お膳立て
ウェルシュのタウンハウスには、あらかじめ訪問の伺いを立てる手紙を送ってあった。砦を出る前のことだ。しかし、旅程がずれる可能性を鑑みたため、その手紙では明確な日時は指定しなかった。だから、タウンハウスに帰ったグレアムは改めてウェルシュ宛に手紙を送った。
返事は早く、翌日に届いた。ディックからだった。当主は領地に戻っているが、魔法師院で働くディックはタウンハウスに留まっているようだ。
返事のカードのような手紙には、端的に明日の日付と時間の指定が書いてあったほか、奇妙な一文が付け加えられていた。
「〝猫を連れてくるように〟……?」
何故グレアムが猫を連れているのを知っているのか、どうしてその猫が見たいのか。グレアムは疑問に思う。前者についてはフレアリート砦に視察に来たロデリック経由の可能性が考えられたが、後者についてはまったく予想がつかない。使い魔に対する知的好奇心の可能性は排除した。溺愛する妹に関する用事と混同するような人物ではないからだ。
さっぱり意図が分からないまま、グレアムはサリックスを連れてウェルシュの家を訪ねた。抱きかかえられた灰猫は、心なしか身体が強張っている。
「久しぶりだね、グレアム」
以前の謝罪訪問とは違って玄関を通してもらえたグレアムは、壁沿いの階段を下りてきたディックと久方ぶりに相対した。三十を前にして、相変わらず痩身の彼。心なしか目元に皺ができている。三年の月日の隔たりを実感しながら、グレアムは軽く頭を下げた。
「本日は、お時間をいただきありがとうございます」
「いいよ。僕も気になっていたところだし」
無表情のディックの返事を奇妙に感じたグレアムは少しだけ眉を顰めた。だが、ディックはグレアムの疑問に気付くことなく、グレアムの腕に抱えられたものに視線を移した。サリックスがますます身を強張らせる。
「それが、君の使い魔?」
「はい。目の役割をしてもらっています」
「……危ないことはしているの?」
「戦闘からは遠ざけていますが……魔物の偵察に行ってもらうわけですから、皆無とは言えません」
そうか、と複雑な表情でディックは頷く。その間もじっとサリックスのことを見ていた。サリックスもサリックスで、狐に見つかった兎のように身体をびしりと固まらせながらも、翠の瞳をディックに向けて離さない。
こうして比べてみると、とグレアムは思う。ディックの目の色とサリックスの目の色はよく似ている。
「……とりあえず、あちらへ」
やがて猫から視線を離したディックはグレアムを客間へと促した。
円卓の椅子に腰かけたディックは、煮え切らない表情をしていた。視線があちこちを彷徨って落ち着きがない。最後に訪問したときもグレアムに困っている様子ではあったが、現在はさらに後ろめたさでも感じているようなそわそわした感じがある。その視線が時折サリックスに止まると、ディックはまた呆れたような深い溜め息を溢すものだから、グレアムは戸惑わずにはいられなかった。
「さて、ジュディスにもう一度謝りたいということだけれど……」
と言葉を不自然に切って、ディックは眉間に皺を寄せた。なにを言うべきか、決めあぐねているらしい。
「どうして今そんな気になったの?」
謝罪が遅いことを責められているのか、それとも言葉通りにただ気になっただけなのか、グレアムには判断できなかった。
「先日死にかけて――」
ぴくり、とディックの眉が動いたが、なにも言うことなく先を促した。
「俺はまだ、ジュディスに未練があることを知りました。三年経過した今も、ジュディスの影を追っているんです。しかしもういい加減、区切りをつけるべきだと考えました。彼女を傷つけたことをこのままうやむやにしてしまえば、俺は引き摺るばかりです。きちんと物事は清算すべきだと」
「それは、ジュディスのため?」
グレアムは口を閉じ、考える。ジュディスのことを考えたのも確かだ。だが――
「自分自身のためでもあります。俺も、
死にかけて、それから一月近くそのことについて思いを巡らせて、自分はおいそれと死んで良い身ではないことを思い出した。グレアムは伯爵家の跡取り息子だ。グレアムが死んでしまったら、アクトン家は跡取りの問題に直面することになる。
そして、その上で、ジュディスとの婚約が解消されたからといって結婚の義務がなくなったわけではないことにも気が付いた。いずれそのときが来たとき、グレアムがジュディスのことを引き摺っていたとあれば、結婚相手を不幸にしかねない。
「……そうだね。わかるよ。僕自身、他人事ではないし」
そう言えば、ディックはまだ結婚はしていないらしい。気にはなったが、尋ねられる立場になく、グレアムは口を閉ざしていた。
ディックは大きく溜め息を吐くと、椅子の背に凭れた。そのまましばらく目を閉じて、何事かを思案する。グレアムは辛抱強く待った。
こつこつ、とディックの指先が椅子の腕を叩く。
「ジュディのことは、諦めるの?」
尋ねられて、グレアムの胸にナイフを突き立てられたような痛みが走った。顔を歪めてしまいそうになるのを、必死で取り繕う。
「…………必要とあらば」
断言できない、日和った答えしか返せない自分を情けなく思いつつ、声を搾り出す。
こういうところを改めなければいけない。グレアムは唇を噛み、必死に気持ちを立て直して身構えた。ディックになにを言われても良いように。
ディックは再び大きく溜め息を吐くと、背を伸ばした。翠の瞳がグレアムを正面から見据える。
「君をジュディスに会わせることは、僕にはできない」
そうだろう、と頷きかけて、その苦々しい表情から、ディック自身が拒んでいるわけではないことをグレアムは察した。
「……やはり、殿下が反対をされましたか」
「違う。そもそもジュディスは、王宮にはいないよ」
グレアムは目を瞠る。
「側室にはならなかった。現在は、領地で療養していることになっている」
「……〝なっている〟?」
「本当は違うところに居るよ」
思いも寄らないところにね、とディックの口元が歪む。笑おうとして、内心の複雑さの所為で失敗したようだった。
グレアムはといえば、呆気に取られるほかなかった。ずっとこの三年間、ジュディスは王宮に居るものだと思っていた。なのにそれが違う、と?
だが、一方で腑に落ちたことがある。ジュディスを渡さない、とロデリックに言われたことだ。彼女がまだ独り身であれば、元婚約者を敵視するのにも、一応は納得ができる。
「ジュディスは今、何処に……?」
グレアムの質問に、ディックはまた歪に笑った。そのまま視線を落とし、何事かを考え込む。かなり深く考えているようで、いつの間にか手が顎の下へ行き、頭が大きく傾いて、ジュディスと同じ藍色の髪が一方向へと流れていった。
より一層深く刻まれた眉間の皺がようやく緩むと、ディックは疲れた様子で肩を竦め、腕と足を組んでグレアムを見据えた。
「君たちが本当にあの件について清算をしたいというのなら、カンテに行くのが良いのではないかな」
「カンテ……?」
ぽかん、とグレアムは口を開けた。良くも悪くも思い出の地であるカンテは、アクトン領である。
「そこに、ジュディスが?」
婚約を解消した家の領地に居ることがとても信じ難くて問い返すが、ディックはやれやれといった様子で首を振るだけだった。是、とも、否、とも返って来ず、グレアムはますます困惑する。
「とにかく行っておいで。もういい加減、僕も疲れたし。お膳立てはしたんだから、そこできっちりと話し合っておいで」
「はい……?」
なにがなんだかわからなくて、返事の語尾がどうしても上がってしまう。どういうことか、と尋ねたい気もしたが、ディックの倦んだ雰囲気に、グレアムはとても口を開くことができなかった。
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