使い魔

「猫……?」


 グレアムの手に抱えられたサリックス――つまり、猫化したジュディスを覗き込みながら、マシューとか名乗った青年は呟いた。やがて、藍柱石アクアマリンの瞳をグレアムに移す。


「まさか、使い魔ですか?」


 グレアムは渋い顔で頷きながら、サリックスをベッドの上に置いた。


「そうできないかと思ってはいるし、ここに来るときの申請はそうしているが。知っての通り、なかなかうまくいかなくてな」


 慣らしている途中なんだ、とグレアムは続けた。


「しつもーん」


 グレアムの向かいのベッドに座った男トラヴィスが、手を挙げる。グレアムたちより年上らしいが、さっきから見ていても、動きがあまりに大袈裟だからか、年上には思えない。


「使い魔ってなーに?」


 その言葉で、グレアムとマシューの二人は、ここにいるのが魔法師だけではないと気づいたようだ。魔法師学校のときの癖が抜けきれていないようで、ジュディスは密かに笑う。


 使い魔というのは、魔法師がちょっとした用事を代行させるのに使う動物などのことを指す。届け物に使ったり、偵察に使ったり、というのが主な用途だ。それから、視界などの感覚も共有することができたりするという。


 ついてくるように頼みはしたものの、ただの猫では連れてこれないから、ということで、グレアムはサリックスをその使い魔にしようとした。だが、本当に難しいからなのか、それともサリックスが本当は人間ジュディスだからなのか、グレアムは未だサリックスを使い魔とすることができていない。


「学校で教われれば良かったんだが」


 軋む音を立てながらベッドに腰かけたグレアムは、憂鬱そうに溜め息を吐く。ジュディスもさっきから乗っているが、寝台は硬く、布団は薄い。人間の姿なら寝るのも大変そうだ、とジュディスは思う。


「難易度と、貴方のように使い魔と称してペットを持ち込みする可能性を考慮して、禁止されていますからね」

「そうなのか?」

「しかも、そういう人に限って、世話がいい加減だったようです」


 マシューの若干棘のある物言いに、ジュディスはムッとした。トラヴィスが敬語なしで話すのを勧めているのにも関わらず、敬語をつけたまま話すのも、グレアムと距離を取りたいからなのかもしれない。もしかしたらあの噂のこともあるのかもしれないが、ジュディスはその態度が少し気に入らなかった。機会があったら爪でちょっと引っ掻いてやろうか、と思う。

 しかし、グレアムは気にした様子がない。……いや、嫌味と分かっていてあえて真正面から受け止めているのだろうか。フリンのことで、グレアムはだいぶ心の傷を負ったようだから。

 ジュディスはグレアムを励まそうと、前足をそっとグレアムの膝に乗せた。果たして効果はあったのか、頭を優しく撫でられる。


「しかし、そうまでしてなんで猫ちゃんなんて」


 トラヴィスの質問に、グレアムが魔法師学校でのサリックスとの日々を簡単に説明するのを聴きながら、ジュディスもまた、これまでの経緯を思い出していた。



『嫁ぐまでにやりたいことができました。

 しばらく家を離れようと思います。

 捜さないでください』


 グレアムについてきてほしいと言われたその後、ジュディスはそう兄宛てに置き手紙を残し、ウェルシュの家から出ていった。まあ、いわゆる家出である。もちろん『捜さないでください』の一言で、本当に捜さずにいてくれるとは思えないので、定期的に手紙を送ることを約束した。郵便受付の印で居場所が知られてしまうだろうが、そもそもディックはジュディスのしたいことがなんであるか分かっているだろう。無事であることさえ分かれば無理に連れ戻されることはないだろう、と踏んだ。

 実際、兄はジュディスを引き取りにグレアムのところには来ていない。

 ジュディスの行いを黙認してくれたものと見ている。


 それからというもの、ジュディスはグレアムの飼い猫――および使い魔候補サリックスとして傍にいる。


 グレアムは、もとは野良だと思っているからか、サリックスが日中居なくなったりしても特に騒ぎ立てはしない。一日に一度か二度その姿を見て、わずかな時間を過ごすことができればそれで良いようだった。素っ気ないと思わなくもないが、ジュディスにとってその不干渉ぶりは都合が良かった。お陰でたまに人間に戻って、身を清めたり兄宛の手紙を書いたり送ったりすることができている。



「……なんか、寂しい奴だな」


 グレアムの話を聴いたトラヴィスが、素直な感想を漏らす。理由を知っているはずのマシューもまた同じような感想を抱いたのだろう、同情の目でグレアムを見ていた。


「お前、友だちはいねぇの?」


 魔法師学校に通っておらず、貴族でもないから、トラヴィスはグレアムとジュディスの婚約解消騒動を知らない。それだけに直球に尋ねてきた。グレアムの視線が翳る。余計なことを言うな、とジュディスは敵意を籠めてトラヴィスを見るが、彼はグレアムを見ていてサリックスの視線には気づかない。


「そっか。……そっか、そっか」


 トラヴィスは頷きながら立ち上がると、グレアムの座るベッドまでやってきて、俯いていた彼の肩と自分の肩を組んだ。

 そこで初めて、ジュディスと眼が合う。僅かに細まった灰色の目が、柔らかく光る。どうやら彼は、ジュディスがグレアムを心配していることに気付いていたらしい。


「ぃよーし。そんじゃ今晩、三人で酒でも飲もうぜ! 親睦会だ!」

「酒が何処にあるんです」

「どっかにゃあるって。暇がありゃ、下の村まで買いに行ってもいいし。最悪、水だ!」

「シケてる……」


 底抜けた明るさを見せるトラヴィスと、呆れた様子のマシューのやり取りに、グレアムもぎこちなく笑みを取り戻していった。




 メイリンのいう迎えが来たのは、その少し後。トラヴィスの陽気さに、グレアムの表情の強張りが解けてきた頃だった。


「リチャード・マクマナスだ。お前たち第五期兵の準監督役――分かりやすく言えば、副隊長になる」


 そう言ったのは、岩を針のように鋭く削ったような長身の男だった。短く刈り込んだくすんだ金髪。肌は日焼けか少し黒い。扉の枠に頭をぶつけそうな長身が纏うのは、葡萄酒色のローブ――魔法師兵だ。


「ついでに言えば、グレアム、マシュー、お前たち新人魔法師兵の教育係でもある。魔法戦については、これから俺の指示を聞くように。特に、マシュー」


 榛色の目が向けられると、名指しされたマシューは小さく返事をした。


「お前はもともと魔法師兵の訓練を受けていない。その辺りの補修も俺から行うので、承知しておけ」


 グレアムと、それからジュディスの目がマシューへ行った。グレアムが彼を知らなそうな一方で、ジュディスのほうは何処かで彼を見たことが有ると思っていたのだ。思い出した。彼は、〝とりあえず〟で研究者向けの進路を取っていたジュディスと、同じ授業を受けていたのだ。つまりもともとは研究者を志望していたはず。


「さて。今朝は下の村アキナからここまで来ただけだろうから、まだ体力が有り余っているだろう。午後から早速魔の森に出向くから、準備をしておけ」


 集合は先に居た会議室だ、と言い残してリチャードは部屋を出ていった。

 マシュー、とグレアムは背後の魔法師に声を掛ける。


「なにか理由があるのか」

「……僕の入っていた研究室、解体してしまったんですよ。ここ最近」


 もともとマシューは研究職を希望していたのだが、卒業考査の要件を準備している最中に研究室がなくなってしまったのだという。考査用の論文や実験報告書はなんとか完成して出すことができたのだが、研究内容の所為か、魔法師院の研究部門に受け入れ先が見つからず、その結果魔法師兵としてこの砦に来ることが決まったらしい。


「まあ、半分は僕の希望です」


 魔の森には興味があったので、とマシューは言った。滅びた文明を目にすることができるなら、それも良い機会かもしれないと判断したのだという。


「どんな研究をしていたか訊いても?」

「……半自立式魔法です」


 グレアムと一緒に、ジュディスもまた目を瞠った。

 魔法が働くには、魔法師の意思が必ず介在する。火の球を飛ばす方向や速度が決まるかも、バリアの展開する大きさや硬度が決まるのも、すべて魔法師が設定しているからだ。そこに不確定要素が入り込み思い通りに行かないということは有れど、魔法が自分で作用してなにかをすることは有り得ない。

 マシューのいう半自立式魔法は、その〝魔法が自分で作用する〟といった部分を疑似的に実現させようというものだ。

 そして、詳細は省くが、その半自立式魔法の構造と使い魔使役の魔法の構造に類似点があることを、ジュディスは――そして、おそらくグレアムも――知っていた。


「つまり僕、使い魔にはそこそこ詳しいんですよ」


 得意げに、ではなく、何故か卑屈そうにマシューは言った。使役についてお教えしましょうか、とも。


「良いのか?」

「拒絶する理由はありませんから」


 それに、研究できない鬱屈した気分を紛らわすこともできるかもしれないから、と寂しそうに言うのだった。

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