あと少しだけ
ジュディスと和解し、怒涛のように過ぎていった日々も、一週間を過ぎてしまえば落ち着きを取り戻していた。あれからジュディスたちが両親の説得にとウェルシュの領に帰っていったのに合わせ、グレアムもまた自分の両親と共にアクトン領へと帰っていた。
森と丘ばかりが見えるマナーハウスに滞在していた三日間を、グレアムは領地経営の勉強に費やした。父と共に執務室に詰めて、書類整理などの雑事を手伝ったりしている。
「たまの休暇だ。ゆっくりすればいいものを」
まだ当分こちらには帰ってこないだろう、と仏頂面で父は言う。王太子はグレアムとジュディスの復縁を認めたが、グレアムの魔の森からすぐに離れることは許さなかった。魔法師院の人事の都合から、もう一年はあちらに居て欲しいと。本当に都合が悪いからなのか、それともちょっとした意趣返しなのかは、グレアムには判断がつかない。
いずれにしろ、グレアムが領地経営に携わるのは一年は先のことだ。だからいま無理に勉強に励むことはない、と父が言うのに、グレアムは首を横に振った。
「なにもせずじっとしているのは、性に合いませんから」
父は眉間に皺を寄せ、呆れた様子を見せるが、なにも言うことはなく、ただ肩を竦めた。
砦へ帰る頃になると、季節はいつの間にか秋へと移行していた。気温はさほど低くないが、風は冷たく、外を歩くのに羽織るものを必要とした。アクトンの馬車で送ってもらっているグレアムは、窓から入る冷たい空気に清々しさを感じ、王都を目指して砦を出た三週間前を振り返る。緊張と不安ばかりを抱えていたあの頃とは、随分と心持ちが変わっている。まさかこんな結末になるとは思わなかった、とグレアムは往路の自分を懐かしんだ。諦めるつもりだったものすべてが、自分の手の中に残っている。
「……ああ、でも、サリックスが居ないな」
グレアムの〝目〟の役目を果たしてくれていた、良き相棒だったサリックス。彼女が居なくなったことで、戦い方を変える必要が出てきてしまった。代わりを見つけるべきかとも思ったが、あと一年ばかりのために教育するのも大変だ。我が身一つでどうにかするのが得策だろう。
三日間の旅路の中で、愛猫が居ない寂しさを感じることはなかった。場所は遠く離れても、ジュディスが手の中に戻ってきたからなのだろう。彼女と一緒になるまでにあと少しだけ時間が掛かってしまうが、もうなにかで寂しさを埋める必要はなくなった。
魔の森ティエーラの木々は、青々とした葉の中に一部黄色の葉を混じらせていた。一方で灰色の砦は変わり映えなく、無骨で重々しい。それでも、ここに戻って来られたことの喜びが、グレアムの胸に溢れていた。
「お―グレアム、おかえりー」
感慨深く見上げていた城壁から、聞き覚えのある声が降ってくる。鋸壁の間からトラヴィスの顔が覗いた。ひらひらと掌を上下に振ったやる気のない出迎えに苦笑して、グレアムもまた片手を挙げて彼に応えた。
「休み、明日までだろー? もう一日、ゆっくりしてくれば良かったのにー」
「そうもいかない。休み明けの初日に、移動の疲れが残っていたら困るだろう」
「まっじめー」
城壁の上と下という距離を隔てて交わされる下らない会話に、グレアムは口元を綻ばせた。
あと一年。思いがけず延びはしたが、結局いつかは去らねばならない場所。次にここを離れるときは思い残すことがないように、全力で役目を果たすことを決意する。
「上がってこいよ。お前がいない分、マシューの小言が俺にばかり飛んできてさぁ。愚痴りたくてたまらない」
「見張りだろう。仕事をしろ」
そう返しつつも、なんだかんだで行くのだろうな、と自分のこれからの行動に苦笑しつつ、扉に手を掛ける。
「サリーも、おかえりー」
開きかけていた木の扉が重みで閉まった。守りが薄くなりがちな入口は、開け放しになることがないように、手を離しただけすぐに閉まるような仕掛けになっている。
――ではなくて。
ジュディスはウェルシュの領に帰っているため、サリックスがここに居るはずもない。グレアムがサリックスをつれているものとトラヴィスが思い込んでいる可能性だってある。そう思うのに、何故だか予感があってグレアムは後方を振り返った。
まさかとは思ったが、腐葉土の道、グレアムの足跡を辿るように歩く柳葉模様の灰猫がいた。グレアムと目が合うと、ぴたりと動きを止めて、窺うように翠の瞳を上向かせた。
肩に掛けていた荷物が落ちる。
グレアムは素早く猫に近づくと、その頭に手を置いた。魔力を流し込み、強引にその身を巡る魔力を断ち切ってやると、猫の身体が縦に引き伸ばされるような錯覚を覚える。そこから徐々に人の姿へ。猫は、瞬く間に茜色のワンピースを纏った藍色の髪の女へと変化した。
「……来ちゃった」
上目遣いでグレアムの顰め面を見上げて、引き攣り気味な微笑を浮かべたジュディスに、グレアムは空を仰いだ。
家族はどうした、とか、どうやってここに来た、とか、いろいろな疑問が脳裏を駆け巡る。だが、すぐに思考を諦めて感情のままに声を張り上げた。
「なんでここに居るんだ、お前はっ!!」
ごめんなさい、と詫びれる顔に反省の色はまるでなく。サリックスとしてか、それともジュディスとしてか、とにかくこの砦に居座るつもりでいるのだ、とグレアムは瞬時に悟り、この問題を如何に対処するべきか頭を抱え始めた。
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