告白

 魔法師学校にほど近いアルフェア学区は、学園城下町らしく、学生に向けた商店を中心に成り立つ街だ。校舎と統一して煉瓦で作られた大通りに並ぶのは、教材や文具などの学用品の販売店、それから若者が興味を持ちそうな趣味の店や小物店、そしてお茶や間食にうってつけな軽食や菓子店など。歩いているだけでふらふらと立ち寄りたくなるような店がそこここに建てられている。

 ただでさえ洒落た雰囲気で賑やかな場所ではあるが、今はなお拍車が掛けられていた。黒い瓦の切妻屋根の間に掛けられたロープには、慶事を表す紅白の旗や、星や雪の結晶を模った金色の飾りが吊り下げられている。そして、道端の屋台から漂う甘い匂い。


「凄い賑やかですね」


 通りを歩くロージーは、危なっかしくもきょろきょろとあちこちを見回している。白いセーターと赤いスカートの上にピンク色のポンチョを羽織った彼女は、アルフェアに下りたのは初めてのようで、街に到着したときから落ち着きをなくしていた。


「年末の祭典が近いからな」


 いつも通りの簡素な服に焦げ茶色のコートを羽織ったグレアムもまた、ロージーほどではないが落ち着きなく周囲を見渡していた。といっても、お祭り騒ぎに浮かれた彼女とは、少し意味合いが違う。

 一年の最後の月。あと三週間ほどで訪れる年末。店に並ぶバターと小麦粉を捏ねて揚げ、蜂蜜でコーティングした星型の菓子は、アメラスの年の瀬に欠かせない嗜好品だ。この時期は何処に行ってもこれが売られている。

 が、グレアムは、この揚菓子の匂いが苦手だった。胸焼けしそうなほどのバターと蜂蜜が混ざった匂い。店によってはシナモンなどの香料まで加わる。甘い物は苦手ではないが、この匂いだけは別。だから無意識に匂いから逃れる場所を探してしまう。


「そっかぁ。もうすぐ冬休みなんですね」


 グレアムとは反対に、ロージーは揚菓子の匂いに惹かれるようで、時折屋台に目が釘付けになっていた。甘い物が好きなのだろう。食べるか、と言ってやりたいところだが、これから店に入るのだから食べ物を持ち込むのは気が退ける。物欲しそうなロージーを促し、グレアムは石畳の通りを奥へと進んだ。


「先輩は、お休みの間はどうするんですか?」


 ようやく揚菓子への未練を断ち切ったロージーは、小走りにグレアムの隣に並んで顰め面を見上げた。彼女はもうグレアムの顔に慣れたのか、グレアムの眉間に少し皺が寄っている程度では怖じ気づくことはないようだ。


「通常通りなら実家に帰る。年末は忙しいし、雪も降りはじめるしな。そう特別なことはできない」


 アメラスでは、年明けを迎えるまでの一週間、ご馳走や菓子を用意して家族で集まり、家に引きこもるのが一般的な過ごし方だ。だが、貴族という人種は身内だけでひっそりと過ごすのが性に合わない生き物なのか、どうしても祝宴を開いてしまうのだ。比較的親しい家のパーティのうちニ、三個だけとはいえ、グレアムもそこに駆り出される。ゆっくりとはあまり言えない休暇だった。

 そして、春夏秋冬が明確に訪れるアメラスでは、年末年始の頃から雪の積もる時季を迎える。そうすれば、いかなる手段であっても移動は制限されてしまい、それこそ観光・狩り・旅行などといったレジャーなど行えるはずもないのだ。


「お前はどうするんだ?」

「わたしは……」


 話の流れで問い返すと、途端ロージーの表情が翳った。しおしおと寒さに萎れた花のように元気がなくなってしまう。


「おそらく本邸で過ごすことになるんだと思います。お母さんの居る別邸には、たぶん行けません……」

「本邸は嫌か」

「居心地は良くないです。やっぱり、愛人の娘ですし……」


 キャラハン家当主の不義の子という立場は、やはりあまり良いものではないようだった。ただでさえ鼻つまみ者。その上ロージーの場合は、怪我した異母兄の代わりに魔法師になることになってしまったため、異母兄本人から嫉妬を受けているらしい。

 そして、やはりロージーが一番気にするのは、当主の本妻のことだった。


「奥様、厳しい方ですけれど、不義の子のわたしに対しては割と普通に接してくれているんだと思います。きつい態度を取られることはありますが、客観的に見てもいじめと言えるほどのものではありません」


 おそらく、魔法師の名門であるキャラハンの家の立場を第一に考えると、今いる当主の子の中で唯一魔法師になることができるロージーの存在を容認せざるを得ないのだろう、と彼女は言う。


「でも、本当はきっと、わたしが目に入るところにいるのも嫌なんだと思います。だから、お母さんのことを別にしても、本当は別邸に帰りたいんですけれど……」


 グレアムがそうであるように、ロージーもまた年末に開かれる社交の場に参加することが決定しているのだという。それは彼女の存在を知らしめるお披露目の場でもあった。その支度もあって、冬休みの間は本邸に居ることが決定しているのだという。

 キャラハンの本妻に遠慮したいロージーには、あまりに不本意な決定だった。


「……ごめんなさい。自分で話を振っておきながら、暗くなっちゃいました」


 早く用事を済ませちゃいましょう、とむりやり声を明るくしてロージーはグレアムを促した。励ましの言葉がなにも思いつかなかったグレアムは、請われるままに行きつけの店へと案内する。そこでロージーのコンパスを購入し、グレアムもインクなどの消耗品の予備をいくつか購入した。


「ありがとうございました。助かりました」


 買い物を終えたロージーは、店の外で律儀にグレアムに頭をふと通りの向こうに目をやった。彼女の視線の先には、赤煉瓦のこぢんまりとした雑貨屋があった。半円状に突き出たショーウィンドウには、年末の祭典に飾られる、家の形をした陶器の小物が立ち並んでいる。


「入るか?」

「いいんですか?」

「ついでだ」


 じゃあ、と頬を上気させてロージーは頷く。

 扉にかけられた小さな陶器のカウベルを鳴らして店に入ると、可愛い、と叫びながらロージーは店の奥の棚に飛びついた。次々に小物を手にとって、あれも良いこれも良いとはしゃぎ回っている。

 そんな彼女を微笑ましく思いながら、グレアムは暇つぶしに板床の店内をぶらぶらと見て回った。棚の商品を眺めやり、ふと一点に目が留まる。


 そこに並べられていたのは、手鏡だった。手の中に収まるような小さなものだ。銀鏡を嵌めた白い台座の裏に押し花が閉じ込められていて、赤いもの、青いもの、紫のものといくつか種類が用意されている。

 その中で特にグレアムが注目したのは、黄色の花が閉じ込められたものだった。黄色の舌状花に囲われた茶色の筒状花を持つ小さな向日葵――ヘリアンサス。

 ジュディスが好む花だった。


 保健室で喧嘩別れをして三日、ジュディスとはまともに話ができていなかった。講義には全く顔を出さず、夕食も拒む。カタリナに尋ねて見たところ、具合が悪いのだという。それが方便なのか事実なのかを確かめることができないまま、もやもやとした状況が続いている。

 だから、なにかきっかけになるものが欲しかった。

 それで、贈り物をしよう、と考え付いたのだ。


 年末の祭典は、一年を無事に過ごせたことを祝うための催しだ。それをまた理由として、親しい相手に贈り物をするなんてことも習慣の一つとして挙げられていた。少し早いが、理由としてはちょうど良い。お気に入りの懐中時計の礼も兼ねて、ジュディスにプレゼントを贈ることを思いついたのだった。

 ロージーの買い物に付き合っているのは、本当に〝ついで〟のこと。彼女がいなくても、グレアムは恐このアルフェアに来る予定だったのだ。


 手鏡を気に入ったグレアムは、レジへと向かい金を払って手鏡を包んでもらった。紙袋に入れた商品を受け取った頃にはロージーも満足したようで、いくつか小物を購入した。訊けば、年末に実母の元に帰れない代わりに、それらの小物を送るのだという。


「先輩のそれは、贈り物ですか?」


 店の外に出たロージーは、グレアムが携えた紙袋を見て言った。言葉少なに肯定したグレアムに、彼女はふと足を止め、羨望とも諦念ともつかないような不思議な目でグレアムの紙袋を見つめる。

 その眼差しに疑問を持ったグレアムが名前を呼びかけると、彼女は急に決意の灯った眼差しでグレアムの瞳をじっと見つめた。

 曇り空の下、日の光もないのに琥珀色の眼が輝く。その光の強さに、グレアムは思わず唾を飲み込んだ。


 先輩、とさくらんぼの艷やかな唇が開く。


「わたし、先輩が好きです」


 グレアムの頭の中は、たちまち真っ白になった。

 ここで〝好き〟の意味を履き違えるほど、グレアムも愚鈍ではない。が、何故、という思いで頭がいっぱいになる。色恋沙汰に興味を持つ年齢になる前に婚約者がいたため、恋愛なんて他人事でしかなかったのだ。

 だからどう反応すればいいのか分からない。


「婚約者さんが居ることは知っています。でも、好きです。……好きになって、しまったんです」


 ロージーは潤んだ瞳を伏せ、胸元に抱きかかえた荷物の端をかじかみかけた両の手で強く握り締めた。その姿はまさに恋する少女そのもので――彼女が本気でグレアムを想っているのだ、と悟った。


「……すまない。俺は――」


 婚約者への贈り物が入った紙袋の端を握りしめ、グレアムは瞑目した。藍色の髪の儚げな姿が瞼の裏に浮かぶ。夕暮れの図書館で眠る姿。白昼の光の中で楽器を弾く姿。冬空のベンチで寒さに震える姿。布団の中でグレアムに目を背け涙する姿。

 それらが脳裏に蘇る度、彼女を放ってはいけないという義務感に駆られてしまう。


「俺は、ジュディスを蔑ろにすることはできない」


 グレアムにとって、ジュディスの婚約者であるという事実は絶対的なものに近い。物心ついてからの彼の人生の大半はジュディスの存在によって占められていたし、将来もそうであるという認識でずっと過ごしてきた。端から見れば束縛めいた観念だろうが、それが現在のグレアムを形成し、支えているのだ。

 今更、棄てる選択肢など有りはしない。


「……はい」


 ロージーは、グレアムが想像していた以上に落ち着いた様子でグレアムの返事を受け入れた。寂しそうに、けれど無理のない様子で、微笑みを作る。


「解ってました、先輩はきっとわたしを受け入れないって。それにわたしも、婚約者さんに奥様と同じ想いをさせるつもりはありませんでした。ただ――」


 すぅ、とロージーは息を吸い込んだ。胸が一度上下して、口の端の強張りが解けていく。それからグレアムにも自分にも言い聞かせるようにゆっくりと言葉を吐き出した。


「ただ、こうしないと、わたしは自分の気持ちにケリを付けることができなかった。はっきりと振られたかったんです。そうすれば、きっぱりと先輩のことを諦められるから」


 そうしてロージーは深々とグレアムに頭を下げた。


「だから、ありがとうございました。はっきりと断ってくれて」


 栗色の頭頂部と赤いリボンと一緒に垂れ下がった波打つ髪を見つめながら、グレアムはなにも言葉を返すことができなかった。

 強く握りしめた紙袋がくしゃりと音を立てる。ロージーのことが気に掛かりながらも、グレアムはその中身の存在をはっきりと意識した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る