第55話 浸食


 狂い乱れるアレス。

『うああぁぁぁぁぁぁぁー』

 肘まで浸食した目玉達は目を細めて笑う。

 ネクロムめ、この状況を楽しんでいやがるのか……。


「そこまでだ」

 そう一言レイチェルが放つと同時にアレスが倒れ込んでいた。

 いつのまにッ!? 何をした?

 ネクロムはすでにレイチェルの腰に収まって目を細めて笑っていた。

 アレスは気を失っている。

 目の前で見ていたが何が起きたのか理解ができなかった。これが今の俺と剣王の差か……。

「不合格だ。見込みもない」

 冷たく言い放つ。

「これが試験とはな……」

「どうだ? 貴様もやってみるか?」

 レイチェルは薄気味悪い笑みを浮かべる。

「人の誘いは断らない主義でね。俺もやらせてもらおうか」

「ほぅ……、強がる男は嫌いじゃないぞ」

 レイチェルはアレスを抱き抱え椅子に下ろした。

「正しい実力があればの話だがな」

 カタカタとレイチェルの鞘が揺れている。

 こいつ(魔剣ネクロム)笑っていやがる。

「剣にバカにされたのは産まれて初めてだよ」

「貴様だけではない。気にする事はない」

 レイチェルは再びネクロムを壁に立て掛けた。

「撤回してもかまわんぞ。勇者がダメだったんだ。別に貴様に期待もしてはいない」

 鼻で笑いながらグラスに葡萄酒を注ぐ。


 俺にも意地はある。

 腕相撲大会で負けるのとはレベルが違う。

 これは男として、剣士として試されている。

「剣王は腕だけではなく、煽りのスキルも一流だな」

「戯言を……」

 グラスの葡萄酒を一気に飲み干す。

 遥々こんな秘境の地に赴き、2人揃って手ぶらで帰るわけには行かないだろう。

 深く深呼吸をする。

 腹を決め、ネクロムを握った。

「ッ!?」

 こいつは……。剣の方から握ってくるだと!?

「うおッ」

 視界が黒く染まっていく。

 半身が黒く塗り替えられて行くような感覚。

「はぁ──はぁ──」

 なるほど、これが浸食か……。

「うぐぁ」

 立っていられず片足を着く。


 狂気が込み上げてくる。

 全てを……。全てを……。

 

 コワシテヤリタイ。

 モウゼンブコワシテヤル。


『うおおおおおおお──ッ!!』

 

「はっはっはっはっはっー」

 レイチェルの高笑いが聞こえる。


 コロス。

 コワス。

 ゼンブコワス。

 ミナゴロシ。

 ミナ……ご……ろ……。

 

 な……。

 

 なめるなよ、ネクロム。

 剣に使われる程、俺は落ちぶれてはいないさ。

「はあぁぁぁぁぁ」

 意識を集中し、深い深呼吸をする。

 徐々に気持ち安定させていく。

 しかし少しでも意識を他に向ければまた一瞬で精神を持って行かれそうだ。

 

「ほぅ……、面白い」

 顔の至近距離、数センチ程度にレイチェルの顔があった。

 あの嫌な目でじっと薄気味悪くただ観察をする。

 相変わらず何を考えているかわからない死んだ目だ。

「はぁ──はぁ──」

 くそ、立つ事もままならない。

 この女はこんな剣をあんな涼しい顔で振るっているのか?


「少しは見込みがあるようだ」

 そう聞こえた瞬間、ネクロムが手から離れた。

「ぐはッ」

 強烈な精神的ダメージで這いつくばった。

 感覚が戻っていく。しかし俺の奥底には浸食への恐怖心が植え付けられていた。

 

「貴様は合格だ。名を聞こう」

「ジレン……、ジレン・グランデだ」

 剣王が見下しながら手を差し出した。

「すまない」

 その手を握った瞬間、勢い良くレイチェルの顔の近くまで引き上げられた。

「!?」

 ニヤリと笑い凝視する。

「更なる地獄を見る事になる。覚悟しろよ」

 耳元で鋭い声で囁いた。

「うぉ!」

 そして椅子に突き飛ばされた。

 レイチェルは再び葡萄酒を注ぐ。

 遠い眼差しで1人ニヤついてた。




 次の日から修行が始まった。

 凍てつく早朝、外は柔らかな雪がシンシンと降っていた。


「2人で一辺にかかってくるがいい」

「同時にだと?」

「殺す気で来い」

 確かに実力の差は歴然だ。

「どうします?」

 アレスが困った顔で俺に問う。

「いくぞ!」

 俺は駆け出した。

「はい!」

 続くアレス。

「はあぁぁぁぁー」

「やぁぁぁ──」

 何度、斬りかかっても雪を斬る様に抜けていく。

 

 まるで雪だな。

 

 レイチェルは薄気味悪い笑みを浮かべ避け続ける。

「ぐはッ!」

 蹴りを腹にめり込まされた。

「弱い」

 そのまま後方に飛ばされた。

「ジレンさんッ!」

 アレスが振り返る。

「がは……、集中しろッ!」

 その警告も虚しくアレスの顔面に回し蹴りがめり込む。

「ぶはっ!」

 アレスは回転しながら雪に埋もれた。

 レイチェルは倒れたアレスを執拗に攻める。

「ぐッ! ガッ! ──あぁッ!」

 何度も、何度も顔を無言で蹴り続ける。

「くッ──」

 俺は横から斬りかかった。

 そのまま足を動かす事なくヒラリと交わされ、縦回転の蹴りを上からもらった。

「ぐあッ」

 更にネクロムの鞘で倒れた背中を突かれた。

「がぁ──!」

「弱い……、弱すぎる」

 無表情に言いながらアレスをまた執拗に痛ぶる。

「あぁ──! ぐぁぁ──!」

「いっその事、殺してしまおうか?」

 瀕死になってるアレスの髪を引っ張りあげ、瞬きする事なく顔を眺める。

「2人目の(殺される)勇者になるか? あの男も(ジレン)お前の仲間も全員皆殺しにしてやろう」

 

「そんな事は僕が……許さない!」

 

 アレスの髪が逆立ち体から光が放たれる。

 髪の色が白銀に染まって行く。

「うぉぉぉぉー!」

 アレスのもう1つのユニークスキル【バーサーク】が発動した。

 温厚であるアレスが怒りで我を忘れた時にのみ発動するスキル。その体に秘めた潜在能力と聖なる力が爆発し自分ですら制御不能の暴走状態になる。

「バーサークか……」

 レイチェルから笑みが溢れた。

 白目を剥き出しでレイチェルに魔力が暴走した聖剣で斬りかかる。

 一太刀振るだけで衝撃波が大地を抉り取って行く。

「面白い」

 レイチェルがネクロムを抜いた。

 しかしこれまでのソレとは様子が違う。

 半分の目が真っ黒に変わり、瞳孔が真っ赤に開く。

 浸食させているのか?

「私の浸食と貴様のバーサークどちらが上かな?」

 これまでの無表情とは異なり、ゾッとするような、獲物を見つけて喜んでいる野生のような笑みを浮かべた。

 

「うあああああああ!」

 激しく空中戦で魔剣と聖剣がぶつかり合う。

 見えないはずの大気が衝突している。

 右往左往に振り回すアレスを聖剣の風圧でレイチェル押しこむ。

「飽きた……」

 レイチェルは徐々に前に押し返し始めた。


 風が、衝撃波が見えている?


「──ッ!?」


 消えた!?


 消えたかと思ったその瞬間、アレスの背後にレイチェルは立っていた。

「少しは楽しめたぞ」

 アレスの首に鞘で打撃を与え、アレスはそのまま落下していく。

 髪の色がもとの栗色に戻っていく。

 気を失ったか?

「貴様はどう楽しませてくれる?」

 上空から俺を見下す。

「少しは楽しませられるとは思うぞ」

 俺は鞘にムラサキとサキミダレを納めた。

「ほぅ……、で、どのように?」

 ムラサキの柄巻に手を添えた。


【奥義 絶界】


 音が無になった。

 絶界の斬撃がレイチェルの浮かぶ次元を斬り裂く。

 その後、遅れてから衝撃波が周辺の雲をも吹き飛ばした。

 

 死なんでくれよ……。

 

 心の中の呟きを見透かしたかの様に真横で鼻で笑うレイチェルがいた。

「なかなか面白い技だ。久しぶりに晴れ間が見れたぞ」


 いつの間に!?


 この女はいつも空間を切り取ったかのように移動をする。いったいどうやって?

 急ぎサキミダレを抜き戦闘体制に入る。

 距離を取るためレイチェルに蹴りを入れる。

 レイチェルはネクロムのブレード面で蹴りを受け止めた。

 構わず押しきる。

 突き放し距離を取った。

 魔剣ネクロムが目を細めてカタカタ揺れている。


「やろう……馬鹿にしやがって……」

 レイチェルがネクロムを腰の鞘に収めた。

 浸食が引いていく。

 両手をダラリとおろし、じっと薄気味悪く俺を凝視している。

 俺に剣は不要という事か?

 ここまでコケにされるとは……、一泡吹かせにゃ気がすまん。

「いくぞ!」

 右足を踏み出す。


 なんだ? 嫌な空気だ。

 あの死んだ目か? それとも薄気味悪い無表情?

 俺の感が恐れを抱いている。

 背筋がゾッと凍りつく。



【絶界──】



「馬鹿な!?」

 たった1度見ただけで技を真似ただと!?

 

 嫌な予感の正体を悟った。

 俺は自分の感を信じて、すでに回避体制に入っていた。

 スレスレで斬撃と衝撃波を避ける。

 旅で伸びた長い髪が20センチ程、バッサリと消え去って行くのがスローで見えた。

 辺り一面の雪が消し飛んでいた。

 

「たった1度見ただけで絶界を取得しちまうとはな……」

「悪くない技だ」

「こちらも、おかけで動き安くなったよ」

 

 再び斬りかかった。

 剣と刀が激しくぶつかり合う。

 二刀の太刀筋をいとも簡単に受け流す。

 驚くべきはこの早さの中にも剛剣を宿している事だ。

 激しい攻防の末に俺の手首と肩が、ガタガタになっていた。

 

 ──薙ぎ払いッ!?


 ムラサキとサキミダレが宙を舞った。

 ここまでか……。


「それまで」


 そう言ってレイチェルはネクロムを鞘に収めた。

「いつまで寝ている」

「痛ッ!」

 寝ているアレスの腹に蹴りを入れる。


「世話してやるんだ。うさぎを2、3匹取ってこい」

 そう言って1人で先に帰っていってしまった。


「あははは」

 目を合わせアレスが気まづそうに笑う。

 散々、鼻をへし折られた訳だ。

 立つ背がない。

 このジレン・グランデ、小気遣いでも小間使いでもやってやろう。

 剣王、お前を超えたくなった。



 ──それから俺達は何度も剣王と斬り合いながら過ごした。

 レイチェルは決してアドバイスはしない。

 執拗に弱点を突き、その体でわからせる。

 あの死んだ目と冷淡さも何日も共に過ごすと慣れると物だ。

 

 俺は何度も斬り合う中、毎回あの剛剣により肩と手首をやられる。

 これはどうにかならないモノか……、俺は息子に渡された息子直筆の本を開いた。


 【筋トレ・ノート】

 ページを開くと1番最初のページには息子の言葉が書かれている。

「筋肉がノーと言ったら私はイエスと答える」

「真の筋トレはやめたいと思った時から始まる」

「迷ったらイエスだ!」

「筋肉という名の衣服を日々の努力で縫い上げていく」

「冗談じゃない、すぐ筋トレだ!」

 などと殴り書きがされている。

 ちょっと、何を言っているかわからない。

 極め付けは、1番後のページに書かれた言葉だ。

 

「今見知らぬ男がドアから入ってきて、君の首元に剣を突きつけて「あと2回やれ」と言ったらどうする? 死に物狂いでやるだろう? 追い込むとはそういうことだ」と書かれている。

 これに関しては、マジでわからない。

 愛する息子を理解してやれないのは寂しいものだ。

 

 それは置いておいて、殴り書きが数ページ続いたのちに毎日にやれと言われた【毎日メニュー】が書かれている。

 ここにはサーキットメニューなどが書かれている。

 そのページが終わると数々の筋トレ内容が明記されている。

 

「ふむ、肩のメニューがあるな……」

 

 サイドレイズ、フロントレイズ、ダンベルショルダープレス、残念だが、どれもダンベルが必要だ。

 この極寒の地でダンベルを用意するのは困難だ。

「お、パイクプレスか……」


 ◇◇◇パイク・プレス◇◇◇

 ──パイクプレスは、三角筋・上腕三頭筋を鍛えることのできる自重種目。

 三角筋の中でも前部に強い刺激を与えることができ、肩の前側の厚みを作ることができる。

 ベンチプレスなどのプッシュ系の種目のパフォーマンス改善効果も期待される。


 その1、まずは基本の腕立て伏せの姿勢を作る。この状態からお尻を挙げながら身体を折り曲げ、手と足を近づける。だいたい体幹部と脚が90度くらいになるところがスタートポジションだ。


 その2、前方に向かって沈み込み。

 スタートポジションの状態から腕立て伏せのような動作を頭の方へ沈み込み行う。動作としてはベンチプレスよりもショルダープレスに近い。

 基本的には体幹部と頭はまっすぐにキープ。可動域を広げたい場合には顎を上げ、顔を地面に近づけていくようにすると良い。


 その3、体幹部と頭はまっすぐにしたまま、ゆっくりとスタートポジションに戻す。三角筋や上腕三頭筋を意識しながら、しっかりと正しいフォームで行う。注意点としては膝は曲げずにしっかり伸ばす事を心がけよう。初心者は10回3セットから始めるといい。

 ◇◇◇◇◇◇


「はぁ──、はぁ──」

 俺は早速、寝ぐらでパイクプレスを始めた。

「あいつは何をしている?」

 レイチェルが不思議そう顔をしてアレスに聞いた。

「筋トレですね」

「は? なんだそれは?」

 グラスの葡萄酒を呑み干す。

「貴方を倒す秘策でしょう」

「あんな物がか?」

 レイチェルは鼻で笑う。

「僕も入れて下さーい」

「あぁ、やり方はそのページに書いてある」

「パイクプレスですか〜」

「そうだ」

「おかしな事をする奴らだ……」

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