とどめ

 それは、ジュディスたちが王城へ行く前日の夕方のことだった。ウェルシュ家からの報告を待つことしかできないグレアムがそわそわと落ち着かない一日を過ごし、堪りかねて庭で魔法の練習をしていたときのこと。客人が来ている、と慌ててやってきた使用人に呼びつけられて玄関に回ってみれば、そこに魔法師院のローブを着たままの王太子が居た。


「ディックが私の下に来た。明日、ジュディスと共に王宮を訪ねたい、と」


 動揺を押し殺しながら用件を伺うグレアムに、ロデリックは言い放つ。ジュディスたちがどのような用件で訪ねるつもりなのか察したのだろう。それでジュディスを説得する前にグレアムに彼女を諦めさせようと、ここまで乗り込んできたという訳か。そうあたりをつけたグレアムは、王太子をどのように扱うべきかを悩んだ。客間に通すのが客人に対する扱いだが、怒りに震えるロデリックに、そんな悠長なことを提案することもできず、玄関先でただ立ち尽くす。


「お前が……お前がジュディスを手離さないからだ。彼女はいつまでもお前に囚われている。過去に囚われているのは彼女のほうなんだ」


 ロデリックは両脇に下ろした拳を震わせ、厳しい眼光で以ってグレアムを睨めつけた。


「グレアム・アクトン。彼女から手を引け」

「できません」


 即座に断ると、ロデリックはグレアムに掴みかかった。


「ジュディスを捨てたお前が、何故今さら……っ!」


 怒りと憎悪に染まった若葉色の瞳を、グレアムは真っ向から受け止めた。穏やかで評判の十も年上の王太子が、ここまで激情をあらわにしていることにジュディスへの想いの大きさを感じ、口の中が苦くなる。ロデリックがジュディスを側室にしようとした経緯を、グレアムは知らない。砦ですれ違ったときの様子から、生半可な気持ちではなかったことだけは察していたが。

 しかし、だからといってグレアムも引き下がることなどできるはずもない。

 グレアムは一度深く呼吸をして気持ちを落ち着けた。


「あのときの自分にそのつもりはなかった、などと言うつもりはありません。自分の犯した過ちの大きさは、しっかりと受け止めているつもりです。ですが、私たちには、互いが必要なのです。ジュディスも、私の傍に居ると約束してくれました」


 胸倉に掴みかかった腕にそっと手を添え、下ろさせる。ロデリックは抵抗をしなかった。グレアムを射殺さんばかりに睨みつけていた視線が外れる。彼はグレアムに外された両手を持ち上げて、固く握りしめた拳を見下ろした。


「何故だ。どうしてなんだ」


 二歩、三歩とよろめくように交替すると、ロデリックは握りしめた拳を開き、両手で顔を覆った。


「愛している。愛しているんだ。五年前、ウェルシュの家に訪れ、彼女を見かけたときから。あの弦の音が、あの歌声が欲しかった」


 譫言のようにはじまった独白を、グレアムはただじっと身じろぎせずに聴いていた。呻くロデリックの声には切実さが滲み出ていた。本気でジュディスを求めている。自分たちの選んだ道は、これほどまでに誰かを傷つけるものなのだということを、グレアムは粛々と受け止めた。

 その一方で、砦ですれ違ったときにも思ったことだが、ロデリックの想いの深さが意外でもあった。ジュディスから聴いた限りでは、二人の接点はグレアムとジュディスが婚約解消したあとの半年ほどしかなかったはずだ。その間に激しい恋に落ちるほどの劇的な瞬間があったとは思えない。ジュディスもまた、心当たりがないようだった。

 しかしそれでもロデリックは、滔々とジュディスへの想いを口にする。グレアムへの敵対心を剥き出しにして。


「ただ、私の傍にいてくれるだけで良いんだ。どうしても側室という立場にさせてしまうが、我慢はそれだけで良いと約束できる。全身全霊をもって、私はジュディスを愛そう。お前ができなかったことを、私は全てやってみせる。魔石を与え、病の苦しみから解放してあげられる。楽器も好きなだけ奏でさせてやれる。他になにも望まない」

「……殿下は何故、ジュディスを望まれているのですか?」


 グレアムの中に生じた疑問に、顔を上げたロデリックは不愉快そうに眉を顰めた。


「偉そうなことを言える立場ではありません。ですが、貴方はジュディスをただ愛でたいだけのように思えます」

「それのなにが悪い!」


 噛みつかんばかりに激情をあらわにするロデリックに、グレアムは視線を落とした。漠然と感じたことをなんとか纏めようと、頭の中で必死で言葉を掻き集める。


「……私は、ジュディスと別れた後、猫を飼っていました」


 そのサリックスはジュディスが化けた姿であったのだが、当時のグレアムはそんなことは知らなかった。


「ジュディスを失って、友人も信じられなくなって。そんなときたまたま出逢った彼女で寂しさを埋めていました。悩みを打ち明けて、触れ合って――」


 そうこうするうちに、彼女の存在に依存するようになった。それこそ、使い魔という正当な理由までこじつけて危険な森に連れていくほどに。手元に置くことに、必死になっていた。

 ロデリックの独白を聴いているとき、グレアムはそのときのことを思い出していた。そして気づいたのだ。彼のジュディスに対する感情は、グレアムがサリックスに抱いたものに似ている、と。


「私には、貴方のそれは愛ではないと、完全に切り捨てることはできません。ですが、殿下はジュディスで寂しさを埋めようとしているのではないか、と私にはそう思えます」

「私のジュディスへの想いは、まるで愛玩に向けるものだ、と?」


 そんな馬鹿な、とロデリックは乾いた声で笑う。グレアムの言葉を侮辱だと激昂するわけでもなく、表情は虚ろだった。若葉色の瞳が動揺に揺れている。


「貴方がジュディスを望まれることを、止める権利も力も私には有りません。ですが、どうか彼女に無理強いだけはしないでいただきたい」


 側室にしようとしたところを、横から攫っていった自覚はあった。だからグレアムは、ロデリックがジュディスを口説くことまでは止められない。グレアムにできることは、ロデリックが権力を持ってジュディスを召し上げないように懇願する、それだけだった。

 昏く静かにロデリックが声を落とす。


「それは、ジュディスが私に靡かないと確信しているから言えるんだ」


 グレアムは目を伏せた。降参にも等しいロデリックの台詞が、胸に痛みを齎した。弱っている獣にとどめを刺しているような、苦い気分。残酷なことをしていると解っていた。

 それでもグレアムは、これだけは言わずにはいられなかった。


「……はい。ジュディスは俺のものです」


 ロデリックの表情が歪む。泣き笑いとも絶望とも取れるその顔を俯けると、身体をふらつかせたままアクトンの邸宅から帰っていった。

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