第74話 今日のプロテインは、嘘の味?


 そ、そんな……、病気って……。

 

 俺は、ただただ言葉を探した。予想とはかけ離れた目の前の状況は、俺たちの心を引き裂くほど深い爪痕を残した。


「あら〜ん、可愛いわねん」

「はい! ありがとうございます」


 ソロモン王とその女性だけが、まるで別のものを見ているかのような異常な会話重ねる。

 その堂々たる対応を見ていると「もしかして?」と、ソロモン王なら、秘めたるスゴイパワーでなんとかなるんじゃないのかと期待を少しもてた。


 しかし──

「手遅れだ」と大精霊ジンの無情なひと言がその期待を打ち砕いた。


「で、でも、ジンちゃん。ソロモン様はあぁやって普通だよ? もしかして、ソロモン様ならあの子を助けてあげられるんじゃないの? きっと、そうだよ」


 シャルロットは、グッと両手に力を入れて不安を吹き飛ばそうとした。


「大精霊の僕が、はっきり言おう。大精霊である僕が無理なんだ……、ソロモンだろうとマーリンだろうと、レザードだろうと、誰からしても手遅れなんだ。あそこまで時間が経ちすぎると魂魄は、この世界には維持できない。それにあの体では……」

「そ、そんな……」


 俺たちは、打ちひしがれた。

 あの女性は、あんなボロボロに

 腐敗した足を引きずってまで

 何日も飲まず食わず

 愛する子供の亡骸を抱いて

 この国に亡命をし、救いを求めてきた。


 それなのに、彼女に突きつけられる結果が、こんな結末だなんて……。

 

「このプリティーな坊やのお名前は、なんというのかしらん?」

 

 ソロモンは、亡骸をまるで本物の子供をあやすかのように抱き寄せ言った。

 

「ラビといいますソロモン様」

「可愛いらしいわね〜ん。それで、お若いママン、あなたのお名前は?」

「私は、バーバラと申します。あぁ……ソロモン王様のような方に抱いただけるなんてラビは幸せですわ」


 クスクスとバーバラは、初めて笑った。

 半分白骨化した息子の亡骸を……彼女はずっと病気だと言って大切に抱いていたのだ。

 あの鼻をつまむほどの悪臭は、ラビの腐敗した体から放たれたものだった。

 そう思うと……自分がもっと許せなかった。


「ソロモン様、どうか、どうかこの愛するラビの病気を治してくださいませ。私に出来ることであれば、なんでもいたします。慰めモノでも、奴隷でも、私を売り飛ばしていただいても結構です。ですから、この子だけは……ラビだけは助けて下さい」


 バーバラを額を床に擦り付け、深々と願った。

 ソロモン王は、笑顔を崩さずに「ほら、顔をあげなさい。次やったらチュッチュしちゃうわよん」と返す。


「見ていられない……、ソロモンでも真実を伝えるのは酷だろう。精霊として、僕が告げてあげよう」


 そう言ってジンは、2人の元へ歩き出した。

 踏み出してわずか……ソロモンは黙ってこちらに手のひらを向ける。

 来るなと言っているようだった。

 ジンは、両手を広げ首を傾げてみせた。


 やっぱり!

 もしかしたらソロモン王なら、なんとかしてくれるのかも知れない!


「病気ね……」

 

 ソロモン王は、だいたラビに視線を戻して、続けた。


「この街のどこかに〝人が死んだ事ない家を探してちょ〜だい。そして、その家の庭に生えたケシのみをすり潰してこの子に飲ましてあげれば〟病気は治るわよん」


 そう言ってソロモン王は、亡骸をバーバラへ優しく委ねた。

 

「本当ですか!? やっぱりソロモン様を頼って正解でした! ありがとうございます。あぁ……本当に良かった」


 バーバラは、笑顔で亡骸を抱いた。

 あの死んだ目には、いったいどう見えているのだろうか?

 そう考えると、胸がひどく締め付けられた。

 でも、ほら!

 やっぱり、ソロモンにはあの子を生き返らせあげられる方法があったんだ。

 ジンめ、嘘つき。

 そう思って俺は、ジンを見た。

 しかし、ジンは深いため息を吐くだけだった。


「それじゃ、さっそく探してまいります。本当にありがとうございました」


 バーバラは、そう言って深々とお辞儀をする。

 そうして再びラビを布でくるくると巻き直す。


「おまちを……」


 レザードが、バーバラの腐敗した足に手をかざして「キュアヒール」と呪文を唱えた。

 するとみるみるうちに腐食した足が綺麗に治っていった。


「あぁ……、すごい。これが魔法ですのね。足の痛みが消えていきます。なんて温かい」

「せめて足の怪我だけでもと……、これで元通り歩けるはずです」

「えぇ、ありがとうございます。すっかり歩けるようになりました」

「失礼ですが、しばらく食事を取られていないのではないですか? 宮殿で何か召し上がっていかれては──」

「いえ、そんな滅相もないです。こんなに良くしていただいているのにこれ以上、甘えられませんわ。それに早くこの子を治して上げたいのです」


 ニコッと彼女は微笑んだ。

 その顔を見て、レザードは俯いた。

 バーバラは、そのまま一礼をして、部屋を出ようとしていた。


 あんなにやつれて、あんなエネルギーとタンパク質しかない。これでは身がもたない……。

 そうだ!


「待ってください!」

 

 俺は彼女を引き止めた。

 

「アウラさん、すいません。トリタウロスミルクを1杯お願いします」

「分かりました」

「バーバラさん、ちょっと待って下さい」

「はい?」


 不思議そうな顔をして首を傾げる。

 そうしている内にアウラさんが、ミルクを持ってきた。


「どうぞ、エレインさん」

「ありがとうございます」


 受け取ったミルクの中に、プロテインを入れシェイクした。

 せめてこれだけでも飲んでもらおうと思ったのだ。


「エレイン、それなぁに?」

「なんかいい匂いがするアル」

「見た事ないものだね。エレインくんそれはなんだい?」


 シャルロット、メイメイ、ジンが初めて見るプロテインを前に興味津々で見ていた。




 ◇◇◇プロテイン◇◇◇

 ひとくちに「プロテイン」といっても、バリエーションはさまざま。原材料や生成過程によって種類が分かれている。

 そんな中でもメジャーな存在が「 ホエイプロテイン。牛乳のタンパク質成分のうち80パーセントが「カゼイン」、そして残りの20パーセントが「ホエイ」に分類されている。

 

 ホエイプロテインは読んで字のごとくホエイを凝縮して作られていて、ヨーグルトをしばらく置いておくと上部に透明の液体が溜まってくる、あれがホエイだ。

 

 そもそも1日に必要なタンパク質量は?


 日本人はタンパク質が不足しがちと言われている。有酸素運動や筋トレなど定期的にトレーニングをしている人であればより多くのタンパク質が必要になり、例えばハードに運動をしている人であれば、「体重1キロあたり2から3グラムを摂取すべき」と言われている。

 

 デスクワーク中心で運動の習慣がない人でも、体重1キロあたり1から2グラムが推奨されている。体重70キロであれば、70から140グラムが摂取量の目安だ。サーロインステーキで140グラムを摂るとなると1.5キロも毎日食べなくてはならない。

 

 経済的にも、食事量的にも現実的ではない。それに激しいハードワークをした後にガッツリ食べるのも厳しいだろう。そこでプロテインなのだ!


 プロテインには、ゴーデンタイムがある!


 筋トレ直後から1時間後までのタイミングがゴールデンタイムと呼ばれている。この時間内であれば、アミノ酸が筋肉に輸送される量が、通常の3倍にアップすると言われる。 また、人間の体は23時から3時頃が成長ホルモンの分泌が盛んになるため、就寝前のプロテイン摂取もおすすめだぞ!

 ◇◇◇◇◇◇


「へー! そんなモノがあるなんて驚いた。僕もまだまだ知らない事があるものだね」

 

 ジンが、マジマジとプロテインを観察している。


「これが、いつもエレインが欲しいって言っていたプロテインなのね!」

「メイメイが試しに飲んでやるアル」

「めッ」


 すかさず手を伸ばしてくるメイメイの手を払い除けた。このカンフー娘は、油断も隙もありゃしない。


「これは、バーバラさんの! メイメイにも後であげるから」

 

 俺は、メイメイから隠すようにプロテインを引っ込めた。

 

「どうぞ!」

「あ、ありがとうございます」

 

 バーバラは不思議そうにプロテインを怪しげに覗き込む。


「さぁ、飲んでください」

「は、はい!」


 一息にごくっと飲み干した。

 飲み終わると驚いた表情を浮かべた。


「お、おいしい!」

「でしょ? 栄養も満点です」

「ありがとうございます。これで頑張れそうです!」


 そう言ってバーバラは、城を飛び出して行った。

 よかった……。少しでも栄養を与えられて。

 あとは、ソロモン王の言った事さえ実行できればラビもきっと助かる。


「いったいどういうつもりなんだい? あんな期待させるような嘘をついて」


 え? 嘘?


 ジンが、ソロモンに迫った。

 その顔は、少し怒りの表情にも見えた。


「え? 嘘なの? そんなことないよね? よね?」

 シャルロットの目頭に涙が浮かび上がる。


 そ、そんな……。嘘だなんて、それこそ嘘といってくれソロモン王。


「今、あのママンに必要なのは、真実を受け止めるための嘘なのよん」


 そう、ソロモン王は無表情でつぶやいた。


 そんな……。

 俺は城を飛び出した。一心不乱に、気づいたら足が勝手に彼女の元へ向かった。


「エレイン!」

「エレちゃん!」

 

 シャルロットとメイメイも俺の後に続いた。

 俺たちは、バーバラを探して城下街に走った。

 しばらく当たりを走り回ったが、バーバラが見つからない。

 

 まさか……、嘘と気づいていて身投げ──。

 頭の隅に最悪なネガティブ映像が過ぎる。


「この野郎! 気色わりぃーんだよ!」


 どこからか罵声が、響き渡った。


「反乱軍の服なんか着て、おまけに臭いんだよッ! 二度と来んな馬鹿野郎!」


 バーバラだ。

 そう瞬時に思った。俺たちは、声のする方に走った。

 すると、そこにはバーバラが膝をつき、座り込んで俯いていた。


「バーバラさん……」


 俺は、ゆっくりと彼女のもとに歩み寄った。


「エレインさん」

「大丈夫ですか?」

「えぇ、大丈夫です。座っていられないわね」


 バーバラは、再び立ち上がり歩き出した。

 言葉が出ない……。

 こんな時、なんて言っていいのか、俺たち3人のうち誰も、かけてあげられる言葉を持ち合わせていなかった。


「あ……」

 

 そこまで声を出しかけて止まった。

 なんて言うつもりなんだ俺。

 手遅れなんです。

 もう無理なんです。

 その子はもう……。


 そんな言葉を言うつもりなのか?


 それとも

 頑張りましょう。

 きっと見つかりますよ。

 大丈夫です。

 そんな嘘をつくつもりなのか?


 俺は、無力だった……。

 ただ彼女の背中を黙って見守るしかできなかった。


「すいません。この家の方は誰も死んでいませんか?」

「はぁ? なんだお前、気色悪いんだよ!!」


「こんにちは。突然、すいません。あの、この家は死人がいなかったりしませんか?」

「なんだいあんた? 死人? ばあちゃんがこないだ死んだばっかだよ」


「こんにちは。すいません、この家は死んだ方がいなかったりしませんか?」

「いや、うちは祖母も祖父も死んでるよ」


「こんばんは。この家は死人が出ていなかったりしませんか?」

「死人がいねぇー家なんかあるわけねぇーだろ! なんだおめえ!」


「こんばんは! 突然すいません──」

「うわっ、なんだ反乱軍!? うわッ臭ッ」


 どれくらい時間が過ぎたのだろうか。

 バーバラは、何度も何度も──。

 訪ねて歩いて、罵倒され、貶され、時には暴力を受けて、そんな行動を繰り返していた。

 

 何度も、何度も、何度も──。


「う……うぐッ」

 

 シャルロットとメイメイは、声を殺して泣きながらその背中を見守っていた。

 何もできない、こんな自分が惨めで仕方なかった。


「こんばんは、すいません。あの、この家に死人が出ていなかったりしませんか?」

「なんだお前! おととい息子が死んだばかりだ。嫌がらせか、この反乱軍女! 引っ張たいてやる!」


 突然、家主が泣きながらホウキを持ち出しバーバラを叩き始めた。


「あっ、痛い! きゃッ」


 バーバラは、ラビを守るようにかがみ込んだ。

 いけない!

 俺は、バーバラの元に走った。間に合わず、家主はバーバラの背中を蹴り飛ばした。


 ──あ!


 時間が、まるで止まったかのようにスローになった。

 ゆっくりとバーバラの体が、前のめりに倒れ込んでいく。沈み込むようにラビの亡骸が、その手を離れていく。

 ドサッと地面に幼な子の体が、落ち。

 転がっていく。


 家主は、唾を吐き。

 家に入っていく。


 俺が駆けつけ頃には

 ラビの体は

 バラバラに散らばっていた。


「あっ──あッ──ラビィィ──!!」

 

 彼女は、ヒステリックな声を上げて、バラバラになった遺体をかき集め、必死に繋ごうとしていた。


「あぁぁぁぁ──!」


 戻るはずもなく、何度くっつけては、こぼれ落ちていく。


 俺は、ただただ泣いて彼女を抱きしめた。

 何も言えず、何も言わず。

 彼女は俺を振り払い、バラバラの肉塊をまた集める。


「バーバラさんッ!」


 シャルロットとメイメイも泣きながら走り寄り、バーバラに抱きつく。


「わかっていたんです……。本当はわかっていたんです!」


 彼女は泣き叫んだ。


「ラビは、もう死んでいて、手遅れなのも。この世界に死人がいない家がない事も──、全部、全部、全部全部全部全部全部全部全部全部全部──、わかってました。人間みんな必ず死んでいることも、ソロモン様でさえ、治せない事も──、うあああぁ────!」


 王は、彼女に受け入れるための嘘。それは受け入れるための時間と体験を与えたのかもしれない。

 死んだものがいない家という、この世にあるはずもない家を探させ、人間誰もが死ぬことを教え、それを受け入れるための時間を、きっと彼女に教えたのかもしれなさい。


「さぁ、皆さん。帰りましょう」


 声のする方向に顔を向けると、アウラがランタンを下げて立っていた。


「迎えにあがりました」

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