浅はかな思惑
雪が滑り落ちたチャコールグレーの屋根を見上げると、なんだか懐かしい気持ちに駆られた。年末にタウンハウスに帰らなかっただけで、随分と久し振りな気がするものだ。
週末、鞄一つで実家に帰ってきたグレアムは、白い息を吐きながらそんなことを思った。その前に一度戻っているというのに、変な話だ。
黒い格子門を抜け、丁寧に雪掻きされた白い石の道を通って玄関へ。壁と同じく白く塗られた扉を開けると、一人の初老の男が出迎えた。白い髪をきっちりと撫で付け、綺麗に整えた口髭をたくわえて、清廉さを備えた燕尾服のその人は、アクトン家の執事である。
「お帰りなさいませ、坊ちゃま」
冷たさを感じさせるハスキーな声とお手本のようにきっちりとした礼を伴う挨拶が相変わらずで、グレアムは口元を綻ばせた。
「パーシヴァル。久し振りだな」
上着を脱ぐと、彼はすぐに引き取ってくれる。そして荷物もすぐに取り上げられてしまった。学校生活で〝自分のことは自分でする〟ことにすっかり慣れてしまったグレアムは、自分で持つ荷がなくなったことに戸惑う。が、なにも言わない。使用人から仕事を取り上げるな、と返されるからだ。
代わりに、別のことを尋ねる。
「……父上は」
「執務室にて、お待ちです」
そうしてパーシヴァルはグレアムの荷を持ったまま先へ行く。そのまま父の元へ案内してくれるのだろう。グレアムは執事のあとについていった。
玄関から真っ直ぐに延び、中ほどで左右に分かれた石造りの大階段。右の道へ折れ曲がると、グレアムの胸中に暗雲が架かった。
「やはり、お怒りだろうか」
父親に会うのに不安が先立って、ポツリと溢す。父は誠意と義を重んじる人間だ。自分がしたことは、それに反している。
坊ちゃま、とそんな自分にパーシヴァルは背を向けたまま話し掛けた。
「……お覚悟なさいませ」
その一言で、すべてを悟った。
「解った……ありがとう」
こうして忠告をくれたのは、パーシヴァルなりの優しさだろう。グレアムは覚悟を決めた。辿り着いた執務室の前。パーシヴァルが中の父にグレアムの到着を告げている間に、目を閉じて深呼吸する。
「失礼します」
パーシヴァルが扉の前を譲った先にあるのは、向かって右側の
唯一斜めに置かれた執務机の所為か、なんとなく居心地の悪さを感じさせる部屋だった。
その執務机に座るグレアムの父レイモンド・アクトンは、グレアムの年齢に三十を加算した、そのままの見た目をしている。燻した銀を思わせるアッシュブロンドの髪。チェーン付きの丸い縁なしの眼鏡の向こうには、荒海のような色の瞳。皺の刻まれた顔は巌のようで、如何に厳格な人かよく分かる。
「来たか」
決して叫んでいるわけでもないし、声量も特別大きいわけではないのだが、父の声はいつも地面に轟くような凄みを感じさせる。生まれてから十八年聴き慣れたグレアムも、緊張で背筋が伸びた。
「相談があるという話だが」
眼鏡を外し、広げていた資料を畳んで右手で隅へ押しのけたレイモンドは、両手を組んで肘を着き、じろりとグレアムを見上げた。厳しい眼差しに、グレアムの口内が瞬時に干上がる。
「はい。私の、今後の身の振り方について」
「それは、キャラハンの娘のことか」
直球で来られて言葉に詰まった。父の怒りを向けられたような気がして心臓が凍り付いていくのを自覚しながら、なんとか言葉を搾り出す。
「……そのことも含めて、です」
ロージーのことばかりではないのだが、グレアムが今後アクトンの跡継ぎとして振る舞うのに彼女の扱いが問題となっているのもまた事実だった。
「最初に言っておく。キャラハンの娘と婚約させる気はない」
どきり、とグレアムの心臓が大きく動いた。そして、そのことにまた戸惑った。それは、カタリナから聴いた噂を懸念したグレアムが父に相談したかったことの一つのはずなのに、こちらから切り出す前に指摘されて、なんとなく悪事を叱られた気分に陥ったのだ。
グレアムの変化をどう受けとめたのか、レイモンドの表情がさらに険しくなっていく。
「キャラハン家がなんと言っていようと、だ。これ以上ウェルシュを裏切るようなことを、私は許すつもりはない」
「キャラハン家から本当に婚約の打診があったのですか?」
その言い回しに違和感を覚えて、グレアムは尋ねた。周囲が面白おかしく騒ぎ立てただけだと思ったのだが、違ったのか。
「そうだ。二人は想い合っているようだから、とタデアス・キャラハンがわざわざ持ち掛けてきた」
苦虫を噛み潰したような気分になる。自分で自分の気持ちが解っていないのは確かだが、断言されるのもまた気分の良いものではない。
父は、グレアムの気持ちがどうであれ認めはしない、と念を押すように繰り返した。そのことを気にかけるよりも先に、レイモンドがキャラハン家を警戒する理由のほうが気になった。
「キャラハン家は、魔法師を輩出してきた家柄だ。しかし、ここ数代は魔法師としての資質が落ち込んでいた。現当主のタデアスは、魔力があることだけが取り柄としか言えず、それなりの技巧を持った跡継ぎは、怪我で魔法師となることができなくなった」
従って、アメラスでのキャラハン家の注目度が下がってきているのだ、とレイモンドは語る。もとよりキャラハンは男爵家。魔法師として貢献したことで獲得した爵位であり、それ故に魔法師であることのみが売りで、領地があるわけでもない。魔法師を出すことすらできなくなれば、キャラハンの貴族としての存在意義は消え失せてしまう。
「そんなタデアス・キャラハンは、同じく魔法師界に影響力を持つウェルシュ家を敵視している」
ウェルシュもキャラハンも、魔法師としてアメラス国内でその地位を獲得してきた。しかし、キャラハン家は男爵位である一方、ウェルシュは伯爵位。しかも領地も有している。その違いが予てより気に食わなかったらしい。
「それは歴史の違いでしょう。ウェルシュ家の歴史は百五十年以上。しかも、かつての王家の血筋に当たりますし」
現王家クラエスではなく、百五十年以上前にアメラスを治めていた王家だが。しかもジュディスの曽祖父の代にはすでに遠戚と言えるほどの縁であり、かつての王家の血筋を誇るにはあまりに薄く、かけ離れている。
因みに、魔法師院ができたのも旧王家の時代。ウェルシュ家は旧王家の頃から魔法師として国に仕え、一方キャラハンは現王家の時代に爵位を獲得した家柄である。
「だからだろう。爵位も、魔法師院での地位も、血筋で獲得したと思っている。あながち間違いでもないが……魔法師の資質でどちらが優れているかは、ディックを見れば判る」
現在正式な魔法師となっている者たちの中で、ディックはその身の内に宿す魔力量だけ取ってみても一番だ。加えて、魔法師学校は主席で卒業。魔法師兵としても見込まれていたというし、研究職を選んだ後は一番上に名前が載った論文をこれまで五つ出している。
そしてその中の一本がきっかけとなってロデリック王太子に目を掛けられるようになったというのだから、タデアスの嫉妬はますます膨れ上がっていったのだろう、とレイモンドは推測した。しかも、期待を掛けていた息子ベルノルトは、怪我で魔法師になる可能性を断たれている。
「それで、俺を……?」
レイモンドは首肯した。
「婚約の詳細を知らず、魔法師としての実力でウェルシュに目を掛けられていたとでも思ったのだろう。そんなお前が娘と恋仲にあると聞いて、結婚させることを思いついた。娘との間に子が産まれれば、ウェルシュを凌ぐ魔法師に育てあげることも、かつての栄光も取り戻せることもできるかもと考えているのかもしれん」
ついでに、アクトンは領地の事業の規模が大きく、また国への影響力が大きい。親戚となったアクトンの威を借りることもまた考えているのかもしれない、と父は推測を立てた。
グレアムは呆れ果てた。自分にそれほどの価値があるとも思えなかったのが一つ。〝ウェルシュが逃した魚〟というだけでタデアスに注目されたことが一つ。種馬扱いされていることが一つと、そのすべてがウェルシュの嫌がらせのためでしかないということが一つ。
あまりに浅はかな思惑に巻き込まれた。
「そういうわけで、アクトンとキャラハンの婚姻は間違いなくウェルシュとの間に軋轢を生み、面倒を引き起こす。ただでさえ我々は彼の家を裏切ったというのに、これ以上迷惑を掛けるわけにはいかない。
それにあちらは今、お前に代わる魔力の受け取り手を探すのに追われていることだろう。つまらないことで煩わせるわけには――」
「待ってください」
突然切り替わった聴き慣れない話に、グレアムは父の言葉を遮った。
「魔力の受け取り手? なんの話です」
レイモンドは唖然とした様子で息子を見上げる。
「そもそもジュディスとの婚約は、余りある彼女の魔力の一部をお前が引き受け、彼女の身の負担を軽くすることにあったはずだ」
「俺が……ジュディの魔力を引き受ける……?」
「そうすることで彼女は病床から出ることができたわけだが……婚約のときに説明したが、本当に忘れたのか?」
信じられないというような目で見つめられるが、まったく覚えがなかった。……いや、もしかすると婚約者ができるという話を聴いたときになにか言われていたかも?
所在の分からない記憶を掘り起こそうとして、グレアムの頭の中がぐるぐると掻き混ぜられる。
「まあ……お前もまだ
そう表情を曇らせてグレアムを見る父の眼には、後悔の色があった。それを知ったグレアムは居た堪れなくなる。すべては、己の自覚のなさが招いた事態だというのに。
「だが、婚約解消の件は話が別だ。それは解っているな?」
「はい……もちろんです」
どのような経緯で結ばれた
「それから、お前の卒業後の進路だが。今しばらく口は出さん。魔法師になるでも良し、跡継ぎになる準備をするでも良し」
もっとも、今のお前に、魔法師兵を目指す理由はなかろうが。そう付け加えられ、グレアムは俯いた。悔しさに歯を食いしばる。魔法師学校に通わせてもらったのは、あくまで魔法を扱う能力を身に着けるため。魔法師にならんとすることは、自分の我儘でしかないことを今一度突きつけられた。
「話は終わりだ。グレイスにも声を掛けていけ。お前が帰ってくるのを楽しみにしていたからな」
はい、とグレアムは小さく返事をして、執務室を辞した。
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