失態

 鬼人と称されるメイリンがいるからだろうか、グレアムたちの所属する部隊は森の中に入って巡回を行うことが多かった。ときに新入りだけで行かされるという強引ぶりであるが、そんな無茶の甲斐あってか、魔の森の魔物たちに慣れるのは比較的早かったように思う。

 だが、あくまで魔物の存在についてだけ。相変わらず、〝森を傷つけないように〟というのは、無理難題を極める。


「魔法師に接近戦って、本当に無茶を言うよね、この森は」


 魔物との戦闘を終わり、死体がなくなる〈引波プル〉現象も終わったあと、地面についた杖にもたれかかるようにして立つマシューは、げんなりした様子でそう言った。

 グレアムとマシューは、リチャードより〝方陣魔法〟と呼ばれる魔法の使用を勧められていた。方陣魔法は、自らを中心とした正方形の範囲内に限定して魔法を発動させるというもので、遠距離のものと比べて誤射の確率が減るという利点の代わりに、敵がある程度接近しなければ当たらないという欠点を抱えたものだった。

 とはいえ、この魔の森ではその利点が欠点を上回る。ここでは、魔物よりも〝森〟のほうが恐ろしく警戒すべき相手なのだから。

 ……しかし、そうは言っても、魔物の脅威がなくなるわけでもなく。


「まあ、お前ら、薄いからなぁ」


 トラヴィスの言う薄いとは、防御が薄いの意だ。装備として革の胸当てや籠手を纏う兵士たちは、限られた部位とはいえ、爪や牙に対しての防御性を持っている。一方で魔法師が纏うのはローブのみ。特別な繊維と特殊な折り方で斬撃に対してある程度の耐性を持ち合わせているのだが、その反面で牙などの貫通などには弱めであるという側面を持っているという。それに、やはり布の服よりも鎧のほうが信頼性が高い。


「本当だよ。それなのに魔物の接近を待たないといけないなんて……本当、心臓止まりそう」


 まさに今その状況だと言わんばかりにマシューは葡萄酒色のローブの胸元を掴みながら、溜め息を吐いた。一月以上重ねてきた戦闘に、彼はまだ慣れていないらしい。戦闘中には時折、こんなはずじゃなかった、という不満が漏れ聞こえてくる。普段は割り切っているようだが、恐怖に晒されてしまうと思わず本音が漏れてしまうようだ。


「グレアムは、よく平気だね」

「まあ、魔法師兵の教育課程では、白兵戦も履修していたからな。模擬戦も結構あったことだし」

「経験の差かぁ」

「だが、正直に言うと、接近戦は苦手だ。魔法の展開の速さがものをいうからな」


 長年グレアムが取り組んでいた課題は、実戦を経験してもなお克服されていなかった。昔に比べれば多少は進歩しているとは思う。が、それでもまだ戦場では十分な域には達していないのだろう、と自らをそう評価していた。

 なんていったって、素晴らしいお手本がそこにあるのだ。

 同じ魔法師として、グレアムとマシューの教育係を請け負っているリチャードは、方陣魔法の優秀な使い手だった。

 憂いの溜め息を聴き咎めたらしい。道の少し先でグレアムたち三人の雑談を聴いていたリチャードは、太い金の眉を持ち上げ、榛の瞳でグレアムを真っ直ぐに見つめた。


「確かに俺は魔の森での戦いに適した一手段として、方陣魔法を教えたが、なにも不得手なことを無理して使う必要もまたないぞ。それよりは、己に合った戦い方を見極めることだ」


 自分の特技を生かせるのが最も理想的だ、とリチャードは最後に付け加えた。


「自分の特技……」


 グレアムは考え込む。これまで講師陣から言われていたのは、分析力、魔法を維持する能力。最近――サリックスを使い魔にする際には、魔力を同調させるのも得意なほうだと判った。それらを活かしたなにか、と考えて、思い浮かぶのは偵察や戦略。あまり前線で戦うのに必要な能力とも思えない。

 やはり、とグレアムは過去を思い出す。フリンのように器用で瞬発力に優れていたほうが、前線で活躍できそうだ。


「ほらそこ、寝惚けない」


 浴びせられる冷たい視線に、グレアムは物思いから覚めて溜め息を吐いた。リチャードとメイリン。同じ榛色の瞳でも、彼女の眼は淡褐色に近い。黄味が強く吊り目がちなリチャードのほうが熾烈な印象なのに、柔らかそうなメイリンの眼差しのほうが鋭く感じるのだから、不思議だ。

 砦内にジュディスとロージーに関する噂が流れてからというもの、メイリンはグレアムに対してより冷ややかな態度を取るようになった。グレアムの行いが女性として許せないのだろう、と思っていたら、彼女の場合はもっと根深いものだったらしい。メイリンは、かつて婚約者に見捨てられたことがあるのだ、とリチャードが密かに教えてくれた。〈氾濫フラッド〉のときのことだという。


『だからといって公私混同しても良いというものでもないがな』


 そう付け加えたリチャードだったが、メイリンの態度も無理はない、とグレアムは擁護した。自分で言うのも非常に辛いが、家同士の約束を違えた者の人間性が疑われてしまうのは、仕方のないことなのだ。自分が信用に値しない人間であるというのは、自分が一番実感している。


「ほら、もう。死にますよ?」


 再度掛けられた声に、グレアムはようやく魔物の接近を悟った。公私混同、などとリチャードは言ったが、メイリンは態度が辛辣なだけで、グレアムのことをきちんと公平に監督してくれている。

 つくづく周りに恵まれている、と鳥の姿をした魔物と戦いながらグレアムは思う。家族はグレアムを見捨てなかったし、学校は注意しながらも一生徒として面倒を見てくれた。魔法師学校時代グレアムを快く思っていなかったらしいマシューは、今では楽しく魔法について語る中だし、砦に来てからであったトラヴィスは、噂を知ってからも態度が変わることはなかった。リチャードの内心は判らないが、良き指導者であることに変わりない。

 まだ出会って間もないが、良くしてくれる人たちが傍にいて、だからこそ早く役に立てるようになりたい、とグレアムは思っているのだが。


 ――それだけに、必要以上に肩に力が入ってしまったのだろうか。


 森の中では珍しい、鳥型の魔物。山羊のような角と口吻を持ち、紐のような長い尾羽根が二本持つものが五体ほど。全長は猫ほどと魔物にしては小さめだが、飛んでいるのが厄介で、グレアムたちは討伐に手こずっていた。さすがのメイリンも上へと逃げてしまう敵には手を焼くようで、剣先を躱されるたびに笑みを浮かべたまま舌打ちする様子が何度も見られた。自分の周囲に魔法を展開させる方陣魔法もこのような相手には効果なく、グレアムたち魔法師は狙撃を余儀なくされていた。


「あ……っ」


 気付いたときには、もう遅かった。敵を貫き損ねた氷柱は、背後にあった山毛欅ブナの木に突き刺さる。

 背中に冷たいものが落ちた。味方も、敵でさえ動きを止め、弾かれたように森の奥を見つめる。


「リチャード!」


 メイリンが振り返るのとほぼ時を同じくして、リチャードが上空に魔法を撃ちあげる。赤い色の閃光弾。警告を砦に知らせる信号だ。


「急いでダイクに戻ります!」


 そう言うや否や、メイリンは剣を持ったまま、魔物そっちのけで駆けだした。トラヴィスが、マシューが、後に続く。


「グレアム!」


 思わず呆然としていたグレアムは、リチャードに背中を叩かれてようやく走り出した。


「〈奔流ラッシュ〉が来るぞ!」

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