺すがいい」

「こんなの……、こんなの……、悲じずぎまずッ!」

 アレスの目から涙が溢れる。

 

「貴様でもかまわんぞ! 私を殺してみろ!」

「嫌だぁぁぁぁぁ──ッ!」

「つまらぬ、未熟者がッ!」

 アレスの決死の覚悟も虚しく、レイチェルはアレスを人形の様に斬った。

「うぁぁぁぁ──ッ!」

 血が噴き出す。

「アレスッ!」

「殺す覚悟がないのなら、そこで寝ていろ」

 追撃し、膝をつくアレスを失神させる。

「次は貴様だ」

 レイチェルは覇気を放った。

 周辺の空気が真っ黒に浸食されていく。

 無表情のまま、再びレイチェルが斬りかかってくる。

「考え直せ!」

「ふはははははッ!」

 剣と刀が擦れ、剣先から火花が散る。

 俺は剣を弾き返し距離を取る。

 居合いの構えをとった。



【奥義 絶界】



【絶界】



「面白いッ!」

 レイチェルも絶界を放つ。

 絶界と絶界の衝撃波が、ぶつかり合う。

 斬撃の衝撃波が爆発し、辺り一面の雪は消し飛ぶ。

「くそッ」

 その衝撃に巻き込まれて俺の体も吹き飛ばされた。

 

 何か手はないのか、このままでは……。

 アレスの傷の手当ても必要だ。

 時間がない。

 

「おい、レイチェル」

「…………」

 レイチェルは無言で俺に視線を合わせた。

 

「お前の覚悟はよくわかった。なら、俺はその魔剣もいらんし、このまま大人しく島を出よう」

「だから剣を納めろと?」

「そうだ。アレスもこのままでは死んでしまう」

 レイチェルはニヤリと笑った。

「なら、2人揃って仲良く死ね」

「このわからずやがぁー! 俺がお前を殺せる訳がねぇーだろォォォ!」

 

 再び斬り合いが始まる。

 俺にはアレスの様に秘められた力などない。

 聖なる力もない。

 ただひたらす己と向き合い鍛錬を続け磨き上げた剣技のみ。

 信じれる物はこの剣のみ。

 それも遥かに凌駕されている。

 レイチェルは殺せない。

 剣の実力も及ばない。

 じっくり考える時間もない。

 くそ──何1つ。何1つ。

 俺には、覚悟が──ない──ッ!


「これ程、弱く、脆く、情けない貴様らが魔王討伐だと?」

 足を斬られた。

 声にならない悲鳴で顔が歪む。

「笑わせてくれる。魔王どころか四天王のラプラスにすら勝てぬわッ」

「うわぁぁぁぁーッ!」

 闇の覇気で飛ばされ地面に叩きつけられる。

「はぁ──はぁ──」

 息が苦しい、肺が押し潰されそうだ。

 レイチェルはゆっくり近づいてくる。

 

 俺はアレスに視線を向けた。

 生まれて初めて誰かを頼りたくなった。

 どうしていいかわからないんだ。

 『誰か助けてくれッ!』そう今にも叫び出しそうだ。

 何が剣聖だ、誰1人として救えぬ自分の不甲斐なさに膝をつき、打ちのめされている。

 何1つ覚悟を決められない自分が情けない。

 どんなに考えても、何を失うでも、覚悟が決められない。

 

 殺せぬのだ……。

 俺はレイチェルを殺せない。

 考えてみれば、俺はお前の何を知った?

 

 お前は初代勇者殺しで、それで……。

 悔しいほどに強い。誰よりも強い。

 それから……。

 ユーラ島でとれる葡萄酒が好きだ。

 こんな島に篭っているくせに冒険の話が好きだ。

 いつも笑わないお前は、冒険の話を聞いて笑ってくれる。

 この島の兎で作るお前の料理は絶品だ。

 どれだけ食べても飽きがこなかった。

 少しずつ、お前は俺達を飽きさせない様にひと手間をかけてくれていた。

 隠しているが、本心は意外と優しいんだよな?

 知っているよ……。

 俺達が寝付いた後、そっと毛布をかけてくれていた。

 星空が好きだって言っていたよな?

 意外とロマンチストだよな。

 

 それから……、それから……。

 お前はとても美しい。

 充分過ぎる。

 俺はお前を殺せない程、充分過ぎる理由がある。

 お前に付き纏う、その悲しみはなんだ?

 その孤独は? その苦しみはなんだ?

 お前をもっと知りたい。


「はぁ──、はぁ──」

 言葉にならない。声にならない。

 くそ──。

 思い出せば思い出す程、お前との日々が愛おしい。

 殺せる訳がない。

 

 レイチェルの左腕を浸食したネクロムの目玉が、俺を凝視する。

 

 笑えるか?

 笑いたければ笑えよ。

 ネクロムは目を細める事なく俺をただ見た。

 

 笑っていない……。

 ネクロムが笑っていない。

 

 お前……。

 泣いているのか……?

 魔剣ネクロムが泣いている。


 そうか……。

 名も知らぬ勇者よ。

 お前は、ずっとそこにいたのだな?

 お前も悲しいのか?

 死のうとするアイツを……。

 お前は愛してしまっていたのだな。

 勘違いでもかまわない。

 今の俺がそう思いたいのだ……。

 

 俺は空を仰いだ。

 絶界で吹き飛ばされた雲1つない晴天。

 確かにここで俺達は共に生きた。

 

 目を閉じた。

 己の心臓の高鳴りを感じる。

 何を恐れている?

 確かめる。

 まだ誰も失っていない。

 

 大きく息を吸った。

 凍える空気。

 冷え固まった大地の匂い。

 これまで過ごした日々の香りがする。

 

 目を開き、禍々しく浸食されたレイチェルを見る。

 その小さな背中には大きな孤独と悲しみがのしかかっている。

 あぁ……、そうか……そうなのか……。

 

「覚悟を決めたよ……」

「今更か?」

 レイチェルはゆっくり徐々に俺に歩みよる。

 

「俺はお前を殺さない」

「ならば死ぬか?」

「アレスも守る」

「……戯言を」

「魔剣も継承する」

「世迷言を……、血迷ったか?」

「もう1度言おう」

 俺は立ち上がった。

 

「お前を殺さない、アレスも守る、ネクロムも継承する、それが俺の覚悟だ」

 ムラサキとサキミダレを構えた。

 

「ふはッ! ふははははははははッ!」

 レイチェルは狂った様に笑う。

 

「我は剣王ぞッ!」

 

 怒号と共に黒い風が吹き抜ける。

 ビリビリとした空気が肌をピリつかせる。

 両目が黒く浸食されていく。

 

「怒りで我を忘れそうだよジレン……、貴様の様な甘さが……、憎い……憎い……」

 初めてレイチェルが怒りの表情を見せた。

 

「ネクロムの継承は、私の死がなければ成立しない。アレスはもってあと数分だ。この状況で貴様がその戯言を成すのは天文学的数値で不可能だ」

「それは、お前の理屈だろう」

「なんだと?」

 俺はゆっくり歩み出した。

 

 例えば確立が99.9999パーセント無理だったとする。なんなら100パーセント無理だったとしてもいい。

 俺がやると決めた以上は〝できるか、できないか〟の2択のみ。

 できないなんて誰が決めた?

 可能性?

 知らんな。

 俺達の旅は可能性があるか、ないかで歩んでいない。

 〝やるか、やらないか〟なんだよ。

  天文学的数値で無理だと?

  それがどうした。

 〝俺ができるか、できないか〟だろ?

 

「俺にとっては2分1でしかない」

 俺は俺の理屈でのみ闘う。

 

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