花の街カンテ
「お膳立てはしたんだから、そこできっちりと話し合っておいで」
そう言って猫の自分を見つめる兄の眼差しを見て、ジュディスはあまりに情けない気持ちになった。今までどれだけの迷惑を掛けていたのか、というのが一つ。自分たち――グレアムとジュディスだけでこの問題を解決できなかったことも一つ。そして、グレアムの決意を知ってなお、自らの正体を明かす勇気のない自分の有り様もまた一つ。
いつかこうなることは、わかっているはずだった。それでもいざ直面すると、自分がどう振る舞うべきなのかが判らなくなった。まさか突然変身を解いて、実は猫として傍に居ました、なんていうのもとても気まずい。かといって、知らんふりをしてサリックスは行方不明になり、代わりにジュディスが姿を現すというのも妙な気がする。
だからこうして、ディックがお膳立てをしていてくれたのは、とても有り難いことなのだ。自分の至らなさをくよくよと考えるのは今はなしにして、ジュディスはこの機会をどう有効に使うべきかを考え始めた。
「ジュディスがカンテに……?」
家に帰ったグレアムが、ディックから聴いたことを伝えれば、案の定両親は当惑した顔を見せた。そうだろう。もし両親が知っているのならば、すでにグレアムにそのことを伝えていたはずだから。
「やはりご存じありませんでしたか」
「当然よ。ウェルシュ家からはなにも言われていなかったし」
母の目配せに、父は黙ったまま頷いた。
「何故、そんなところに居るのかしら」
呟きながらも、母にはなんとなく察するものがあったらしい。表情が憂いを帯びる。グレアムもまさかとは思いつつも、その可能性を考えずにはいられなかった。ジュディスがまだ、ヘリアンサスの思い出にしがみついている可能性を。
「とにかく、明日にでもカンテに行ってみようかと思います」
アクトン領の南縁にあるカンテは、王都から馬で一日あれば行ける。休暇もまだ十分にあるので、躊躇う理由はなにもない。
そうね、と母もまた同調した。
翌朝、グレアムは馬車に乗って、北北西にあるアクトン領カンテへと向かった。王都周辺は平野であり、土の踏みしめられた道の両脇には夏盛りに背を伸ばした草花が揺れていた。遮るものなくそよぐ風は涼やかで、どこからか秋の匂いを運んでくる。
昼が過ぎ、陽が傾いてくると、なだらかな丘陵地帯へと差し掛かり、木々が増えてきた。それが森に変わるとアクトン領だ。この東西に薄く広がる森が、アクトン領の南縁となる。道が西に曲がった森を抜けた先の丘に見えるのが、アクトンきっての観光地カンテだ。木で造られた建物に、白漆喰の壁。窓際に吊り下げられた花と、赤煉瓦の敷かれた小路。まるで童話のような街並みが、丘の頂上から裾野にかけて広がっている。
町の境界を示す木の柵を通り過ぎ、煉瓦敷きの道を上っていく。貴族などの上流階級に向けたホテルが頂上付近にあって、グレアムはそこに宿を取った。その頃にはもう日が沈みかかっていて、グレアムは御者を休ませ、部屋に籠った。窓辺に横たわるサリックスを愛でながら、暗くなっていく家並みを見下ろす。
このサリックス、今回ばかりはタウンハウスへと置いていこうと思ったのだが、何故だか頑迷にここまでついてきた。旅立つ朝からグレアムの足元に付き纏い、馬に乗り込む頃になっても離れなかった。間違って馬に踏みつけられることを恐れたグレアムが、仕方なく折れた形だ。馬の背に乗るのでなく馬車を使ったのは、そのため。
まるで忠犬のようにグレアムに付いてくる猫を可愛らしく思う一方で、あまりに猫らしくないその行動に疑問を抱かずにはいられなかった。〝糸の端と端でつながれている〟使い魔だからだろうか。それがこうも猫らしさを奪うものだとは、自分で調べたときもマシューの講義を受けたときも思わなかったのだが。
「……無理していないか?」
寛ぐ背中に問う。知らん顔で寝そべる姿は猫らしくあったので、グレアムは自分の考え過ぎを疑った。
窓の外に視線を移す。闇の中でぽつぽつと道沿いに浮かび上がる灯があった。白い球形のそれは、魔法による街灯の明かりだ。立てられたポールの頭頂部に魔法陣が描かれた皿状の物体が付いていて、陽光を感知しなくなると魔法が発動して光球が浮かぶ。
国の中心部でしか見られなかったそれを、地方でも設置しようという動きが近年進んでいるらしい。魔法師院では設置の申請を募っていたそうだ。グレアムの父もカンテを対象にその申請を行って、去年にようやく採用、今年の春から設置がはじめられたのだ、とこの帰省を機に聴いている。
「いずれこの町の風景も変わっていくな」
そして、それを進めていくのは自分なのだろう、とグレアムは自らの役割を再確認する。
夜が明けるとグレアムはジュディス捜しに乗り出した。とはいえ、ここまで来て手掛かりはまるでない状況だ。どのようにすべきか、グレアムは決めあぐねていた。因みに、宿泊したホテルには、領主の息子権限で滞在している貴族がいないかを確認してあった。ウェルシュ家の名はなかった。
とりあえず同じようにして他数件のホテルを巡ってみたが、望む情報はまるで得られない。
「本当にここに居るのか……?」
手ごたえのなさに早くも希望を失いかけたグレアムは、ホテルの前に設置されたベンチに座り呟く。隣ではサリックスもまた何故か意気消沈した様子でしゃがみ込んでいた。一瞬彼女を使ってそこらの人家を覗いて回ろうかと考え、すぐに振り払う。それはあまりに人として行き過ぎた行為だ。
仕方なくグレアムは、街の人に訊いて回ることにした。
目抜き通りとなる坂を、通り沿いの店を回りながらゆっくりと降りていく。藍色の髪に翠の目を持つ娘は、目立つ容姿であるはずなのにもかかわらず、見かけた者はいないようだった。お忍びの令嬢風の娘は、と訊いてみるも、こちらもまた望む回答は得られず。またもグレアムは首を傾げることになる。ここまで歩き回っても、ジュディスの影すら掴めなかった。
ディックに揶揄われたか、と思うも、そうするだけの理由が思いつかなくて、グレアムは街を歩き回った。観光の主要となる通りを離れ、住民しか訪れないような区画へ入る。
狭い路地に入っても、基本的な景色は変わらない。ベランダに吊り下げられた色とりどりの花が、通りを歩くグレアムの心を癒す。目抜き通りと違って、ここはまだ街灯は立てられていないようで、木で作られた塀や漆喰の壁ばかりが続いていた。いずれここにも立てられれば良い、と思いながら湾曲した坂を上っていると、道端に人が立っていた。道の様子を確かめるようにあちこちと首を動かす数人は、見慣れた、しかし緑と色の違う魔法師院のローブを纏っていた。緑色のローブは、技術職を示す。なるほど、街灯設備の担当者たちか、と当たりを着け、伯爵家の息子として声掛けくらいするべきかと悩みながら観察をしていたところで、グレアムの視線に気づいたのか、うち一人と眼が合った。
懐かしい、琥珀色の大きな瞳。
驚きにますます見開かれたそれは、忘れもしない、ロージー・キャラハンのものだった。
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