ロージーという少女

「アクトン先輩!」


 いつものようにまた講義を抜け出したジュディスを探して図書館の読書区画を歩いていると、騒ぎの中でもよく通りそうな高い声で名前を呼ばれた。グレアムは基本的にジュディス以外の女子との関わりがない。だから名指しで呼ばれたことに疑問を感じていたのだが、ぱたぱたと本を抱えて小走りに近寄る紫紺の小さな影を見てようやく得心がいった。


「キャラハンか」


 三日前の夜に月下の訓練場で逢った、ロザンナ・キャラハンである。

 ロザンナは、ただでさえ紅潮している頬を夕日でさらに赤くして、明るい黄金色に輝いた瞳でグレアムを見上げていた。


「この前は、お世話になりました!」


 本を抱きかかえたまま、栗色の髪を大きく揺らしてぺこりと頭を下げる。その高い声が大きかったので、グレアムは慌てて静かにするように指示した。図書館では静粛を求められる。学習の場でもあるため多少の会話は許されるが、周囲に反響するような大声は以ての外。司書に目を付けられては大変だ。

 グレアムの指摘に気付いたロザンナは、慌てて右手で口を塞いだ。大きな瞳がキョロキョロ動いて、周囲をせわしなく見渡す。幸いロザンナを咎めようとする者はいなかったようで、彼女はほっと胸を撫で下ろした。


「どうだ、調子は」


 囁くほどの小さな声でグレアムは尋ねる。偶然出逢った頑張り屋な後輩に好感を抱いたため、気に掛かってはいたのだ。だが、わざわざ教室を捜し回るほどのことではなかったため、そのまま会わずにいた。あの夜以降、彼女も訓練場には顔を出してない。


「まだまだってところです。魔法を使うとやっぱり緊張して、呼吸にまで意識が回らなくて……。でも、前よりはちょっと良くなったのかな?」


 この前教えてもらった本も買って読んでるんですよ、と彼女は楽しそうに報告する。芳しくない答えの割に表情は明るいので、多少なりと手ごたえがあったのだろう。グレアムは自分の見立てが間違っていなかったことに安堵した。同時に、彼女が前に進めていることにも。


「今日は図書館で調べ物か?」

「はい。課題のレポートをやらなきゃいけなくて。でも、どんな本を見ればいいのか分からないんですよね……」


 そうして彼女は、胸元に抱えた本に視線を落とした。分厚い三冊の本。参考に、と書架から抜き出したのだろう。だが、本当にその本が課題に取り組むのにふさわしい内容なのか自信がないようだった。

 眉根を寄せて本をじっと睨んでいたロザンナは、ふとグレアムを見上げる。


「……あの、先輩。もしお時間があれば、教えてくれませんか?」


 なんとなく予想していたお願いに、グレアムは腕を組んで考えた。見渡した限り、ジュディスは図書館にはいないようだった。ならきっと、寮にいるのだろう。葉の散る時季だ、夕暮れ時は寒いから外にいるとは考えにくい。ジュディスを捜し回っていたとはいっても、用事があったわけでもない。ただ、相変わらず直らない怠業に対する注意と、この前のように転寝しているのを心配して見に来ただけ。

 だったら、ここで捜索を中断して、ロザンナについても問題はないはずだ。

 そう結論付けたグレアムは、承諾の返事をした。


「わあ! ありがとうございます!」


 手を叩かんばかりにロザンナは喜ぶ。じゃああっちで、と指し示した机にうきうきとした様子で向かった。グレアムはその後を追う。楽しそうな彼女の様子が微笑ましかった。


 夕焼けの赤味が強まっていく光の中で、ロザンナは課題に取り組んだ。課題の内容を聞いたグレアムの助言で見つけ出した本を真剣に読みつつ、あの犬の可愛らしいペンを動かしている。時折ぶつぶつと呟いているのは、集中しているときの彼女の癖だろうか。必要最低限の助言を与えつつ、グレアムは適当に引っ張り出した魔法兵書を読んで、彼女のレポートが完成するのを待った。

 課題に取り組んで一時間ほどして、ロザンナはペンを止めた。


「こんな風で良いんですか?」


 ざらざらとした灰色の紙に書かれていたのは、レポートの下書きだった。時折取り消し線や塗りつぶし、挿入や注釈などが入っていて、読みにくい文章となっていた。眉根を寄せながらグレアムはなんとか内容を読み取ると、ロザンナに下書きを返却する。


「うん。悪くない」


 自分ならもっと、と思う点はいくつかあったが、このままでも十分に合格点を貰える内容だとグレアムは判断した。


「良かった〜」


 グレアムの眉間の皺に怯えていた彼女は、顔を綻ばせた。それからグレアムの補足を熱心にメモする。あとは、清書をするだけだ。それは寮に戻って自室でやるのだという。

 ロザンナと一緒に本を片付け、図書館を出た。


「あの、先輩が良かったら、なんですけど……」


 用事も終わり、それぞれの寮へと別れようとしたところで、ロザンナがグレアムを呼び止める。まだ用事があったのかと振り返ると、彼女は身体の前で手を組んで、躊躇っているのか俯きがちにグレアムを見上げていた。


「わたしに勉強、教えてくれませんか?」


 グレアムは眉を顰めた。彼女はそこまで切羽詰まっているのだろうか。


「……もうご存知かもしれませんけど、わたし、愛人の娘なんです」


 突然の告白に、グレアムは反応を示さず、ただ沈黙した。

 キャラハン家は代々優秀な魔法師を輩出する名立たる貴族の一家門である。だから、グレアムもキャラハン家のことは少し知っていた。

 キャラハン家の現当主に子は一人だけ。これが、ロザンナと出会うまでにグレアムの認識だった。だが、ロザンナは自らをキャラハンの娘だという。どういうことかと思って少し調べてみれば、彼女が現当主の愛人の娘であることがすぐに知れた。現当主は愛人を囲い、わざわざ別邸を建てて住まわせているのだという。ロザンナもおそらくその別邸で過ごしていたのだろう。


「私にはお異母兄様にいさまが居るんですけど――」


 知っていた。親しくはないが、同級生だ。ただ、今年は姿を見ていない。


「お兄様、昨年大怪我をしてしまって、魔法師になるのは難しくなってしまったんです。それで、退学したお兄様の代わりにわたしが魔法師になることになって……」


 先にも言ったとおり、キャラハン家は魔法師を輩出する貴族の一門である。しかし、嫡出子――正妻の子は、怪我で魔法師として活躍できなくなった長男だけ。かといって、キャラハン家としては魔法師を家から出さないわけにはいかなかった。そこで、目を付けたのが、ロザンナの存在だ。彼女には魔法師になれるだけの素質があった。だから、嫡子には当主を継がせ、庶子を魔法師とすることで、キャラハン家の体面は守られる――そう判断したのだろう。


「でも、去年までお父様もわたしもお母さんもそのつもりはなくて。魔法のこと全然勉強してこなかったんですよね」


 彼女は別邸で、普通の令嬢としての最低限の教育だけを受け、のびのびと過ごしていた。それまで当主は政略で何処かに嫁がせられれば良いとだけ考えていたのだろう。しかし、ここへきて予定が狂った。

 そんな、魔法に関する知識は皆無の状態であるのにもかかわらず、ロザンナを四年生からの編入としたのは、やはり彼女の婚期のことを考えてのことだろう。魔法師学校四年時、学生はだいたい十七歳。もし今から一年生からはじめたとなれば、彼女は卒業する頃には二十一。貴族の娘の縁談を纏めるには、些か遅い。

 家の体面と政略のための駒。そんな扱いをされている彼女が哀れになった。


「同級生のみんなは、わたしが愛人の娘だっていうのが嫌なのか、仲良くしてくれません。先生もお忙しいですし……。でも、一人での勉強にも限界があって……」


 だから、グレアムに助けてもらいたいのだという。

 実父の都合で振り回されつつも、健気に、勤勉に奮闘するロザンナ。彼女が放置されているのをただ見ているのは心苦しい気がして、グレアムは家庭教師役を引き受けることにした。


「分かった。良いだろう」


 ロザンナの表情がぱっと明るくなる。


「嬉しいです! ……あ、あとできれば魔法の訓練のほうも……なんて」


 さすがに厚かましいですよね、冗談です、と今度は寂しそうに苦笑する少女に、グレアムは首を縦に振らざるを得なかった。


「自分の訓練のついでで良ければ」


 いつもグレアムが訓練場に行く時間帯であれば負担はほとんどないし、人に教えるということはグレアムにとっても魔法の実践法の理解を深める良い機会にもなる。デメリットは見当たらず、断る理由がなかった。

 承諾するグレアムを見て、ロザンナが琥珀色の瞳を大きく見開く。


「え? ホントに良いんですか? ありがとうございます!」


 思わぬ僥倖、と薔薇色に焼ける西空を背景に、ロザンナは大げさなほど喜んだ。子ども染みて見えるほどにはしゃぐその姿に、グレアムの頬は自然緩まる。

 そういえば、これまでの学校生活で、後輩にこのように接する機会がなかった。たまに後輩の面倒を見ている人物を見て、世話好きな奴だと感心していたが、なるほど、自分をこうして純粋に慕ってくれる相手がいるのは、なんだか気分の良いものだった。


「あの、わたしのこと、ロージーって呼んでください」


 ようやく落ち着いたロザンナは、真っ直ぐにグレアムの青い瞳を見つめて言った。子どもっぽい、無邪気な様子は鳴りを潜め、愛人の娘だ、と告白したときの寂しげな色がまたその幼い顔に宿る。

 本当の名前はロージーっていうんです、と彼女は言った。


「略称染みていて貴族らしくないからって、編入するときにロザンナを名乗るように奥様に言われたんですけど、やっぱり馴染めなくて」


 だからせめて親しい人には本当の名前で呼んで欲しいのだ、とロザンナ――否、ロージーは言った。

 そうと言われてしまえば、断りにくい。


「分かった、ロージー。これからよろしく頼む」

「はい! それはこちらの台詞です。これからよろしくお願いします!」


 それから二人で勉強会と魔法訓練をそれぞれ週に一度と定めた。

 ロージーは勤勉で物分かりが早く、教える立場のグレアムとしては非常に好ましく映った。

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